終.雨上がる

「兄貴……。また包丁ですか……?」

「うん。ちょっと落としたりとか色々ね」

 次の日、酒場に顔を見せたシャーは、そんなことを言いながらチャイを飲んでいた。今日は、すっかりよく晴れていた。まだ砂の上には水が残っていたが、やがてそれも乾いてしまうに違いない。まだ青いままの空には全く昨日の雷の気配は見えない。

 シャーは一応右の肘と膝のあたりに包帯を巻いてはいるが、別に動くのに支障はないらしい。そんな彼は今日はいつもの服装でなく、別の服を着ていた。

「料理って危険だね。まるで、アレって戦場だよ、戦場」

「そんなん兄貴だけですよ。っていうか、雷でしょ?」

 舎弟の一人が笑いながら言った。

「昨日の雷は凄かったですからねえ、アレにびびって落としたでしょ!」

「んにゃっ、何でわかるの?」

「やっぱりそうだと思いましたよ。兄貴らしい」

「全く! どーせそんなことだと思っていました!」

 舎弟達はげらげら笑い出した。シャーは、ムッとした顔で黙っている。

「なあにい、お前達はあ! お前達も料理の恐ろしさを知るがいい! ついでに雷も!」

 シャーは、いけしゃあしゃあとそんなことを言いながら、ふと入り口の方を見た。リーフィがそこにたたずんでいたのだ。慌ててシャーは立ち上がると、リーフィの方に歩み寄る。

「リーフィちゃん、どうしたの?」

「昨日の、とりあえず繕えるところは繕ったわ。今、洗って干してあるの。でも、まだ乾いてないの。だから、今日の夜にうちの酒場に来て。そうしたらすぐに渡せるわ」

 リーフィはそういい、一段と小さい声で更に付け足す。

「内緒であなたにだけおごってあげるから」

「ええッ! いいの。ありがとう!」

 シャーは目の色を変えてえへへと笑う。何だかんだでシャーという男は、酒に目がない。

「でも、お酒はやめておいた方がいいんじゃないの? 怪我は大丈夫?」

「あー、大丈夫大丈夫、こんなん怪我にはいんないって!」

 シャーは軽く膝のあたりを叩き、そして、思ったより痛かったのか顔をしかめた。リーフィは、少しだけうっすらと笑う。

「わかったわ。また夜にね」

「ありがと」

 リーフィは軽く手を挙げると、また外に出ていった。シャーはへらへら笑いながら手を振ってリーフィを見送ると、妙な音階の鼻歌を歌いながら、酒場に戻ろうとした。

 が、目の前に誰かいるのを知って、急にシャーは足を止めてびくりとした。

「サ、サリカちゃん!」

 目の前にいるのは、昨日頬をひっぱたかれたことも記憶に新しいサリカだ。びくびくしながらシャーはそうっと上目遣いに訊いた。シャーが上目遣いに何かを頼もうとすると、たいていの人とは逆で、なぜかものすごく相手の神経を逆なでることが多いのだが、シャー自身は不幸にもその事実に気づいていない。

「あの、本日は快晴なりよね? ……空気も鬱陶しくないし、今日はあれこれ……」

「何訳のわかんない事言ってるの?」

 冷たく指摘されて、シャーは更にびくりとする。

「あいやあ、その……」

「ほら、昨日ひっぱたいちゃったお詫び! ごめんなさい!」

 少しきつい口調でそういって、サリカは不意に酒瓶をシャーに押しつけた。いきなり押されて、シャーは、後ろによろめきながらそれを受け取った。

 一瞬きょとんとしていたシャーは、目をぱちくりさせて、そして、サリカを見た。

「あ、あのう~………どっ、どぉいう風のふきまわしでしょう?」

「あ、あたしもわかんないけど…! リーフィねえさんにきつくいわれたの!」

 サリカは、ふいっと顔を背けた。

「なんだか知らないけど、あたしが売られるって話が消えたのは、あんたのお陰だって! よくわかんないけど、それ、あげるわよ!」

 サリカはそういうと、ぷいっと背を向けていってしまった。シャーは、押しつけられた酒瓶を抱きかかえたまま、サリカの後ろ姿を見ていた。

 そして、不意に思い出したようにポツリと言った。

「まぁ、人助けすると、たまにはいいことがあるもんだよね」

 シャーは、にんまりと笑うと、酒瓶に軽くほおずりしながら、また元の席へと戻っていった。

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