第一話
四月まで程遠い三月中旬の寒風が吹く季節である。
現在は特別統制区B4と呼ばれる、関西の一地域にも未だ春は訪れていなかった。
かつては西の首都と自称していたこの地域の、今はどこも閑散として寂しげな路地が張り巡る中、地下鉄の出口から出てきたのは二筋の黒い影である。
風来坊かと思えば、それは二人の女子学生だ。
行政の崩壊した世紀末都市に似つかわしくない、ブレザーの制服にロングコートを纏った二人は、髪の長さこそ違えど、顔は瓜二つだった。
「本当にこんな所に叔父さんが居るのか。」
呟いた女子学生は髪を三つ編みにし眼鏡をかけている。名を西大寺千秋という。
昨年、数ヶ月間に渡って非道な人体実験を受け続けた千秋の視力は著しく低下し、このような眼鏡っ子になってしまった。
「最初に叔父さんの所に行くって言ったのはそっちだろ。」
千秋の言葉に反応したのはもう一人の、割合短髪な少女だ。眼鏡もかけていない。
比べてみれば眼鏡の方よりは世間に小慣れた印象を受ける。
しかし、それはいつどちらが入れ替わってもおかしくなかった。
この短髪の少女、名を西大寺千秋という。
眼鏡の少女の名も西大寺千秋という。
短髪と眼鏡、両名ともに西大寺千秋という名前だ。
二人は同一人物だったが、非道な人体実験を受けた余波で西大寺千秋は増えてしまった。
当然だが、一人の人間が二人になるには生活上の負担も増える。
まず必要になったのは名前の呼び分けであり、複数案上がったが上手くまとまらなかった。
結局、眼鏡の方がこれまで通り西大寺千秋と名乗り、もう一人の短髪が宝蔵院お春と偽名を名乗ることになった。
余談だが、その代わり外見の区別を付ける為に髪を伸ばして眼鏡をかけたのは西大寺千秋の方だ。
期せずして自分を客観的に見つめる機会を得た二人だが、お互いに「こいつはもしかしてアホだったのか」と思い知らされることが割合良くある。
お互いに、もしや自分もこんな喋り方なのかと反省した次第である。
「叔父を止めるぞと、千秋がいきなり言い出した時は説明力の低さに頭がクラクラした。」
「お春殿の語彙が少ないとは私も良く思っているぞ。」
お春と千秋はだいたい同じことを考えていた。
さて、その宝蔵院お春と西大寺千秋は揃って叔父の元を訪ねた訳だが、二人共足取りはプロフェッショナルのように研ぎ澄まされていた。
見栄えするビル群は彼方の妄想、立ち並ぶのは何一つ風情のないコンクリートの塊である。
二人は錦城高校に入学する従姉妹を善意から留年させるべく、隣県を訪れた。
中途半端に四角い通りが連なる一角の中から、大変汚く広い路地を見つける。
千秋曰く、その最中に建つマンションの一室に、叔父が住むそうだ。
「住むそうだ、ってなんで伝聞みたいに言うの。」
宝蔵院お春は西大寺千秋の自信のない口ぶりに内心驚いた。
だが、対する千秋はお春のことをアホを見る目で見つめ返すのである。
「知ってるだろ。叔父の住んでる所が十年前と違うゆえだ。」
「何故武士のような口振りなのでござるか。」
お春は絶望した。
最近気付いてしまった事だが、どうやら二人とも困った時は武士のような口振りになってごまかす癖があるらしい。
これはお春と千秋両名に共通しており、最近まで忍者に良いようにこき使われていた事が原因だと思う。
とはいえ、武士口調である事を除けば千秋の言わんとしてる事は即時に理解できた。
そもそも、市営地下鉄が走るからには叔父の家は千秋とは隣の都道府県にあたる。
高校生にとって、わざわざ用事もないのに隣県を訪れる機会は少ない。
必然的に、十年間も会ってなかった親戚の事情を得られる機会もごく限られよう。
人数が増えてしまったとはいえ、西大寺千秋と宝蔵院お春は昨年度までは共通した記憶を有している。
振り返れば、かつて叔父が住んでいたのは一軒家だった。
十年前までは何度か訪れる機会もあった、ごくごく普通の、当時としては新築の部類に入るであろう、府内の一軒家だ。
さらに元を正せば、そこは若い頃千秋の父が住んでいた一軒家でもある。千秋自身も二歳まで住んでいた。
「なんで、叔父は思い出深い筈の家から狭そうなマンションに越したんだろうな。」
「その意図は?」
同じ質問を返さないで欲しいし、そんなもの全然わからない。
皆目見当がつかないので、当たり前の事をさも難しい解説をしているかのように答えるしかない。
「叔父は父の弟で、つまり、冬次は冬彦の弟だ。」
「成る程な。ナチュラルボーンディザスターである西大寺冬彦とは違い、叔父の冬次は品行方正で真面目な人間だ。」
「母も、父は叔父に借りがあるから頭が上がらない、とよく説明していたな。」
まるで賢ぶってるアホ同士の会話に聞こえるが、実際その通りなのでどうしようもない。
とはいえ確認する事自体は大事なことなので仕方ない。
「察するに、父の尻拭いが叔父の役目だったわけだ。」
「ああ。出掛ける直前に、父も言っていただろ。」
あいつは俺より頭が良いから、会社員になれたんだ。とは父の言だ。
「我が家はわりとその恩恵に預かっているところが大きい、だったか。」
「お前は知らないだろうけど、と頭に付け加えてたな。」
玄関前でそんなことを言われた時は、成る程と思うと同時に、父が他人を褒めるという出来事に内心驚いたのは態度に出ないようにした。
「でも、お父さん言ってたよね?叔父さんの力になってくれよ、って。
具体的にどう力になれば良いわけ?」
父の発言には、出掛ける前にでも若干の疑問符を抱いくべきだったかも知れない。ていうか抱いた。
「いや、流石に考えすぎだろ。叔父さん出来る人だし。」
そうこう身の上話をしているうちに、ふと西大寺千秋は足を止めた。
「多分あそこのマンションだ。」
千秋が指さした先はマンション名がコーポ『たすけて』と書かれていた。
「都会のマンションというのは小さいな。」
お春は言いたいことを言わず、当たり障りないことを言った。おそらく言わなくても言いたいことは千秋に伝わってるからだ。
「…入るか。」
「待てお春殿。ここからは根本的な問題として、マンションのオートロックを解除せねば、ロビーより先に進むことが出来ない。」
やはり自分達は頭が良くなかったのだろうか。否、マンション名に漂う邪気がそうさせているのだ、とお春は自分を無理矢理納得させた。
事実、緊張感のない遣り取りとは裏腹に、二人は自然に殺意を身に纏って警戒を始めていた。
「知っているぞ千秋殿。一軒家に住んでいると触れる機会が少ないが、大抵のマンションはロビーに備え付けられたインターホンから部屋番号を呼び出し、居住者と連絡を取ることが可能でござろう。」
要するにはロビーで叔父を呼び出さねば、部屋に入ることができない。
嗚呼、このままでは叔父の元へ辿り着けない、と、お春が思っていると、千秋は我得たりといった顔でお春を見た。
「叔父の部屋番号は何号室だったか。そう言えば予め聞くのを忘れていた。」
「本当に大丈夫なのか。」
お春が本気で心配すると千秋は携帯を取り出した。
なんでこいつまだガラケーなんだ。
「安心して欲しい。こんな時のため、父が備忘用にメールで部屋番号を書いて送ってくれている筈だ。」
「流石は父。娘がうっかり叔父の部屋番号を知らないことすら把握するとは。」
危うく部屋番号が分からず一旦家に帰るところだった。
だがこれで道は示された。
「千秋よ、メールの文面を見てみよう。」
「部屋番号は表札に『大ピンチレベル3』と書かれているよ^_^」
…成る程。3号室か。
3号室とは風情のある番号だ。千秋も好きな数字は3だ。なので3号室は大好きだ。
「何階の3号室だろうか。」
「見ろお春殿。インターホンのボタンに部屋番号が書かれているぞ。」
インターホンのボタンには
『大ピンチレベル1』『大ピンチレベル2』『大ピンチレベル3』『手遅れ』
の四つのボタンだけがあった。他のボタンは不自然に削り取られていた。
「まずはレベル1だな。」
「ああ。」
千秋が『レベル1』のボタンを押すと、男の震えるようなダミ声が聞こえてきた。
「ヤベェよ…マジヤベェよ…」
「あっ間違えました。」
千秋は通信を切った。
その後全パターンを試してみたが、『レベル2』では笑い声と救いを求める単調な苦痛の悲鳴だけが聞こえるだけで、『手遅れ』に至っては何も応答がない始末だった。
叔父と連絡が取れたのはやっと『レベル3』のボタンを押した時だ。
「こんにちはー。叔父さんいますかー?」
「お、千秋か?」
お春がすかさず呼びかけると、返事があった。
叔父の声だ。
声色から大人の余裕が感じられる。
「おぉー千秋か。久しぶりだなあ。とりあえず上がれ。おーおー。」
陽気かつ渋い声質を感じると同時に、ドアのオートロックが解除された。
10年経っても変わらない、優しい叔父の声だった。
「今すぐ叔父さんを助けないと。」
「ヤベェよ…これ絶対マジヤベェよ…」
千秋とお春は固く心に誓い、『大ピンチレベル3』へと向かった。
つづく
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