5
「ここなら、管理室のモニターに監視されないようにできている。証明終了。あなたが、幽霊の正体であり、本を放置した犯人ですね」
「いきなりレディーの部屋に入ってきて、それ?」
……。
「明りはないのですか?」
「直に慣れる。わたしにはお前の顔がよく見えているよ。怯えているようだが、まさか怖いのか?」
……。
「お前の個性までは分からぬが、私はお前を高く評価しておる。甲斐雪人よ」
「どうして僕の名を?」
「私がお前を推薦したからだ」
少しずつ目が慣れてくる。
「一日目にここまで到達してくれることを望んだがな、さすがに少し高望みをしすぎたか。だが、一週間以内にここを発見し、私のところまで来たのであれば、ぎりぎり合格ではあるかな」
「何を!」
「怒ることではない。褒めているのだ」
殴りかかってもよかったが、声のトーンに幼さが残っている。ハスキーで、少年のようにも思えるが、ようやく見えるようになったシルエットは、まぎれもなく少女のものだ。ベッドの端に、こちらに足をおろして座っている。ふわりとした服はゴシックな雰囲気で、モノトーンに見える彼女の姿全体が、まるで西欧の人形のようだ。
「それにもう時間を過ぎた。お前は今宵ここに泊まるしかないのだ。むしろ泊めてあげるわたしにもっと敬意を払うべきではないか」
「まったく理解できない。状況も、ここも」
「それほど愚かではなかろう」
「あなたが、幽霊の正体なのでしょう?」
「これだけフラグを立てておけば、私の存在に気が付いてもらえると思ったが。この学園では、いや、ここに限らずだが、人間の存在よりも幽霊の存在のほうが人気のようだな。もっとも、それはラプラスの悪魔が予測した通り。誰もが私の存在に気づくのであれば、ここを出て行かねばならぬからな。私の存在に気がつくものは、ごくわずかでよい。甲斐よ、お前なら気がつくであろうと、私は予測していた。少なくとも甲斐は、幽霊なぞ存在しないと分かっているのだろう」
「少なくとも、ここには」
「どうだ、目は慣れたか?」
少女はベッドに腰掛けている。それ以外にはほとんど何もない、狭い部屋だ。高い位置に窓があったのは、この部屋を隠すためのカモフラージュなのだろう。まさか部屋が一つ隠れるほどのスペースが、南側つまり図書棟の正面から左手の奥にあるとは、あの迷路のような空間の中ではおよそ気づきようもないのだろう。そして、彼女が夜にこの部屋から抜け出して、図書棟の中を歩き回り、本を読んでいたことは間違いがない。
「よし。わたしの名前は
「もも? 芹沢家との関係は?」
「いきなりその質問ができるから、お前を評価しているのだ。だが、それは今宵の話題ではない。甲斐よ、もっと近くに来い」
「私とて、何も好き好んでこのような場所にいるわけではない」
「監禁されてる?」
「それも違う。望んでのこと」
「好きでもないのに、望んでいる」
「そういうことだ。ここにはあらゆる国の本が収められているし、頼めば、いくらでも取り寄せることができる。そのような本を読んでいれば、改めて自分が無知なのだと思い知ることができる」
「ももは、頭がいいと思う」
「呼び捨てか。まあよかろう。私も呼び捨てだしな」
「むしろ目上の相手にこそ敬語を使うべきだ」
「私は甲斐より年上だぞ」
驚き隣を向く。向くが、甲斐よりも明らかに小さい。かなり視線を落とさないと、篠塚の顔を見ることができない。
「なんだ、その目は。信じておらんな。見てくれに騙されおって」
「栄養が足りないんじゃないか」
「そうかもしれんな」
「知識もいいけど……」
「それも今宵の話題ではない。頼むから、今、そのようなことを言わないでくれ。みじめになるだけだ」
「あ、ああ」
頼むから、と言ったときの表情は、本当に泣いてしまいそうに見え、甲斐はそこで言葉に詰まる。甲斐は頬を掻きながら話題を変える。
「ももは何ヶ国語できるの?」
「言語は目的ではない。手段だ。最低限のツールに過ぎない」
「僕は日本語と、英語がちょっとだからな」
「知識を得るのに言語の壁は大きい。ドイツの学者が唱えた学説をドイツ語で理解できなければ、真に理解ができたとは言えない」
「分からなくもないけど」
「私は言語を通して、あらゆることを学んでいる。甲斐は実践を通して、多くのことを学んでいる。私はそう解釈をした」
「実践ね。あまり嬉しくないなし楽しくもないよ、それ」
「だが、私にはできないことだ」
「ももほど頭がいいとは思えない」
「お前は、やはり私を馬鹿にしているようだ。ケプラーを知っているか?」
「もちろん」
「宇宙はいわば、精密なからくりだ。星の軌道を読み解けば、その星の一生が分かる。あらゆる事象は、その星周りから外れることができない」
「他からの要因があれば、容易に星の軌道は変わってしまう」
「他からの要因もまた、すべて計算することができる。あらゆる現象は精密に設計されたからくりだ。それは神でもあり、悪魔でもある。私が幽霊としてこの図書棟に存在することも、甲斐雪人がこの学園に転入してくることも、そして、今、こうしてお前と私がここで話していることも。すべては決められていたことなのだよ」
「ももが決めたのだろ」
「そうだ。だが、もっと大きな意志によって、私も動いているのかもしれない。あの日に私が読んでいたのは、その本だ」
「それで、これから僕とももはどうなるの?」
「私が求めておるのは……」
篠塚はそこで言葉を止めた。それから怪しいほど甲斐にすり寄ってくる。
「よくない予感がするんだけど」
「よい予感の間違いであろう」
それからがばっと、篠塚は甲斐に抱きついた。
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