「ここなら、管理室のモニターに監視されないようにできている。証明終了。あなたが、幽霊の正体であり、本を放置した犯人ですね」

「いきなりレディーの部屋に入ってきて、それ?」

 ……。

「明りはないのですか?」

「直に慣れる。わたしにはお前の顔がよく見えているよ。怯えているようだが、まさか怖いのか?」

 ……。

「お前の個性までは分からぬが、私はお前を高く評価しておる。甲斐雪人よ」

「どうして僕の名を?」

「私がお前を推薦したからだ」

 少しずつ目が慣れてくる。

「一日目にここまで到達してくれることを望んだがな、さすがに少し高望みをしすぎたか。だが、一週間以内にここを発見し、私のところまで来たのであれば、ぎりぎり合格ではあるかな」

「何を!」

「怒ることではない。褒めているのだ」

 殴りかかってもよかったが、声のトーンに幼さが残っている。ハスキーで、少年のようにも思えるが、ようやく見えるようになったシルエットは、まぎれもなく少女のものだ。ベッドの端に、こちらに足をおろして座っている。ふわりとした服はゴシックな雰囲気で、モノトーンに見える彼女の姿全体が、まるで西欧の人形のようだ。芹沢雅せりさわみやびが日本人形だとしたら、彼女はビスクドールか、あるいはより現代的な球体人形だ。

「それにもう時間を過ぎた。お前は今宵ここに泊まるしかないのだ。むしろ泊めてあげるわたしにもっと敬意を払うべきではないか」

「まったく理解できない。状況も、ここも」

「それほど愚かではなかろう」

「あなたが、幽霊の正体なのでしょう?」

「これだけフラグを立てておけば、私の存在に気が付いてもらえると思ったが。この学園では、いや、ここに限らずだが、人間の存在よりも幽霊の存在のほうが人気のようだな。もっとも、それはラプラスの悪魔が予測した通り。誰もが私の存在に気づくのであれば、ここを出て行かねばならぬからな。私の存在に気がつくものは、ごくわずかでよい。甲斐よ、お前なら気がつくであろうと、私は予測していた。少なくとも甲斐は、幽霊なぞ存在しないと分かっているのだろう」

「少なくとも、ここには」

「どうだ、目は慣れたか?」

 少女はベッドに腰掛けている。それ以外にはほとんど何もない、狭い部屋だ。高い位置に窓があったのは、この部屋を隠すためのカモフラージュなのだろう。まさか部屋が一つ隠れるほどのスペースが、南側つまり図書棟の正面から左手の奥にあるとは、あの迷路のような空間の中ではおよそ気づきようもないのだろう。そして、彼女が夜にこの部屋から抜け出して、図書棟の中を歩き回り、本を読んでいたことは間違いがない。

「よし。わたしの名前は篠塚桃花しのづかもも。好きに呼べ」

「もも? 芹沢家との関係は?」

「いきなりその質問ができるから、お前を評価しているのだ。だが、それは今宵の話題ではない。甲斐よ、もっと近くに来い」

 甲斐雪人かいゆきとは警戒しつつも、彼女のそばに近づいた。篠塚はぽんぽんと右手でベッドを叩く。そこに座れと言っているのだろう。それに従い、甲斐は篠塚の隣に座った。

「私とて、何も好き好んでこのような場所にいるわけではない」

「監禁されてる?」

「それも違う。望んでのこと」

「好きでもないのに、望んでいる」

「そういうことだ。ここにはあらゆる国の本が収められているし、頼めば、いくらでも取り寄せることができる。そのような本を読んでいれば、改めて自分が無知なのだと思い知ることができる」

「ももは、頭がいいと思う」

「呼び捨てか。まあよかろう。私も呼び捨てだしな」

「むしろ目上の相手にこそ敬語を使うべきだ」

「私は甲斐より年上だぞ」

 驚き隣を向く。向くが、甲斐よりも明らかに小さい。かなり視線を落とさないと、篠塚の顔を見ることができない。

「なんだ、その目は。信じておらんな。見てくれに騙されおって」

「栄養が足りないんじゃないか」

「そうかもしれんな」

「知識もいいけど……」

「それも今宵の話題ではない。頼むから、今、そのようなことを言わないでくれ。みじめになるだけだ」

「あ、ああ」

 頼むから、と言ったときの表情は、本当に泣いてしまいそうに見え、甲斐はそこで言葉に詰まる。甲斐は頬を掻きながら話題を変える。

「ももは何ヶ国語できるの?」

「言語は目的ではない。手段だ。最低限のツールに過ぎない」

「僕は日本語と、英語がちょっとだからな」

「知識を得るのに言語の壁は大きい。ドイツの学者が唱えた学説をドイツ語で理解できなければ、真に理解ができたとは言えない」

「分からなくもないけど」

「私は言語を通して、あらゆることを学んでいる。甲斐は実践を通して、多くのことを学んでいる。私はそう解釈をした」

「実践ね。あまり嬉しくないなし楽しくもないよ、それ」

「だが、私にはできないことだ」

「ももほど頭がいいとは思えない」

「お前は、やはり私を馬鹿にしているようだ。ケプラーを知っているか?」

「もちろん」

「宇宙はいわば、精密なからくりだ。星の軌道を読み解けば、その星の一生が分かる。あらゆる事象は、その星周りから外れることができない」

「他からの要因があれば、容易に星の軌道は変わってしまう」

「他からの要因もまた、すべて計算することができる。あらゆる現象は精密に設計されたからくりだ。それは神でもあり、悪魔でもある。私が幽霊としてこの図書棟に存在することも、甲斐雪人がこの学園に転入してくることも、そして、今、こうしてお前と私がここで話していることも。すべては決められていたことなのだよ」

「ももが決めたのだろ」

「そうだ。だが、もっと大きな意志によって、私も動いているのかもしれない。あの日に私が読んでいたのは、その本だ」

「それで、これから僕とももはどうなるの?」

「私が求めておるのは……」

 篠塚はそこで言葉を止めた。それから怪しいほど甲斐にすり寄ってくる。

「よくない予感がするんだけど」

「よい予感の間違いであろう」

 それからがばっと、篠塚は甲斐に抱きついた。

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