第三十八話

 人虎。いわゆるワータイガーの伝説はインドから中国、東南アジアにかけて広く伝播する伝説である。

 マガン・ガドゥンガンとはインドネシア、ジャワ島に伝わる人虎で、山月記虎器とはあまり関係がない。


「俺はポリネシア人なんだ。」


 違うと思う。インドネシアはメラネシアだ。それくらいはお春でも知っていた。

 その間違いに気付いているのかいないのか、虎の姿と化した宴の祭器山月記虎器は心なしか所在無さげなタイガーだった。


 この虎に優しく声をかけたのは、首筋を噛みつかれたコンスタンティンさんだ。


「お前…もしかしてオーストラロイドなんじゃねえの。」

「そ、そうだ。悪いが俺は難しいことはわからない性質でな。遥か昔に不老不死となり、胡姫様の所有物となった。自分の出自とかを調べたのも最近の話でな。間違いとかがあっても自分では気付けんのだ。」


 虎は早口で間違いを認めた。

 難しいことは分からないが、彼はおそらくオーストラロイドで、東南アジアないしはポリネシアの極めて広範囲の出自で、なおかつ虎に変身する能力を持つようだ。


「しかし、虎器殿よ。今更虎に変身したところで何になる。虎の身体能力など、この俺は既に超えている。」

「お主こそ分かってないようだな、コンスタンティン殿よ。今の俺は完全なる虎。そんな俺を殺すことはワシントン条約に引っかかるのだ。」


「なにっ!?」

「気がついたようだな。この忍法こそが現代においては無敵であることに。貴様はむざむざ虎に食い殺されるしかないのだ。」


 法という、究極の地の利を得た虎器は勇ましくコンスタンティンに襲いかかった。

 そんなコンスタンティンはあくまで捕縛術で対応しようとするが、対虎相手の捕縛術は純粋に経験において困難なものである。


 そうこうしているうちに、もう一人の器の祭器、『白鹿』が謎のスケスケ忍者の前に立ち塞がった。


「あなたの相手はこの私ですよ。」

「愚か者め。私は西軍の忍杯戦争参加者忍者の中でも指折りの実力派だ。忍法『見難し』でノビノビのスケスケのスケにしてくれる!」


 スケスケ忍者が口から水蒸気を吐きかけると、『白鹿』が全身に纏っていた装束は生地が伸び、透けて張り付き、肉体の動きを阻害する拘束具に早変わりしてしまった。


「ぐうっ顔にかかった面が張り付き!息ができん!」

「ふふふ。馬鹿ですねえ。このまま窒息死してしまいなさい。私はコンスタンティンさんに加勢させていただきましょう。」


 しかし、『白鹿』をよそにコンスタンティンに加勢し、『山月記』と相対したスケスケ忍者もまた立ち往生した。ワシントン条約が怖くて攻撃出来ないのだ。


 そうこうしているうち、あっという間にこう着状態が出来上がってしまった。


「どうする、この虎を攻撃すれば世界からの批判を逃れられん。しかも優しく拘束するにも、この虎は意外と強くて本気でやらねばならん。」

「そんな時こそ私の忍法でしょう。」


 言うが早いか、スケスケ忍者は周辺に立っていた一メートル程の若い木を足刀で切り落とした。そして、木を掴むと、口から水蒸気を吐きかけたのだ。


「成る程な、便利な忍法だ。」


 横で見ていたコンスタンティンも感心した。みるみるうちに木は透明になり、まるで布のように伸びてゆくのだ。

 スケスケ忍者の両手の中で、一メートル程だった木は三メートルはあろうかという薄衣へと変化していた。


「これで即席の拘束具の完成だ。」

「よし、ならば拘束するのは俺に任せろ。」


 コンスタンティンは薄衣をスケスケ忍者から受け取ると、虎へと向かって走り出した。


「うおおおお!」


 しかし、走り出したコンスタンティンは不用意にも背後から突進してきた『白鹿』に突き飛ばされた。


「ぐおおおおお」


 コンスタンティンは虎へと向かって跳ね飛ばされ、頭から虎に丸呑みにされる形で着地した。


「馬鹿な、奴は既に私の忍法で動けないはず。」

「俺の筋力を舐めるなよ。」


 みれば、装束が透けて全身に張り付いたことで、『白鹿』の隆々たる筋骨があらわになっていた。


「こいつ、着痩せするタイプか。」

「俺は普段は知的なイメージだが、宴の祭器の中で最も力が強くてねえ。」


 『白鹿』は体に張り付いた布を無理やり引き剥がした。

 その姿は身の丈八メートルはあろうかという超巨大な鹿だった。


「ベェェェェェェェエ」

「鹿だぁーっ!!」


 白鹿瑞器は鹿だったのだ。

 瑞とは瑞獣の瑞。珍しくめでたい幻獣のことであり、古くは唐の玄宗皇帝の時代、一頭の鹿が迷い込み、仙人がこれを千年生きた白鹿だと見抜き、大切に祭ったという。


 この逸話は白鹿酒造の名前の由来にもなっている程の有名な故事だが、なにを隠そう。

 この白鹿瑞器こそ、その故事に登場する瑞祥の獣そのものなのである。


 その名も忍法『巨大なメガロケロス・ギガンテウス』。氷河期を超えて生き続ける不老不死のギガンテウスオオツノシカが不老不死になった大型化変種である。


 その忍法は単純なる力そのものであり、原理など存在しない、圧倒的なパワーだ。


「ベェェェェェェェエ」

「ひいいいいいい!」


 体長八メートルを超える巨軀にピチピチの装束を巻きつけたところで、何になろう。

 圧倒的な巨軀から繰り出される圧倒的なパワーは、まさに突撃する暴走エクスカベータだ。


「パワーが強すぎる!」

「落ち着けスケスケ殿よ。この獣は巨体すぎるゆえに、こうして奴の体にしがみ付いてやり過ごすのだ。」


 この巨大な戦闘はやってはいられないとばかりに、スケスケ忍者とコンスタンティンはお春殿を抱えつつ、白鹿の背中に飛び乗った。

 虎も飛び乗った。


「片付いたぞ。雑魚どもが。」


 すぐ近くでは川上長官がヤクザ達を逮捕していた。


「あっお前達どこへゆくのだ!待てティーーエ!」


 白鹿は戦闘者たちを乗せ、はるかに北上してゆく。

 そのスピードは圧倒的であり、十五分後には誤條ごじょう市に辿り着いていた。


「お、鹿じゃねえか。珍しくもないな。」

奈落なら県なら普通。奈落なら県なら普通。」


 鹿がいることが当たり前な県民たちにとって、道路にギガンテウスオオツノシカがいたとしてもそこまで驚くことはない。

 よもやその背中の上で忍者達が大ピンチであるなど、想像もつかないだろう。


「うおおおお風が痛いです!」

「時速116キロだからな。無理もない。」


 時速116キロで走る巨大鹿の背中の上で二人は心頭滅却し、お互いに情報交換することにした。


「そう言えば私つく西軍には忍杯戦争参加者忍者が三人いるのですが、東軍にも同じ数の忍杯戦争参加者が付いているのですよ。」

「そうか。成る程な。それで合点がいったよ。」


「何がですか?コンスタンティンさん。」

「宴の祭器達は東軍側だ。西大寺衆ではない。違うか?」


 コンスタンティンが言うと、山月記は虎の顔を歪め、したり顔で笑った。


「さて、それはどうだろうな。そうかもしれんし、そうではないかもしれんな。これは言うとあの三人が怒るだろうが、俺たちには俺たちの都合があるものでな。」

「隠しても無駄だ。動きで分かるのだ。お前達二体が、その他の三人の祭器達に遅れて西大寺衆と合流していることは調べが付いている。」


「待て待て、俺は本当にお前達の政治に頓着が無いのだ。悪いが、俺がどちらの勢力かなど、大した問題では無いのだよ。」

「そうかな?ならばお前達『山月記』『白鹿』は室生寺で西大寺衆に合流する前はどこにいた?京の都ではないのか?そこで誰かに会っていたのでは?」


 コンスタンティンがしつこく追及すると、スケスケ忍者が合点がいったように続けて言葉を発した。


「成る程。東軍大将と会っていたわけですか。」

「そういうことだ。謎に包まれた忍法東軍のことはおろか、東軍大将ですら未だ足取りは掴めていないのだろう?スケスケ殿よ。同じ京の都にいるというのに、姿すら見せない本当の忍び達。」


「いかにもそうですよコンスタンティンさん。ですがまあ、彼ら宴の祭器が会おうとする人間など数が限られます。つまり東軍大将の正体もこれで分かったようなものだ。」

「くっくぅ。分かった分かった。俺の負けだよ。そうだ。東軍大将だか何だかは知らないが、俺たちは人に会っていたのさ。」


 負けを認めるように、虎器は笑った。


「そうか。ならば西大寺冬実が東軍大将だと認めるのだな。これほど調べても引っかからんということはつまり東軍大将はそもそも忍者ではなく、尚且つお前達と繋がりを持つ一般人など、奴くらいしかいないだろう。」


 コンスタンティンは驚くべきことを言った。


「くっくぅっくぅ!こいつは面白いことを言うね!冬実が大将とは出世したな!あいつはこんな裏世界に気付けるような賢い人間ではないよ。面白い端役ではあったがね。」


 しかし、虎器はコンスタンティンを嘲笑うかのように哄笑した。

 ここでお春殿は初めて口を挟んだ。


「ちょっと待って、どうしてお祖父さんの名前がここで出てくるの。」

「おやおや。お嬢さんは本当に何も知らないんだよねえ。安心しなよ。決して隠されたカッコいい血脈だとか、そんなご都合じみた因縁なんかじゃない。全ては奴の悪知恵さ。」


 虎器はお春すらも嘲笑った。


「面白い奴だったねぇ。今のお嬢さんも同じくらい面白いと思うけどね。巻き込まれる体質だけは受け継いでると言えるのかなあ。」

「胡姫重用の宝が随分と人間臭いものだな。」


「そうそう。俺たちは俺たちで胡姫様の居所が全く分からなくてねえ。恥ずかしいことに、そのお嬢さんと同じくらい道化なんだよ、俺たちは。」

「全くもって同感だな。お前達、まだアレがどこにいるかまだ分かってないのか。」


 このコンスタンティンの発言には場が凍りついた。


「…おやおや、俺たちの前でそんなことを言っていいのかな。こちらには千里眼の地獄耳が付いてるんだよ。」

「どのみちあれだけ同行していて未だに気付かないようでは胡姫禁中の名も地に落ちたものだ。まあ、俺の場合は手っ取り早く能力で調べたから分かるのだがな。」


 次の瞬間、コンスタンティンは背後から突然現れた『天竺』『眼鏡橋』に羽交い締めにされていた。


「おお」

「これはまさか俺たちは上手いこと誘導されたのでは。」


 スケスケ忍者が言うと、お春も白鹿の眼下を見下ろした。

 そこには西大寺衆の面々が集まっていた。

 コンスタンティン達はまんまと集合地点に誘導されたのである。


「言えっ!胡姫様はどこにおられるのか!?」

「随分と余裕のないことだ。」


 眼鏡橋が表情を崩し、功を焦った口調でコンスタンティンの首にしがみついていた。

 しかし、コンスタンティンは至って冷静に言葉を返した。


「俺はお前達の出してくれたヒントで分かったよ。西大寺冬実が東軍大将大将でないなら、ほれそこの、その孫娘が東軍大将であり、お前達の探す胡姫様とやらだ。」

「えっ違いますよ。」


 お春が即座に否定すると、コンスタンティンは舌打ちした。


「空気の読めない奴だ。」

「口から出任せをヲヲヲヲ」


 眼鏡橋の怒りが最大限に達した時、上空を飛行する物体がコンスタンティンの前に立ちはだかった。

 それは杖に跨って飛行する橘さんだ。


「そこまでよ。」

「…成る程。これは予想外だった。」


 ああ、やはりそうだったのだ。

 お春は納得しながら橘さんとコンスタンティンを交互に見比べ、そして再び眼下を見下ろした。


 状況がイマイチ分かってなさそうな菅原さんが、その横で心配しながらダンベルをもたせているのは宝蔵院お春と西大寺千秋だ。

 より正確には、二人が"ゾンビ化"した首なし死体である。


 はじめから薬師博士は"失敗"していたのだ。

つづく




☆【大和編】忍杯戦争関係者一覧☆


○西大寺衆

・千秋とお春一行

西大寺千秋

宝蔵院お春

西大寺冬次

薬師博士

太乃悧巧りこう

十津川勇蔵


・根来衆

愚蘭坊グランぼう

乳出ちちで御児兵衛おごべえ


・伊賀組


・胡姫禁中宴の祭器達

別業なりどころ胡瓶こへい

(のこり四名)


・ドリームランド公国

(のこり二名)


・裏正倉院


・和歌病県警刀狩署無刀課刀係

藤武蔵ふじむさし人魚にんぎょ

ニャース

川上黄爺こうや


・シャンヤーハイアン

×織衛不要人

山田金烏

×西堂尾汽笛

ヨハン・ソン(尊孫王)

ジェット・ポー(尊武王)



○忍法西軍

謎のスケスケ忍者

コンスタンティン・龍(尊龍王)

×シャオ・イェン(小燕)(尊燕王)


・神兵衛南郎組傘下有門組

壺阪鬼勝

前裁金之助

二階堂三四郎



○忍法東軍

・南郎組傘下忍道会

鬼子母妖子

岡寺マリオ

犬飼万葉


・南郎組傘下鶴詠会

平端華文

畿央いそみ

天理雲中丸




忍杯戦争参加者一覧

×外道げどう 一群斎いちぐんさい

藤武蔵ふじむさし人魚にんぎょ

濃尾のうび透助ノ介すけすけのすけ

本堂ほんどう兵庫ひょうご

×織衛おりえ不要人いらすと

未知判丸みちわかまる

×芒手のぎす血樽子ちだるこ

猿紅葉えてもみじ母宗ははむね

ゆき初蓮それん鎌槌かまつち

諸兄もろえ盤也たらいや

海蛍うみほたる

福雷ふくらい茶釜ちゃがま

すわり

別業なりどころ胡瓶こへい

     以上十四名

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