1-27 接収
接収
「皆殺しィ…………ァァァァッ」
人の脳を持ち合わせていた先程までとは全く異質。姿形はまだしも、喉をならせて息を吐き出すか、低く太く、混雑した音でただ単語を放つのみの存在に成り下がったマモンもといアンドラス。近傍に転がるエアとエリスの二人よりも、未だ剣を握りそこに立つフェムトとフィルの二人へ意識を向けて、のそりのそりと大仰な一歩を踏み出して近づく。
マモンが持つは、レイトックほどの薄さで幅のある平たい剣身を持つ剣。その剣を一度振りかぶり、空気を切り裂く音をさせてから、
「この力…………感じろォ…………ッ!」
そう多量の空気とともに振動を空間へ放出する。
黒く長い体毛の狼に乗った、柔らかい羽に覆われた白の翼を持つアンドラスは呟くと、狼の脚力に引かれ、ステインへと目標を定めた。
しかし、戦いを主導したのはステインだった。剣身の長さが短くなった状況下ではそれ自体に振り回され、ひと振りひと振りが軽く、通常と同等の力で斬りかかれば速度を増して思いどおりに扱うことが叶わない。
マモンは自らに向かってくる、そんな幼稚な剣術を見せるステインへ一撃を与えることは単簡なものと分かる。
従って、
「…………ッ…………!?」
マモンから瞬いた一撃は、声を上げる暇もなくステインへと接触、直後に内臓への圧力によって奇怪な浮遊感を味わわせられた後、グラディオの切っ先同様闘技場の壁に打ち付けられ、砂塵を頭からかぶる。
マモンが剣身を叩き付けステインを吹き飛ばした姿を見て、早速好機が訪れたと、身体を捻り低く屈めた体勢から地面を滑空するように跳躍して急接近したフィルは、狼の腹部からマモンの横脇腹まで一線に剣を振るう。
しかし、間一髪避けられる。
「なっ…………」
驚かされたことは、その回避をさせたのはアンドラスではなく主従する狼であったこと。
──本体くらいは避けられても、奴の足くらいは削れると思ったのに…………。
野生の勘なのか、それともアンドラスと同体なのかは知れずとも、狼の上に乗る体よりも確かに回避能力は上であるということ。
その姿を見て初めに思ったこと。
──なんて非効率的な組み合わせなんだ。
軍馬のように、体高がもたらされる訳でも無い。 武器は速度を持つ必要のない短く細く、その上薄い剣であり、アンドラスのみの力でも十分な速度が出る。そもそも、単騎なのにも関わらず、足元を不自由にするという点において、メリットよりもデメリットの方が遥かに大きいと感じていた。
アンドラスはフィルの一撃を躱した後、即座に剣を向け直し、二人の剣戟の応酬を始める。その回数は二桁以上に乗るもの。初期の数手は確実にイニシアチブを握っていたが、突如狼一頭の体躯分迫った直後に叩き付けられた攻撃で形勢逆転される。
閃を重ねるアンドラスの剣を受け流すことで精一杯である。
そして、その間にも剣線を浴びせれば一瞬で距離を取られ間合いから消え去る。
アンドラスと狼という不釣り合いだと思われた点は、この僅少な時間での戦闘で異なっていると思い知らされた。
敵は完全に回避を狼に一任している。
であるからこそ、不規則なリズムで襲う攻撃に苦慮するのだ。
既に防ぎを潜り至る所に切創と穿傷が存在するフィルは遂にバランスを崩す。
その瞬間、アンドラスは剣を逆手に持って狼から落ちるようにフィルの顔面へ攻撃をする。
「ギャィィィイィィンッ」
フィルの持つグラディオの剣で防ごうと顔面に構えたそれは、衝撃で顔に打ち付けられ、同時に刃の半ばにまん丸の穴が穿たれ、アンドラスの剣が首元の地面に突き刺さってようやく止まる。
「し…………」
──顔の位置がもう少ししただったら確実に死ぬところだった。
しかし、それ以上に死を感じる衝撃。
「…………ッ…………!?」
思わず息を飲んで、生じた出来事を確かめれば、目の前のアンドラスの白き翼は僅かに綻びを見せたのは、狼から落ちたアンドラスはその黒き個体に引かれてもエアが寝たままに放った魔法攻撃を躱すことが出来なかったことによる。
「俺ごと地の果てに葬る気じゃ無いだろうな…………」
思わずそう小言を漏らす程度には心臓の鼓動を早まらせる。動かすにも痛みだらけの身体では、仲間の攻撃の方がより死に近かった。
しかしアンドラスは、直撃を被ったにも関わらず、からくり人形のように状態を浮遊させて狼へと跨り直す。
その姿はマモンがアンドラスを接収した直後と何ら変わりはない様子。
実際に戦闘を始めてしまえば、こうも易易と身体を嬲られ、地面に足をついて圧迫される度に体表面には「ズキンッ」とした鋭い痛みがまとわりつく。
もう腕も足も動かしたくない。
しかし、遠くから聞こえてきた声は、その考えを真っ向から否定し事態の進展を加速させる。
「滑稽だ──」
「こっ…………ッけいィィィイ?」
「カハァァァアッ…………」と微細に痙攣するように息を吐き出して怒りを全面にまで噴出させるアンドラス。
闘技場壁にめり込んだ反動で肩に砂礫を乗せたステインは仁王立ち、切断された刃を持つグラディオの剣をアンドラスへ向けていた。
「ああ、滑稽だ」
徐々に、しかし明らかに感情が変化した様子が見て取れたアンドラスに対して、一歩も引かず言葉を続けて煽る。
「何度言えばいい?」
アンドラスに視線を送ったまま、不気味な笑顔を送るフェムト。
最も重量のあるグラディオの剣を顔の横でスっと構え、剣先を一線にアンドラスへと向けると、合わせた視線はグラディオの剣身を通して燃え、互いに逸らさぬまま時が流れる。
視線を浴びるアンドラスはやはりのそりのそりと足音を喋々しくひびかせて歩くばかり。
しかしその口元は、
「いうな」
そう三文字を呟いている。
直後アンドラスは動きを完全に止めた。
空気を汚染し続けていた魔力が、何処か別世界へ吸い込まれるように徐々に縮小していくと、一度全てがふっと落ち着いて消える。そして、濃縮され、増大した魔力は明らかにその威力を増していることは嗚咽すら湧き上がるほどの空気へ滲む魔力で理解できる。
そして口がカパッと開いて、喉の暗さが消失し光が点滅した後。
刻の流れはほぼ零。
目の動きが追いつくか否かと言う表現をする以前に、既に脳に送られた信号の処理速度を超えていた事で、目の前の光景を簡単に飲み込むことは出来なかった。
「は…………?」「…………なんだよその攻撃は」
それは役割を示さない絶対な一撃。魔法を使役するアンドラス本人ですら制御不能な。
熱線はマモンが決戦の地へと選んだ闘技場の上部を破壊していた。マモン自身グラディオの剣身を壁へと突き立てていることから多少の損傷はやむを得ないと考えているだろうが、ここまでもが想定内だとしたらもはやマモンは言葉すら不自由であったということになる。
神殿様の石柱が「ズズズズズッ」と鈍く重音を響かせて崩れ落ちる。最終的には、円を書く闘技場の三分の一の範囲が損傷し、完全に姿を変えて建物としての役割を終えさせられた。
想像は難い。捉えられたものは、この闘技場の破壊と、猛烈な風。加えて僅かに空の色を赤く変えたことを察知できた程度。
「おい! こんなのよけられるわけ──」
そう口にすれば、声の元へと首を向け、パカッと口を開いたかと思えば熱線が飛翔する。幸い御しきれない巨大な力に負けてアンドラスは振り回されその攻撃は外れたものの、下手な鉄砲も数撃てば当たるのだ。
あらぬ方向へ向いた熱線は再び闘技場を破壊する。
そこで気づく。
──柱が…………。
手前にスライドして倒れている。その直下には一人の人物が足を不自由にされ横たえて。
「エアッ! 後ろォッ!!」
声を出すしかなかった。
アンドラスがこちらへ反応しようとも。
「チッ」
カパッと口が開く。この動きすらも何処か操り人形のように機械的で不気味だ。
そして、予想通りの喉奥での二度の瞬き。
直後フィルが感じたのは熱ではなく強い衝撃だった。
フィルはステインに突き飛ばされる。熱線を背に受け、服が焦げ散るものの、二人とも意識はそこにある。
しかしフィルが瞬きをした直後、目の前はステインではなくアンドラスが視界を占拠し、ステイン本人は空を舞う。
吹き飛ばされて制御を失い、闘技場の壁を越え地下空間の見えない壁と衝突し、擦りながら直下へと落ちる。
──この距離は…………喰らう!
考えが脳内で見出された直後、フィルはアンドラスの死に物狂いで起こした体当たりでステイン同様に宙を舞い、地面に叩きつけられる。同時に手から剣が零れ、くるくると回転してあらぬ方向へ飛び去る。その衝撃で瞬間的に視界がブラックアウトし、剣の所在や自身の位置に加えて敵の位置や状況、体勢の情報すらもロストしてしまう。その結果不注意に身体を起こしてしまう。
その姿をみたエリスは反射的に口の中から右手に唾液に濡れた魔素玉を取り出し、フィルを敵から守護すべく駆け寄る。
しかし、視線を手元に落としたその僅かな瞬間ですら、アンドラスは見逃さなかった。
剣先に集中する赤の光。
「また……!」
──石壁すらも焼き焦がす熱線を再び放とうとしている。
そう容易に勘づいたエリスは、距離をとることなく一層加速してフィルへ接近していく。そして。
「ご」
エリスは、一音だけ発してフィルの顔に手を置くと、
「めんフィル!」
中途で切った言葉の残りを口早に伝えると、自らは宙へ身体を浮かせ反転、反作用でフィルの頭を下方向へ押し付けると、そうしてできた僅かな隙間を熱戦が通過する。
「っぐぅ……ぇ……」「あぶなかった……!」
宙で反転した勢いのままエリスは斬り掛かる。正中線へ一太刀。
軽いレイトックといえど、身体の回転を加えた一撃であれば、アンドラスの頭蓋にヒビを入れることは不可能ではないはず。
──防がれることがなければ。
の話である。
「あっ…………ぐぅぅぅ…………」
下腹の底から襲う吐き気をもたらす一撃を放ったのは当然アンドラス。
偶然が重なった上に、狙い通りの行動が叶いフィルを救ったことで、空中が最大の攻撃点である事を記憶から亡失してしまっていた。
レイトックほどに薄く、しかし平たい尖系の剣の柄頭は軽さゆえに細い。プレートの上からでも、分散された衝撃は腹部へ広がり、闘技場の壁へ叩きつけるには十分だった。
その為にアンドラスはぼろぼろな身体でも太刀打ちできる敵から命を荒ぶべく、吹き飛ばしたエリスへ向かい狼の鼻先を反転させて進んでいく。
エリスがもたらした時間は決して短くない。フィルはそれだけの時間があれば、アンドラスの足を止めために挑発する言葉を打ち投げることが容易であることは簡明にわかる。
「ステインが言っただろう? 滑稽だって」
その一言で、敵は狼を引き止める。アンドラスと戦いを挑む直前に煽った言葉で。
「今のお前は手前ェが塔に閉じ込めた赤き竜、ディセクタム・ドラゴンと何ら変わらない」
頭の中で描く最後の道標を示すべく、言葉を全面的に肯定する。
エリスへ向かった意識をすべてこちらが引き取ると、そのたった二言の発言はお気に召したようで、
「全身全霊…………消えろォッ!!」
アンドラスの天から降り注ぐ輝星の瞬きをも反射させる翼がただ1度光を帯びその事象を不可能にする。そして、蝶が羽を休ませるようにそれを背後へ大きく靡かせて畳むと、目にも止まらぬほど高速に「ブォンゥッ」と風のみの轟音を立てて辺りに砂塵を舞い上がらせる。直下の岩肌を見せ「ガリッ」と踵で表面を削った。
そして次の瞬間。刹那で空気を切り裂くように。
アンドラスはフィルに向って、空間の端から端へと急加速した。翼を羽ばたかせ、狼の脚力とで最大限のシナジーを引き出す。
その姿を見てからフィルはゆっくりと手を上げ、伸ばした腕の先で手のひらを敵へ向かって開いた。
「消えるのはお前だ」
「ッアァァアアアァアアァアァア…………!!」
「カラン」
アンドラスの叫びが空間の音という音のすべてを支配下に置く。
だからこそ、わざとらしく口角を上げると中途に口を開き、僅かな隙間から白い歯と虹色に輝く綺麗な球状の魔素玉を覗かせる。
自らの白光を発する魔法で、影に埋もれるその魔素玉を発見したとき、
「……ッ!? お前までいつの間にィ!!」
そう顔に文字の羅列を浮かべて苦しんでいた。
完全に翼も羽ばたかせて加速したアンドラスは、意識を停止への行動へ注ぎ込むが、それは叶わない。むしろフィルの元へ接近するにつれて減速する敵は、最高威力の魔法を展開するには完全にタイミングを取らせてくれる行為だ。
敵ながら深く感謝しなければ。
「ワールド・ロスト・ディメンション」
その魔法をもう一度口にする。
──俺の腕……少しの間持ってくれ!
剣が吹き飛ばされた始末は、残念ながら生身の肉体へ影響が出るだろう。
ドラゴンへ放った魔法『ワールド・ロスト・ディメンション』ほど強力な魔法ではなくて良い。目の前の極わずかな空間のみの座標を固定し、瞬間的に好きを作れれば充分。
剣の代わりをなす腕は、ビリビリと鎌鼬に切られるように微細な切創を無数に残していく。
しかし、腕の形はそこに確かにある。
そして、狙い通りアンドラスは魔力の風に飲まれるように速度とさらに急減速させると、完全に動きを止める。
フィルは魔力の発動によってアンドラスの動きが完全に停止したことを確認してから左方へ身体を半歩ずらした。
その直後、一見開けた闘技場にも関わらず、反響して何重にも聞こえる声が耳へ届く。
「オ、ラアァアアッッ!」
「ヤアァッ!」
「…………ハアアァァアアァ!」
それは三人三色の叫び。
正面から心臓目掛けて、左胸に突き刺さったステインの剣。黒の狼へ対して一線に穿ち閃いたエアの魔法の一撃。そして、後背から斜めに翼を断つように襲う、一切の魔力が込められていないエリスの剣閃。
翼を堕とし、血を吹くアンドラス。
そして、それらはフィルの魔力の中であってもすべてが消え、元のマモンの姿へ──傷だらけで、血塗れで、意識も絶え絶えに、アンドラスという力のみを使役する怪物から解き放たれて戻っていった。
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