2.潜入準備
ウェイアードという男の噂はそれとなく聞いていた。そこそこ裏世界の事情には詳しいつもりのシャーだが、ウェイアードの噂はそれとなくしか聞かない。王都でも有名な商人カドゥサ家の御曹司だときいたが、事情はそれと美人の噂をきくと手当たり次第召し上げるというぐらいで、それ以外の情報についてはシャーはあまり知らない。
(やっぱし、ご本人に会わなくちゃいけないよなあ)
ということは、妓楼で会うのが一番いいのだが、あいにくとシャーには金はないし、この格好で行っても不審者としてつまみ出されるのがオチだ。
「ん~、どうしたもんかねえ」
あれから三日ほど経った夜、シャーはまた酒場に立ち寄っていた。サリカはあれから口をきいてくれないし、何やらそのせいで舎弟達からも冷たい目で見られているような気がする。
雨はすでに上がっていて、いつものように熱い光線を発する太陽が地の向こうに沈んでいた。夜になれば少し冷えてくる。今日はリーフィと約束をした日だ。その日までに対策を練るつもりだったが、結局、シャーはいまいちウェイアードという人物を掴み切れていない。せめて、サリカに話が聞ければいいのだが、シャーを嫌って顔すら見せてくれない今のサリカに聞き出せるはずもなかった。
「なんですか? 珍しく難しい顔して」
酒を飲みながら考え事をしていたシャーに、アティクが心配そうな顔をした。カッチェラならあきれ顔だが、いくらか心優しいアティクは、シャーを心配してくれる数少ない人間なので、心底心配そうにするのだった。
「何か悪いことでもあったんですか? しゃ、借金取りに追われて世を儚むとか……」
「兄貴、とうとうそこまで追いつめられたんですか!」
わあっと周りの連中が集まってくる。
「兄貴、死ぬ前にオレがこの前かした金返してくださいよ」
「そうですよ! かえしてください!」
「あんなはした金くれたっていいじゃなーい。たかが銅貨一枚なんて」
シャーはそんなことをいいながら、鬱陶しそうに手を振る。
「大体、オレ、お前達からしか金借りてないよ。借金取りに追われるわけないじゃない」
「じゃあ、あまりにも自分がふられることに衝撃を受けて、とうとう絶望を?」
むっとシャーは眉をしかめたが、周りの連中は意を得たというように騒いでいる。
「そうかー! そうだったのかッ!」
「兄貴ー! いくら兄貴がもてないからってそこまで絶望することは……!」
ごほん、とシャーはわざとらしく咳払いをした。そして、盛り上がっている様子の舎弟達をみやりながらこういった。
「あのね、お前はオレがそこまで困らなければ難しい顔しないと思ってるの? オレだってたまには難しい顔ぐらいするよ。何驚いてんの、君たち」
「いやだって……」
「もー、オレのことなんだと思ってるのよ、お前達」
シャーはぐたあっとのびながら、手前の干し肉をつかむ。
「オレはお前達とちがって悩みごとが多いの~」
「とてもそうには見えませんが」
「今の一言、ものすごく傷ついた~~」
シャーは、かたい干し肉をいじましく噛みきりながら、ぽつりとつぶやく。そして、ふと思い出したように立ち上がった。
「あ、ごめん。オレ、今日ちょっと用があるんだった」
「おや、珍しいじゃないですか。まだ早いのに。どっかしけ込む先でもできた…わけがないですよねえ」
自分で否定する前に否定されるのも何か空しい。これ以上不埒者認定を喰らうのも癪だが、相手にされないのは癪を通り越して何か寒い。
「ちぇーっ、お前らには絶対に何があったかはなしてやんなーい」
「どうせ、大したことないんでしょ。……いいですよ」
精一杯意地悪をいおうが、反応がこれだとあまり効果は望めない。
「まあ、借金取りによろしく! 兄貴!」
酒場から去っていくシャーをそうはやし立てながら、弟分達はますます盛り上がる。シャーは何となく寂しい気分になりながら、いつものサンダル履きの姿で、すたすた外に出た。
外に出ると、すでに酒場の前で一人の女がたたずんでいた。
「あっ、ごめん、待ってたの~?」
シャーがいつものように声をかけると、リーフィはうっすらと微笑んだ。
「そうでもないわ。今来たばかりよ。もっとゆっくりしてくれてもよかったのよ?」
「そおんな、リーフィちゃんを待たせるわけにもいかないしさ」
シャーはそういい、にっと笑った。
「連中は冷たいし、優しいのはリーフィちゃんだけだよ」
「まあ、お世辞をいっても何も出ないわよ」
リーフィは今日はいつもより煌びやかな服を着て、化粧もいつもより華やかにしていた。赤い色の更紗の服に、少し冷たい容貌が化粧で色づけされて、何となく人形めいた美しさがあった。そもそも、元から寂れた酒場にいるにはもったいないような美人なだけに、そうしていると本当にどこかの貴族の愛妾や王の寵姫にぐらいは見える。
これなら、確かに紛れられるはずだ。歓楽街にあるあの店は、たくさんの女性が働いていて、それこそ顔も覚えられないぐらいだ。
「リーフィちゃんはそれでいいとして、問題はオレよね」
シャーは苦笑いした。
「どうしよう、リーフィちゃんが疑われても、オレが強引に店に入っちゃえば大丈夫だけど…。あの作戦でいくなら、オレが問題でしょ? あの、あそこで働いているおねーさんとその愛人って設定にしては、オレって怪しすぎるよね」
「まあ、そうだけれど、多分、大丈夫よ」
怪しいところは否定しなかったが、それなりにリーフィはフォローするようにいった。
「服装をどうにかすれば、シャーもきっと立派な人に見えるわ。大富豪の息子っていう風にみえれば問題ないんでしょう?」
「でも、オレ、これとあとろくな服ないよ。この服も前は上等だったんだけど、今はあはははは~な状態で」
シャーは自分の青い服をつまみながらいった。砂と埃にまみれ、おまけに破れた場所を縫い合わせているシャーの服では、確かにどう見てもそうした店にいけるような身分のものには見えようがない。
「だからと思って」
そういうと、リーフィはもっていた包みを開いた。中には青を基調にした服が一式入っていた。しかも、それは豪華な服らしい上に、シャーが普段は絶対着ないような格式のある服装だった。
「お金持ちの家で働いている知り合いのつてで、着られなくなったっていう服を借りてきたの。かなり痩せていた時の服だから入るかなっていわれたけど、あなたなら多分大丈夫よ」
「オレ横幅ないからね。背丈があえばどうにかこうにか~」
頭をかきやりながら、シャーはそんなことをいう。
「そうね、あなた、本当はかなり背が高いわよね」
リーフィはシャーを見上げながらいった。実際、シャーは本当はすらりとした足の長い青年なのだ。ただ、ちょっと、というか、かなり猫背で、歩き方自体が変なので、二十センチほど低く見えるだけである。顔にしたってそもそも表情がまずい。その辺の事情が、サリカに嫌われたりする所以なのだろうとは思う。最初、リーフィも、シャーのことは、ただの変人ぐらいにしか思っていなかったぐらいなのだから。
とにかく、シャーという男はあらゆる意味で、自分の見せ方を間違っている男なのである。
シャーは、酒場の裏の小屋で着替えることにし、リーフィは外で待つことになった。
「ねー、頭巻くの?」
小屋からシャーの声が聞こえてきた。
「それは巻いた方がいいんじゃないの? さすがに今のあなたの髪型とその服は似合わないわ」
「うーん、そうか~。じゃあ、後にするか~」
シャーはターバンを巻くのがあまり好きではないらしく、少し不本意そうである。
「もう大体着られた?」
ターバンを気にしているということは、大体の着替えがすんだということであろう。
「それが、その………リーフィちゃん、この服どうなってんの?」
不意にシャーの情けない声が耳に入る。リーフィが首を傾げている間に、シャーがひょっこりと小屋から姿を現す。ほとんど着替え終わっているシャーは上着だけだらっと外に出したままその飾り帯を持っている。どうやら、最後の仕上げの飾り帯の締め方が分からないらしい。
「ごめんね、いや、オレ、こういう飾り付いた服あまり着ないからさ。変に巻いたら悪いよね?」
「それじゃあ、わたしが手伝うわ」
リーフィは駆け寄っていって、青い帯を取った。そして、くるりとシャーの背後に回ると服のしわを整えながら、帯を巻き始めた。
まるで甲斐甲斐しく旦那の着付けを手伝ってもらっているようで、シャーは少しだけうっとりとした。綺麗なお姉さんに着付けを手伝ってもらうなんて、あまりこういう事もない。
(……なんか、こういう家庭的なのも幸せって感じだなあ~…)
そういって至福に浸っていたシャーだったが、急に腰の辺りに圧迫を感じて、ぐぎゃあっと変な悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっとリーフィちゃん、帯しめすぎ……。し、死ぬ!」
「えっ、あ、ごめんなさい。あなた細いし、服でみえなかったから、どこまで締めていいものかわからなくて」
はっと我に返ったように、ぎりぎりと締めていた帯から慌てて手を離し、リーフィは少しだけ帯をゆるめる。ようやくまともに息がつけるようになったシャーはふっとため息をつきながら、リーフィをそっと見やった。冷静で理知的でしとやかで芯の強い美人といった所のあるリーフィだが、意外に妙なところでぼんやりしているところもある。しかも、しとやかでもあるが、案外、力が強いらしい。
(意外とこの子、めちゃめちゃなところあるのね)
シャーはそう思いながら、絞め殺されなくてよかったと心の中で呟いた。
ついでに、やはりろくな巻き方をしないシャーを見て、リーフィはターバンも巻いてくれた。いつもはくるくるした髪の毛をポニーテールにしているシャーのターバン姿は、正直リーフィも見たことがない。多少興味はあった。
「できたわ」
「ありがとう~!」
シャーは立ち上がり、いつもとはやや勝手の違うベルトに例の東方渡りの刀を差した。そうして、彼はリーフィの方を向く。
青いターバンに青い服。いつもとあまり変わらない色調だが、ゆったりとした上着に、少し派手な色の飾り帯。サンダルはいつもと同じなのだが、裾が長いので目立たない。シャーは、ゆらりと裾を揺らし得意げに手を広げて訊いた。
「どう? リーフィちゃん、似合う?」
「そ、そうね……」
リーフィは顔をわずかにこわばらせる。似合わない…わけではない。だが、何となく違うのだ。そう、予想していたモノとは何かが違う。
「どうしたの? 似合わない?」
心配そうなシャーは、首を少し傾げる。
「そうじゃないのよ。……そうね……」
リーフィは、シャーの頭からつま先をじっと見て、そしてしばらく考えてからいった。
「こうすれば、そうね。…大富豪の息子、には見えることは見えるかもしれないわ…」
リーフィが少しためらいがちにいったのをシャーは見逃さなかった。
「リーフィちゃん…それって、オレがぼんくら息子に見えるって話じゃないの?」
「そういうわけじゃないのよ。ただ……」
リーフィは少し目を伏せた。そして、戸惑ったように彼の方を見る。
「シャー、私が今からいうことは、あなたを傷つけるつもりでいうわけじゃないのよ? それに、似合っていないというわけでもないの。……落ち着いてきいてね」
「な、何?」
シャーは面食らって、きょとんとリーフィを見る。リーフィは、そうっと、彼を傷つけないように、優しい口調で訊いた。
「大富豪の子息っていうのから、むしろあそこの館で働いている道化にまぎれるっていう風に、作戦を変更してみない?」
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