3.雨の楼閣
王都の繁華街の熱気は凄まじい。
カタスレニアのようなさびれた場所とは違う、盛り場の熱気が星空一杯に広がっている。溢れる人ごみの中、男達が美しい女の手をひいて闇の中に消えていく。また、客引きの女に捕まって引きずり込まれているちょっと哀れな人もいる。何にしろ、カタスレニアの酒場とはひと味も二味も違う熱くて華やかな空気が、そこには流れていた。
「さぁすが、ここはひと味違うよねえ。オレ、通りすがると絡まれたりするから、普段あまり来ないんだけど」
何となく長く出た袖の裾で顔を隠すようにしながら、奇妙な格好のシャーはそう言った。彼としては至極まともな服装をしたつもりなのに、どう考えても道化に見えるのは哀しいことだが、もう考えないことにした。
普通に差したつもりの刀まで、いつもと違う帯のせいで変な差し方になってしまっている。
「そうね」
リーフィは、そう答えてそっと向こうの方を差し出す。ひときわ灯りの多い建物に、シャーは少し目を細めた。
「あれが、マタリア館よ」
この国では摩天楼はそう珍しくない。実際、ここの歓楽街も多くそうした高い楼閣が建てられている。だが、それらの建物の中でも、マタリア館はより荘厳に見える。なるほど、城下で指折りの高級妓楼だというのは間違いないのであろう。
「にゃーるほど。……オレには縁もゆかりもなさそうだね、ホント」
シャーはそう言って、じゃあ行こうか、とリーフィに呼びかけた。そして、ふっと歩き出したとき、すーっと横を一人の青年とすれ違った。
顔も服装もろくに見えなかったが、シャーは背筋に悪寒を感じ、目を横の方に移す。一瞬の冷たい空気に、シャーの手は自然と腰の剣に手を伸びる。黒い、布の端切れが暗闇の中灯りに照らされて浮かび上がる。その右手が軽く短剣に触れている。
シャーは青い服の長いそでに手を隠しながら、そっと鯉口を切った。
(……こいつ……)
相手も無言、自分も無言。それはただの一瞬にもかかわらず、恐ろしく長い時間のようだった。無言で一瞬のすれ違いの中に、凄まじい殺気が飛び回っている。
(……できるな?)
この人ごみの中で斬り合いでもするつもりか? とシャーは不意にあらぬ考えに憑かれる。まさか、とは思う。だが、このさわったら切れそうな殺気は、そういったあるはずのない状況を予測させるに足りるものだ。シャーは警戒し、同時に少し刃を抜いた。
と、それも一瞬だった。相手がそれに気づいたのかどうかはわからない。一瞬緊迫した空気が流れたが、すうっとまたその空気は流れていった。そのまま青年も何事もなくすれ違っていく。
(……ここでやる気はない、か?)
シャーの目が青年の背を追うが、すでに彼は人ごみに紛れて見えなくなっていた。だが、あの時感じた殺意と敵意のようなものは、彼を背筋にまだ寒気として残っていた。
(一体、あいつ、何もんだ?)
「どうしたの?」
シャーの表情変化に気づいたのか、リーフィが首を傾げながら訊いた。シャーは、表情を崩したが、目までは元に戻っていない。シャーは首を振った。
「いいや、なんでもないよ。……オレの気のせいだといいね」
シャーはとうとう、柄から手を離した。本当に気のせいだといいぜ、と心の中でポツリと思った。何となく、あの男には不吉な気配が漂っていた。
歓楽街の道をどうにかこうにか抜けて、シャーとリーフィはマタリア館の前に立ち止まった。
宮殿とまでは言わないが、貴族の屋敷ほどにある建物は荘厳かつ巨大で、贅を尽くした装飾がされている。
夜だというのに煌々と輝く灯りによって入り口は照らされていた。綺麗な服装をした男女が入り口にいて、そう人通りがないわけでもない。だが、いかにも荘厳なそこにふらっと入っていけるような雰囲気でもなかった。
「どうやって忍び込めばいいかしら?」
リーフィがそっと聞いてきた。シャーは、にっと笑う。
「ま、何とかなるって!」
「でも……、何か方法があるの?」
シャーは袖をひきよせて、ほほほほほ、と奇妙に笑うと自信満々に言った。
「まぁ、オレに任せてよ」
例の御曹司の姿の筈の格好のシャーは、道ばたに客引きとしている妓楼に雇われている芸人達のように、少しおどけたような歩き方で、リーフィの袖をひっぱりながら、ふわりふわりと歩いていく。ちょうどマタリア館の入り口では、貴族らしい煌びやかな服を着た男達が三人ほどたたずんでいた。
リーフィがどうするのと、聞く前に、シャーはつつつーっと彼らの後ろに回り込んだ。
「いらっしゃいませー! 毎度どうも雨の館に!」
いきなりの声に男達は驚いて振り返る。その声が少し高音で素っ頓狂な声だったせいもあるだろう。だが、シャーの姿を見て、客引きの道化役の芸人だと思った彼らはすぐに笑顔を見せる。
「お前は見ない顔だな、マタリアにいるのか?」
「えぇー、そりゃあそうかもしれませんねぇ。何って言っても、ワタクシ、新入りのシャー子っていいます。以後よろしく~!」
ぱちっと片目を閉じ、シャーは愛想笑いを浮かべた。そして、袖を引いていたリーフィを引っ張って前に立たせた。
「この子、同じく新入りの子なんですが、どうですか? 別嬪でしょ? こんな珠玉の新星はうちにしかおりませんよ、旦那方?」
灯の前に立たされ、リーフィは少し戸惑ったが、ふっと顔を上げる。赤い光に照らされて、リーフィの綺麗な瞳が照らし出される。思わず男達から感嘆の声があがる。
「ね、こんな美人を前にして、通りすがるなんてお人がお悪いですよ、旦那。今宵は是非に遊んでいかれませ」
シャーはそういってにっとする。そして、リーフィを先に店の方に押しやりながら、自分は三人の貴族達を店の方に後ろから案内していった。三人とも、少しその気になったらしく、シャーに導かれるまま店の入り口に入ってくる。
「お客様です。よろしくお願いしまーす!」
シャーは声をあげてそう言ってさっと入り口に入った。店の入り口には着飾った娘達が五人ほど立っていた。彼らは三人とリーフィとシャーを見て、客を外に出ていた出迎えの連中が連れてきたとでも思ったらしい。そのまま、三人を接待しながら進み始める。シャーは、リーフィの袖を引っ張って下がらせるとにやりとする。
「お久しぶりですね」
「ああ、今日も綺麗だなあ」
「はは、お前はいつもこの子だな。……だったら、新入りの子はオレが」
「何いってるんだ」
そんな会話が聞こえてくる。だが、彼らはリーフィをあまり振り返らなかった。案内をしている女性達との会話に夢中のようである。三人はそうやってすでに前の廊下を進んでいる。シャーはそのままリーフィを連れて、彼らの後を追っていく。相変わらずふわふわした歩き方で、時折おどけながら後をついていったシャーは、ふと廊下の分岐点でリーフィの袖を引っ張って彼女から先に横道に入り込んだ。
そうっと向こう側を確認しても、浮かれていたり忙しかったりする彼らは、シャーとリーフィがいなくなったことに気づいていない。
「これでよし……っと」
シャーは、深々とうなずくと、リーフィに向けてにこっと笑った。
「どう? うまくいったでしょ?」
幾分か得意げなシャーの顔をのぞき込みながら、リーフィは「すごいわね」と呟いた。
「そうでしょ?」
「……あれでごまかせると思わなかったわよ。高級妓楼だし、はらはらしたわ。でも、さすが、あなたね、シャー」
真顔でそういうリーフィには、おそらく他意はないのだろう。それなりに感心していっているのであろうが、言われたシャーの胸中は一通りではない。
「あはっ、それって……ほ、褒められてる?」
シャーは、その言葉の複雑さに辟易したが、すぐに苦笑を浮かべながら袖をひらひらと揺らした。
「物事は全部タイミングとノリだってば。で……」
シャーは、少しだけ首を傾げるようにして訊いた。
「ねぇ、リーフィちゃん。どうしよっか? ウェイアードさんてどこにいると思う?」
「そうねぇ、正確にはわからないの。……でも、ウェイアードは一番大きな部屋にいるって言うわ。お金も持っているし、取り巻きも多いんだもの。狭い部屋じゃ入らないわ」
「なるほど、じゃあ、一番いいでかい部屋を探せばいいのかあ? それじゃ簡単かも」
シャーは、ぽんと手を叩く。そして、ふっと思い出したように不安そうな顔をした。
「あ、リーフィちゃん、顔隠した方が良くない?」
リーフィはシャーの方をのぞき込む。
「だってさ、リーフィちゃん、ウェイアードと会ってるんだよね。だったら、見られたらまずいかなって」
「大丈夫よ」
リーフィは少し微笑むようにしていった。
「ウェイアードはわたしと顔を合わせていないもの」
「ふえっ? 知らないのぉ?」
シャーは目を丸くして彼女を見やる。
「でも、サリカちゃんと一緒に召し出され、って……」
「ええ、サリカは会っているかも知れないんだけど、少なくとも私はウェイアードと面識はないの」
「噂で美人だからって、それでとりあえずお金で……ってことかい? 金の有り余ってる奴ってわかんねえなあ」
シャーは呆れたようにいって、そして急に不安な顔をした。
「でも、それじゃ、ウェイアードがどいつかってのもわかんないのかい?」
「それは大丈夫。彼はわたしのことを知らないだろうけど、わたしはあの人を見かけたことがあるの」
リーフィは少しだけ微笑んだ。
「だから、彼の顔は覚えているわ。任せて」
「そっか。じゃあ安心だね!」
シャーはそういうと安堵したように笑顔を見せた。
「それじゃ、行こう。この分だとごまかし切れそうだし」
「そうね」
リーフィはそういうと、ふらっと歩き始めたシャーに従うようにして歩き出した。シャーが前にいれば、客の前に出る為に歩いている妓女と芸人ということで話が通じる筈だ。
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