終.踊る怠け者

 酒場からは賑やかな音楽が聞こえ始めていた。

 その酒場に一人、女が足早に裏口から入ってきていた。忙しく働いていたサリカだが、彼女がやってきたのをほかの子から聞いて慌てて裏口に駆けてくる。

 そこにいたのは、艶やかな長い黒髪に白い肌をした女だった。青い布に花の刺繍の入ったベールを被っていたが、それを外してみると、いっそう彼女が整った顔立ちをしていることがわかる。どことなく繊細で冷たさを感じるほど涼しげで、硝子細工を思わす人形のような顔の美人だ。カタスレニアにかわいい子がいる酒場があるといっても、彼女だけはちょっときれいすぎる部分がある。

 しかし、彼女もどこか変なところがある。なんというか愛想がない。愛想がないのならいいのだが、どちらかというと無表情だ。それでも、彼女はサリカに笑いかける。といっても、笑ったのかどうなのかわからないほど、微妙な表情の差だ。そう、彼女の不愛想さには悪気はない。本人はそれなりに愛想よくしようと努力している形跡もあるが、あまり努力が実っていないだけなのだ。

「遅くなってごめんなさい、サリカ」

「あ、リーフィ姐さん、ごめんね。お仕事忙しかったんでしょう?」

 サリカにとっては、それはいつものリーフィの姿だった。

 サリカにとってはライバル店の看板娘に当たるリーフィであるが、存外に彼女たちの横のつながりは強く、店同士も別に仲が悪いわけではない。むしろ、こうやってお互い協力することも多いのだ。それなものだから、今日は踊り子が急病で来られなくなって困った亭主が、サリカの伝手をたどってリーフィに応援を頼んだということだった。リーフィももちろん仕事があるのだが、それがある程度終わってからここに駆けつけてくれたようである。

「遅くなっちゃって大丈夫だったかしら」

「あー、それなら大丈夫よ。男だけど、一応、代役がいるから。ちょうどリーフィ姐さんの前座にはぴったりだったわ」

 サリカはそういいながら、リーフィを中に案内する。

 なるほど、先ほどから音楽が聞こえるのは、すでに誰かが踊っているからのようだった。甲高い硬質な打弦楽器の音と調子よく刻まれる太鼓と金物のリズム。時折、喝采が起こっているところを見ると、かなり場が盛り上がっているようだ。

 リーフィがひょこんと覗いてみると、舞台……といってもものをよけて床に絨毯を敷いただけだが、その上で青いマントを翻しながら、誰かが踊っている。

 音楽に合わせて軽妙に、しかし、決めるところは決めながら。身も軽いらしく、扇を持っているがそれが妙に華麗だ。踊る男は、青い羽根飾りのついた仮面をつけていた。口の部分しか見えていないので、一見誰だかわからず、いつもより少しだけかっこよくみえていた。サリカはその中身が誰だかもちろん知っているが、それでも思わず、わあと感嘆してしまうほどだ。

「へえ、普段から踊りだけは自慢できるとか言ってたけど、意外とやるのねえ。あ、でも、もうすぐ終わりだから、そうなったらリーフィ姐さんと交代ね」

 そう彼女に話しかけるが、リーフィから返事がない。サリカが彼女を見やると、リーフィはなぜか真剣な顔をして踊る男を見ていた。

「どうしたの、リーフィ姐さん? アイツ、なんかリーフィ姐さんに変なことでも……」

 サリカは、てっきりあの腐れ三白眼がリーフィになんぞセクハラでもしたのではないかと心配した。もちろん、シャーはリーフィにも一通り声をかけているのだ。何か失礼なことでもしでかしたのだろうか。ところが、リーフィはてんで話を聞いている様子ではない。

 しばらくじっと彼を見やった後、大きくうなずいた。

「あのひと、できる!」

「できる……って?」

 いきなりそんなことを言い出したリーフィに、サリカはきょとんとした。

「……ものすごく動きのキレがいいし、足も上がってる。タダものじゃないわね、彼」

「そ、そうかしら……」

 どうやらリーフィは、アレの中身が、例のシャー=ルギィズだと気付いていないようだ。

「いやでも、リーフィ姐さん、あれの中身はね、腐れ……」

「サリカ!」

 慌てて彼女に正体を説明にかかったサリカであったが、普段はおっとりしているリーフィが、なぜか急にばっと素早く彼女に向き直ったので面食らった。

「あのひとの後に踊るだなんて、とんでもないわ。負けてられない感じがするわ! 私も頑張らなきゃ……! 早速、準備してくるわね!」

 リーフィは、ぐっとこぶしを固めると着替えの準備をするのか、あっけにとられている彼女を置いて、控室に走って行ってしまった。

「リーフィ姐さん、何変なところに闘志燃やしちゃってるの……。あの中身はアイツなんだってば」

 冷静で落ち着いたリーフィは頼りになる存在なのだが、何かどこかがズレている部分があるのだった。

 

*


 酒場から流れる音楽の雰囲気が変わっていた。先ほどは、どちらかというと激しい音楽であったが、今度はしっとりとしたものだ。

「なんだ、女でも踊ってんのかな?」

 先約である会合を別の酒場で済ませた後、家で飲んで帰ろうと思っていた男たちは、約束通り酒と肉を取りに酒場に向かっていた。すっかり日が落ちて真っ暗になった路地裏は、人通りが少なかった。狭い路地が入り組んでいるここいらは、暗くなったあと下手に歩くと迷うほどだ。男たちが適当に歩いている道も、もしかしたら遠回りになっているのかもしれなかった。

「イイ女ならさらっちまおうか?」

「それもいいが、あんまり騒ぎ大きくすると面倒だぜ?」

「かまわねえって! そんな文句言いそうなやつ、いなかったじゃねえか」

 男たちは下卑た笑い声をあげながら道を進んでいたが、ふと、一番前を進んでいた男が唐突にぎゃっと声を上げて倒れ込んだ。何か目の前から飛んできたようで、それが地面に落ちてからんと音を立てる。星明りで見れば、どうやらただの木の棒らしい。

「へへ、待っていたぜ。チンピラども」

 声をする方を見てみると、誰かが木箱の上に座ってその辺で拾ったらしい木片を弄んでいた。

「誰だ、テメエは!」

「誰だっていいだろ。テメエらに名乗ってやるほど親切じゃねーよ」

 闇の中で、男の声がそういった。ちっと舌打ちして、血の気の多い男が突っかかる。闇の中にいる誰かは、さっと身を翻して男をいなすと彼の足を引っかけてそのまま転ばせた。そして、そのままマントを翻して彼らの前にたたずんだ。

 目元に青い羽根の仮面をつけた男は、にやりと笑う。その男のかすかに覗く瞳が、夜の星明りにキラリと光り、どことなく青い色を帯びているように見えた。

「預かりものを返してもらいに来たぜ」

 静かに殺気を放ちながら、彼は彼らの目の前で腕組みをしたまま、すらりとたたずんでいた。

 男たちには、彼の正体はわからなかっただろう。まさか、彼が彼らが先程痛めつけて剣を奪った、あのシャー=ルギィズだとは。

「丸腰で俺たちにかかってくるとはいい度胸だな!」

 顔に傷のある男が、さっそく抜刀して凄む。

「しょうがねえだろ。今日は残念だが、短剣も持ってないんだからさ」

 シャーは、軽口をたたく。

「だが、相手がお前ら程度の連中で助かったぜ。さすがに、オレも丸腰でどんな奴でも相手できるってわけじゃあねえからな!」

「減らず口を!」

 傷の男が彼にとびかかって、斬りかかる。シャーは余裕をもってそれを避け、隣で剣を構えていた男を蹴り飛ばした。

 動きが速い。傷の男は、気を付けろと仲間たちに呼びかける。慌てて細身の男が剣を抜きにかかるが、その腰にはシャーから巻き上げた例の刀が差さっていた。刀を抜こうとしたとき、ぬっと暗闇から出てきた手が先に剣の柄を握った。

「ひっ!」

「残念だが、コイツはお前らにゃちょっと荷が重いぜ」

 すれ違いざまに鞘ごと抜き取り、そのまま鞘で細身の男の腹に一撃を加えて倒した。

「ふふふ、これはな、お前等の差料にするにはもったいねえ上物なんだよ。いただいとくぜ」

 そうささやいてやったが相手に聞こえたかどうか。シャーはそのまま、傷の男と相対する。彼の後ろには、どうにか復活した二人の男が怯えながら、彼に剣を向けていた。

「テメエ、一体……」

「答える義理はねえなあ。……ちょっとカッコよくいってみれば、ただの酔っ払いよ」

 にやっと笑ってシャーは、右手に持った刀をそのまま帯に引っ掛けて落とし差す。そしてそれをぐいっと引っ張り足を開いて鯉口を切る。キラリとかすかながら剣呑な光が、夜道に輝く。

 かすかに酒場から音楽が聞こえる。いつの間にか、初めの曲調とは打って変わって激しい曲調になっていた。きっと、リーフィの踊りも今は早く激しいものになっているのだろう。

「これ以上やるってんなら、オレも抜くぜ? そうなると、手加減できなくなるからお前等覚悟しやがれよ」

「くそっ! 馬鹿にするなよ!」

 かえってそれを挑発ととったのか、うおおおおと気勢をあげて傷の男がとびかかってくる。シャーは、やれやれとうんざりとした様子になった。

「しょうがねえ。オレが好意で忠告してやったのによお」

 シャーはそういうと、口の端で笑みを刻みながら剣を抜いた。ギラリとした青ざめた白い光が、男の目を射抜いた。振りかぶった男の剣をはじき返し、シャーはそのまま手を返して男の懐に飛び込む。刀の柄を男のみぞおちに埋め、そのまま蹴倒して体を引き離した。

 地面に倒れ込み苦悶のうめきを漏らした男が動かなくなり、それを見ていたほかの面々は慌てて逃げ出していった。

 シャーは、刀をくるくると手の内で回すと鞘におさめた。

「安心しろって。お前らみたいな餓鬼殺すほど、オレも暇じゃねーっつの。今日のオレ、かなーり手加減してやったんだから」

 シャーはそういうと、ぶらりと歩き出した。

「はー、やれやれ、取り返せなかったらどうしようかと思ったよ。オレのイトキリちゃん」

 シャーは、そういいながら腰に戻った剣の柄を撫でやった。

「まったく、皆がいる前でとか、オレが抵抗できないときにひどいことしやがって……。剣を手放すなんて、師匠に知られたら、オレ、生きて帰れないトコロじゃん。この生活、結構苦労するのよね」

 ため息をつきつつ、シャーは酒場の前を通る。

 リーフィの踊りで酒場の中は盛り上がっているらしく、彼女をたたえる声や喝采が聞こえてくる。

「やれやれ、せっかくリーフィちゃんが踊ってるってえのに」

 シャーは、もう一度ため息をついた。

「疲れてるのに、アイツラのせいで妙に気が立っちまって。……今夜はじっくりと踊りを見る気分じゃないみたいだねえ」

 そういって、シャーはまだ自分が仮面をつけていることに気付いて、それを手に取った。ふわっとそれを星の輝く上空に放り投げて、シャーは腰の剣に右手をかけ、ざあっと一閃した。

 シャーの後ろに落ちた仮面は、見事に二つに割れていた。

「ったく、ホント、隠し事するのも大変だぜ」



 *


「あれー、兄貴、結局返してもらったんですか?」

 次の日、当然のごとく腰に剣を差して酒場に現れたシャーに、目ざとくカッチェラが声をかけてきた。ほかの男たちも、本当だとばかりに彼の周囲に集まってくる。

 シャーといえばドヤ顔で胡坐をかいて、皆の注目を気持ちよさげに浴びながら酒を飲んでいた。

「ん、まぁねえ~」

 シャーは、いかにも得意げだ。ちょっと腕組みしながら渋く酒を飲んでいるつもりだが、何せ顔がシャーなのでどうしても絵面が決まらない。

「どうやって返してもらったんです?」

「そりゃー、オレが本気だしてバッタバッタとやつらをたたき伏せて……」

「冗談は顔だけでいいですから」

 言いかけた途端、カッチェラが冷たく言い放つ。

「本当は、どうせ頼み込んだか、誰かに買い戻してもらったかなんでしょ?」

「兄貴、借金したんですね。兄貴みたいな一文無しの浮浪者が金借りるとか、どうせ金返せなくて売り飛ばされるのが落ちですよ。悪いことは言いませんから、逃げた方がいいんじゃねえですか?」

「ちょっ、それ、あまりにもひどいから! あのねえ、オレは借金とかしてないし! 皆、オレのことどう思ってんのさあ!」

 さすがにシャーは不満げだ。一体、自分についてどういうイメージを持たれているのだろう。あまりにもひどい。

「ちょっといろいろあったのー。まあいいじゃん。返してもらったんだから」

 シャーは、結局そういう風にまとめてしまう。少し不思議なシャーのこと、少しだけ不条理なことが彼にはあるが、皆あまり本気では追及してこない。

「それより、昨日リーフィちゃんの踊りが盛り上がったんでしょ? オレも今日は見たいなあ」

「兄貴また……」

「兄貴、リーフィだけはやめときなって。高嶺の花すぎますよ」

 シャーがのんきに口を出すと、周囲がそうやって止めにかかる。昨日あれだけ酷い振られ方していたというのに、この男、本当に懲りない。しかも、今日はリーフィと来た。あの無表情で笑わないリーフィに本気で優しくしてもらえるとでも思っているのか、この男。

「なんでさ。リーフィちゃん、案外優しいから意外とお酌ぐらいしてくれるかも……」

「今までそうやって撃沈されてきたんでしょ。何とかカッコイイところ見せてから、口説くようにしないと無理ですよ」

「カッコイイとこなら昨日見せたじゃん。ほら、オレだって頑張ろうと思ったら、どうとでもなるの。昨日、踊ってツケ返したの見たでしょ?」

 そういってみると、舎弟たちはふーむとうなる。

「確かに、踊ってる時の兄貴はカッコイイとは思いますし、あれは立派な技能だとは思うんですけどねえ」

「でしょでしょっ? いやあ、本当、オレ、ああいうのについては天才だからー」

「でも、それじゃあ、なんで働かないんですか」

「へ?」

 いきなりアティクがそう突っ込んできた。おとなしいアティクだが、時々、思わぬ突っ込みを入れてくる。

「だって、お金とれるぐらいにうまく踊れるのに、踊り手で就職すればいいじゃないですか?」

 そうだそうだと誰かがはやし立てる。

「……それは無理」

 シャーは、とんでもないとばかり首を振る。

「え、どうしてです?」

「今日だって、筋肉痛で辛いもん。オレ、真面目に働くと体が悪くなんの。踊るのは好きだけど、金もらうために踊るとか考えただけで全身の倦怠感がすごい……」

「あー」

 カッチェラがあきれたように声を上げる。

「ダメですね、兄貴は。本当に怠け者なんだから。女口説く前に働いてください」

 そういわれて、シャーはちょっとむっとしたように言った。

「怠け者じゃないの。オレにふさわしい職業につけてないだけなの」

 どうだか。舎弟の誰かが口に出す。

 しゃらと衣擦れの音がしたと思ったら、ちょうどリーフィが酒をもって顔を出してきた。

「あ、リーフィちゃん、こんにちは! いいお天気だね!」

 いつものようにシャーが軽く声をかけるのを、舎弟たちはあきれながら眺めている。

 今日だって、きっと相手にされるはずもないのに――。


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