10.雷雨の中の決着

「シャー!」

 リーフィが珍しく声を上げた。

普段は冷静な彼女が、不意に声をあげたのは、一瞬シャーが刺されたかと思ったからである。彼女がそう受け取っても仕方がないほどには、シャーとゼダの距離は近く、そして、お互いの刀がお互いの体に触れそうになっていたからだ。

 だが、実際は、鮮血が飛ぶようなことはなかった。ぬかるみの中に倒れ込んだゼダののど元にはシャーの刀の切っ先が、シャーの脇腹あたりにゼダの刀の切っ先が、触れる寸前で止められていた。

「坊ちゃん!」

 ザフは声をかけたが動けなかった。シャーが動けば、ゼダの命はない。

「ひ、……引き分けって所か……」

 ゼダは苦しそうに、しかし、笑みは消さずに呟く。

「こりゃ仕方がねえな。今日の所はお互い剣を引くとするか、シャー=ルギィズ。身動きがとれないだろう?」

 シャーの方もぎりぎりだ。一歩バランスを崩せば、腹にゼダの剣が刺さるのは目に見えている。先ほど切られた膝の辺りから、雨にうすめられた朱が服に模様をつけていた。

 不意にシャーは薄ら笑いを浮かべた。

「そりゃあ違うな。有利なのはオレだ」

 シャーは低い声でいった。ゼダは、少しだけ表情をゆがめる。

「お前がちょっと左手を動かせば、オレは血反吐ふいて倒れるだろうさ。でも、お前はそうじゃねえ……。オレが手を下せば、お前はあの世行きだ!」

 シャーはかすかにまなじりをゆがめた。青い目がぎらぎら光って見えた。それは、何となく無感動な目で、表情を瞳から読みとることができない。何とも冷酷で不気味な目をしていた。

「どうする、ゼダ。……オレはいいんだぜ、この場で砂噛んでのたうち回るぐらい。最初からそれぐらいの覚悟はできてるんだ」

バッと不意にシャーの背後でまばゆい光が散った。ダーン、と音が鳴り、どこかで雷が落ちる。びりびりと震える大気を感じながら、シャーとゼダは黙っている。どちらかが動けば、血を見るのは明らかだ。

 ふっ、と笑い声が飛んだ。不意にシャーの前にあった冷たい刃が引く。閃光の中、泥のとんだ頬を雨に洗い流されながらゼダはにやりとした。

「へへへ、いいだろう。オレの負けだ」

 雨で濡れていても、けして泣いているようには見えない目だ。この状況でそんな風に笑う男は、数が少ない。そして、その表情も、なにか覚えがないようで、覚えがあるような感じでもあった。

 シャーは、何となく自分の映し姿を雨だれの鏡を使ってみているような錯覚を覚えた。

 ゼダは、不敵な光を瞳に宿したまま、笑っていった。 

「リーフィにもサリカにも手をださねえ。……そうするよ。しばらくは、オレも遊びを控えることにしよう」

「……ホントか?」

「ああ。オレもこのままじゃ終われないしなぁ。のんきに遊んでる場合じゃねえだろう?」

 ゼダは不敵にそういって笑う。シャーは、ようやく左手でぐっしょりと濡れて張り付いた前髪をあげ、ふんと鼻先で笑う。そうして、彼は剣をゼダの喉からひいた。

 雨は少し小振りになってきていた。水滴のついた刀を振り、シャーはそれを腰に戻す。

「……お前のことは忘れないぜ、シャー」

 立ち上がりながら、ゼダは低い声でいった。

「美人じゃなく、男に覚えられても全然嬉しくないね」

 シャーは冷たく言った。

「はは、そりゃそうだろうよ。…だが、オレは忘れないぜ…。こんな気分になったのは初めてだ。こんな悔しい気分はな」

 そして、ゼダは笑った。音はすでに遠くになりつつある雷の、閃光だけが彼の笑みを照らす。

「いつか、オレが殺してやるよ、シャー」

 ゼダはそう言い捨て、左手で器用に刀を腰に戻す。そして、呆然と見ていたザフと取り巻きを見やって大声にいった。

「帰るぜ。……ぼうっと突っ立ってると風邪ひくぞ、お前ら!」

「は、はい! おい!」

 慌ててザフが応え、背後の取り巻きを呼ばわる。彼らは呆然としていたが、歩き始めたザフに従って慌ててついていく。ゼダは、服の泥をはらいおとし、一度だけリーフィを見た。一瞬、少しだけ怯えたようなリーフィににやりと笑いかける。

「あんたには、迷惑をかけたようだ。……一応謝っておくぜ」

 そういうと、彼は軒に落ちていた上着を拾い上げて歩き始めた。その後をザフと取り巻き達が慌てて追っていく。

 それをシャーとリーフィは、見送るような形になっていた。雷は遠くに去りつつあった。遠い雷鳴を聞きながら、シャーは、ようやくふうとため息をついた。

今日もどうにか死なずに済んだわけだ。雨で濡れた全身がいやに重かった。さすがに疲れてんのかなあと思いながら、シャーはようやく肩の力を抜いた。





「坊ちゃん、何も……あそこでひかなくても……。どうせ相打ちをしようなんてはったりに決まっているじゃないですか」

 路地を早足で歩くゼダにおいついて、ザフはふとそう訊いた。泥だらけの主人が気になるが、主人の方は別に気にしていないようだ。

「どうして、あそこで、引くなんて……。命じてくださればオレが……」

「わかってないな、ザフ」

 ゼダは、左腕を押さえていた。そこから赤い血が流れ出している。それに気づいたザフは、はっと顔色を変えた。

「坊ちゃん、それは……」

「騒ぐな! このぐらいで死にゃしねぇよ!」

 ぴしゃりと言って、ゼダは破れかけた上着を破って切れ端で血止めをした。

「あの野郎、恐ろしい奴だ。 オレが一撃を繰り出している間に、二度斬りつけてきやがった…。あの時点で、オレの負けは決まってたも同然だ。……あいつがオレの喉を突く方が絶対的にはやかった。あの勝負に乗れば、奴はともあれオレは死んでたぜ」

 ゼダはふっと目を閉じるようにして笑った。そして、不意に真剣な目をしてどこか遠くを睨むようにする。それに、とゼダは言った。 

「……それに、あいつ、あれははったりじゃなかった。あの時、本気でオレと相打ちをするつもりだった。あの野郎、本気で自分の命を駆け引きのはかりにかけやがったんだ」

 あの時のあのシャーの冷たい青い目を思い出しながら、ゼダは冷や汗をぬぐった。あれは普通の人間の目ではない。戦鬼の目だ。自分を捨ててでも相手を倒す、それができる戦鬼の瞳だ。

 街の喧嘩で命のやりとりをしてきたつもりだったゼダだが、あんな人間に会ったことはなかった。その時点で格が違うのかもしれないとすら思った。

「……恐ろしい奴だ。シャー=ルギィズ」

そして、ゼダは何となく思っていた。自分もシャーの太刀筋を大体読むことができるようになったが、恐らく次の戦いがあれば、シャーは自分の剣の太刀筋を見切るだろう。だとすれば、勘と経験と、そして、運だけの戦いになるのだろう。

「……今度お前と会ったら、ホントにどっちかが死ぬかもしれねえなあ」

 ゼダはそう言って目を閉じて笑った。





 リーフィはようやくシャーの元に駆け寄り、そっと彼の様子を見た。

「や、リーフィちゃん、大丈夫だった? ああ、雨に降られちゃったね、ごめん」

 シャーは疲れ切った様子だったが、不意に笑顔を見せた。すでに雨はやんでいたが、シャーもリーフィも雨で濡れていた。

「わたしは大丈夫よ、それよりもシャー、あなたの方が……」

「ははー、さすがのオレも緊張の連続でつかれた……。何あいつ……。なんで、あんなに強いのよ」

 シャーは、軒先の濡れていない場所までふらふらと近寄るとそこにべったりと横になった。

「うー、かぜひきそ」

「シャー、それどころじゃないでしょ? あなた、あちこち怪我を」

「え、ああ。そういえば、そうだったような……」

 シャーはそう言って、右腕と右の膝のあたりに目をやる。雨で濡れたせいもあり、赤い薄い染みが少し広がっていた。シャーは急におきあがって、服の様子を確かめる。そうして、やや焦ったようにいった。

「ああ、やばい……! これ、オレの一張羅なのに! ああ、マントも破けてるし! 参ったな」

「それより、手当はいいの?」

 リーフィは心配そうに首を傾げる。シャーは、傷口を軽く押さえて、すでに出血が止まっているのを確かめるとへらっと手を振った。

「大丈夫大丈夫。このぐらいほっといても死なないって。安心してよ。それより、さすがのオレも体力の限界……」

 しかも、といって、シャーは少しだけ顔をしかめる。

「最初からサシで勝負ならちゃんと勝てたかもしれんのに……。……くそっ、引き分けとはちょっと格好悪いよね。なんか、不満……」

「そんなことないわよ、とても、かっこよかったと思うわよ」

 リーフィが気を遣ったらしく、慌ててフォローするように言って、わずかに微笑む。それを見ながらシャーは何となく寂しい気分になる。フォローは嬉しい。だが、正直、何か足りなくないだろうか。そう、色々大変な事を乗り越えた割には、楽しみが少ないのだ。

(そうそう、オレが誰を助けても、ここで膝枕とか勝利の抱擁とかそういう楽しいたぐいのことは、でも一切ないのよね。現実ってそんなもんか……)

 シャーは、はあとため息をついた。

(オレも大概報われないことばっかりしてるよなあ。切ない人生)

 何となく悲しい気分になって、シャーはうつぶせに寝転がったまま、ため息をついていた。

「シャー、服のことならね、わたしが繕えるだけ繕ってみるわ」

 ふとリーフィがそう申し出てきた。

「え、いいの?」

「だって、これだけお世話になったんだもの。少しぐらいは……」

「あ、ありがとう~。んじゃ頼んじゃおうかな?」

「ええ、その方がわたしも気持ちが楽だわ。ね」

 そういってリーフィは、うっすらと笑う。表情の薄いリーフィが、笑顔を見せてくれるようになったのは最近だ。それでも、こんな風に優しい笑みはなかなか拝めるものではない。

(まぁいいか)

 シャーはふうとため息をついて思い直す。

(少なくとも、あいつはリーフィちゃんのこんな顔なんて一生見えないもんな!)

 妙な優越を覚えながらシャーは、笑い返す。たまにはいいこともあるものだ。

もう雨は上がっていた。真っ暗な空の向こうで、まだ雷の光が見える。シャーとリーフィのいる軒の方から、ぽたぽたと雨粒が落ちてきた。

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