第一章(伊勢)
第六話
忍道会の事務所に戻ると、火事になっていた。
事務所の入ったビルは業火に包まれており、明らかに人為的なものと思われる爆発の跡が大きな風穴となっていた。
「あっ小娘!!」
駆け寄ってきたのはスーツ姿の女性ヤクザ、姐さんと呼ばれていた奴だ。
戦闘不能になるほどのダメージを負いながらも、女ヤクザは片腕を抑えて千秋に近付いて来た。
「てめえがやったんだろ、今畜生!煙草を吸ったら事務所が火事になっちまったじゃねーか!!」
「姐さん落ち着いて。」
先程まで千秋達に同行していた忍道会の部下が諌めるが、姐さんは鬼気迫る勢いで振り切り、折れた腕もそのまま、もう片方の手で千秋の胸ぐらを掴んだ。
「よくも事務所に灯油を撒きやがって!!」
「いやマジでごめん。」
西大寺千秋は気が立っていた。
機嫌が悪いと言うならば、人生で今ほど気が立っていることはあるまい。
何せ、ついさっき人の死に触れたのだ。
今際の際に渡されたのは、忍杯の頭部から出てきたディスクだった。
押し付けられたコレは何なのか。
考えるだけで、気が気ではなかった。
西大寺千秋と並び立つ、宝蔵院お春も怒っていた。
そもそも、両者共にこのような忍者関係者に関わることさえ嫌なのである。
お春は姐さんの、千秋の胸ぐらを掴む腕を捻り上げた。
「消えろ。」
「ぶっ殺してやる!があああああ」
お春がアームロックを極めると、姐さんは苦悶の表情を浮かべた。
流石に、このままだとこの女性は踏んだり蹴ったりだろうな、と思い、解放してあげた。
悶絶しながら地面を転がる姐さんを見つつ、お春は疑問を抱いた。
この女は嫌いだが、一般人のヤクザがどうしてこうも忍杯に心酔してるのか?
もしかして厄介なメンタリティの持ち主なのだろうか?だとしたら灯油の撒かれた室内で煙草に火をつける知能も納得出来よう。
忍道会の部下達が姐さんに駆け寄った。
「姐さん、忍杯の親分が射殺されました。」
「はっ?何だって…?ぶっ殺してやる!」
なんて血気盛んな奴だ。
本当にこのままだと埒があかないので、姐さんには悪いが逃走を選択することにした。
「小娘共ーっ!こっちへ来い!!殺してやる!」
「落ち着いて下さい姐さん。西大寺千秋、今のうちに早く逃げろ。」
忍道会の部下達に促され、千秋とお春、そして冬次叔父さんと偶々行き合った不審者の四人は燃え盛る事務所を後にした。
代わりにこの後消防や警察が来るだろう。
その時、千秋達がいれば色々不都合なのだろう。そう思った。
何せ、警察と結託していた忍杯が死んでいるのだ。
「待てーっ!どうせ事務所を燃やしに来てた奴らもテメーらの仲間だろうが!!」
「…?」
「追いかけてやるぞ!!探し出して全員ぶっ殺してやる!!何なんだあいつら畜生共ーっ!」
「行くぞ。」
姐さんの発言を疑問に思い、足を止めたお春に千秋が声をかける。
すごく気になるが、確かに今は身を隠す方が賢明かもしれない。
何せパトカーのサイレンがそこまで迫っているのだ。
「早く行け。お前達が警察に捕まったら西日本が本当に終わっちまう。」
「ああ、うん。」
その場を退散した一同は叔父さんの自宅に戻ることにした。
十分後。
叔父さんの家も火事になっていた。
「何だこれは…一体誰が…」
「千秋。今中に入るわけにはいかない。兎に角逃げるんだ。」
叔父さんの家には揺らめく五つの影が見えたが、なんか関わると面倒なので千秋は見なかった事にした。
行くあての無い一同が途方に暮れていると、道路を渡ろうとしていた最中、携帯に電話が掛かってきた。
電話の主は政府の黒奉行所の長官だった。
「もしもし、西大寺千秋さんですね!私は黒奉行所の長官です!
今、大変な事になってるんです。今すぐ会えませんか!!」
「えええ、ええ。はい。」
「では打ち合わせ場所を指定しましょう!黒奉行所本部や貴方の身辺の住居では、何者かに特定される恐れがある。」
「ではどうすれば。」
「私の指定する場所に来てください!幸い、私の個人的な歓談スペースを確保しています。」
「分かりました。」
こうして一同は戦場センタービルという駅直結のショッピングモールへ向かう事になった。
戦場センタービルとは、地下鉄の駅間を結ぶ幹線道路の真下に築かれた、かつての実業家達の牙城である。
その歴史は古く、1970年代まで遡ることができる。各種ファッション類や飲食店が立ち並び、特別統制区域にあって尚繁栄に陰りを見せない。
しかし、この地域の常と言うべきか、商品の驚くべき安さには矢張り不安感が付きまとい、嫌な予感が常時漂うのもまた事実である。
出店店舗の中にはかなり胡乱な場所もあり、千秋達が会合の場所に指定されたのも、『全日本不審者協議会本部』という場所だった。
「お待ちしておりましたよ。西大寺千秋さん。宝蔵院お春さん。私は黒奉行所の長官にして全日本不審者協議会認定第005号、
太乃と名乗った政府の役人は紺スーツ姿に青いネクタイ、七三分けに黒眼鏡を掛けた、真面目な役人とも真面目に変態とも付かない、曖昧な格好をしていた。
「そうか。俺は全日本不審者協議会認定第107号、十津川勇蔵(36)だ。」
「ほう、貴方が有名な十津川殿ですね。ですが私も一番台ナンバーとして負けてられませんよ。」
十津川勇蔵と太乃長官が火花を散らす傍には、見知った人物がノートパソコンを弄っていた。
「久しぶりだねお春殿。今は内閣特殊諜報局の局長を務めている、薬師博士だよ。全日本不審者協議会の認定ナンバーは213号さ。」
薬師博士とは、かつて千秋を苛烈な任務に追いやるために、非道な人体実験の下、サイボーグに改造してしまった組織の一員である。
「薬師博士!政府の高官みたいな人が二人もいるんですね。」
「積もる話は後にしましょう。まずはこちらへ。」
太乃長官は薄暗いネット喫茶の個室のような場所に一同を案内した。
「まずは状況確認といきましょうか。」
長官は個室内に設置されたテレビを付けた。
「これを見てください。」
テレビには空中で座禅を組みながらバレーボールを頭突きするオッサンが写った。
「ご覧ください!私は今、
「何これ。」
「普段はイルカのショーが見られるこのプールですが、現在は謎のテロリスト一名が空中浮遊しながら座禅を組んでおり、仲間と思われる者が他にも…キャアアッ!」
「ああうん…」
太乃長官は沈黙してチャンネルを変えた。
テレビにはニュースキャスターが写った。
「…ええ。このようにイルカショーを狙ったテロは現在も続いている状況で、
今、
「はーい!今、私は
「たっ高田さーん!?高田さん!?うわああああ」
「うん…」
千秋とお春が唸るような声を振り絞ると、太乃長官は震える手でチャンネルを変えた。
「緊急事態です。イルカショーに来ている皆さんは落ち着いて行動して下さい。…あっ!中継が繋がりました!中継の片桐さーん!うわっ」
中継には全身が金属化して光り輝く片桐さんと思しき男性が映し出された。
「人類ヨ、我々と同化スルノダ。」
「あっ中継先を間違えたみたいですね。現在、死者は警察や消防関係者を含め累計十数名に及んでいる模様で…」
「おお…」
太乃長官は泣きながらテレビの電源を切った。
「見ましたか…?お春殿…千秋さん…この惨劇を…?」
「はい…見ました…」
太乃長官は強く拳を握り、血が滲んでいた。薬師博士は黙って俯いていた。
「今見た場所だけではない。
「はい…」
「それだけではない。一体いくつのイルカショーが占拠されたのか分からない。我々も目下調査中です。」
「ええ…」
「どう考えても我々の失態です。」
「えっ」
「今朝…電話した通り、旧総理官邸から出土した井戸…その内部は野菜王国になっていました。」
「野菜王国というと、式神で構成された幻惑の舞台ですね。」
野菜王国。総理の権限すら超える、独自の暴走を遂げた陰陽組が作り出した、架空の式神王国である。
あの旧総理官邸自体、成り立ちはかなり古い。野菜王国と繋がっていても、おかしくはないのだが。
「あの地下自体、京の陰陽師が蝕むキツネの巣のようなものです。ですが、内部の構造はあまりに複雑で…調査部隊は大半が未だ戻らず…」
「うわ…」
「現地の野菜国民の話で、驚くべきものが見つかりました。」
「…?」
「古代ローマ様式の建物です。」
「…は?」
「詳細は現在調査中ですが、野菜王国は相当に"日本的ではない"文化であり、言語もギリシャ語、ペルシャ語、中国語等々地域によって多岐に渡るようで、現地人によると、そもそもそういった区域は野菜王国の領地ではない、とのこと。」
「…?」
「おそらく、井戸の世界自体、陰陽組が代々世間に出したくなかった事実を隠匿する為の幻術の筈です。
そして、更に重大な事実が…宝物庫のうち、リストに記載される物品が五つ、消えていたそうです。」
「ん…?」
「防犯カメラの映像では、宝物庫から立ち去る五つの影が映っています。我々政府は、今回の西日本全土を巻き込んだイルカショージャックの犯人が、この五人であると断定します。」
「…」
太乃長官は泣きながら土下座した。
「本当に申し訳ない!こんな馬鹿なことに君たちを巻き込んで申し訳ないと思っている!
だが、謎のテロリスト達を止めるには、今はお春殿と千秋さんしかいないんだ!政府内部も混乱する現状だ。どうか手伝って欲しい!」
「いや…あの、違うんです。」
お春は冷や汗とかが止まらなかった。
千秋は持っていたディスクを、個室の機材で再生し始めた。
そのディスクは、死の直前に忍杯が千秋に託した光るディスクである。
「これは…?」
ディスクには前総理、松平信成が映し出された。
「御機嫌よう、忍杯くん。これを君が見ているということは、私は既にこの世にいないのだろう。このメッセージは私の死後一週間以内に、君の事務所に自動的に届けられる。」
「はあ…」
千秋はため息をついた。
「良いか、忍杯くん。私は一般人を巻き込む君のやり方は嫌いだ。だが、今回に限っては特別だ。日本そのものがピンチなのだ。」
「あぁ…」
太乃長官や薬師博士は「えっ何これ?」といった風情でテレビ画面を見つめている。
千秋とお春、そして冬次叔父さんと十津川は沈痛な面持ちで正座した。
「私が死ねば、我が総理官邸に施された封印が解けるだろう。そうすれば、通称『キツネ穴』から無数の厄災が解き放たれる。」
「そういうことかよ…」
「具体的には、歴代の陰陽師達が封印した歴史の裏の暗躍者達に掛けられた幻術が解け、現代に蘇った"彼ら"が活動を始める。」
「なんなんだよ…」
「例えばビザンツ帝国の軍人などが含まれる。なぜあんな者がこの国にいるのか、全く不明だが、彼らは"国"を築こうとするだろう。」
「…」
「忍杯くん。国際問題なのだよ。もし、現代に蘇ったビザンツ人が故郷へ戻り、帝国の再建を測ってみろ。あの土地は今、トルコ民族の打ち立てた全く異なる国だ。世界がピンチなのだ。分かるだろう。」
「…」
「しかも厄介なことに、先代達の中に、彼らに忍術を教え込み、部隊として活用しようとした者がいたようでな。彼らの強さは一筋縄ではない。甲賀組すら凌駕すると思う。」
「…」
「そこで忍杯くん。君の力が必要だ。忍杯戦争を起こし、彼らを招待するのだ。そして、一箇所に集め、一般人に被害の出ないように隔離し、自滅を図るのだ。
ついては君に『キツネ穴』の財宝を好きなだけやろう…」
「…」
「これは重大な世界平和の為の任務だ。そして、この遂行には実行役として西大寺千秋という人間を推薦する。
俺とてあの一般人を巻き込むのは忍びないが、被害は最小限にしなければならない。それに、彼女の立場は今回にうってつけの…」
「…」
千秋はディスクの再生を途中で止めた。
「はぁ〜あ。」
千秋は大きくため息をついた。
お春もため息をついた。
全員が千秋とお春に注目した。
「本当にっ一般人に迷惑をかけて、マジですみませんでした〜〜!!」
二人は泣きながら土下座した。
つづく
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