1.その男、ルギィズ

 宵闇の中、ぱたりと何かが彼の足元に落ちた。

 舞踏用に派手な装飾がなされた仮面で、羽根がつけられている。それが真っ二つになって、彼が通り過ぎた後、砂の上に落ちたのだ。

 彼は剣を素早くおさめて息をつく。どこかしら、荒々しい空気を秘めた殺気を吐き出すように呼吸して、それから彼はやや猫背のままに歩き出す。向こうから華やかな音楽と喝采が聞こえてくる。

 どうも今日はまだ気が立っている。あの華やかな宴に紛れることができるほど、自分はいつものただの怠け者には戻れそうもない。

「ったく、ホント、隠し事するのも大変だぜ」

 仕方がない。今日はおとなしく夜風に吹かれて帰ろう。そうすれば、帰ったころには元の彼に戻れるだろう。

 そんなことを考える彼の瞳は、青く不気味に輝いていた。


 *


「ねーえ、君、今空いてんの? ちょっとオレと話ししよー?」

 ここは王都の酒場。まだ夕暮れがすぎて空は少し明るい時間だが、酒場には人がたくさん入っていた。

 芳醇な琥珀色の酒の香りと、香辛料の食欲をそそる香りが周囲に広がる。

 ザファルバーン王都カーラマンの片隅のカタスレニアは歓楽街の一つで、飲食店が軒を連ねているが、花街のような派手さや色気には欠ける場末の飲み屋街だった。その割には、この店のように特に酌をする女の子の質も高く、料理もうまい店がちらほらあるのが謎だった。噂によれば、どこかの道楽貴族が競ってやらせているとかなんとかいうのだけれど、それとて本当かどうかはわからない。利用する側にとっては、そんなことはどうだって大して変わらないことだ。

 そんなことより気になることが一つ。

「ねえってば? ちょ、そんな無視することないじゃん?」

 さっきから、あそこで酒場の女の子を口説こうとしている男が一人いるのだが、その男が妙に目につく。

 元は上等なものだったのだろうが、今は薄汚れた青い服をきて、猫背のままに胡坐をかいたその男。ぐるぐるに巻いた癖の強い長髪をまとめて高く結い上げている。顔は意外と小づくりで、甘く見積もって並の上。取り立てて男前でもない。しかし、何よりも目立つのは男の目。やたらと白目の面積が多く、目つきがよくない。いわゆる三白眼というやつだ。

 その三白眼をじらっと女の子にくれつつ、彼はどうにか彼女の気を引こうとしているらしいが、それが逆効果なのか彼女の反応は辛辣である。

「ねー、いいじゃん、ちょっとお酌してくれるぐらい? ね、最近君のことかわいーなって思っててさ、一回お話ししてみたいわけよ?」

「いい加減にしないと殺すわよ。私はあんたと違って忙しいの! 大体ね、お酌してほしかったら、自分の金で飲めるようになってから言ったら?」

「そ、そんなキッツイご冗談を」

 ややおびえたふりをした男だったが、もう一度しつこく何か言いかけたところで彼女に持っていた水をぶちまけられて撃沈してしまった。周囲の男たちがどっと笑いだした。

 男はさすがにちょっとめげた表情をしつつ、ちぇっと舌打ちして髪の毛の水を払うのだった。

「なんだぁ、あいつ?」

 と、思わず口にしたのを一緒に飲んでいた男が聞き取り、あれ、と声を上げる。

「なんだ、お前、アイツのこと知らないのか、シャー=ルギィズっていう飲んだくれだよ」

「シャーっていうと、ええっ! あの有名な?」

 驚く彼に苦笑いして、男は首を振った。

「お前が言ってんのは、”あの”シャー=ルギィズだろ。”それ”はシャー=レンク=ルギィズって言って、確かにこの一帯を治める暗黒世界の王様だ。だけど、ルギィズって姓は、昔この辺で繁栄した豪族の名前でさあ、今じゃ没落しちまってほうぼうでその名前を名乗っているやつがいるもんよ。だから、アイツは同姓同名の別人で、ここいらで飲み歩いてるただの酔っ払いの文無し野郎さ」

「なーんだ、そういうことか? でも、なんでそんな浮浪者みたいな男が有名なんだ」

「なんでって、ほら、なんでか知らないが奴の周りには人間が集まりやすいからさあ」

 男は顎をしゃくっていった。そういわれてみれば、彼の周囲には男たちがたくさんいた。みんな彼をからかったりしながら、楽しく酒を飲んでいる。

「一文無しだが、なぜか飯と酒にはありつけてるって話……。確かに面白い男ではあるんだよな。俺はアイツに酒おごるのはまっぴらだけど」

「タカリなのか?」

「そうよ」

 と割って入ってきたのは、先ほどそのシャー=ルギィズに口説かれていた女の子だった。

「あの腐れ三白眼たら、いつでも金を持ってなくって他人の金で飲んでるの。そんなどうしようもない奴のくせに、やたらと絡んでくるのよね」

「いいじゃねえか、サリカ。嫌われてるより好かれている方がさあ」

 そんな風に言ってはみるが、彼女は迷惑そうでしかない。

 一方、水をかけられたシャー=ルギィズという男の方は、癖の強い髪の毛を振って水を払った後、周囲の男たちに渡された手ぬぐいで水分を拭き取っていた。

「ちぇー、もうちょっと優しくしてくれてもいいもんなのにさ。ただお酌してお話ししてほしいって頼んだだけなのに」

 と、彼は不満げだ。それをみて周囲の男たちがはやし立て始める。

「あーにーきー、連敗記録更新ですね」

「これで、このあたりの酒場の女一通り声かけたんじゃないですか?」

「もはや、酌してくれる女も見つからないとか、兄貴、超カワイソ……」

「うーるーさーい」

 シャーは、不機嫌に言いながら口をとがらせる。

「みんながオレの魅力をわかってくれないだけなんだい。いいよいいよ、女の子なんかいなくったって」

 シャーは、拗ねた口ぶりでそういうと、三白眼の瞳を翻して男たちを見て途端にニヤッとした。

「その代わり、お前らには今後も酒とごはんをおごってもらうことにするからな~。いやぁ、持つべきものはトモダチだねぇ?」

「そんなんだからモテないんですよ、兄貴は」

「よう、甲斐性なし!」

 そんな声が響いているところを見ると、どうやら彼らにとってはこれがいつものやり取りなのだろう。なんだかんだで和やかな雰囲気が、店の中に漂っていた。

 しかし、そんな平穏な光景は突然打ち破られる。

 不意に店の入り口の方で、何か騒ぎが起きていた。机が倒されて酒瓶が割れ飛び、がしゃーんと音が鳴る。入り口近くで座っていた男が、入ってきた男たちに胸倉をつかまれて慌てていた。

「な、なんだい、アレ?」

 シャーは、不安そうにそちらを見やる。

 入ってきた男は五人だ。見ればまだ若い。おそらくシャーよりも年下だろうが、無精ひげを生やした者たちもいるし、服装も派手でかなりおっかない。カタスレニア地区は王都の下町の一部だが、もともとはそれほど治安のいい場所ではない。ヤクザな連中もいる場所もあるし、こうしたチンピラどもが徘徊してもいる。店に彼らが上がり込んで乱暴を働くのも、ままよくあることである。

「ああ、あの餓鬼どもですか」

 シャーの舎弟の一人であるカッチェラがこっそりと耳打ちしてきた。

「アイツらは最近ここいらで調子に乗ってるやつらなんですよ。なんでも、シャー=レンク=ルギィズの身内って話ですが」

「また、アイツか」

 シャーは、うんざりといってため息をつく。

「まー、ヤクザ屋さんの抗争には興味ねえけど、一般市民巻き込むのやめてほしいよねえ」

 そんなことをぼそりというシャーに、カッチェラはやや慌てる。

「兄貴、あんまりそんなこと言ってると、目ぇつけられますよ。大体、兄貴は目につきやす……」

「おい、何見てんだ、お前!」

 ほら、来た! 

 いつの間にか、男たちは店の中に入り込んできていた。さすがにシャーも青ざめる。カッチェラは、とみてみると、彼は三白眼の兄貴をアッサリ見捨てて、すでに他人のふりをしていた。今まで彼をはやし立てていた連中も同じである。

「ちょ、お、お前ら、薄情もの……」

 小声でシャーは助けを求めてみるが、残念ながらシャーのいわゆる「舎弟」達に腕の立つ人間はいないのだ。みんな冷たく他人のふりである。

「お前、俺たちを見ていたよな?」

 一人、単発で顔に傷のある大男がシャーに近寄ってきて凄む。

 本当に、シャーという男は目につきやすい。ちょっと奇妙な風体で目立つし、第一、目つきがよくない。ぎょろっとした三白眼で彼らを一瞥しただけなのだが、その視線だけで何もしていないのに挑発扱いにされてしまうのだ。

「見てただろ?」

「え、えええ、いやその、見てただけですよ」

 といって、逃げの姿勢をとってみるが逆効果だったらしい。あっという間に胸倉をつかまれてしまった。

「気にくわねえ顔してるなあ」

 正直、そんなこと言われても困る。シャーだって、こんな顔に生まれたくて生まれたわけではないのだ。できたら、もうちょっとイケメンに生まれていれば、女の子にももてたし、こんな風に絡まれることもなかった。

「い、いえ、本当に、なんというかすみません。生きててすみません」

 とりあえず、こういう時は謝るに限るのだ。シャーは意外と背が高いのだが、ひょろっと痩せている。長身痩躯といえばかっこいいけれど、どちらかというと風に飛ばされそうな貧弱な感じ。ありていに言えば弱そう。もちろん、誰もシャーに勝ち目があるとは思っていない。

 そんなとにかく荒事には向かないシャーだったのだが、そんな彼は実は一つだけ、不相応なものを持っている。

「ん?」

 ふと、傷のある男がシャーの腰に目を留めた。

「なんだ、お前。いいもんもってんじゃねえか?」

 シャーはそこに濃紺の帯を巻いているのだが、そこに刀が差してある。この国の成人男子は基本的に刃物を腰に差す。文無しのシャーとて、例外ではない。通常、短剣であることが多いが、シャーは一文無しの癖になぜか長剣を差していた。

 しかも、その剣が非常に珍しい。装飾は比較的簡素であるが、鍔には細やかな細工がされている。東方風の装飾のようだが、男にはそれがどこのものかはわからない。

「それ、貸せよ」

 男に剣を取られそうになると、一瞬シャーは抵抗するそぶりを見せたが、ふと周囲に目をやって手を止めた。代わりに、追従するような態度になって、ねこなで声を出してみる。

「いや、ちょ、それだけは……。こ、これは、オレの唯一の財産でして……」

「へえ、ずいぶん珍しいもんだなあ。見ろよ。お前こういうの好きだろ」

 男はシャーにかまわず、強引に剣を鞘ごと抜き取ってしまうと、近くにいた細身の男に差し出した。

「あああ、ちょっと、それ、オレのーーー!!」

「へえ、こんな刀初めて見たぜ。東から海越えて輸入した剣がそういえば、こういうのだったかな」

 細身の男はそう言って、刀身を鞘から抜いた。酒場の中に剣呑な青銀の光が走る。かすかに反りがあり、片刃。刃の表面には複雑な波紋が浮かび上がっていて、妙な凄味があってみるものをぞっとさせる美しさがあった。

「だ、ダメだって! それは、返してくださいよ!」

「うるせーな! お前にもどうせ使いこなせないだろうがよ! 俺たちがもらっておいてやらあ!」

「で、でも、使い方難しいんですって」

「だったら売ればいいだけの話だろ。これはいい金になるぜ」

 細身の男が口を挟んできた。余計なことを、と思いつつ、シャーはどうしたものか考えていたが、そのうちに他の三人が騒ぎを聞きつけて出てきた亭主に、酒と肉を用意しておけと告げていた。

「後で取りに来るからよ」

「え、それではどちらに?」

 亭主が怯えながら尋ねると、この先にある酒場で先約があるとかいう話をしている。

「先に金払えばいいんだろ! ほらよ!」

 そういって、一人の男が金を渡すと、亭主はとりあえず礼をいい、これ以上騒ぎが起きないようにそっと彼らを見送ってしまう。

「おい、いつまでそいつに絡んでるんだよ。もう行くぜ」

「おう」

 そういっていきなり男はシャーを突き飛ばした。床に投げ出されつつ、シャーは慌てて起き上がって男たちに呼びかける。

「あ、ちょっと、オレのー! 返してー!」

 シャーの呼びかけなど無視して、男たちはさっさと外に出て行ってしまった。

「兄貴兄貴、あきらめましょうよ」

 慌てて追いかけようとしたあきらめの悪いシャーに、周りの舎弟たちがなだめにかかる。

「だ、だって、アレはシャレにならねえんだって。すげー大切にしてんだよ」

「兄貴には使えないもんじゃないですか。いつも言ってるでしょ、飾りで差してるんだって」

「そ、そりゃー、その、そうなんだけどさあ」

「質にいれたんだと思ってあきらめましょうよ」

 舎弟の一人のアティクが慰めるようにそう言った。

「質草って、金ももらってないのにあきらめられるわけねえだろが、ちょっと追いかけて交渉して……」

 とシャーが立ち上がりかけたところで、

「そこまで!」

 と、いきなり首根っこをつかまれた。振り返ると、さっき彼が口説いていた酒場の女の子が彼の首根っこをつかんだまま立っている。

「な、なあに? サリカちゃん、オレ、今超忙しい……」

「忘れたの? アンタ、この間のうちのツケ、体で返すって約束したわよね?」

「そ、そんなのしたっけな?」

 すっとぼけてみると、サリカに睨まれてしまいシャーは慌てて口を噤む。

「今日は、踊り子さんが急病でこれなくなってショーが大変なの。リーフィ姐さんが来てくれるんだけど、ちょっと遅れてくるってきいてね。あんた、確か踊りは好きだったわよね? この間のツケ、それで返してくれるわよね?」

「う、……いや、でも……」

 シャーは、ちょっと苦しげだ。

「そ、それはそうだけどさあ。今はちょっといろいろ……」

 と言いかけたが、サリカの後ろで酒場の亭主がこっちを見ていた。なるほど、黒幕は貴様か! とシャーは憎らしく思いつつも、サリカを振り切っていけるほど強引ではない。

「ま、参ったな」

 シャーは、割と本気で困った様子になっていたが、

「うーん、しょうがないな。まあ、どうせ後でここに来るみたいだし」

 仕方がない。その時に剣を返してもらうように「交渉」するしかない。

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