後日談:シャーとネズミ
「シャーは、そういう服しか、もしかして似合わないのかしら」
リーフィが唐突にそう言ってきたので、シャーはふと振り返る。
休みの酒場に休みとも知らずにやってきたシャーは、ずいぶんと寂しい思いをしていたのだが、たまたま、リーフィが店に忘れ物を取りに来たところだったようで、二人は話をしていた。
昼間だと言うこともあるが、さすがに酒場は静まりかえっている。普段わいわいやっているだけに、一気に寂しく感じになってしまう。
リーフィは、店の奥から何か青いものを畳んで出してきた。
「オレの服ぅ~?」
「そう、あなた、そういう感じの以外にあわないのかしらと思ったのよ?」
本人は悪気はないが、意外とひどい事を言う。シャーは、頭をかきやりながら、少し唸った。
「ど、どうだろ? 確かに、オレ、似合う服より似合わない服のが多い気がするけどね」
「やっぱりそうなの。じゃあ、よかった」
何がよかったというのか、と、シャーが不審そうに彼女を見る。リーフィは、先ほど畳んだものを抱えながらシャーの前に歩いてきた。相変わらず表情の薄い彼女の真意は、あまり読みとれない。
「この前、マタリアに潜入したとき借りてきた服があるでしょ?」
「あ、あの、オレが破いちゃった奴?」
シャーは思い出しながら呟いた。マタリア館に忍び込むとき、リーフィが金持ちの使用人から貰ってきたというお古だ。本当はそれを来て、旦那衆に紛れて忍び込むはずが、シャーのあまりの不審さに道化役の芸人に化けるはめになってしまった。つまり、その貴人の着る豪奢な服は、シャーが着ると正直ただの大道芸人になるということである。
「ええ、あれはもう着ないっていうから、ついでにもらってきたのよ。それで、ふと思ったのよ。あなた、ろくな服持ってなかったわよね」
「え、そ、そうだったぁ?」
「ええ、やっぱり普段のその服の方がよほどいいわ」
あのマタリアの騒動が終わった翌日、一張羅を破かれたシャーは、代わりの粗末な服を着ていった。だが、リーフィにそこまで酷評されようとは思わなかった。
「そ、そう……。やっぱし、もう一着ぐらい買ってもらったほうがいいかなあ……」
お金のないシャーは、服もロクに買えない。だから、誰かにたかって買ってもらうつもりなのだろう。少しうなだれたシャーの前に、青い布が差し出された。
「だから、これをあげるわ」
「え、でも、これ、この前……」
「大丈夫、それっぽく仕上げてみたのよ」
そういってリーフィは服を一式広げて見せた。できる限り、今シャーが着ている、少し異国風のデザインにあわせたそれは、以前のように彼がきてもおかしいということはない。
「あ、ありがとう! いいの?」
シャーは受け取って、少しだけホッとした。これで、一着派手に破っても、しばらくは大丈夫だ。
「だって、このままおいておいても何もならないもの」
リーフィは意外なところで器用なようで、仕事の合間に趣味を兼ねて服を繕ったり、仕立て直したりしているようだ。シャーは、もう一度ありがとうというと、喜んでそれを重ねてみる。なるほど、最初からシャーにちょうどいいぐらいの服だったので、サイズも大丈夫のようだ。
「気に入ってくれたら嬉しいわ」
リーフィはそうさらりといった。
嬉しいながらに、シャーは、ふと、しかし、と思う。
女の子と二人っきりというものすごくいい雰囲気のはずが、何となく味気ない空気が漂っている。そう、何故か野郎と一緒にいるような殺伐とした感じがするのだ。
正直、リーフィが自分のことをどう思っているかがよくわからないが、とりあえず、近頃は「変質者」から「変な人」までは昇格できているだろうなあと思っていたシャーである。しかし、信頼感が見えてきたのはいいとは思うが、彼らの関係には一抹の色気も感じられないのだった。どちらかというと、友達とか、秘密を共有する仕事仲間といった感じである。
(ま、まあいいか。まずは人間、何事も信頼の一歩から)
シャーはそんなことを思いながら、貰った服を畳んだ。
「そうそう、向こう部屋を少し整理してくるわね。それから、他の酒場に案内してあげるわ」
「ありがと。んじゃ、オレ待ってるね」
リーフィはうなずくと、奥の部屋に行ってしまった。向こう側は厨房と空いた酒瓶や割れものが置かれているので、それを片づけにいったのだろう。働き者のリーフィを見ながら、健気だなあと思うシャーは、がらんとした酒場の中央あたりにある椅子をずるずる引き出してきてどんと座った。
と、不意に、扉の方から音が聞こえた。
「こんにちは。今日はやってないのかい?」
明るく軽い声に、シャーは入り口に対し後ろ向きに手を振る。
「今日は休みだよ~」
「それは弱ったなあ……」
相手は困ったようにそういい、店の方に足をかけたようだった。中をのぞき込んで本当に休みなのを知ると、彼はため息をつく。
「折角来たのに、残念だな……」
シャーは、ようやく面倒そうに首を向け、相手の顔を見ようとしたが、その前に違和感を感じたのだ。今の声、確か、以前にきいたことはないか。ほおづえをついていたシャーは、ぴたりと動きを止め、用心深く注意しながら相手の方を見た。
相手も暗い室内にいる彼をすぐにはわからなかったようで、彼の顔を見て、はっきりと驚いた顔をした。
シャーが椅子を蹴るように飛び出して、構えを取ったのと、相手が一歩後退したのは同時だった。
そこにいた相手は、きちりとした服装で、大人しそうな顔はしていたが、あの夜にあった男そのものであった。
「てめえ……ッ、ゼダ!」
「シャー=ルギィズ、てめえの根城かよ!」
シャーは反射的に身を翻し、右手をそっと柄にかける。だが、ゼダは首を振った。
「おっと今日はお前とぶつかるつもりで来たんじゃないぜ!」
ゼダは、相変わらず吸っていたらしい煙管をはずして、指先で振りながら言った。服装は割合にきっちりしているが、それでも声色から表情まで、先ほど店に入ってきたときと、一瞬で変化している。特に声と口調の変化は凄まじい。もっとも、シャーも人のことを言えないぐらいに口調も声も変わるのだが。
「ちょっと今日は、あの時の女に会いに来たのさ」
すでに言葉遣いも目つきも変わっているゼダは、独特の退廃的な雰囲気すら漂わせつつ、そう言って笑う。
「はあ? 何訳のわからんことを?」
「あぁ? オレは言わなかったか、オレはこれでも理想の女は探してるんだって。ああいう健気でしっかりした女が好みなんだよ。だから、ちょっとおつきあい願えないかなあって。ほら、まず人間何事も信頼が大事だからな」
どこかで訊いたような台詞を言いながら、ゼダは煙管を吸ってふっと煙を吐く。
「だから、会いに来た。いいんだろォ。あの子、テメェのイロってわけでもねえんだろ。なーら、オレが多少色目つかってもいいだろが」
「ふーん、言いたいこと言ってくれるじゃねえの」
シャーは、口許をひくつかせながらゼダに近寄った。
「いいじゃない。リーフィちゃんに会わせてやっから、ちょいと外に出ろ」
「ああ」
ゼダがそう言って、一歩店に入りかけていた足を避けた途端、シャーは突然扉に駆け寄った。
「あっ!」
ゼダが声をあげるももう遅い。シャーは無言でぴしゃりと扉を閉める。ゼダが卑怯だぞ、と、声を上げるが気にしない。どんどん戸を叩くゼダを押さえつけながら、そこに近くの椅子や机をとにかく積み立てて、入り口をふさぐ。
「あああっ! シャー、てぇめええええ!」
向こうでゼダが叫んだが、シャーは、冷淡な目で光を完璧に遮断した扉をみるだけだ。
「こら、開けろ! あけねえか!」
「ふーっ、これでよし」
シャーは手を叩いて埃を払うと、まだ戸を叩いているゼダを完全に無視した。
「てめーっ! シャー! 覚えてやがれ! 開けねえと殺すぞ!」
「できるもんならやってみろォ! 返り討ちにしてやる!」
シャーはそう言い放ち、まだうるさい扉を睨み付けた。
「ふん、オレなんかフリーになって一番最初にアタックかけたのに、おもいっきり振られたんだぞ」
シャーはぶつくさという。
「それをポッと出のお前なんかに横からとられてたまるか! オレがふられんのは仕方ないけど、てめえにだけは絶対に渡さん!」
ふと、物音に気づいたのか、リーフィがこちらに歩いてくるようだった。シャーは慌てて部屋の入り口まで出てきて、へらっと笑う。
「どうしたの? 何か物音がしたような気がするけど?」
「ああ、ネズミが出たんで、外に出して置いたんだ。それより、リーフィちゃん…、裏口から外に出ない?」
「いいけど、どうしたの?」
「ネズミが入り口でちゅーちゅーうるさいからさ。できたての服、囓られるのいやだし」
リーフィはわずかに首を傾げる。シャーは、そろそろ静かになった表口をちらりと見ながら、軽く舌を出した。
「ああの、腐れ三白眼があああ!」
怒りおさまらぬゼダは、一度扉をけっ飛ばすと、きっちり着ていた上着を乱し、袖を垂らしながら肩に掛ける。そうすると、顔はともかく、どう考えても危なげな人間に見えるゼダは、布に巻いたままの腰の剣をなでながら、道を帰りだした。
「決めた! オレは、あいつを殺る! みてろよ、シャー! てめえ、絶対にこの恨みを晴らしてやるからな!」
憎悪に燃える富豪カドゥサの御曹司は、砂埃立つザファルバーンの王都を闊歩しながら去っていくのだった。
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