第五話

 西大寺千秋と宝蔵院お春に明確な違いがあるとすれば両者の鍛え方である。

 この一年間、西大寺千秋が護身用に肉体を徹底的に鍛えなおしたのに対して、宝蔵院お春は殺人用に武を練りなおした。


 護身用の殺人術を鍛えた西大寺千秋はカウンター技を基本としており、あらゆる状況を想定した戦い方を常に心がけている。


 一方、殺人用の殺人術を修めんとする宝蔵院お春は、実際に殺す覚悟を決めることが容易ではない。


 故に、両者の戦闘は、結果的に「一生歯向かってこないようにする」か「二度とまともな生活を送れないようにする」という同じ行為に行き着きがちだ。


 まさに今回がそうだ。


 要するに、二人とも戦闘能力はどう高く見積もっても、喧嘩の強い一般人程度だ。

 元々一般人なのだから、当たり前と言える。


 しかも、鍛錬を重ねても未だ約一年。

 考えてみれば、尋常ならざる修行を積んだ忍者連中はおろか、自動小銃を所持した危険な連中にすら、勝てる見込みは無い筈だ。


 にも関わらず、宝蔵院お春と西大寺千秋が忍道会の危険なヤクザな伊達男達相手に大立ち回りを演じられたのは、まあ半分くらいは当人達の実力のお陰だが、もう半分は忍道会に殺意が無かったからに他ならない。


「ねえ…なんで抵抗するの。儂らそこまでの事やってへんやん。」

「人に喧嘩売っといて泣き言言ってんじゃねえよ。」


 忍道会の組長、今回の件の中心人物であり、原因である忍杯はお春と千秋の必死の抵抗に合い、事務所の勢力を半壊させられたうえに灯油を撒かれるという憂き目に遭っていた。

 この場は喧嘩両成敗という事になり、このまま事務所で話し合うのも何なので、一同は近所のハンバーガー屋で落ち着くことにしたのだ。


 店内には今、お春と千秋、冬次叔父さん、忍杯、忍道会の三人の部下、そして警察官がいた。

 件の不審者は隣のテーブルでチーズバーガーを10個くらい食べていた。


「儂はただ千秋ちゃんに話があっただけや。」

「人の名前を気安く呼ぶな。」


 西大寺千秋は明らかに怒りに満ちていた。

 忍道会の組長。忍杯は忍杯戦争を引き起こした張本人、甲賀、伊賀、根来の三忍が結託して作り出した装置でありながら、独自の意思を持ち、ヤクザとなっているのだ。


 厄介といえば、これ以上なく厄介な存在だ。

 昨年の事もある。あの総理の関係者ならば、相手にして良い理由など何一つ無い。


「さっさと要件を言って消えろ。」

「じゃあそうさせてもらおうかい。」


 忍杯は内ポケットから一巻の忍法帖を取り出した。


「これが今回の忍杯戦争の参加リストや。西大寺千秋、お前も参加するんや。これは前総理の遺言でもあるんやで。」


 来た。

 やはり、そういうことだった。


 意図はまだ分からないが、連中は再び、私たちを戦いの渦中へと放り込むのだと、千秋とお春は悟った。


「ふざけるなよ。私はただの一般人だ。松平総理も、もう居ない。私を貴様らの世界へ縛り付ける者はもう居ないんだ。」

「それがそうも行かんのや。」


 昨年の折、甲賀忍者に拉致された西大寺千秋は、松平前総理と謁見させられ、偶々拉致されたというだけで、超常的な不可能任務を背負わされる羽目になった。

 そんな総理ももうこの世には居ない。

 一般人の千秋が忍者連中に付き合う義理は無いのである。


 千秋が忍杯と受け答えする傍ら、お春はどのタイミングで忍杯を抹殺するか見計らっていた。

 だが、そう簡単には行かない。


 千秋とお春がテーブルを挟んだ向かい、忍杯の傍らには、直立不動する三人の部下と、千秋達をここまで連れてきた警察官がいるからだ。


 三人の部下は先ほどの自動小銃を装備していた忍道会のヤクザとは比較にならない程に研鑽された雰囲気を醸し出していた。

 おそらくこの三人は直属の忍者なのだろう。


 そうこう見ているうちに、忍杯は警察官に目配せした。刑事だ。

 刑事は頷くと、後ろに手を回し、千秋とお春を見た。


「先ほどは重ね重ねの無礼、まことに失礼した。私は此度の忍杯戦争を監督する警視庁の景清と申す者。岡持刑事(デカ)と呼んで欲しい。」


 岡持刑事(デカ)はテーブルの周りをぐるぐると回り始めた。


「本来風紀を取り締まる筈の警察がなんで忍杯に協力してるの。」

「その理由は簡単だ。忍杯戦争は己の願いを叶えんとする狂人達の大規模な破壊行為。だが、戦いの真の褒賞は山田風太郎の絶版本となることは、実は我々警察と忍杯しか知らない。」


「それが余りにも厄介なんだよ。叔父さんを巻き込んでんじゃ無い。」

「知れた事よ。我々警察とて、山田風太郎の絶版本には是非とも興味がある。実は警視庁は山田風太郎ファンクラブが構成員の過半数を占めるほどの忍法帖マニアだらけなのだ。」


 千秋は明治維新を起こしたくなった維新志士達の高い志を心から理解できたと思った。


 お春は今なら気持ちだけでアメリカ独立宣言の全文を暗唱できると確信した。


「山田風太郎の絶版本欲しさに私たち一般人を巻き込むと言うなら、こっちにも用意があるぞ。」

「待て待て。戦いで全てを解決するなど余りにも無粋。まだ話を聞いた方が君達のためにもなろう。」


 岡持刑事の言葉には引っかかる点があった。

 まるで、話を聞かないと後悔するぞ、といわんばかりの口振りだ。


「君達も暗黒世界の武芸者達を厳しく取り締まる、裏社会の法については知っていよう。」

「暗黒律とホワイト律か。」


 暗黒律とは、忍者達の間で大規模な争いが起こる場合、その勝敗条件を定めた古代の秘密法である。

 そして、ホワイト律とは、暗黒律による一般人への被害を抑える為、初代内閣総理大臣伊藤博文が秘密裏に定めた忍者の管理法である。


 要するに暗黒律とホワイト律合わせて、忍者の争いを現代的な情報戦の形へ落とし込む為の措置なのだ。


 積極的に一般人を戦いに巻き込む事を、政府はあまり良しとしなかったのである。


「忍杯戦争もまた暗黒律とホワイト律、二つの法に従い執り行われる。だが、忍杯戦争の舞台は西日本全土を巻き込む戦いとなる。」

「どういうつもりだ。」


「戦いをあくまで表社会での紛争とする為だ。しかし、忍者は裏世界の専門家であり、表社会での戦いには疎い。故に、腕に覚えのある一般人を代わりに戦わせる必要がある。」

「いやっそれって一般人巻き込んでませんかね。」


「忍者は裏社会で戦う。そして、忍者は一般人同士を戦わせ、勝敗を決するのだ。」

「だから巻き込んでんじゃねーか!!?」


 千秋が叫ぶと、忍杯は持っていた忍法帖を開いた。

 忍法帖は白紙だった。


「安心せい。忍者は一般人を殺さへん。あくまで一般人同士が殺しあうだけや。

 そして、忍杯戦争に参加する忍者は、この巻物で嫌がる一般人と無理やり契約して従わせる事ができるんや。便利やろ。」

「巻き込んでんじゃねーかあああああ!?」


 千秋の叫びを無視して、忍杯は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。


「ほら、お前は今からこの女に成りすまして忍杯戦争に参加するんや。」

「ねえ、さっきから話聞いてる!?」


「まあ聞きや。お前は確かに一般人やけど、かつて忍者やったという経歴がある。せやから、実はお前は忍杯戦争には一般人としては参加出来ひん、他の忍者が無理やり従わせようと思ても、資格は無いわけや。」

「えっそうなんだ。」


 成る程。

 忍者は一般人と無理やり契約する事ができるが、忍杯の認識では千秋もお春も一般人では無い。

 故に、巻物の力でも従わせる事は出来ないというわけか。


「周りからは一般人に見えるけど、実は忍者なんて奴。そんな奴は他におらん。

 せやからお前が一般人の他人のフリをして、忍者に付き従った演技をするんや。おもろいやろ。」

「なんで私がそんな事しなきゃいけないんだ。」


「金の為や!忍杯戦争はなあ、大規模な争いが多発する!それで今回は、各勢力をできるだけ一箇所に閉じ込めて争わせようと思たんや!経済損失を一箇所に集中させる!

 せやけども、それには状況をうまくコントロールする裏方が必要不可欠や!」

「それで私に、無理難題を押し付けようってか。」


 論外だ。

 手伝ってやる義理など一つも無い。

 早くこいつを破壊して世の中に平和をもたらさないと。


「それになあ、これは死んだ松平総理たっての願いでもあるんや。」

「松平…総理が?」


「せや。忍者が一般人を無理やり従わせて殺し合うなんか、そんなことあいつが認めるわけ無いやろ。せやからもしもの時の為に、総理が嬢ちゃんのことを紹介してくれたんや。」


 千秋が何か言おうとした時だ。

 口を挟んだのは、それまで黙って見ていた冬次叔父さんだった。


「さっき、忍者を一箇所に集めて戦わせるって、言いましたよね。」

「…それがどうしたんや?」


「じゃあ、各勢力を戦わせずに、うまく騙して別々の場所に、隔離するなんてのはどうですか?」

「ほう。オモロイな、自分。」


 忍杯は冷たい目で叔父さんを見た。


「せやけどなあ、それはもうやってんねん。今んところ、各参加に伝えてるのバァッッッッ」


 忍杯の口から突然血が噴き出したのは、突然の事だった。


「えっ…?なんや…これ?」

「あっっっ」


 忍杯が胸に手を当てると、掌は真っ赤になっていた。

 胸には風穴が空いていたのだ。


 下手人は今さっき店内に入ってきた、拳銃を持ったチンピラだった。


「よおよおよお!忍道会の組長さんよぉ!最近デカイ顔しちゃってえ、俺たち広域ヤクザ有門組に断りも無しによお!」

「カッッッッ!!カチコミじゃあい!!!」


 忍杯はヤクザの抗争に巻き込まれたのだ。これは仁義なき世界に生きる男には何時降りかかってもおかしく無い出来事だった。


「そのタマ貰ったぁーーーー!!」

「がああああ」


 有門組の鉄砲玉が放った銃弾は全弾、忍杯の心臓に命中した。忍杯は血を吐いて倒れた。


「何しとんねんッッッ!早よあの鉄砲玉始末せんかい!!相手は弾尽きとんねんで!!」


 岡持刑事が関西弁で恫喝すると、忍道会の部下達は両手で印を結んだ。


「忍法ッッッ」


 だが、部下達が何か言い終わる前に、有門組の鉄砲玉は懐から新しい拳銃を出して、岡持刑事を撃った。

 この意外な対応に、岡持刑事は額に銃弾が命中して即死した。


「アッッッッ警察の兄貴ィ!」

「早く鉄砲玉をブチ殺すんやー!」


 あまりに混乱した状況では、更に何が起こってもおかしく無いものである。

 店内の窓ガラスを破って現れたのは、黒衣を身に纏った五人の忍者だった。


「我らは野菜王国より参った。胡姫禁中宴の祭器達。故あってお主の命を頂戴仕る。どうだ、突然のことで驚いたろう。」

「あっすみません。忍杯さん、今殺されちゃったんです。」


 千秋が丁寧に対応すると、謎の乱入者達は申し訳なさそうに頭を下げた。


「あっそうなんですね。忙しいところ申し訳ありませんでした。あれですね。初対面なので名刺を交換しましょう。」

「あっいえ、こちらこそ。なんかよくわかんないけど頑張ってください。」


 謎の五人組は千秋に名刺を渡すと、ドアから出て行った。

 とりあえず持て余したお春は忍道会の部下を怒鳴った。


「何してんねん!鉄砲玉を早よ捕まえんかい!」

「ああっそうや!鉄砲玉ー!」


 部下達はなんとか有門組の鉄砲玉を返り討ちにした。

 それにしても先程の謎の五人組は何者だったのだろうか。


 嵐のような事態が過ぎ去った後、千秋とお春は忍杯に駆け寄った。


「ちょっと、死ぬにはまだ色々説明不足だよ。」

「あ…あ…」


 忍杯はまだ辛うじて意識があった。


「儂は…儂は忍杯やぞ…儂がこんなところで…」

「死ぬ前に色々重要なこと喋って。」


「閉じ込める…場所を…忍杯戦争の参加者を…閉じ込める…場所を…考えやな…」

「えっ…」


 まだ…考えてなかったんだ。

 じゃあ、このまま忍杯が死んでしまうと、忍杯戦争の参加者は日本各地でルール無用の戦いをしてしまう可能性がある。

 それはかなりヤバイ。


「儂の…最後の力で…今回のルール変更を….参加者達に通達するさかい…お前が…決めろ…」

「えっ」


 キャスティングボードが、委ねられてしまった。

 千秋はお春の顔を見た。

 お春は頷いた。


「安全な場所…人が死なないルール…分散…」

「早く…」


 千秋はお春の顔を見た。

 お春は頷いた。

 多分こいつ、何も思いついてない。


「どうしよう…いっイルカショーとか…?西日本の…」

「えっそれはなんで…?」


「えっいや、イルカショーって楽しそうだし…一番上手いイルカの真似した人が勝ちみたいな…」

「良し…後悔するなよ…」


 これは千秋がかなり混乱していた為だが、結果的には被害が最小限に留められたと言える。

 忍杯が最後の力で人差し指をこめかみに当て、何らかの念話を行った。


「あと…これを…やろう…」

「ああっやっぱ待って!」


 千秋は訂正しようとしたが、遅かった。

 忍杯は事切れた。


 その日、忍杯戦争に命を賭ける者達に、忍杯からのFAXが届いた。


 時を同じくして、西日本各地のイルカショーが謎のテロリスト集団に占拠されるという事態が起き、連日ニュースで取り上げられる事になった。


 その裏では、突然の無理あるルール変更に、憤りの無い怒りを何処かへぶつけようとする忍者達の大きな感情の畝りが生まれた。


 千秋の決断は一般人への被害を最小限に食い止めた。

 だが、これら複合的な要因は確実に、西大寺千秋を最悪の状況へと追い込んでゆくのだ。

つづく

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