1-23 銀髪と罠(三)
銀髪と罠(三)
岩の岩が砂礫を挟んだじゃりじゃりという摩擦音を立ててスライドした壁に無数に並べられたうちの一つの岩は、フェムトが押した力で「ガコン」という音を立てて奥に入り込み静止した。
「何も…………起きないよ?」
「何処だ。このボタンがフェイクな筈が…………」
押し込まれた穴から手を引き抜き、周囲の壁に変化点が無いかを探す。
しかし、変化点は見つからない。足元にも壁にも、岩の形状のボタンの周囲一帯は、今まで同様岩が光を透過させて部屋の中を照らしているのみ、その光の色が変化するわけでも、凹むわけでも凸することも無く。
「ガイィィィン…………ガイィィン…………ガイィン…………」
三人は甲高く、脳内に直接突き刺さるうなりのある音を遠ざけようと耳を塞ぐ。
そして、その音とともに現れた大きな変化点として、フィルとエリスの二人が探していた壁側に、人の背丈ほどの剣身を持つ斧が二人を引き裂くように襲っていた。
どうにか尻餅はついた様であるが、一命は取り留めたらしく、無事動いている二人望む。
「二つ同時に押したら発動する罠か…………」
「やっぱり罠があったじゃん! 良かったぁあ、無事で何よりだよ」
二人の安全に一瞬の安堵を覚える。
「シュッ」
その中で嫌な音。
「…………ぁ」
音のした方向を振り返れば、その変化は一瞬で見て取れる。
開いた壁の一角。岩が一つ引き込まれたのではない、前もって入れられた、人工的な長方形の切れ込みに沿って引き込まれた表面の岩。
しかし、そこからは何かが出現するわけではなく、その辺りの明度が落とされたのみ。奥には何があるかなど一切見えず、暗闇がこちらを見ているだけだ。
「ドズン」
その暗闇の中赤やオレンジの極小なフラッシュが瞬いたかと思うと、一線に足元に何かが打ち付けられ、砕け散った物質がエアの身体へと衝突。
「きゃああぁああぁ!」
幸い地面との衝突により創傷能力は失われていた。
「フィィィル!」
次はこちら側が攻撃される番と知らせるべく、空間全体の空気を振動させてフィルの名を呼ぶ。
だが、その行為は別の意味を持たせる行為と昇華した。
「カァアァィィン」
音が轟いたのは三人の付近ではない。
鋼鉄の弾がフィルの肩を焦がして、巨大な亀裂に嵌って静止した斧に衝突。金属と金属のぶつかり合うことで発された不協和音と、頭上を通過して行く鋼鉄弾が二人を襲っていた。
「何で…………!? こっち側を襲わないで向こう側を…………!」
「それどころじゃないぞ、お主ら!」
肩の上がらない中に上を指した銀髪の老人。反対側で苦しむことになる二人を援護したい意識の中、天井の見えない真っ暗な空を見上げる。
「なんだ爺さん…………なにも…………」
「フェムト…………。気持ち悪いくらいの膨大な魔素が近づいてる」
「魔素だと?」
エアは確信を持って発している。しかし、フェムトには、魔素を感じることも、物体として視認することも叶わない。
そして、目の前にまでそれは現れると、存在に気づく。
「黒い…………埃?」
手を差し出して、まるで雪を手のひらに乗せるように不規則に揺れて落ちる黒い埃のようなものを待ち構える。
「だ、ダメ、フェムト!」
黒い誇りのような物体に触れようとしたフェムトを引き剥がそうと胴体に飛びついたエアのお陰で、首以上に多大な慣性が働き、瞬間的に鞭打ちのような痛みが走った後、地面に倒れ込む。
直後、その埃がどのような挙動をするのかを見守る。
「ボンッ」
地面と触れた瞬間小爆発が起こり、地面に黒い煤を残して埃という姿を消す。
「…………ぁ……」
喉から意図せず漏れた音。
地面は僅かに抉り取られ、その周辺に細かな砂や石を散らしている。
「膨大な魔素だって言ってるでしょ!? もし素手で触れたりでもしたら、穴が開くのか、腕ごと吹っ飛ぶのかわからないんだかね!?」
「そうだな。今のはおれが不用心だった、すまねぇ」
「ホントに…………。でもまだまだ降ってくるから気を付けてよ」
徐々に量を増して降り注がれる黒い魔素の高エネルギー体。
「あああああもう! 斬ってもダメ、手で払い除けてもダメ、床に触れる時に近くにいてもダメってなんだよ!」
避けることすらも一苦労。ある時、この降り注ぐ中の外へ出れればとも思いもしたが、早期であれば叶った願いであろうが、今となっては遅すぎる。既に対策とばかりに高密度で三人を囲むように降り注いでしまっているのだ。
先が見えなくなるほどの壁が築かれている。
「どうするの、フェムト! いつ終わるのかわからないよこれ!」
「死ぬまで続くんじゃないだろうなぁ」
「縁起の悪いこと言わないでよね!」
細心の注意を払いつつ、常に動き続けていなければ魔素の塊に当たってしまい一巻の終わり。更には一度当たってしまえば、爆発による力で振り回された身体がほかの魔素塊に触れてしまい、連鎖的な爆発を起こし、不思議なことに身体は粉微塵に成り下がってしまう。
「この魔素はどこからどうやって降ってきてるんだ」
純粋な疑問。助かるために思考を回しても、何一つとして答えが出てこない二人は別視点から、黒い埃の発生源について思う。
「それは…………」
上から落とされる魔素塊。しかしこれは、暗闇の中天井付近で生成されているのか、どこか罠のために保管されていたものを流してゆっくりと舞わせているのかが定かではない。
後者であってほしいという願いは持ちつつも、そう出なかった時の絶望はこの上ない。一生休みなく動き続けていなければ死んでしまうのだ、そんな中では人間としての尊厳など疾うに失われている。
「どうする?」
「うーん…………」
解決策が見つからない。
「ここまできたら賭けに出るしかねぇだろうなぁ」
「賭け?」
己の頭では、この中に一生閉じ込められたままで解決策など何一つ見つからないだろうと踏んで提案する。
「具体的には?」
「早速だが、フィルのアレを使う」
「アレ…………?」
フェムトは反対側にいるフィルを指で示したあと、自身の右腰をポンポンと二度ほど叩き、クランディルクの店で手に入れた『アークス』を暗示させる。
「ああ、なるほど! え、でも…………あれを使ったところで…………」
『アークス』とは、マモンの塔で手に入れたディセクタム・ドラゴンの鱗を使い作られた、一種の暗器。筒状で、かつ細長い形をした針状のそれは、ディセクタム・ドラゴンの紅い鱗の色を継ぎ、空中で加速するという特殊な性質を持ち合わせているもの。
「そこで賭け要素だ。もし、箱状のものから降り注いでいるのなら待っていればいいけど、恐らくその可能性は低いだろ?」
「そうだよね。だって、互いに触れたら爆発する可能性があるんだから…………」
「だから、多分上では、魔素玉のようなものがあって、そこから魔素塊が落ちてきてるんだと思う。その可能性に賭けてやる。具体的には、フィルが魔素塊をアークスで叩いて、できるだけ上空で爆発させる」
「そんなことしたら連鎖で…………」
「そう。だから賭けなんだ。恐らく連鎖して爆発するとしても、魔素塊同士の距離が近い方が爆発するタイミングが早いだろ?」
「…………衝撃が伝わるのは、一瞬遅くなるかな……?」
「つまり、外側の密度が高い部分は先に開ける筈だ。それを利用して、内部の爆発がこっちに影響する前に外に出るって魂胆」
「うぅ…………。鬼が出るか蛇が出るかわからないじゃんそれ」
「賭けだって言ってんだろ? どうする、賭けに乗るか、乗らずに前者だと信じて避け続けるか」
深刻な表情で、避けながら上をじっと見つめるエア。
「そ、そうだ。お爺さんは?」
「そうじゃなぁ…………」
腰に手の甲を当て、じっと動かずトントンと腰をいたわりながら上空を見つめる。
「わしは運良く、一歩も動かんでも当たらんかったんじゃ。上を見上げとっても、わしのところには一つとしてその魔素塊とやらは来んかった」
「これだけ魔素塊で満たされてるのに!?」
「ホッホッホ。これも今までの日頃の行いがよかったんお陰じゃろうなぁ」
笑いながら、運が良かったと言う銀髪の老人。
「それじゃあ賭けに乗るっていうことでいいです?」
「わしの最後の冒険になるやもしれんなぁ」
あぁ。完全に少年的な眼差しを取り戻している。
「よし、エアは? 否定してくれるかもしれなかったお爺さんが、思いのほか乗り気だが」
「はぁ…………。分かったわよ…………」
肩を落として、賭博師の道へ足を踏み入れるエア。
「ふぅ…………。それじゃあ実行しようか」
提案した自身も徐々に緊張感が増していく。
***
「注目すべき点は、存在自体が不自然極まりない、
銀髪の老人だ」
弾丸は「チュイン チュイン」と音を立ててエリスの剣や壁、床と衝突している。
その中で、全ての防御をエリスに任せてフィルが注視する点。
「気付いたら、フェムトたちの方も大概な事になってるが、その中でも老人は一歩も動かない何てことがあり得るのか?」
黒い埃が舞い散る中で忙しなく動き続けるエアとフェムトは、何やら会話をしながらだが避け続けることに成功している。その中でただ一人、銀髪の老人だけは黒い埃を交わすこともなく、視界に捉えることもなく、ただ呆然と、寧ろ堂々とすら見えるその面持ちは、得体の知れない生物を見ているかのように鳥肌を立たせる。
「ただ、あの黒い塊の様子だと、今ここから手は出せないなぁ」
「どうして?」
「なにかに触れると爆発するらしい」
「はぁ…………? 厄介な罠を設置してくれるのね、マモンっていう魔神は。それとも飽きさせないための仕掛けかしら」
力というシンプルなものは相当厄介だが、罠という情報として皆無なものももちろん嫌われる。肺に溜まった二酸化炭素を深い呼吸で換気する。
「それなら取り敢えず私の方を手伝ってほしい。人を相手にすることすら、近頃してなかったものだから、集中力が持たないわ…………」
「それなら、さっさと銃口を塞いでこよう」
「ええ、お願い」
淡白な会話のあと、グラディオの剣を握り直したフィルは銃口へと接近する。
すると、今まで標的をエリスとしていた型式も姿形全てが不明の銃は、狙いをフィルへと変えて数発の弾丸を放つ。
「キィィンッ」
たった一度だけの甲高い金属音。弾が一瞬見えようと既にその時点で手遅れ、よけられるはずもなく、況してやエリスのように斬って落とすことも出来ない。ならば、と身体の前に盾として構えていた剣に偶然当たり、直撃を免れる。
「ぅおおぉおおお!」
盾として機能させた剣は、三mを超える射出口に対角線いっぱいの長方形のなかに剣身を吸い込まれていく。
「よし、行った!」
奥まで突き刺さった剣は、壁に突き刺さった鈍い音と、銃口を斬ったような擦れる音をほぼ同時に発し、そのまま待機しても銃弾は発射される気配はなく、壁の中で反射して射出を免れているよう。
エリスに対してコクリと頷いたフィルは、刺さった剣を引き抜き、片足を立てて着地する。
フィルとエリスの問題が解決する瞬間を狙い、フェムトが話しかけてくる。
「おい、フィル! 頼みがあるんだ!」
「なんだ?」
小刻みに首を縦に震わせ、少々の焦りと、緊張が入り混じった面構えを見せるフェムト。
「この魔素の塊、どうしても中からだと出られないんだ。だから、見えないとは思うが、この塊が降り注いでるできるだけ上を狙って、アークスでぶっ叩いてくれ!」
「そんなことして大丈夫なんだろうな…………? これからマモンと対峙することに」
「大丈夫だって…………多分な」
その信じ難い言葉に、視線をエアに送ると、半開きの口で渋い顔をして、機械的にカクカクと首を十度傾けた。
「分かったよ…………」
そう口の形だけで音は発さず、腰元のアークスに手をかける。グッと下に押し込んで、ベルトから取り出したアークスを、暗闇の天井へと投げる。
「構えとけよエア、爺さん」
空中で段階的に加速する。それは例え重力に逆らう方向だとしても、そのようなものいとも容易く跳ね除け、暗闇の中へ消えていく。
「カーーーン」
見えない天井とアークスが当たった音だろう。同時に。
「ドン ズドドン ドドドドン」
段々と連鎖の段階を見せていく爆発の光は、一瞬天井を照らし、見る見るうちに空中を火花で溢れさせる。
狙いは確かで、外側の密度が高い面は連鎖が早く、内側では連鎖はゆっくりである。それでも、比較的という言葉を使えば。
上空から降り注ぐ魔素の塊は、僅かな反応であっても起爆する。つまり爆発の衝撃波が到達する程度の誤差しか存在しないのだ。
「行くぞ…………」
それでも始めてしまったものは、もう既に止められない。連鎖的な爆発は数秒のうちに半ばを超え、十秒を超える頃には視認できていた高さまで襲う。
そしてある瞬間。
脱兎の如く、魔素の塊を避けて脱出を図る。
エアもフェムトも、右へ左へ注意を払って足を巻く。
「だっはー! まともに息ができる…………!」
飛び出してゴロゴロと転がり、身体を揺らして酸欠を紛らわす二人。エリスは二人に近づき、声をかける。
その中で、無言で距離をとったまま腰元に手をやる一人。
「ビュッ」
アークスがフィルの下手投げで狙うのは、一人ゆったりと歩いて危険領域から脱出する老人。
力を抑えて、命中精度を上げたとはいえ、上方向に投げるよりは投げやすい。更には段階的に加速するアークス。
投擲したことを秘匿した状態では、最高とも言えるにも関わらず、老人は無駄のない動作で片腕をアークスへと伸ばすと、筒状のそれを片手で握り潰し、投げ捨てる。
「うそだろ…………!?」
「ウソだったらどれだけ良かったでしょうねぇ…………?」
フフフと笑い、細い目で舐め回すような視線でフィルを見る老人。
「やっぱりお前が魔獣だ」
「いやいやいやいや…………」
喉から漏れるような笑いを発して、次に言葉をひとつ続けた。
「ただの魔神ですよ。マモンという名の…………ね?」
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