日曜日の通夜にわたしは顔を出した。会社の人間としてしかるべき行為だ。焼香を済ませて式場から出ると、日比野ひびのが待っていた。彼はわたしに気がつくと軽く手を振り、どうもどうもと声をかけてきた。

「こんばんは」

 わたしは小声で挨拶を返した。

「お仕事ですか?」

「そりゃま、仕事です」

「まだ捕まらないのですか?」

「残念ながら、なかなか人間関係の薄い人間だったようでして。家にまで呼ぶ人はほとんどいなかったみたいなんですな」

「副部長は?」

「副部長?」

東村山ひがしむらやま副部長です」

「仕事の間だけの関係のようですよ。ほら、あなたが彼の家を知らないのと同じ程度の関係です。およそそうです」

 日比野は首を振る。

「およそなら、知っていた人もいるのですね」

 日比野はもう一度首を振る。いない、という意味なのか。それとも、教えないという意味なのか。

「管理人は見てないのですか?」

「ああ、あれは難しい。あなたの顔でさえ覚えてないくらいだ。それに、いつもあそこにいるわけじゃない。管理人に気づかれずにあそこを通るのは容易い」

「当夜のことも?」

「あいまいなことこの上ない。一人で帰ってきたかもしれないし、誰かと一緒だったかもしれない。今更どちらかだといわれても、信じられない」

「何時ごろ帰ったのですか?」

「そんなことまで知りたいのですか?」

「教えてください」

「では、場所を変えましょう。ここはよくない」

 わたしは頷くと、日比野に連れられてタクシーに乗った。そのまま、駅の近く喫茶店に入る。あの日、わたしと部長が入った駅前の喫茶店だ。

「ここは覚えておいででしょう」

 わたしは日比野を睨む。

「まあまあ、深い意味はありません」

「話を続けます。彼が帰ったのは何時ごろですか?」

「もちろん、その答えはシンプルに返せます。ですが、ここは交換といきましょう」

 わたしは顔を傾ける。

「あの日、あなたが部屋に行ったとき、ドアに何か挟まっていませんでしたか?」

 わたしはコーヒーを頼んだ。

「いいえ、ありませんでした。何かと言われても難しい質問です。もしかしたら挟まっていたかもしれませんが、気がつきませんでした」

「広告です。まあ、アダルトビデオの、ね」

 わたしは思い出す。

「ありました」

「やはり。どうしてすぐに教えてくれなかったのですか?」

「そんなこと忘れていました。そのすぐ後に、あれを発見したこともありますし」

「まあおかげで時間が絞れます。それはどこにありますか?」

「……わたしの部屋にあります」

「彼が帰ったのは夜九時半前です。あそこにチラシが挟まれたのは、およそ九時半ごろでしたから。どうしてあれを盗んだのですか?」

「盗んだわけじゃありません。誰のものでもないし」

「まあそうですね。ですが、若い女性が見るようなものではない」

「買う気もありません。タイトルが面白かっただけです」

「あなたの嗜好にあったものがなかっただけでしょう。あれば買った。違いますか?」

「分かりません」

 けれど、その通りだ。

「次の質問です。殺されたのは何時ごろですか?」

「先ほどの件を踏まえますと、9時半より少し前、ということになります。二人で帰ってきたのか分かりませんが、その時点で犯行は完了していた」

「部長が会社を出たのは何時ごろですか?」

「次はこちらの質問です。あなたの嗜好を教えてください」

「意地悪言わないでください」

「証言として、聞いておきたいのです。あなたの行為の証拠にもなる」

「自分の証言が証拠になるのならします」

「本部はあなたを疑っている。尾行もついています。ご存知でしょう。ですがわたしは、犯人は別にいると信じています。その可能性がわたしの中であがります」

「わたしの嗜好を知っている人間は、この世にわずかしかいません。ですが、わたしは決して誰にも教えません。関係性は薄くしておいたほうがいいと考えます」

「あなたが金曜日にバーに行っているあいだに、あなたの部屋を訪れた人がいます。その人は知っていますか?」

「深く追求しないでください」

「それは約束できません」

「あなたもわたしと寝ますか。そうすれば、わたしの嗜好が理解できると思います」

「お断りします。わたしはまだ死にたくありません」

「部長が会社を出たのは何時ごろですか?」

「七時ごろです」

「では家に帰るまでにかなり時間があるのですね」

「バーに行っていました、ご存知でしょう。そこで二時間ほど飲んでいたようです。目撃者も多く間違いありません。バーを出て、そこからまっすぐ帰ったとして、およそ二十分かかります」

「おかしいです」

「いいえ、ここまでは事実です」

 わたしの頭の中は疑問があふれている。だとしたら、は何だったというのだろう?

「わたしがアパートへ行ったとき、鍵は閉まっていた」

「ええ、そう伺っていますし、それは真実でしょう」

「鍵は、中に落ちていた」

「何か気になることがありますか?」

「いいえ、特にありません」

 日比野は肩をすくめた。わたしはコーヒーを飲み終えた。




 部屋に帰ると、わたしはシャワーも浴びずにベッドに倒れこんだ。

 疑惑が、渦を巻く。

 あの時、。そのことを私は日比野に伝えなかった。

 そしてあのメモ……。

 だとしたら……。

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