第四話
かつての古。平安時代の貴族、小野篁は不思議な井戸を通して毎晩あの世とこの世を行き来していたという。
彼は昼は朝廷、夜は冥府にて閻魔大王に仕える二重スパイだった。
これは後世に伝わっているように、当時の一部の人々には知れ渡っていた。
では何故、二重スパイなどという暴挙が京の内裏でまかり通ったのか。
それは彼が閻魔大王とのコネクションを上手く用いて、急死した朝廷の有力者を蘇生させていた畏怖に由来する。
要するに、朝廷の有力者の息の根を一瞬のうちに止める体術が、小野篁にはあったと考えるのが、ここは道理だろう。
伝承によれば小野篁の身長は180センチをゆうに超えていたとされ、これはつまり6フィート以上はゆうに超えていたと思われる。
身長をゆうに超えることは、栄養を得る機会の少ない古代、中世に於いて非常に重要だからだ。
隠岐に流された不遇の時代も、毎晩水泳と徒歩で京までゆうに舞い戻り、井戸を通してゆうに冥府へ赴いていたと思われる。
ならば日中において高層マンションの壁を伝って室内への侵入を果たしたこの男は、現代における小野篁だとでもいうのか。
今、宝蔵院お春の目の前には不審者がいた。
果たして男が借りようとしているトイレは、現代における六道の井戸だとでもいうのか。
それは分からないが、自宅にいたら通りすがりの不審者にトイレを貸してくれとか言われた冬次叔父さんは、見るからに困惑していた。
「馬鹿な。人のウチに勝手に上がりこんどいて、一般人なんて信じられるかよ。どうせ忍道会の刺客とかだろ。」
「いや、マジで忍道会とか知りませんから。私はごく普通の一般人ですよ。」
「なら自分がただの不審者だという証拠を出せ。」
叔父さんの言い分は最もである。と、宝蔵院お春は思った。
社会では己の存在を担保するのは確たる信念などではなく、他者からの保証であるのはいつの世も変わらない。
お春殿や冬次叔父さんだけではない。西大寺千秋もまた困惑していた。
当然である。
よく考えれば、他者からの保証が無いことの証明など、悪魔の証明に他ならないではないか。
「フヒヒッ!あっこれ、全日本不審者協議会の認定書です。」
「マジでッ!?」
西大寺千秋と宝蔵院お春は同時に驚いた。
その驚きぶりはまるで双子のようである。
さて、不審者が懐から出した物は一枚のカードだった。
カードには『全日本不審者協議会認定第107号 十津川勇蔵(36)』と書かれていた。
不審者はやはりただの不審者だったのだ。
「ふざけるなッ!お前なんか通報してやる。」
「待ってくれ。俺はマンションの壁を登るのに疲れたのでトイレ休憩したいだけなんだ。」
「ここはまだ二階だぞ!このクソ忙しい時に不審者ぶりやがって!」
「なんで初対面の人間に怒鳴るんだ!もっと慈愛の心で接してくれよおおお!」
5秒で不審者を成敗した叔父さんは警察に連絡した。
警察の対応は早く、電話をかけてから10分もすればパトカーが駆けつけてしまった。
「へい!出前一丁あがり!」
「待ってましたよ、警察の方々。」
警察官は岡持を抱えていた。出前キャンペーンの最中だったのだ。
これは犯人へのカムフラージュ効果と付近の住民への安全性の担保を兼ね備えていた。
宝蔵院お春と西大寺千秋は唖然として事態の行く末を見ていた。
「びっくりしたかい?実は特別統制区では警察官の自由な仕事柄が評価されるんだ。」
「えっああ、はい。」
警察官は岡持から取り出した蕎麦を啜り出した。
「やっぱり仕事中に人様のお家で食べる出前蕎麦は最高だぜ。」
そう、警察官は変態だったのだ。
しかも警察官が着ているのは制服ではなくスーツ。つまり、この警察官は一般職員ではなく、刑事なのである。
「ではこの男は署へ連行します。あなた方も事情聴取に応じて頂きましょう。」
刑事の申し出にはわりと困った。
当然だ。千秋もお春も忙しい。
先ほどかかってきた、知らない番号の電話にはまだ出られてない。
忍道会の連中とも話を付けなければならない。
そして、これらの問題を解決するには錦城高校の教頭連中に頼るのがもっとも手っ取り早いと思われる。
代償は大きいだろうが、背に腹は代えられない。
「どうしました?ついて来て下さらないのですか?」
「…うーん。実は一時間後にどうしても外せない約束がありまして。その後でも良いですか?」
お春が提案すると、警察官は千秋とお春を見た。
「安心して下さい。ちょっとそこの事務所で簡単な書類を提出して頂くだけですので、そんなに時間は掛かりませんよ。」
そこまで言われて断る理由を挙げるのは難しい。叔父さんも警察官相手には比較的ソワソワしているようだ。
拳銃を隠し持ってるのだから、当然といえば当然である。
「大丈夫。10分も掛かりませんよ。」
「じゃあ分かりました。」
こうしてお春殿と千秋、そして叔父さんは警察署へパトカーで同行することになった。
とはいえ、貴重な時間を無駄にするわけにもいかない。
そう思った時、千秋の携帯に再び電話が掛かってきた。
「また知らない番号からだ。」
「良いですよ。パトカーの中で電話して頂いても。急がれているのでしょう?」
警察官は意外に優しかった。
パトカーにはまず先ほどの不審者を詰め込み、お春殿が入り、電話をしながら千秋が入った。
そこで、パトカーの収容人数は満員になった。
「あれっ叔父さんが入るスペースがない。」
「ご安心下さい。冬次さんは事務所に来なくても構いませんので。ああ、電話はそのまま。」
運転席の警察官が何かボタンを操作すると、冬次叔父さんが入る前に、パトカーのドアが閉まった。
「あっ」
「電話の相手は私も気になりますので。」
そしてパトカーはサイレンを鳴らしながら急発進したのだ。
忍道会の事務所へと。
「しまった!!警察と忍道会はグルか!」
「ええっ!?何これ、出して!」
背後に見えるのは遠く離れ、視界から小さくなってゆく叔父さん。お春と千秋はまんまと拉致されたのだ。
「ふざけるなッ!出しやがれー!!」
「おらっ!舐めてんじゃねえっ」
宝蔵院お春は叔父さんからくすねた拳銃を迷いなく警察官に発砲した。そうしないと、おそらくもっと酷い目に合うからだ。
だが、警察官は腰に帯びていた刀を抜刀すると、神速の如き速さで弾丸を切り裂いてしまった。
お春も千秋も、何が起こったのか理解できなかった。
「生身の人間に戻った女子高生如きの銃弾でこの景清様を私を傷付けられると思うなよ痛っ」
切り裂かれ二つになった弾丸は警察官の肩と胸に命中した。
「痛ええええ」
「ざまあみやがれ!クソ野郎!」
痛がる警察官は不審者に頭を殴られ気絶した。
運転手の気絶したパトカーは電柱に激突して停止した。
そして、千秋は先ほど掛かってきた携帯電話の相手にようやく応対することができた。
「もしもしっ!こちらは問題が片付いたから何喋っても良いよ!」
「どうやら厄介な事に巻き込まれているご様子。」
電話の相手は紳士的な口調だった。
「誰だよテメー。私たちは今大ピンチだから手短に頼む。」
「言ってることが矛盾してますね。私は政府の人間です。」
「政府だとお、かなりロクでもないな。」
「その通り。あなたも知る内閣特殊諜報局の人間です。
私は内閣特殊諜報局捜査室黒奉行所の長官です。」
内閣特殊諜報局捜査室黒奉行所
…内閣に属する特殊諜報局の捜査室に連なる黒奉行所と呼ばれる組織。特殊諜報局は主に甲賀組や伊賀組などの忍者組織を統括する部門だが、捜査室は主に超常的忍法的な人物や物質を監視、場合によっては保護する事を目的に設立された部門である。
中でも黒奉行所は江戸幕府秘密組織に端を発しており、科学では解決不可能な神秘的事物の専門と言われる。
「成る程な。その忍法組織のお方が何のようですかね。」
「私は今、電子組の薬師博士の代理で電話しています。盗聴の可能性もある。どちらにしろ、手短に話させてもらいますよ。」
黒奉行所の長官は至って冷静だった。
「あなたに課せられた、先の任務で陰陽組が壊滅したことは覚えてられるでしょう。」
「思い出したくもないな。」
「陰陽組の作り出した式神、野菜王国に繋がる井戸が発見されました。」
「えっ」
「井戸には封印が貼られていましたが、陰陽組の壊滅後、結界は破られました。
野菜王国の住民達が世に解き放たれたようです。」
千秋は電話を切った。
今の状況と関係のある、重要な話とは思えなかったからだ。
それ以外に、車の周りに自動小銃を構えた重装ヤクザが複数待ち構えていたからでもある。
「姐さん、警察官がお目見えですぜ。」
「なんだい、なんだい。運転手は血塗れじゃないか。」
ヤクザ集団の中から出てきたのは、黒スーツを纏った女性だった。
「なんで忍杯様はこんな小娘が欲しいんだろうねえ。」
この後、千秋とお春と不審者は全力で抵抗したが、肋骨を折られるなどして大人しくなった。
所詮、生身に戻った肉体では限界があったのだ。
だが、不審者の大立ち回りは、ヤクザの集団の半分を壊滅させる程であり、ヤクザから逃げおおせたのは彼一人だけだった。
姐さんとか呼ばれてた人も不審者に前歯を引き抜かれ敗走した。
ヤクザから逃げられ無かった千秋とお春は忍道会の事務所に警官共々しょっ引かれた。
「小娘達。私の前歯の礼は高くつくよ。」
事務所の中で、全然知らない姐さんに因縁を付けられた二人は、今にも自害したくなるような絶望感の中、姐さんの顔面をグーで殴るくらいしかできなかった。
その後、10分ほどイザコザがあったが、姐さんの右腕を折ったり、筋肉バスターを炸裂させるくらいしか出来ず、手錠で縛られたお春と千秋は泣きながら忍道会の組長に謁見させられたし、お春は頰とかメッチャ引っかかれて凄い痛くて泣いてた。
千秋は人を殴り過ぎてメチャメチャ腫れた両拳を見て、護身術を身につけておいて本当に良かったと打ち震え感動の涙が止まらなかった。
「良う来たな嬢ちゃん達。儂が忍道会の組長、忍杯様や。」
忍杯と名乗った聖遺物はハゲで筋肉がムキムキで、全裸で魔法少女ステッキを持って、全身には10年以上続いている魔法少女アニメシリーズの最新作の萌えキャラの刺青が彫られていた。
そして口には麻薬を加えていた。
あまりの畏怖に、お春と千秋の心は抵抗を諦めた。
心は抵抗を諦めたが、肉体は抵抗を諦めておらず、この後5分くらい忍杯としばき合い、駆けつけた不審者と冬次叔父さんも加わって魔法少女ステッキを真っ二つにへし折り、事務所に灯油を撒こうとしたところでようやく話し合いの空気になったのだった。
つづく
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