1-25 虚仮威し
虚仮威し
その後も数度の環境の変化に見舞われる。どれもこれも、その地方の一角を切り取ったように、建物や植物、地形などが違和感なく存在していた。それはまるで箱庭のように。
不気味な研究所とも言うべき第一の箱庭から、植物の生い茂り、多様な水生生物が罠にかけられたエリスを喰らおうとした第二の箱庭に移ったあと、まるで砂漠のように掘っても掘っても砂しか出てこない灼熱の世界に飛び込ませられる。風がなく湿度も低い為に、その温度の中ではプレートを付けていることすら苦しく、遂に外してしまう。
それを狙ったかのように、次に極寒の世界へと誘われる。頭がズキズキと痛む、それはまるで冷たいものを大量に口にしたかのような痛みで、それが二つの世界の温度差を物語っている。もしかすれば気温の差は五十度ほどに達しているのではないだろうか。であるからこそ、外すことを余儀なくされた防具、それが無いことに苛立ちを隠せない。防寒具の一切をつけない中、氷点下の世界で凍えるような寒さだった。
一瞬で体調を崩しそうな目まぐるしい環境の変化の後、辿り着いた地は、楕円形の闘技場の中心。お椀状に迫り上がる客席様のエリアとは、大きな木製と黒い岩の五メートルほどの壁で阻まれ、ここが闘技場として用いられていたと推測するには十分である。
「マモン…………」
姿を隠し続けていたマモンが、ようやっと登場する。フェムトに攻撃を仕組んだり、目視できない領域から拘束したりと卑劣な手法で攻撃を仕掛けたマモンに貯まるフラストレーションは最高潮に達していた。
「一人はワニとやらに食べられて減ってくれるんじゃないかって思ってたんですけどねぇ? それどころか、助けに飛び込んで行ってくれた時は、一人道ずれに出来て万々歳だとも思ったりしたものですが、まさか二人とも生き残るとは…………」
「わざわざ厄介な環境に振り回してくれやがって」
「いやぁ…………。あなたのあの跳躍力? 見せてもらいましたが、とても人間業ではないじゃないですかぁ!」
ケラケラと笑いながらフィルを見て言う。その姿は、腹を捩り、軽く涙を浮かべて手を叩くという、心から笑っているような姿。
「あの力があっては、生半可な罠程度では簡単に突破されてしまいそうではないですか。それなので、途中から計画を変更して、私のワールドコレクションを見せてあげることにしましたよ」
フィル口元がぴくりと引き攣る。
「どうでした? 綺麗なものでしょう。あの景色は、写真などというニ次元的なものではなく、三次元で影も形も何もかもをとっておくべきだと思うのですよ」
「順番までわざわざ考えてやってるんだろうなぁ! あんな凍えるような目に合わせやがって」
「それはもう…………」
手のひらをしたに向け、手首より先だけ力を抜いて腕を前に伸ばす。その格好で僅かに微笑を浮かべるマモン。
「ほらね?」
「ガシャッ」と布や金属やと有象無象な音を立てて、マモンが伸ばした手の中に、つい先程までつけていたが、高温により外さざるを得なかった防具が現れる。
「いやはや私は近接戦闘、全く得意じゃないもので…………」
「ガシャァァン」
マモンは腕をゆらゆらと振り、此れ見よがしに防具を見せびらかしたあと、ゆっくりと手を開き、重量から想像できる音量の大きさ通りの音を立てて地面に衝突させる。
「こうしておけば、少しでも有利になるかもしれませんからねぇ?」
ニヤリと笑みを浮かべて、ただ傍観している四人に対してそれらの防具を踏み壊す姿を見せつける。
煽る煽る…………そう感じざるを得ないほどに、煽動的に自らを操るマモン。
「…………ギリリ」「…………ジャリッ」
歯軋りと小砂利の二種の音を立て、悔しさを露わにしたエアを見て、感情的になっていると即座に判断できる。
しかし、突如駆け出し、斬りかかっても問題ないようスッとエアの足の前に、抑制としてフィルが足を出そうとした時。一歩目を踏み出して、既に二歩目を踏み出していたエアの足とは靴が掠れる程度、シュッという音が立ったのみで、それ以上の行動はできなかった。
「…………エア!」「ダメだ」
堪忍袋の緒が切れたとは正にこのこと。
プッツンと糸が切れてしまったエアは、剣を引き抜いてからというもの、加速の一途を辿り、長くない距離を数歩のうちに詰める。一歩を踏み出す瞬間毎に加速しているのは目に見てわかる。
「そうですねぇ…………」
しかし、マモンの動きは対照的だった。
近接戦闘は全く得意ではないと言っておきながら、一切逃げるつもりなどないようにずっしりと構えている。それどころか、たった十メートルほどの距離しかないにもかかわらず、エアの身体を上から下まで舐めまわすように見て、攻撃方法を思案しているように、顎元に手を当てて考える姿を晒している。
「…………ハァァアッ!」
振りかぶったグラディオの剣。フィルのそれよりもやや幅広のそれは、エアの頭上でピタリと止まり、瞬きの間をその位置で過ごすと、力任せに、しかしそれでも確かにマモンに一撃を与えられる軌道に乗せた攻撃を開始する。
三メートルほど離れたマモンとエアの距離。マモンはエアが最後の一歩を踏み出すと同時に、一メートル以上の闘技場の床を、無動作で詰める。
驚きつつも、維持を含めた表情で振り下ろす。
「…………フッ!」
しかし、開始直後の、まだ速度の出ていない瞬間に止められてしまう。
そのまま、視認不可能な速度でエアの視界から消え去ったマモン。フッと下方向への残像を残してそこから消えるように。
「…………っ……!?」
背筋が凍るような、右足から伝わってくる生温い感覚。
ロボットのようにカクカクと、いうことを聞かないエアの首がやっとの思いでその嫌な感覚の理由を知るまで、誰も動くことは出来なかった。
その行動があまりにも、直接的に吐き気を催させるように頭を混乱させるものだったからだ。
「……ぁ…………ぁあ」
マモンは、エアの膝を舐めていた。
それも執拗なまでに。
一つの叫びよりも、何かショックだと言う声。うっすらと開いた口から漏れ出す音に生気は無く、顔の中心へと歪むような表情は、どんな気持ちを表しているのだろうか。
「お前…………!」「ちょっと、なにを…………!」
咄嗟にディセクタム・ドラゴンの鱗を素材とした、加速する暗器、アークスを投げるフィル。時を同じくしてフィルの真横にいたエリスはアークスを投げる瞬間に身体が前へ傾き、急加速して見るに堪えないその光景を遮断すべく行動に出る。
蹴りあげることは出来ず、それどころか動かすことも出来ず。その頭を突き抜けるほどの不快さによって、ただ生理反応として鳥肌が立つばかり。指の震えは言わずもがな、身体全体が震える姿は、ディセクタム・ドラゴンと対峙した時ですら、エアは感じなかっただろう。
「いやっ」
拙い、そして脆い声と共に、どうにか身体が勝手に反応して後ろへ引いた足。
「フフフフフ…………ッ…………」
不気味な笑いを立てて、大口を開いていたマモンにむかってフィルの放ったアークスが一線に向かう。丁度、アークスが加速する瞬間に空気を打ち付けたことにより発せられる衝撃波を三度かくにんする。
「……ハァ……ァ……ァア」
何か空気以外の物質を含んだ吐息を空気中に放出するかのような呼吸。
そしてついに、エアの脚を通り過ぎ、マモンの広い額へと向かったアークスがささろうとした瞬間。
「ぎゅむん」
そんなオノマトペが適しているであろうほどに、アークスは不自然な歪み方をし、刹那の間に消えてしまう。瞬きよりも早いその一瞬で、マモンの危機は回避されてしまう。
「……は!?」
思わず息を飲んで、その光景に見惚れる。
「エア!」
しかし展開は、衝撃波を放つ速度に達したアークスよりも早く。
名前を叫んだエリスの剣は、それも着実にマモンの顔、過ぎてはマモンの身体に一閃を命中させるべく低空な切っ先を振り上げる進路を取った剣。
「ぎゅむん」
再び、その擬音語が表現としてピッタリ合う歪みがマモンの後頭部付近で起こると、先程歪みによって消失したフィルが投擲したアークスが、元の筒状の形に戻って出現した。
アークスの再出現からほどなくして、エリスの剣閃がマモンを襲う。今回は、アークスのような手から離れた物体ではなく、レイトックという直接手で握りしめた武器。これがアークス同様、歪みによって消えてしまうのか、それとも剣筋を歪めるのか。
「……ャァァァア!」
エアから今すぐ離れろ、と、気持ちを込めて剣を奮う。エリスの右側面から、エアの脚に水平に薙ぐような一閃。
「……フフフ……その強気、嫌いじゃないですけど…………」
エリスの放った、鈍色の剣閃は空を斬る。完全に見透かされたその剣筋からは、間もなく頭を外している。視認できたのかどうかもあやふやな速度で。
そしてマモンはただ、手を伸ばすだけで届いてしまうエリスに対して、一手、振り抜かれた腕でマモンに近い左腕を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。
しかし、エリスよりも早く言葉を発したのはエアだった。重ねて進む時の中で、右膝を異様な方向へ折って、その膝からその場に崩れ落ちる。
「ッ……ぁう…………!?」
カクンと落ち込んだ身体は、丁度エリスの腕にエアが肘を突き刺した格好になる。幸運なことに、その衝撃で、マモンが掴んでいた手から外れ、二人共に一時の自由を得る。
「あ……らら」
惚けたような笑みは、正直にその光景を呆れているよう。
「まあ、これで分かったでしょうね」
マモンはこちらの二人を見て言う。
「直情的な人ほど操りやすい人はいないでしょう? 後ろの御二方はどうやらそうではないらしい。それならよくお分かりではないでしょうかねぇ?」
「ああ」
迷わず肯定したフェムトもフェムトだが、直情的だと揶揄されるエアとエリスを目の前にして、否定の言葉が思いつかなかった俺も俺だった。
しかし、マモンの言葉が一般論、それとも一個人の意見のどちらだとしても、数日、数十日間を共にしてきた二人の仲間を侮辱されるのは、如何せん気持ちいいものではないのもまた事実。
「もしかすればそうかもしれないな…………」
カツンと踵を鳴らして、歩き始める。
「だが、人の仲間をそうズケズケと貶してくれるとは、随分オツムができあがってない証拠じゃないのか? 強欲なんて言われて、逆上せてるんじゃないだろうなぁ」
あくまでも、心は落ち着かせて。
ゆっくりと、一歩一歩、焦りを見せないように前へと進んでいく。急激な攻撃は相手もしてこないのだ、焦ることは無い。
「咄嗟にその暗器を投げたもので、突っ込んでこないから冷静沈着な方なのかと思っていましたけれども…………実際はそうではない?」
「ちょっとは黙ったらどうだ」
「それならもう少しお話をしましょうよ」
「話すことなんかない」
顔を超至近距離で付き合わせて、二人にしか聞こえないほどの声量で会話を重ねる。
「そうですねぇ…………そうだ。その、跳躍力についてお聞きしましょうか。言ったでしょう? 『とても人間業ではない』…………と」
フヒヒヒヒと悪い顔の老人に似合った、耳障りな笑い声で、リップノイズたっぷりに笑う。
「俺は人間だ。一般的な…………」
「分かってますよ、そんなこと。もとより魔力はない下等種族かどうかなど、その空間に居なくとも分かる。一種のステータスではないですかねぇ…………」
下等種族とは言ってくれるじゃないか。もとより魔法を持っていただけ、姿形が異なるだけの魔獣共が。
その怒りをふつふつと燃やしながら、手を出そうと柄に手を置く。
「しかし…………。少なくともあなたの持つその力は、人間が持ち合わせていたものではない…………。もっと言えば、魔力ですらないのですよ。人間が作り出した魔素玉から身体を媒体として魔素を摂取する以前のお話」
そうでしょう? とばかりに全てを分かりきったような目線を送るマモン。
変わりに眉間にシワを寄せた表情を送り返す。
「だから、欲しくなったのですよ。その『人間業ではない力』が…………」
「それが目的か」
「ええ…………。だって、欲しいものはすべて手に入れるのですよ。なんと言っても強欲を司るなどと言われている訳ですからねぇ!」
仰け反るほどの高笑いをしつつ発した言葉。
「失敬失敬…………オホンオホン」
口元に拳を置き、二度ほど咳をすると、急にクールな様子を取り戻す。
ずいと顔を近づけてマモンは言う。
「何処でどうやって手に入れたのか教えていただけますかねぇ?」
「そんなこと俺に聞かれてもわからないな。人が持ってない力だっていうことも理解はしてるさ。しかし、前々からこうだったものでね」
近すぎる顔からは生ぬるい空気を感じる。
「そうですか…………。まあ、でも…………いいです」
腰を曲げて前のめりだったマモンは、背筋を伸ばし直す。そして不満げな表情をちらりと見せて、闘技場を照らす、雲一つない水縹色が広がる無限の空を仰ぐ。
「なんだ、その煮え切らない返答は。マモンの強欲を司るという評価は誇大されたものだったのか」
「あぁ、いやいや…………私は、あることを思い出しただけですから、その点については気にしないでください。誇大でもなんでもないですよ…………。むしろよりイメージを強固にするもの…………」
そこで、意味を考えさせるように間を開ける。必要以上に、それは焦らしているかのように。
そして、ゆっくりと、粘着質に開いた口から声を発する。
「あなた方は皆、ここで倒さなくてはいけないのでしたね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます