らせんかいだん

日望 夏市

らせんかいだん

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第一章「過去」六十九日目


トン トン トン トン


心地良い音が聞こえる。


トン トン トン トン


一定のリズムを刻みながら。


トン トン トン トン


一歩一歩踏みしめて。


トン トン トン トン


螺旋階段を上がる。



 僕が生きていたころは、秩序と無秩序が混じり合う混沌とした世界であった。人間は自然の秩序を乱す一方で、調和を保った手付かずの自然世界を温存しようとしていた。

 矛盾世界での均衡活動の影響は、人類思想に混乱を招き、理不尽さえもまかり通る人間社会が形成され、争いや戦争も絶え間なく続いていた。


 さいわい、僕が暮らしていた直接の社会はそれよりもっと単純で、強い者が弱い者を支配するといった構造の、いわば原始的な主従関係がもたらす秩序を残していた。

 その中で僕は弱者であり、食われる側の者であって、支配される立場だった。戦わなくては命を落とすことが当然であった。だが、僕は戦うことを拒否し、当然のように食う者に食われてしまったのである。つまり、人間が作った矛盾を否定し、自然の秩序に従ったわけだ。自ら命を無駄にしたのではないが、それも弱者の言い訳であり、負け犬の遠吠えだと非難されても仕方がない。


 それよりも、僕はあそこへ行くことを選んだ。破壊の意味を含む「建設」ではなく、そこにある物とあそこにある物の「融合」や、非破壊に従う分解を経た「想像」、無から有へ向かう「空想」などから生まれる「創造」を意味する世界がこの上には存在し、僕はそこへ行こうとしている。


 この場所にたどり着き、ようやく希望が出見えてきた。足取りも軽く、心地良い響きのこの音が、僕を勇気づける。きっとこの上には素晴らしい世界が待っている。一歩一歩踏みしめて過去の出来事をすべて忘れ、新たなる自分の誕生へと向かっている。


トン トン トン トン





第ニ章「階段」一三五日目



「はぁはぁ。もう、ずいぶん登ってきた」


 肩が擦れるくらいの半径の円柱、その中心に薄赤くぼんやりと光るポールがあり、それを軸として螺旋階段がぐるぐると取り巻いている。壁の硬質ゴムのような、いささか弾力性のある素材は、階段を踏みしめる音が外に漏れないように設計されているのだろうか。ステップも金属ではなくザラザラした質感の、柔軟性のあるプラスティックか何かのように、僕の体への衝撃をしなやかに吸収している。


 しかしここには、しっかりと目視確認できるほどの灯りはなく、かろうじて赤らむ薄明かりがぼんやり灯っているだけで、ようやく自分と階段のシルエットがわかる程度である。時折大きな揺れを感じるのは、ここが移動式の巨大な要塞か、海に浮かぶ戦艦のような物の中にあるからだろうか……。この場所は遠い記憶のどこかで来たことのある場所だと、僕の本能が伝えているのだが、思い出せないまま、もうずいぶん上へとあがってきた。


 ポールと階段の隙間から下を見れば、海の底か、地の果てか、漆黒の世界が「もうあきらめろ」とでも言うように、ただぽかんと口を開けている。上は上で、天国か、地獄か、暗黒通路が「どちらか選べ」とでも言うように、赤から黒のグラデーションの中心へと僕を誘う。そのさきには一点の光もなく、真っ暗な闇があるだけだ。


 上へと進もうか、下へ戻ろうか、そんな迷いはもうすでに消え去り、上への希望すら忘れ、ただただ空腹と疲労感が延々と続いている。階段を踏みしめるこの心地良い音だけが、唯一の癒しの刺激であり、今となってはそのためだけにこの「苦行」を続けているだけなのであろう。いや、もはや習慣化された条件反射というべきか、すでに、己の意思で自らの人体を実験に使うモルモットか、自己発信型のパブロフ犬に成り下がってしまったようだ。


トン トン トン トン


トン トン トン トン


トン トン トン トン





第三章「地震」ニ〇一日目


    突然、階段が大きく揺れた。


「地震か?」


 次の瞬間、螺旋円柱の全体が倒れるほどの衝撃があった。さらに大きく縦に揺れた。僕の体は一瞬ひらりと宙に浮かび、後頭部をポールに打ちつけた。そしてそのあと、足元の階段に体ごと叩きつけられ、三、四段ほどずり落ちて壁で腰を強く打ち、そのまま気を失った。




トン トン トン トン トン トン




どれくらい時間がたったのだろう。


トン トン トン トン トン トン


あの音で目が覚めた。


トン トン トン トン トン トン


だが、あの心地良いリズムではなく、いつもより速い拍子が刻まれている。


「おや?」


 そう、僕は今、倒れていてる。階段を踏んでいるはずはない。この音はどこから来るのだろう。誰かが上がって来ているのか、それとも先を進んでいるのだろうか。しばらくたってもあの音は近づきもせず、遠ざかりもせず、いつもより速いペースでリズムを打っている。僕の体の骨は折れていない。体は動くはず。僕は立ち上がって上を目指すことにした。速い音に釣られ、僕が踏み出す速度も速くなる。規則性のない変拍子に、いら立ちが募る。


「くそー!」


 僕は螺旋空間の壁を思い切り蹴り上げた。そして、惑わされないように、自分のペースで足踏みを続けた。


「イチ、ニー、サン、シ。イチ、ニー、サン、シ」


 すると今度は、あちらの方が僕に歩調を合わせてきた。だがしばらくすると、また速足に戻った。どうやらあちらも同調しようとしているらしい。今度はあちらの速度に合わせたあと、ゆっくりと自分のペースに下げるよう試みた。少しペースは落ちた。この方法をしばらく続けてみよう。


 そして、数時間か、何日かで、もとのあの心地良いペースに戻った。あの音の主は何者なのであろう。同調を望んでいるはずであり、敵意はないようだが……。






第四章「伝言」ニ五一日目


 壁から何かが聞こえる。あの音の主が何かを伝えようとしているのか。壁に耳を付けて聞いてみた。

 どうやら上でも下でもなく、壁のすぐ裏側から音を伝えているようだ。同じ螺旋階段の空間がすぐ隣にあるのか、あの場所への道は一本ではないのだろうか。壁の裏側の者は何か話しかけているようだ。ピッタリと壁に耳を押し付けて、声を聞いてみた。これまで聞いたことのない言語だ。言葉の意味はわからないが、声の主が伝える振動を感じた。伝えようとしている何かは伝わったような気がする。もうすぐ声の主に会うのだろう。僕も壁を叩き、合図を送った。


 そういえば、このごろ感覚が変化した。周囲の音、螺旋空間の匂い、壁の色、口に残る汗の味、肌に触る空気、異なった刺激が一つに集約され、感覚器に触れ、脳に風のような透き通った信号を伝え、空腹や疲労感などの痛みも柔らかになった。空間の認識も緩やかで、上へと登っているはずなのだが、下りのエスカレーターを登るときのあの感じに似ている。メイプルシロップの中を浮遊しているような、まるで宇宙とすべての物体とが一体化し、そこに溶け込んだような感覚。


「開いたのだ!」


 すべてを悟ったように感じた。天国はもうすぐなのだろう。あの声の主は神なのだろうか。






第五章「梯子」ニ七三日目


 ずいぶんと階段の幅が狭くなった。筒の半径も小さくなり、横になって片足ずつ階段を踏んでいくしかなくなった。円筒型だと思っていた螺旋空間は、細長い円錐型だったことにようやく気づいた。心地よかった空間はだんだんと窮屈になり、先へ向かうスピードも失速した。ゴール地点はもうすぐなのか、押しつぶされる前に出られるのだろうか。そんな不安を感じていたとき、一歩階段を踏みだしたところで、一瞬ガクンという衝撃が足の裏と腰に走った。今度は慎重にもう一度踏み出してみた。


「階段が終わった」


ゴールにしては暗い。手を伸ばして辺りを探ってみた。硬いものが手に触れた。手探りでその物をつかんだ。


「梯子だ」


 ここからはこれを登れというのか。きっとゴールはもうすぐなのだ。梯子に足をかけたとき、どこからか衝撃が伝わった。下から何かの圧力がかかっている。まるで僕を外へと押し出しているようだ。構わず梯子を上った。上を見上げると、小さな明かりが見える。


「やった!ゴールだ!」


 ようやく天国が見えたのだ!僕は先を急いだ。しかしそこで変な錯覚を感じた。頭の先に重力を感じる。上へと登っていると思っていたのだが、どうやら天地が逆さまで、頭の方がいわゆる「下」にあるようだ。僕は地下へともぐっているのだろうか。そうすると、このさきは「地獄」か。そこへまたあの衝撃が襲ってきた。先へ進めと促す圧力で、もう来た方向へは戻れない。


 生前の素行が招いた結果なのか。僕は地獄へと落とされようとしているのか。だがよく考えると、そもそも天国に重力というものがあるのだろうか。重力のない場所で天地混乱を起こしているのかもしれない。無重力状態を感じたことのない僕には、この錯覚がうまくつかめない。天国へ行くにしろ、地獄へ落ちるにしろ、先に進むしかないわけである。周期的に襲ってくるあの圧力衝撃の間隔は、だんだんと短くなってくる。





第六章「外界」ニ八〇日目


 ここで梯子は終わっている。空間は僕の両肩の幅より狭く、肩で伸縮性のある壁を広げており、粘り気のある壁に体が密着している。足元から来るあの衝撃が僕の体を支え、先へと押し進めているのだ。


「苦しい!」


そのとき、さらに大きな衝撃が来た。その瞬間、僕の体は大きく押し上げられた。


「あ、まぶしい!」


 激しい光が僕の目を襲った。顔が空間の外に出たようだ。まぶしくて目を開けられない。息もできない。ここには酸素がないのか。次の瞬間、何者かが僕の頭をつかんで、体を一気に引き抜いた。体に感じていた圧迫感がなくなった。


「外に出たのか?」


 声は出なかった。息ができない。ここはどこなのか、何もわからない。ただ、頭の下に重力を感じる。そう、僕は逆さ吊りにされているのだ。うっすらとシルエットが見えた。逆さまの巨人が僕の足をつかんでいる。


「お前は何者だ!やめろ!離してくれ!」


 声がでない。喉の奥に何かがつまっている。やつの仕業か。やはりここは地獄だった。僕は生前どこかで見た地獄絵図を想像し、身震いした。しかし、これから起こるであろう地獄の業よりも、何日もかけてあの螺旋階段を登ってきた結末が、これであったことに愕然とした。何日も続いたあの孤独の苦行に比べたら、ここの業などなんでもないことだろう。あきらめと開き直りの混ざった、複雑な覚悟を決めた。


「さぁ、さっさと痛めつけるがいい!」


 そのとき、脳に衝撃が走った。巨人が僕の頭をガツンガツンと素手で殴った。僕は痛みと、悔しさと、悲しみに耐え、グッと涙をこらえた。こんな所へ来るんじゃなかった。巨人は何度も、何度も僕の頭を打ちのめした。


「もうだめだ」


 生前の苦しみだけの記憶が一斉に蘇り、これまでの過去を振り返り、涙が溢れてきた。過去の記憶のひと粒ひと粒の涙が、やがて大きな濁流となり、我慢していた感情が一気に押し寄せた。


 何か大きな負の感情が胸の奥からこみ上げてくる。




僕は、もうこれ以上堪えきれなくなってしまった。





第七章「誕生」0日目



 こらえきれなくなった負の感情は、僕の喉と涙腺を刺激した。


そして、すべての過去を断ち切るように、


僕は、



大声を張り上げて、





泣いてしまった。









「おぎゃ~! おぎゃ~!」








 気がつくと、白い巨人の体の上で眠っていた。暖かく優しい肌触りの巨人の胸で。なんだか、とても、心地よい。


ここは、地獄ではないようだ。


天国だといいのだが。



トン トン トン トン



あの心地よい音が聞こえる。




僕は、新たなる人生の階段を登りはじめた。



おしまい。

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らせんかいだん 日望 夏市 @Toshy091

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