第二章 ユウキ
1
わたしは仕方なくボクと名乗る。ユイと知り合ったとき、わたしの一人称がボクだったから。だから、わたしがボクだと知っているのはユイだけだ。もちろん、わたしがボクと言っているのを知っている人は他にもいるけれど、ボクとわたしが結びついていないはずだ。
わたしがユイと知り合ったのは、インターネットの掲示板だ。わたしが書いた文章にユイがメールで返信をくれた。最初は驚いた。あんな廃墟のような掲示板に書いた文章に、誰かがコメントしてくれるなんて思ってもいなかったから。
それからメールだけのやり取りが続いた。
「会って、ユウキを確かめたい」
わたしは迷った。会ってしまったら、わたしとユイの関係なんてすぐに壊れてしまうと思ったから。だから、わたしはユイに秘密にしていたことをメールに書いた。
秘密のはずだったけど、ユイはそれに気がついていた。だから、ユイは会いたいと言ってくれたのだ。
わたしは迷った。けれど、わたしの発信にただ一人気がついてくれたのがユイだ。わたしはユイを愛している。ユイになら殺されてもいいと思っている。だから、決心したんだ。
「
我に返る。
「うん。これからちょっと行くところがあるから」
「また例の?」
「違うよ」
「だめだよ、自分を安く売っちゃ」
「売ってないって」
「大体分かってないんだよね、あいつら。わたしたちの価値って百万は下らないわけじゃない。それを二万くらいで安売りするなんてさ」
「売ってないって」
「ならいいんだけどさ」
わたしは隣を向く。
「わたしは心配なのだよ、結城ちゃん、君のことがとーってもね」
「大丈夫だよ。もう増えてないでしょ、キズ」
「困ったことがあったら何でも相談するのだよ」
「いつも繋がらないじゃん」
「それはほれ、あの時でしょ。電波が届かないのだからしょうがない」
「それじゃ相談できないよ」
「あら、何か困ってるの?」
「そうじゃないけどさ」
そう答えたときには岬はすでにまたわたしの隣に座っていた。
「さあさあ、岬お姉さんに言ってごらん」
「自分のが背が高いからって」
「だって、結城って妹みたいなんだもん」
「それ屈辱なんだけど」
「ちゃんと食べないからだよ」
「別に困ってることもないし。これから行くとこあるから」
わたしは立ち上がった。
「いやー、怒らないで。いやー、待ってよー。もう、ほら、電話。困ったら電話よー」
声が少しずつ遠くなる。わたしがそのまま教室を出たからだ。
岬と出会ったのは、今年になってから。講義の多くが偶然被っていたせいもある。わたしは、極力一人でいたかったのだけど、彼女のパーソナルスペースはかなり狭かった。ずかずかと土足で上がりこんで来て、こちらの拒否も届かなかった。それで、いつの間にか親しくなってしまった。歳が同じだったのも原因だろう。
わたしは二年浪人してこの大学に入ったのだが、岬は二年留学していたそうだ。何でもポジティブなのが彼女の長所なのだろう。わたしとは何もかも正反対だ。おかしなことだ。けれどわたしは、彼女もわたしと同じところに傷があることを知っている。
外に出る。学生の数はすでに少ない。四限まで講義に出ている学生は少ない。遠くから響いてくる声はスポーツ系のサークルのものだろう。二年間何もやっていなかった体には縁遠いものだ。茶道や華道ならやってもいいと思うが、サークルに入ろうとまで思わない。
開け放たれた門から校外に出ると、後ろから呼び止められた。振り返ると男が二人。丸い顔に丸い眼鏡の男と、そのやや後ろに体格のいい男、無精ひげが気持ち悪い。サークルの勧誘かとも思ったが、そぐわない。いや、なぜか教授でもないのに歳がやたらに高い学生もいる。その類だろうか。
わたしは無視することを決めると、また歩き出した。
「ああ、ちょっと、待ってくださいよ。ほら、これ、怪しいものじゃないんですよ」
後ろで何かを見せているようだが、わたしは相手にしない。
「見てもくれないし。いやいや、待ってください。それじゃあこれで止まってください、ユウキさん」
わたしは立ち止まる。
「間違いありませんよね、
「誰ですか?」
「わたし、
「知りません。ストーカー?」
「捜査一課で、ただいま
「新聞は読みません。誰ですか、佐々木って」
わたしは胸が激しく打つのを悟られないようにして歩き出した。
「ああ、それは困った。全くご存じないとなると、少し説明をしなければなりません。お急ぎですか?」
「急いでます」
「それでも、そうですね、あそこのお店に入りましょう。雰囲気もよさそうですし」
日比野は道路わきにある小さな店を指した。あまりはやっていない。地下鉄の延長工事の影響で、道のあちこちに通行止めがあるせいだろう。この道沿いの店の入れ替わりは激しい。別にどんな店であろうが学生には関係がないことだが。わたしはもう一度、急いでるんですと言った。
「急がば回れともいいます。もしあなたが、
わたしは仕方なく足を止める。だが、足は震えている。
「このままでは前田さんが容疑者として逮捕されてしまいます」
「あなたがするんでしょ」
「どうぞ、こちらのお店に」
わたしはため息をついた。
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