第三話

 忍杯。

 聖杯伝説を基に作られた、どんな山田風太郎絶版本でも与える、万能の力を持った願望器。

 

 甲賀。伊賀。根来。相対する三つの忍者が結託し、作り出された。


 忍杯を獲得するための戦いを、俗に忍杯戦争という。


 ここまでの話を冬次叔父さんの口から聞いて、宝蔵院お春は冷や汗が止まらなかった。


「絶対嘘だ。」

「僕も仕事で関わらなかったら信じなかったよ。」


 宝蔵院お春は隣の西大寺千秋に目を遣った。西大寺千秋も冷や汗が止まらなかった。


「忍者とはかなりロクでも無いね。私も一回だけ忍者に拉致されたことあるけど。」

「えっ!?」


 千秋がさらりと言うと、叔父さんは驚愕して千秋を見た。そしてお春殿に目を移した。

 叔父さんはしばらくお春殿を見て、再び千秋を見た。


「…あっマジでっ!?」

「多分どういうことかだけは察したと思うけど、そういうことだよ。」


「…」


 叔父さんは指を交差させ俯き長考した。


「詳しくは割愛するけど、忍者はかなりロクでも無い人種だから、全面的に信用しない方向で行った方がいいと思うよ。」

「うん…」


 西大寺千秋は昨年に甲賀忍者に拉致され、政府の不可能任務を押し付けられた経緯がある。

 当時、まだ右も左もわからない生娘だった千秋は、非道な人体実験を受けて増加し、宝蔵院お春と別れた。


 流石に、ご近所や親戚に「今日から二人に増えたのでよろしくお願いします」などとは言えないので、敢えて周囲には積極的に喧伝してるわけではない。

 ゆえに、叔父さんも寝耳に水だったろう。


「まさか千秋が広域指定ヤクザ忍道会に関わっていたとは…」

「ちょっと叔父さん、何それ、知らないよ私、そんなの。」


 叔父さんは絶望した表情でお春殿に励ましの視線を送った。


「叔父さん?忍道会ってなに?ヤクザって何?私が巻き込まれたのは甲賀組っていう連中だよ。全然ヤクザじゃないよ。なんでヤクザが絡んでくるの。」

「いや、甲賀組ってどう考えてもヤクザにしか聞こえないよ。」


 甲賀組とはヤクザではなく、千秋が昨年むりやり所属させられた内閣直属の忍法組織だ。激しい戦いを経て、現在は壊滅している。


「話を戻そう?叔父さん。だんだん分からなくなってきたよ。まず忍杯って何?」


 お春殿はことここに至って、状況を整理する必要があることを確信した。

 片割れの西大寺千秋は他人事のようにお菓子を頬張っている。人は緊張すれば、むしろ飲食物に手が出るという。ついには饅頭の包みまで開け始めていた。


 忍杯が忍者達の作り出した物質ならば、政府が関わっているのだろうか?

 つまり、政府直属の忍法組織達と深い関わりを持っている物体なのだろうか?


 もし忍杯が旧政府の忍法組織が遺した遺物だとしたら、これはお春殿や千秋の案件だ。

 命を賭けることだけは絶対に避けなくてはならない。


「僕も詳しいわけではないけど、忍杯っていうのは…そうだね。同好の士が集まって、聖杯伝説を再現しようぜ、っていう目的のもと、始めたものらしいんだ。」

「その人達って多分オタクとかじゃない?」


 この時点でお春殿と千秋は政府はあまり関係ないであろうことを確信した。


「手にする者に山田風太郎の絶版本を与える力を持った万能の願望器。

だけど、実際に作り出された忍杯はただ一人のみの願いしか叶えられなかった。

 しかも近年は忍杯自身の意思により、コスト削減の名目で善良な一般企業に業務委託しているんだ。」

「ねえ、さっきから業務委託って何なの。」


 お春殿は頭を抱えた。


 まず、忍杯がどんな願いでも叶える力を持ってるが、手に持つ者に対しては、山田風太郎の絶版本を与えるという形でしか奇跡の一端を示さないことは辛うじて理解できた。


 いや、山田風太郎の絶版本を与えることしか無いんだったら、全然人の願い叶えて無いじゃん、という気持ちはぐっと堪えた。


 だが、だったら業務委託すんなよ。

 せめて忍杯が自分でやれよ。

 ていうか忍杯の意思って何よ。


「まあ、それはアレさ。忍杯が奇跡の力の一端を以って法人を設立し、我が社に山田風太郎の絶版本を復刊する努力をするように、仕事を押し付けるわけさ。」

「いや、忍杯は何やってるの。自分で出来るんならそうしろよ。」


「忍杯に願いを託す者は、例外なく何かに縋らなければならない程の大望を抱いた者達だ。

 だが、願う者が実現方法を思いつかない願いを、忍杯が叶えることなど、不可能というわけさ。」

「いや、そんなの詐欺じゃん。」


 宝蔵院お春は西大寺千秋を指差した。

 それを見て、西大寺千秋もまた宝蔵院お春を指差した。


「見て、叔父さん。下手に忍者に関わった結果がこれだよ。このままじゃ叔父さん家族もどうなるか分かったものじゃないよ。」

「ええっああ…うん。」


 叔父さんはお茶を一口飲むと、窓を開けた。


「関わらなければ、それが一番良いんだけどね。困ったことに、忍杯がそれを許さないんだよ。」

「えっどういうこと?」


「言っただろう。忍杯には意思がある。先の忍杯戦争で、忍杯は汚染された。そして極道に堕ちたんだ。」

「えっ」


「今、この特別統制区を支配しているのは、忍杯が組長に就任している広域指定ヤクザ忍道会なのさ。」

「えっあっそうなんだ。」


 お春は理解を諦めた。

 千秋はスマホを弄ると、画像をお春に見せた。


「こいつじゃない?」


 そこには恰幅の良い、ハゲの、サングラスをかけた派手なスーツのオッサンが写っていた。


「どう見てもただのおっさんだけど。」

「だいぶヤバイ人物みたいだよ。」


 叔父さんは二人を見ると、窓を閉めた。


「ヤバイなんてもんじゃない…あいつは常に僕を監視してる。本当は二人をここに連れてくるのも乗り気ではないんだが…済まないね、こちらの都合で。」

「そんなことないよ。どうしても行きたいって言ったのはこっちだもん。」


 お春が会話をする傍ら、千秋はスマホで近所のカレーの店の評価を調べていた。

 そうかと思えば、ふと千秋は喋りだした。


「ていうか叔父さん。真冬を錦城高校に入学させるのって牽制の為なの?」

「まあ、そんなところさ。僕も各方面の大体の力関係くらいは把握している。僕としても、ただで殺られるわけにはいかないからな。」


 叔父さんは懐から拳銃を取り出した。


「いざという時にはこいつが守ってくれるさ。」

「おっおお。」


 お春は叔父さんの悲壮な覚悟を痛感した。

 忍者に関わるのがどういうことか、叔父さんは大人だからわかってるのだ。

 銃刀法違反のことは考えないことにした。


「忍杯戦争を勝ち抜いた忍者は本気で自分の願いを叶えたいと願っている。それが山田風太郎の絶版本しか手に入らないと分かれば、おそらく僕は八つ当たりで殺されるだろう。

 だが、そんなもののために死んでやるつもりはない。」

「でも流石に叔父さん。これは危ないので没収します。」


 唐突に千秋が立ち上がると、叔父さんの拳銃をあっさり奪った。そして、お春に手渡した。

 お春は拳銃を懐にしまい込んだ。


「何をするんだ。最近はそれがないと安心して眠れないんだ。」

「この手のことは経験者に任せてよ。私たちもタダで殺られる玉じゃないよ。」


 今日、叔父さんと会って分かったことがある。

 叔父さんは娘を危険な高校に入学させ、忍者と関わるという失態をすでに犯している。

 それは悪手に次ぐ悪手だ。


 私立錦城高校。やはり叔父さんの情報網にも引っかかるようだが、事実は想像を遥かに超える。

 錦城高校を支配する魔物達は、甲賀組が長年戦ってきた最恐最悪の連中だ。


 そんな伏魔殿に従姉妹の真冬を入学させてしまった日には、どうなるか分かったものではない。


 お春は千秋を見た。千秋はポテチを食べながら頷いた。

 こいつお菓子食べすぎだろ。


「お春殿、ここは決断を迫られているようだな。」

「うん。とりあえず四教頭に連絡を取ってみようか。」


 千秋がスマホをお春殿に投げてよこすと、お春殿は電話帳の四教頭にタップしようとした。


 その時だ。頃合いを見計らったかのように、携帯の電話が鳴った。

 真っ先に反応したのは西大寺千秋だ。


「お春殿、誰からだ。」

「知らない番号からだ。」


 お春が電話に出ようとすると、部屋のチャイムが鳴った。

 西大寺千秋は勝手にインターホンの訪問者に応答した。


「誰だ。」

「俺は忍杯の使いだ。西大寺千秋に用があってやって来た。」


「西大寺千秋は私だ。」

「そうか。俺は岡寺だ。忍杯様より要件を仰せつかっている。

 西大寺千秋、忍道会の事務所に来てもらおう。」


 その瞬間、部屋全体を凶悪な殺気が包んだ。

 千秋は窓を振り向いた。

 するとそこには、般若面を被った忍者装束の男が直立していたのだ。


 明らかに、忍道会の者の訪問が般若面の出現を招いているようだ。

 極道の襲来という異常事態に、これまで潜んでいた怪しい者が、可及的速やかに正体を現したとしか考えられない。

 般若面は何者なのか、人差し指を口元で立たせた。

 黙れということか。


「どうした?西大寺千秋。」

「いや、こちらの都合だ。だが、私は一般人だから絶対に行きたくない。」


「行かねば後悔するぞ。前総理たっての願いだ。」

「えっ」


 西大寺千秋はインターホンの相手に応対しつつ、背後の般若面にも気を使わねばならなかった。

 般若面の男は明らかに一般人ではなかった。その殺気はまるで邪魔するもの全ての首を凪ぐほどの勢いだ。


「少し時間をくれ。」

「ならば一時間後に事務所に来なければお前の命は無いぞ。忍杯戦争は既に始まってるんだ。」


 要件だけ伝えると、忍道会の岡寺は帰ってしまった。

 とんでも無いことに巻き込まれてしまったものだ。


 さて、危機が去ったかと言えば、そうでは無い。

 背後にはまだ謎の般若面が控えている。


「お、お前は誰だ!!」


 冬次叔父さんは取り乱して尋ねる。

 叔父さんに呼応するかのように、般若面の男は面を取ると、そこには如何にも不審者然とした顔つきの男がニヤニヤしながら廊下の奥を指差していた。


「いや、自分はただの通りすがりのビルとか素手で登るのが好きな一般人だけど。ごめん、トイレ貸してくれない?あっ通報しないでマジで。」


 ただの不審者だった。


つづく

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