1-26 アンドラス

 アンドラス


 フィルは、マモンと至近距離で顔を突き合わせた状態では、確実にその化物から逃れる術を即座には思いつかなかった。もちろん、時間をかけていれば、目の前にいる高魔力の魔神から必ず逃れるられるかということも定かではない。

 一言でその場が冷えきる感覚は生きていてもなかなか出くわす場面など無い。一生に一度あるかないかという程度だろう。そして、今がそのたった一度の場面だ。

「どうですか? この血色に塗れた、どこぞのお嬢さんの骨は…………!」

 カクンと膝から崩れ落ちて、ただ痛みに対して悲鳴をあげている人物がいれば、マモンが見せびらかすそのグロテスクな物体が誰のものでどの部分なのかは明らか。

 狂ったように嬉々として、プラモデルの関節を動かすかのように手に持つ物体を変形させる。血液という水に比べて粘性のある液体は、ポタポタと等間隔で砂地の闘技場風の地面に垂らされ、吸収される。花火のような跳ね模様の血液すらも、強欲を司るマモンからすると興奮材料の一つだ。

 そんなマモンの老人の皮をかぶった顔体が、鼻について仕方が無い。

 フィルはグラディオの剣の、柄に置いていた手に力を込めて、引き抜きざまに柄頭で一撃を狙う。

「ゴスッ」

 そしてそれは、鈍いを音を立てて、フィルより少し背の低いマモンの脇腹部分に命中する。音だけは立派に、ダメージとはなっていないようで。

 その違和感に、顔が引きつけを起こすような不安感で満たされている事だろう。さらに数度、力は弱くなれど、同じく剣筋を辿りマモンに命中させたとしても、やはりその感覚は何ら変わらない。

「ふっふふーん…………どうですかって、聞いてるんですよ。このお嬢さん骨が…………」

 エアのものと知って、どうと聞いてマモンの望みの返答があると思うのか。それとも、こちらが感情から飛び出させて放つ言葉に、それこそ嬉々としてドーパミンやエンドルフィンでも分泌されるような、奇特な性格をしているのか。

「…………その、お前が持つものを元通り戻してくれるなら、その質問にも答えてやる」

「ケチですねぇ。それは無理なお願いじゃないですか」

「無理だと?」

 傲慢な。

 思わず心で思った言葉をそのまま口にしてしまう。

「お前は奪えるんだろう? いま、エアの膝から中のものを奪ったように、その…………お前が奪いたいものを口にした時に…………それなら奪ったものを元に戻す事くらい────」

「それは、時の流れに逆らえと言っているのと、何ら代わりのないことなのですよ。いろいろ、遠からず近からずではありますけど…………まあ、そういうことでいいでしょう」

 遠からず近からず…………この闘技場含め、マモンがワールドコレクションと言う切り取られた街並みは、いくらマモンが魔神と呼ばれるようなバケモノであったとしても、口の中に入れることなど不可能であるのは見たとおりといえばその通りなのかもしれない。

「ならどうやって…………」

 悦びの感情がはちきれんばかりの顔模様から、呆れたような表情への落差も酷く、項垂れるマモン。その後も言葉を続ける。

「ただ無茶苦茶な希望を持つのは如何なものかと。元に戻せるのは、私が死んだ時ですから」

 死んだら全てが戻るというのか?

「なーんだ…………」

 二十センチ程しかないマモンとフィルの身体の隙間に一筋、グラディオの剣が通り過ぎる。

 剣巾が大きく、フィルやエアのように片手でおいそれと扱うことの出来ない重量系の武器。それを確かに、正確に二人の身体の中心を捉え、腹部あたりでピタリと静止させた。

「それなら、お前を倒せば、全てが元に戻るって訳だよなぁ?」

 いいことを教えてくれたと、言わんばかりの口調。しかし、そのいつも通りの荒らげて大雑把な口調と裏腹に、笑っている顔と、目の奥が締まるような視界で立っているようすが一致しない。

「そうですね」

 口ではそう言いながら、笑っていない目を携えたままのマモンは、二人の間に振り下ろされたフェムトのグラディオの剣を、幅広の剣身を一辺からもう一辺へ、斜めにゆっくりとなぞる。

「コッ」

 マモンは剣をなぞり終えると、刃先を軽く指で音を立てて弾いた。

 すると、その切っ先は弾け飛び、鋭利な刃という凄惨無慈悲な弾丸の如く闘技場の壁に突き刺さって、奥まで埋め込まれて姿形を消す。

「…………!?」

 どうやったんだ。

 弾き飛ばされた切っ先の付け根を見れば、まだ鋭利な角度を直線的に保っている。一寸の歪みもなく、刃の欠けもない。つまり、マモンが指でなぞった所の付近をイメージ通りに消したのだ、指で弾き飛ばす瞬間に。

((触れているだけで良いのか!?))

 取り敢えずと、一旦はその思考を頭の中に思い浮かべた二人は、後方へ飛び退る。

 触れているだけでいいなら、手の届く範囲にいては危険だ。

「なぁ、フィル」

「……?」

 マモンを中心に置き、弧を描いてフィルに近寄るフェムト。

「…………二人でアイツをやるなら、どうすればいい。啖呵を切っといて悪いが、残念だけど、俺のポンコツの頭じゃなんもいいアイデアが思いつかねぇ…………」

 と言われても、俺もそのアイデアは持っていない。

 しかし、勝つためには何かしら策を講じなければ、ここでマモンのコレクションの一つとされるやもしれない。いや、むしろコレクションの一つとされればまだマシなのかもしれない。ただ、身体をバラバラに分解された後に、ただ時の流れとともに風化していくことを待つのみという可能性もある。

 どちらにせよ死ぬ未来だ、そんなものは道筋から外して。

 長い思慮の間にチラリとマモンを見ると、それもコレクションの一つなのか、大きなキングチェアを取り出して、ドッカと座ってこちらが作戦会議を終えるのを待っている。

 しかし、そのキングチェアから一つのヒントを得る。

「…………そうだ」

「なにか思いついたか?」

 コソコソと会話を続ける。魔法によって盗聴がされて無ければ、間違いなく耳では聞き取れない音量だ。

「あのキングチェア…………この剣なら一瞬で破壊できるよな?」

「石すら切り裂くグラディオの剣だから、あんな明らかに木製の椅子ごとき一瞬だろ?」

「…………なら、手始めにあれを壊すぞ」

「…………何で?」

「…………うーん。強欲…………だから?」

「ふぅ…………。お前のいうことなら間違いねぇだろ」

 なぜ椅子をねらえと言ったか分かってないなフェムトよ。

「フェムト、あくまでマモンを狙うついでだからな? 露骨に狙うな。力加減を間違えて、キングチェアを破壊するんだぞ」

 念には念を入れておく。

「了解よ。つまり火力をぶっぱなせば何ら文句はないってことだろ?」

「あ、あぁ…………」

 しかし、思わず呆然とさせられたのは、念を入れたあと大きな声でそう言ったことだった。それが敢えてなのか、わざとなのかは分からないが、自身はただの火力用意であるとしか感じさせないように、自然とそう思わせる口調、音量で言ったことはその裏の意味を前面から薄らめていた。

「そんじゃあマモン。相手してやる」

 フッ目つきが変わり、改めて真剣さを取り戻したフェムトは、大雑把な口調から低く澄んだ口調へと変化させて言った。

「…………さてさて、何秒待たせる気なのでしょうか──」

 せっかちなフェムトはマモンが全てを言いきる前に、対峙する敵によって剣長を短くさせられた剣で切りかかる。

 そして、口の中には魔素玉を含み。

「ドゴォォォッ!」

 もうもうと地面ごと抉って、マモンに一撃を与えようとする。しかし、それは当然ひらりと躱され、マモンには傷一つとしてつけることは叶わなかったが、狙い通りにキングチェアを木っ端微塵に吹き飛ばすことには成功していた。

「人の話は…………!」

「端から容赦しねぇよ」

 その怒りはやはり、仲間を傷付けられたことに対してから湧き上がっているのか。

 言わずもがな、マモンに対して二撃目をもたらすフェムト。

「ガイィンッ」

 そんな金属音をさせて、マモンはどこから取り出したのか三十センチほどの横幅だが、盾には一メートルを越える、見たことない盾を取り出し、その攻撃を真正面から受け切ろうと試みる。

 そしてフェムトの攻撃は一旦は防がれるが、「ガリッ」という、盾と剣との金属音に阻まれて掻き消された音とともに、火力が跳ね上がった追撃によって押し斬るようにして盾を真っ二つにする。

 マモンは後方へスッと動き、一旦両者に間隔が開く。

「…………人間が魔力を得たところで何ら影響はないと思っていましたが…………あながちそういう訳では無い様ですね」

 マモンは盾を地面に捨て、新たに剣を取り出す。その剣は不規則に歪曲し、まるで強度が保たれていないような印象を抱かせるほど薄いもの。

「ンなこと言って、無駄口叩いてる暇が、良くあるなァ!」

 力任せに、水平に振り抜く。

 マモンは剣で防ごうとするが、予想通り薄い、まるで装飾用の剣では太刀打ちできず、パキンと音を立てて折れ、体を後方に逸らすことで間一髪で躱しているようにみえる。

「…………そうですねぇ」

 そして、先程の盾同様に投げ捨てると、再び新たな剣を手にする。しかし、それもやはり装飾用に見えるほど柄にレリーフが施されている短剣。

「お前…………なんで殺すと豪語しておきながら本気で来ない」

 短剣は一撃での破壊は不可能だった。しかしそれでもリーチを考慮すれば、マモンは圧倒的に不利。

「でも、確実にマモンのコレクションは壊せてる」

 背後からただ見ているだけ、手を出す暇もない二人の世界では、予定通りマモンのコレクションを破壊できている。

 強欲で、世界をもコレクションするマモン。マモンの塔と名付けたディセクタム・ドラゴンの居た塔にも、無数のコレクションと見られる蔵書や絵画が存在していた。であるならばそれらに対し破壊の限りを尽くせば良いのではないか、そう考えたのだ。

 マモンは現状自爆に近いが、数々の武器を出現させ、破壊させてくれている。魔力を侮っていたのかは不明だが、コチラとしては一歩前進できる要素だ。

「これ以上は…………ッ」

 その真意は。

「フェムト! 全開でぶっ飛ばせ!」

 追い打ちをかけるように発破をかける。

「チッ」

 明らかにこちらに対して、視線をギロりと睨みつけた。

「それならば、壊れないコレクションを出すまで…………」

 光の粒子が作り出すヴェールを纏うような光景。

「ガゥゥルルルルルゥゥル」

 ヴェールが消えぬうちから、餓狼種のような、いや、それ以上の威嚇をする、喉を鳴らす声がする。

 徐々にその光のヴェールは広がっていく。

「…………アン……ドラス…………よ。…………ここで力を発揮しろ」

 自分自身に命じるかのようにはっする。

「ガウウゥウウゥゥゥ…………」

 涎をダラダラと垂らし続けている、それは鳴き声に留まらず姿も餓狼種によく似ていた。しかし、グレーの体毛が殆どな餓狼種に対して、目の前に現れたそれは、漆黒の狼。光の全てを吸収してしまうような黒い毛並みの中で、光のヴェールの残光が、深く青みがかった目を反射によって示していた。

「久しぶりの…………敵を……ォ……ォ!」

「…………ぁ……なんだあの容姿は……」

「はっ…………正真正銘化け物になったんだろ。まぁだ人間の皮かぶってる方がマシだったぜ」

 現れた敵は、その力を見せびらかすように剣を一つ振る。マモンは持っていなかった、十字架のように鍔の長い剣。それを、たった一度、空にふわりと回せるだけで豪風吹き荒れる。

 だが、二人の内心はそれどころでは無い。アンドラスと言ったマモン自身の姿形が、どうにも形容しがたいものだったからだ。

「神にでもなった気なのか、悪魔にでもなった気なのか…………、まだ下の狼の方がどういう攻撃を出来るかだいたい想像がつくからな」

「マモンは元々魔神だがな」

 黒い鳥の頭に、天使のような神々しい羽を生やし、局部の身を隠した服装か鱗なのかを身にまとい、白くほっそりとした体は、空想上であっても天使という存在がいるとするならば、そのような身をもっているのだろう。

 何故、こう魔神というものは異形を好むのだろうか。頭も天使のままでいいだろうに。

「そ、それは良いんだよ…………!」

「どんな攻撃を打ち出してくるかの方が遥かに大事だからな」

「そ、そう。アンドラスなんてもん現実にも話の中にも聞いたことなんか一度もないんだよ」

「実際にマモンが奪ったんなら、存在してたわけだろう? 有名っつったら癪に障るところもあるが、実際強欲だなんて言われて本人がつけあがるくらいには名の知れてる奴なわけだ。そいつがわざわざその力を吸収したんだからな」

「…………マモンが欲する程に、強大な力を持っている魔神…………」

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