第二話

 宝蔵院お春は、西大寺千秋の立ち振る舞いに考えさせられることが多々ある。

 もしや自分まで頭が悪いのでは、と思うことは今や日常である。


 そういった自覚は十代の多感な時期に不釣り合いなほど現実的だった。


 西大寺千秋が宝蔵院お春の未熟さを露呈させるのか。


 或いは両者の立ち位置は交互に入れ替わっているのかもしれない。

 誰しも、傍に鏡を通した自分自身を見れば、冷静になってしまうものである。


「お春殿。言っておきたいことがあるんだ。」


 叔父さんの住むマンションの部屋のチャイムを鳴らそうとしたとした時だ。

 唐突に、西大寺千秋が切り出した。


「どうした。」


 一体、この大事なタイミングで、何を言おうというのか。

 宝蔵院お春は西大寺千秋が非道な人体実験を受けた余波で生まれたもう一人の西大寺千秋である。だが、お春であっても、千秋の突発的な思いつきを察することは出来なかった。


 自分は思いつきで話をするからな。

 この瞬間、宝蔵院お春は今また反省した。


「お春殿が私の机の引き出しに隠してた秘密ノートについてなんだが。」

「待ってくれ。」


 待って欲しい。だが、待ってくれるような生易しい人間ではなかった。


「人間誰しも隠したいことの一つや二つはあると思う。元はと言えば、お春殿は私自身だ。

 だが、自分の新しい呼び名のアイデアについてノートにしたためるのはどうかと思うぞ。」

「いや待ってくれ千秋殿。これって今しないといけない話か?」


「お春殿がお春殿という名前をそんなに気に入ってないとは私も自覚が無かった事は謝ろう。お春殿も西大寺千秋だが、周囲との区別をつけないといけないのは辛い立場だな。」

「ねえ待って。その話もう良いから叔父さんの所へ行こう。」


「でも西大寺春日って名前はわりと良いと思ったから。叔父さんに名乗るならそっちでも良いんじゃないかと思っただけ。」

「アレは読み方が"ハルヒ"になるのが嫌だったから…」


 西大寺春日とは、宝蔵院お春が西大寺千秋との名前の区別をつける為に、必要上迫られた新名の候補の一つである。

 とはいえ、なんかカッコつけてるみたいで嫌なので、誰にも打ち明けず、一人でこっそり秘密のノートに記して、闇に葬ったという経緯がある。


「…なあ、お春殿。」

「今度はどうした。」


 やはり自分はアホなのだろうか。

 だとすれば西大寺千秋もアホということになり、それはそれでまあ良いのではないかと思う。


「お春殿、冬次叔父さんって一般人だよな。」

「…忍者の抗争とかには巻き込まれてないだろうね。」


 西大寺冬次。食堂経営を経て、10年以上前に商社勤務に転職。その後の経歴は知らない。

 不明な部分は多いが、忍者に関わっていそうとは、とても思えない。


「忍者の抗争に巻き込まれるとロクな事がないよな。」

「私たちが良い例だな。それがどうした。」


「お春殿、私たちが二人でくる必要、無かったんじゃないか…?」

「えっ…それ言うの?」


 誘ってきたのは千秋の方だ。

 宝蔵院お春は悪くない。


「いやっ、何も知らない一般人の叔父さんが、可愛がってた姪っ子が二人に増えてるの見たら、ビックリするだろうなって。今思ったの。」

「サ、サプライズみたいなもんだよ。きっと喜んでくれるって!!」


 嫌に心配性な一面を見せる千秋を、慣れない適当な励まし方をしたお春殿だった。

 このお春殿の全身全霊の行為に、千秋は眉毛を八の字に曲げ、「えっ…そんな奴おるわけ無いやん。何言っとんこいつ…?アホちゃうか…?」みたいなことを言いたそうな顔をした。


「えっ…?あっああ、うん。そうだね。」

「おいっ!早くチャイムを鳴らすぞ!!ボケが!!」


 恥ずかしさとかをごまかすため、半ギレでチャイムを押すお春殿。

 その時、ふと気付いた。

 この西大寺千秋、自分がチャイム押して応対するの恥ずかしいから策を練りやがったな、と。

 十代の慣れない人と話すの苦手な気恥ずかしさかよ。


「もしもしッ!叔父さん!私です!宝蔵院お春です!」

「えっ誰!?」


「あっ間違えた。西大寺千秋です。」

「ねえ誰!?宝蔵院お春って何!?」


 勢い余って叔父さんに通じない名前を名乗ってしまった。

 インターホンの向こうから戸惑いの声が聞こえてくる。


「西大寺千秋ですッ!今度は間違いありません!叔父さん!私です!西大寺千秋です!

 平成生まれの16歳ッ!父親の名前は西大寺冬彦!母親の旧姓は宝蔵院千晴!

 高校は私立錦城高校!あなたの姪っ子、西大寺千秋です!」

「あっああ、ああああ、うん。これは千秋だ。千秋なら入って。」


 良しッ!信頼を得られた!

 じゃあ元気よく叔父さんの家に入ろう!

 『大ピンチレベル3』号室にッ!!


「待って、お春殿。」

「今度は何。」


 お春殿を呼び止めたのは千秋殿だ。

 千秋殿は嫌に真顔だった。


「叔父さんが入って良いって言ったのは、西大寺千秋だから、ここはまず私が入るべきなんだと思う。」

「えっああああ、おう。」


 こうして宝蔵院お春は西大寺千秋にレディファーストを譲ったのだった。

 西大寺千秋が室内へ入ると、どうしたら良いかわからない宝蔵院お春は、とりあえずもう一度チャイムを鳴らした。


「もしもしッ!叔父さん!私です!宝蔵院お春です!」

「だから誰なんだよ!?」


「宝蔵院お春ですッ!私は宝蔵院お春です!叔父さん!私です!宝蔵院お春です!

 平成生まれの16歳ッ!父親の名前は西大寺冬彦!母親の旧姓は宝蔵院千晴!

 高校は私立錦城高校!あなたの姪っ子だった宝蔵院お春です!」

「知らねーよ!?」


「いやっ、あのっ!掻い摘んで説明するとですね!西大寺千秋が名前が変わって、宝蔵院お春になったんですよ!」

「名前が変わるって何!?宝蔵院って何!?兄さん離婚したの!?じゃあ今俺の部屋に入ってきた西大寺千秋は誰!?」


「全ては部屋の中で説明しましょう。さあ私を部屋に入れて下さい。」

「怖えーよ!知らない人は中に入れたくねーよ!!」


 10分後。


 必死の説得もあり、宝蔵院お春はようやく『大ピンチレベル3』号室に入ることを許されたのだった。


「久しぶりだねぇ。」

「ええああはい。お久しぶりです。」


 テーブルを挟んで椅子に座る叔父さんの顔は記憶より歳相応に渋みを増していた。目付きが父より鋭くも、その奥に優しさを湛えている。


 そして、いくらか疲れて痩せていると予想していたが、むしろ顔付きは精悍になっているほどだった。


 叔父さんは黒いソファに座るお春を見つめた。


「しばらく見たいうちに大きくなったね。とりあえずお茶を出そうか。」

「そんな、結構です。」


「言葉遣いも大人になったねえ。もう10年ぶりになるのか。最後に会った時から。ビリヤードはまだやってるか?」

「今では偶にしかやりませんけど、やる時はガッポリ稼がせて貰ってますよ。」


 お春の隣で、千秋がお茶を飲みながら答えた。


「…そ、そうか。高校は何部に入ってる?錦城高校は裏カジノ部があるんだろ?」

「古代貨幣研究部という部活です。」


「古代貨幣研究部って何だろう。」

「古代の貨幣の数を数えたりする部活ですね。文化祭では舞台に上がったりもする楽しい部活ですよ。友達のおかげで部費も荒稼ぎしました。」


 裏カジノ部って何だろう…?

 そんなの聞いたこと無いけど、叔父さんは詳しいからな。


「毎日楽しそうですよ。私も羨ましい限りです。」


 お春の隣で、お茶をおかわりしながら千秋が答えた。


「えっ…そうなんだ。勉強は上手くいってる?」

「私より賢いですよ。やっぱり環境は人を変えますよね。」


 お春の隣で、お茶を飲みつつ、勝手にテーブルの上に積まれていた小説本を読みながら、千秋が答えた。


「あっああ…そうなんだ。その本面白いだろ?有名な作家さんなんだよ。」

「へえ、そうなんだ。こういうのが叔父さんの趣味なの?」


 千秋が話をぶった切って聞いた。

 テーブルの上に積まれているのは、単行本や小説本の類だ。些か古風な雰囲気を醸し出している。

 しかし、中には漫画本も含まれているようだ。


「いや、仕事だよ。このオフィスは僕の個人的な仕事場でね。

 ああ、さっきから気になってたと思うんだけど、妻と真冬はここには居ないんだ。」

「あっそうなんですね。じゃあやっぱり真冬は実家の方に居るんですか?」


「実はそれなんだけど、今は妻と娘と別居中でね。僕はほぼこのオフィスで寝泊まりしてるんだ。」

「えっ」


「ああ!そんな悲観的なことでは無いよ。ほら、最近はこの辺は物騒だからね。統制区と呼ばれるくらいだからね。騒ぎが収まった今でも、二人には安全な場所にいて貰ってるわけさ。」

「そうなんですね。やっぱりこの辺って物騒なんだ。」


 やはり叔父さんは叔父さんだ。

 環境が変わっても、何も変わっていない。

 心優しい叔父さんだ。


「出来れば僕も実家に移りたいけどね。

 今の会社の関係で、動けないんだ。

 ああ、前の仕事はだいぶ前に退職してね。今は別の会社の企画部で働いてるのさ。」

「その企画部の仕事で小説本を読むんですか?」


「ああ、そんな所さ。『人の願いを叶える』ってのが我が社のウリの一つだからね。」

「そのキャッチコピーって結構有名な広報関係の会社ですよね。」


「ははは、千秋は願いが叶うならどんなことを願うんだい?」

「誰かに願いを託す内はロクな事にならないですね。」


「私もお春殿の意見に同意だ。状況が悪ければ誰も助けてくれない。」


 お春の隣で、煎餅を齧りながら千秋が言った。


「うん。僕もそう思う。」


 叔父さんも頷いた。

 みんな大人だった。


 叔父さんは物思いに耽るように、口元で指を交差させた。


「でもさ、何でも願いを叶えてくれる存在がいたら…何かを願う弱い奴らってのはわりと居るものさ。

 丁度今、勉強しているフィクションがそういう内容でね。」

「良くありますよね、そういう漫画とか小説。

 そういうのって、大抵は誰か一人の願いしか叶えませんよね。」


「そういうのは、願いを叶える為の行為に熱中してるだけだ。」


 叔父さんは真面目に語った。叔父さんって、仕事の為ならフィクションに熱中するくらい真面目なんだ。

 裏社会じゃなくても、大変なものは大変なのだ。


「万能の願望器ってヤツですね。何でも願いを叶えるなんて都合が良いですよね。」

「ああ、まさにそうだ。実際は数々の作業が無関係の人々に押し付けられるになる。誰か一人の無茶を押し通す為だけにな。

 残念ながら人の思いって奴には力がある。お金を動かす力がね。」


「なんか仕事大変そうですね、叔父さん。」

「万能の願望器…さっきも言ったけど、叔父さんは欲しく無いなあ。

 何でも願いを叶える奴って、信用できないよ。」


 叔父さんは虚空を見つめていた。或いはそれはテーブルの上に山積みになった本類を見ていたのかもしれない。

 そして、叔父さんはふと零したのだ。


「実は実在する万能の願望器さんがうちの課に業務委託していてね。」

「えっ」


「詳しくは言えないけど、バトルロワイヤルを勝ち残った、たった一人の忍者の心からの願いを、山田風太郎先生の忍法帖シリーズの絶版本を与えるという形で上手く納得して貰わないといといけないんだ。いや無理だろ。」

「ごめん、叔父さん。もう一回言って?」


 地獄の行軍スタート。

 つづく。

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