禍福も天魔も貫け恵方。

 

 豆と居並ぶ鬼の仮面。

 その意味を知っているかい?




 節分だ。これを書いた時はそうだった。


 分を節するという字義の割には、食物を家中にみだりに巻き散らかすなどという、幾度となく飢饉を凌いだ歴史の中ではちょいと羽目を外しすぎな祭りだ。

 一番初めにやった人はなにが楽しかったのか。

 一番初めにそれを喰らった鬼も鬼だろう。

 弓矢や包丁、石、あるいはマスタードガス、唐辛子、ケチャップ、おたふくソースなどの殺傷・非殺傷無力化能力のあるものならば分かる。自衛・牽制手段として、明らかにそれは有効な武器だ。 お好み焼きにももってこいだ。

 或いは、サンマのお頭や大根の菜っ葉、馬糞やみかんの皮など、明らかに嫌悪の態度が見て取れるものを投げつけられては、はて、と自分の態度も顧みよう。

 

 だが、豆だ。


 どんなに高速で射出しようとも、その威力はたかが知れる。

 それを投げつけれたのだ。

 西洋には婚礼の儀に米を投げつけられると云う。


 これはいったいどういう意味か。

 鬼も、迷ったに違いない。

 物をぶつけられるというのは相手を拒絶する悪感情からくるものだが。

 過去幾多の鬼歴史の中で問答無用に刀で斬りかかる者は数知れず。まさに迫害と復讐の歴史といってもいい。

 だが今、ぶつけられるものがたいして痛くもない豆ならば、これはなにか気遣いという優しさすら感じられる。

 食物と捉えるならば、これは供物と取るべきなのか。

 鬼の心はこの時、人間に対する不審と友愛、その合間の中にただただ揺れ動いていたに違いない。

 彼はもしや、赤鬼に泣かれた青鬼だったかもしれぬのだ。

 平和に住んでいた山を追われ、山深く旅をつづけるも、ふと人恋しさに人里近くまで降りてきてしまう青鬼だ。

 そこに待ち受けたのが、この豆だ。

 扉をあければ、豆が自分の方に振ってくる。

 石や鎌はあったかもしれぬ。

 だが豆はなかった。

 痛くない。

 きっとこれは、人が、鬼とぎこちなくとも歩み寄ろうとしている第一歩に違いない、と。

 そう思うのに、なんの無理があろうか。


「赤鬼よ。ああ、もしかして。人の世は、そう捨てたものではなかったのかもしれぬ」

 そうふと涙腺がゆるんで歪む視界の先で、その男は云ったのだろう。

「鬼は外、福は内」、と。

  

 ああ嫌だ。

 この仕打ちだ。

 なんて醜いのだ人間は。

 

 豆と居並ぶ鬼の仮面。

 その意味を知っているかい?

 この仮面は人の為にあるんじゃない。


 その下で、泣いた鬼の涙を隠す為にあるんだぜ?


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