雨情楼閣

1.雨のある日の憂鬱な話

 

ザファルバーンは元々雨の少ない土地である。その王都も雨はあまり降らない。だが、降るときは降るときで小さい川ができるほどに降ることもある。外は薄暗くぽつりぽつりと小雨が降っている。

「なーんてっか、長雨だねぇ。もうまるまる一日じゃない? 雨」

 シャーは、酒場で軽食をつまみつつ、そんなことをぽつりとつぶやく。そばには、雨で仕事に出られなかったごろつきがたむろしていた。ということは、シャーの食べているものは、彼が買ったものではないことは確実だ。

 相変わらずのくるくる巻いた黒髪を上に結い上げて、少しぎょろっとした感じの三白眼。湿気を含んでいるせいか、元々あまり軽そうにない彼の髪は何となく重そうだ。よく言えば物憂げ、悪く言えば鬱陶しい大きな目をぱちりとやる。暗い室内では彼の目は普通の黒目に見える。相変わらずくてっとした、何となくへなへなした姿勢を見ていると、長雨でなくても鬱陶しい気持ちになるものだ。

「こう雨に降られるのもたまにはいいんですけどねえ、なーんか調子が出ないもんなんだね、兄貴」

 ぽつりと弟分が言った。シャーは、人差し指と親指でひょいっと焼き魚をつまむとぱくりと口にくわえた。今日は弟分の財布具合が悪いのか、それとも飲む気がないのか、お茶などを飲んでいる。それが彼らのテンションを余計に下げているのかも知れない。

 そんななか、シャーは嫌に間延びのする声でこう言う。

「だねぇって言いたいところだけど~。オレとしては、もっとじめじめじめじめしてるところを知ってるからなあ。長雨ってのはこんなもんじゃあないんだよ、ホントは。じめじめーっとしてて、もっと不快っていうかさあ」

「オレは今の兄貴のしゃべり方に生理的嫌悪を感じまし――」

 そう言いかけた舎弟の一人は、慌てて周りから口をふさがれた。

「いくらなんでも可哀想だろ」

「そうだよな、兄貴もあれでも一応気にして……」

 焦ってそんなことを小声で呟く連中を横目で見ながら、シャーはぼそりといった。

「ま・る・ぎ・こ・え」

そうしてため息をついて、シャーは重たい前髪をぐしゃりとなでた。

「なんだよ、人を軟体動物みたいにさあ。オレなんて、一番雨が似合わない男でしょうが」

「いや、元々兄貴はそういう感じじゃないですか」

「どっちかってえと雨っぽいというか。…鬱陶しいというか」

便乗して普段からそう思っていたらしい連中がそういう冷たいことを言う。さすがのシャーもむっとして、彼らをその鬱陶しい目で睨んだ。

「あっ、それひどいぞー。あのなあ、オレだって、たまにはしゃきっとしてるのよ。雨で湿気がしっけて……ああいや、湿気でちょっと身体がかびてるだけで!」

「ああ、兄貴、とうとう頭までかびたんですか?」

 どこからともなくやってきたカッチェラが冷たい声でそう言った。

「あっ、なにそのいいかた!」

「いえ、何かわけのわからないことをいっているのをきいたもので」

 カッチェラは、つんとしてそんなことを言って、席に着き、声をあげた。

「あ、オレもチャイを一つ!」

はーい、と店の女の子が声を上げる。そして、やがて、この店の看板娘のサリカが姿を現した。

「サリカ! 今日もきれえじゃねえか」

 舎弟の一人が冷やかし半分ににやにやわらってからかう。サリカはふんと鼻先でそれをはねのけた。

 サリカは、活発な感じの美人である。ちょっと悪戯っぽい笑い方に、少しだけつんと上をむいた鼻筋に、大きな目をしている。赤茶っぽい明るい髪の色と合わせるように、いつもオレンジの明るい色の服を着ている。少し気が強いが、明るくてかわいらしい娘だった。無表情で少し冷たい印象のある美人のリーフィとはちょうど対になる感じである。

「はい、これ」

 サリカは不機嫌にカッチェラにチャイをわたして、すたすた歩いていく。その様子にシャーは少し首を傾げた。

「あ、ちょっとお!」

「何よ?」

 シャーは睨まれて思わず肩をすくめた。そうーっと機嫌を伺うように下の方からサリカを見上げてみる。

「あのさ、……サリカちゃん、どうしてそんなに機嫌が悪いのかなあ? ……なぁんて……」

 きっとサリカの大きな目がシャーの方に向けられ、猫背のシャーはびくうっと背筋を伸ばした。

「あんたになんでそんなこと言わなきゃならないのよ!」

「ん、んにゃっ、オレは別に、サリカちゃんの神経を逆なでしよーとしたわけではなくてですね」

 横でカッチェラが、あーあ、と言いたげな顔をしている。が、どの連中もシャーを助けようとはしていない。

「あんたの存在自体が神経さかなでるのよ! 鬱陶しいから店から出ていって!」

 反論する暇も与えられず、サリカはそうシャーに言い切った。シャーは怯えながらも、そうっと不服そうに異論を唱えてみる。

「ええっ、そんな理由~。ちょっとそれってひどくない? サリカちゃん」

サリカはもうシャーの顔を見ない。そのまま去っていこうとする。シャーは弟分達を振り返って、小声でぼそりと訊いた。

「なあ、お前達、どう思う? この仕打ち~」

「いや、いつか言われると思ってました」

「確かにこの雨の中、兄貴の顔を見ているのは正直……」

 彼らは口々にそんなすげないことをいう。シャーは哀しくなってじっとりと彼らを見たが、雨よりも湿度の高そうなその視線を直視するような者はいない。

「いつまでいるのよ?」

 サリカの声が響き、シャーは反射的にばっと立ち上がる。

「わ、わかりましたよう~。出ていくってば~」

 シャーは渋々応えて、そうっと足を進める。サリカはシャーの背中を忌々しそうに睨んでいる。その視線を感じてか、シャーは次第に早足になって、小雨降る街へと消えていった。

「ちょっと可哀想な気もするけどさあ」

 シャーの横にいた舎弟がぽつりといった。

「確かにサリカの気持ちも分かるんだよな。……オレ達でもちょっと鬱陶しいし、今の気候には」

「ちょっとな……。兄貴には悪いけど」

 そんなことをいいつつ、彼らはシャーがいなくなったおかげで、湿度の減ったような気のする場にほっと息をついた。

「ちぇー、なんだよ。……雰囲気と顔は変えられないんだから仕方ないじゃないかよー」

雨は小雨だが濡れても困る。シャーは近くの建物の入り口に入り込んで座った。上から雨粒がはらはら落ちてくる。

「あいつら冷てえなあ……。……オレの心も雨模様って感じ……」

 雨にそぼぬれながら、膝を抱いて三角座りをしていると妙に切ない気持ちになる。シャーは雨宿りをしながら、深々とため息をついていた。

 砂の上に水がたまっている。そのうちに川になるかもしれない。洪水にならない程度に降って欲しいよなあ、とシャーは漠然と思う。

 ふいに水たまりがはねて、ぱちゃりと音を立てた。シャーは上をむく。薄い布を頭にかぶって早足に歩いてきたらしい女性がそこにたっていた。彼女はシャーの顔を見ると、少し冷たくて綺麗な顔にわずかなほほえみをのせた。

「あら、シャー久しぶりね」

「リーフィちゃん!」

 シャーは顔を上げてその女性に笑いかける。サリカのように華やかさや明るさはないが、美人のリーフィはやはり酒場では目立つ存在だったし、彼女を見に来る客も多い。シャーは最初鼻にもかけられていなかったが、この前一度彼女を助けたこともあるのかも知れない。最近リーフィは、シャーに比較的優しい。といっても、他の女の子達がシャーに対して冷たすぎるだけなのかもしれないが。

 雨に濡れながら歩いていたリーフィは被っていた布の水気を払った。豪華なものではないが、薄い布は綺麗に薄紅に染められていた。

「どうしたの? こんなところで」

 リーフィは、そういって首を傾げたが、シャーはすぐには質問に答えなかった。

「リーフィちゃん、お久しぶり。元気い? ここんところ見かけなかったから心配してたのよ。ま、オレがリーフィちゃんの店にいってなかったのもあるけどね」

「そうね、この所少し困ったことがあってお店の方は休んでいたの」

 リーフィはそういって、建物の中に入った。

「シャーはどうしてこんな所に?」

「あ、あはは……。ちょっとサリカちゃんのご機嫌を損ねたみたいで」

 シャーは頭をなでながらため息をつく。リーフィはシャーの方にしゃがみこみながら尋ねた。サリカとリーフィは働いている店が違うが、その住居は近い。サリカは彼女にとっては妹みたいなものでよく相談にのっているらしかった。

「シャー、もしかしてサリカに追いだされたの?」

「うん、まあ、そんなところかなあ。いやあ、雨の中、オレの顔見てるの嫌だって、そんなん……」

 ふうとため息をつき、シャーは膝にあごをうずめる。

「オレって、そーんなに鬱陶しいのかなあ」

「そんなことはないわよ。サリカは今ちょっといらついているみたいなの。ごめんなさい、許してあげてね」

「リーフィちゃんが謝ることないよ。オレも気にしてないし。よく言われることだしね。大体、悪いのはこの雨なんだよ」

「そうかもしれないわね」

 で、と、シャーはリーフィの顔をのぞき込みながら言った。

「どうしたの? なんだか浮かない顔してるね」

「ええ、さっきいったサリカのことなんだけど、……わたしもそうなんだけどね、ある男から誘われているの。……自分についてくれば、豪華な暮らしをさせるっていうんだけど」

「え、えぇぇ! サリカちゃんも、ましてやリーフィちゃんまでお嫁に行っちゃうの?」

 シャーは縋り付くようにしていった。

「……そんな、折角最近リーフィちゃんと仲良くなれたのに? ……オレ、ショック受けちゃうな」

「そんなシャーが寂しがるような話ならよかったんだけど……」

 リーフィは少し苦笑した。

「そんなおめでたいはなしじゃないの。ただ愛人にならないかって話だから」

「えっ、そうなの? 相手どこの誰よ?」

「ウェイアードって人知ってる?」

 リーフィは膝を抱えて座り込みながらきいた。

「この辺りの酒場から気に入った娘を召し上げていっては、自分の行きつけの妓楼で囲っているらしいんだけど、飽きてしまうとその妓楼に売り飛ばしてしまうっていうひどい評判の男よ」

「うわっ、それひどいなー」

 シャーは思わず顔をしかめた。

「でも、どうしてそんなひどい奴の所に?」

「あの人、ザファルバーンの大富豪の息子なの。一人息子らしいから。それで、酒場にかなりお金を出しているみたいなのね。わたしも、サリカもそうだけど、酒場にお金を借りて働いているから、拒否はできないわ。うちの旦那さんは、別に嫌ならいいっていってくれたけれど、サリカの所はそうもいかないみたいなの」

「なるほどね。……ひどい奴がいるもんだな。どこにいるの? そいつ」

 シャーは横目でリーフィを見ながらきいた。

「シャーも知っているでしょ? マタリア館っていう所」

「ああ、あの妓楼の事? オレ、郭遊びはしないからいってないけど」

 そうだろうな、とリーフィは思う。金のないシャーにできる遊びは酒場周りがせいぜいだし、そんな所にいたら弟分が騒いでいるはずだ。

「そこにいりびたりっていう話よ。年はあなたと同じぐらいだと思うんだけど」

「ふーん、……なるほど、なーんかその坊ちゃん、聞いたことあんなあ。カンビュナタスの奴が言ってたんじゃなかったっけ」

「え?」

「あ、何でもない何でもない」

 シャーは慌てて首を振り、そしてにっと笑った。そうっと上目使いに、リーフィの表情を伺いながら言った。

「……リーフィちゃん、オレが何とかしてみようか?」

 言われてリーフィは少しだけ驚いたような顔をした。

「あなたが? ……でも、これは前みたいに切った張ったじゃ片づかないのよ?」

「そうかもしれないね。でもやらないよりやるほうがましじゃない。オレもリーフィちゃんやサリカちゃんがいなくなったら寂しいし」

 シャーは片目をつぶっていった。

「ね、まずちょっと探りをいれるぐらい入れて見ようよ。それでできなければあきらめるしかないけど、最初からあきらめるのも」

「シャー……ありがとう。それじゃあ」

 リーフィは思い立ったように、そっと懐から財布を取りだしてその中の金貨をシャーに渡そうとした。

「少ないけど、これでお願いしてもいいかしら……。この前も世話になって、今回もじゃわるいわ。だから……」

 言いかけたリーフィの手をそっと握って差し戻すと、シャーは首を振った。

「やめなって。水くさいな。いいよ、見返りなんかいらないからさ」

そういって、シャーはリーフィの手にそれを戻す。

「後で酒の一杯でもおごってくれれば十分だからさ。気にしないでよ」

 シャーは優しく笑ってそう言うと、立ち上がった。リーフィはわずかに微笑み返す。それを満足げにみるとシャーは壁に片手をついて寄りかかった。

 空を見る。急に明るくなったなと思ったが、どうやら雨がやんでいるらしかった。街のあちこちにできたみずたまりもそのうち乾いていくことだろう。

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