1-20 観音開き

 観音開き


「マモンって言葉の響き、まだ覚えている? マモンについて、まだ皆が寝ている三日目に、クレインの街で随分調べたわ」

 今まで他愛もない会話だった内容から、唐突に真剣に話さざるを得ない内容に変えて話しをし始めたエリス。

「マモン…………? って、あぁ、塔の最下部の床に書いてあったやつのことか…………」

「そう」

「マモンって悪魔だったよな? 俺達は魔神とかとも言ってるが…………。あの塔にいたちょこまか動く烏も狐もあいつの眷属だってことは知ってるぞ」

「もっと言えば、あそこにいた針鼠もマモンの眷属よ」

 マモンの塔では、最上階へ登るために針鼠や狐を討伐しつつ先へ進んだ。針鼠は、その名の通り針を持つ動物で、フェムトが直線的で尖った針に覆われることにもなった。しかし、初めてであったものは、かえしが付く釣り針のような形状の毛並みを持つ狐だった。針金ほどとは行かずとも硬い毛並みを持ち、その狐はエアに抱きついたことで、エアと毛塗れにされてしまった。

「あとは……絨毯を見つけた時には、マモンは強欲を司る…………とかなんとか言ってたよね? だから、あの空間には山のように絵とか本とかが散らばってるって」

「うん。強欲が、直接物欲に繋がるかは人によるかもしれないけど、少なくともマモンにとっては一つの欲のうちだと思ってるの」

「それで、何か見つけたのか? 俺達より回復がお早いお姫様」

 クレイン街を発ち、森の中を歩くことおよそ一時間。

 ここ最近森の中のみを冒険していることから、木の根や草や石ころや、自身の邪魔となる物への対処も幾分か上手くなり、エリスに出会ってからのカストラムの街からバロール付近まで歩いた時よりも、歩き疲れるということは少なくなったと体感出来る。

 クレインの街の南から更に南部へと下り、山の手前に建てられた大刹の如く大きな祠を目指し、四人は時折、二、三の言葉しか続かない与太話をしながら先へ進んでいる。

 何度か魔獣に遭遇しながらも、傷は残していても痛覚を刺激する鈍痛に関しては完全回復を遂げた四人は、一度回復したと思われた天候が崩れるなか、目的地である巨大な祠の切妻屋根が僅かに見えた頃、これから戦うかもしれないマモンという存在について話し始めた。

「はいはい。えぇっと…………。さっきも言った通りマモンは、強欲を司る悪魔、魔神。塔で戦った烏も狐も針鼠もマモンの眷属なの。だから、絨毯にあったマモンの文字と、そこは一致するから、あの塔が何かしらマモンに関わりを持っているのは間違いないわ」

「そこまでは今まで聞いたとおりだな。あんまりマモンって言うのもほかの有名なものに比べれば耳にしないからそれくらいしか分からない」

「うん。私もそう思ったから調べてみたんだけど、メジャーじゃないからかそんなに詳しくは探せなかった。でも、マモンは姿形が、人間の胴体に烏の双頭を持っていて黒い…………」

「人間の胴体に烏の頭!? なんだその気味の悪い」

 言葉を遮って、身体の前で腕を交差させて震えるほどにオーバーなリアクションを取るフェムト。

 その突然発された声量の大きい言葉に、身体がぴくりと反応して、エリスの次の言葉がしどろもどろになる。

「そ、そうよ。悪魔だから多少は誇張されているのかもしれないけれど……。逆に、話によっては、髪を地面まで付きそうなほど長く伸ばした若い男として記されてたりもしたわ。こっちは胴体も頭も人間の形をもして描かれてたの」

「はー…………。やっぱりそんな悪魔実際に見たやつはとうの昔に死んでる訳だよな」

「あ、そっか。私たちが生まれるどころか、数百年はマモンどころか魔獣の一匹すらもこの世界のどこにもいなかったんだもんね」

「今となっては、目の前に出てきても一度戦ったことのある敵なら怯むことも無くなるくらいには、環境に慣れてきたからな…………」

「それはいい事じゃない。もう少し怪我のあとの回復も頑張って欲しいところだけどね。それに、魔素を無駄遣いして倒れたあとも、フィル」

 顎を少し上げて、わざわざこちらを見下すような位置から視線を送られ、嫌味を嫌味で返されたフィル。

「ハハハ……ッ」

「うんうん」

 手のやり場も無く、ただ首筋を指先で掻いて、一度合ってしまった視線を二度と合わせないよう右上を向きつつ苦笑いするフィルに、頷きながらにんまりと笑顔を浮かべているエリス。

「笑えない」

 気が気でない。

「まあ、とにかく、マモンはそんな姿形をしてるの。だから、ハッキリとはしないけど、そんな人がこれから行く祠にいたら気をつけて」

「了解だ!」

 威勢よくフェムトが返答する。

「そうだなぁ…………」

 エリスは昨日の出来事を思い出すべく、不安定な足元ながらチラリとも見ずに、右手の人差し指で左手のひらをトントンとたたきながら思い出す。

 そして「ああ!」と思い出したかのように続きを話す。 

「それに加えて、やっぱり強欲を司ると言われるだけあって、金銀財宝…………金目の物なら基本的に大好物な描写が多かった。それどころか、人間を誘惑して、誘惑された人間も強欲にしてしまう力を持ってるわ」

「一方的に魔力で何かされたら抵抗は出来るのかよ、それは」

「うーん…………。対処法までは記されてるものはなかったわね。基本的に古い書記の類の本を読み漁ってたのだけど、書いてあることといえばその地域で起こったことだから、対処法が書かれてなければ何か術が見つかった訳では無いんじゃないかと思う」

「なら、強欲にさせられた描写が書かれてたのか?」

「そう。特に何かをされた訳では無いから、魔法の一種だとは思う…………んだけど、当時から魔素について何か言われてた訳では無いからその辺りについては書いてなかったの。その代わりに、強欲にさせられた人間は、盗みに走ったり、白昼堂々と強盗を働いたり…………」

「強欲って言うのは、自分にないものを欲しがったりして、それを達成した時に快感を得る訳だろ? まさかその手段が犯罪だとは思ってもみなかったよ」

「細かくはなんとも言えないけれど、恐らく理性を抑制してる感覚なんじゃないかなぁ? 人間の三大欲求みたいなあれと一緒でさ」

「そうか。それは理性じゃどうにも出来ないように出来ていて、同じように枷を外してるのか…………」

「それくらいの事はマモンなら簡単に出来るはず。何せ、ある本には、マモンが山一つ吹き飛ばして平坦な土地を与えて、そこで取れるものを上納させたなんて記述があったくらいだもの」

「山だァ!? そんなことしてくれる悪魔だなんて随分と気前のいいやつじゃねぇか」

「ほんとにそう思う?」

「なんだよ、開墾するのは相当大変だろうよ。それを簡単にやってくれたんだろ?」

「まあ、上納しなくてはならないものが、相当な量強いられていたって考えるのは不自然ではないな」

「あぁ…………」

 フェムトは気付く。

「そういうことよ」

 一通り、エリスが前日に調べあげた敵についての情報を言い終わったころ、葉の隙間から覗いていた切妻屋根はすぐそこまで迫っていた。

「ほら、もう森を抜けるぞ…………」

「私の調べてきたネタも底をつきそうだし、警戒して近づきましょうか」


   ***


 人の身体の何倍あるのかわからないほど大きな祠は、塔の上から、そしてかなり距離が離れていたこともあって気づくことは出来なかったが、周りに生い茂る木々の高さも他に比べて有しているようで、その為か本当の大きさは隠されていたのかと思い知った。

「何もいない…………?」

「ここからだと、白い壁でわからないぞ」

 森の中で木の影に身を隠し、祠の様子を伺う。

 塔から見えない物の一つに、祠を囲むように作られた漆喰のような白い壁がある。

 四人から見える範囲では、壁内に進入できる門は一箇所、正面に構えられているのみである。

「入る…………?」

 エアは三人に対して順々に一秒ずつ送った視線で返答を求める。

「……慎重に、だぞ?」

 ここで先の道を断念するという選択肢が残されていないことから、自らが先頭に立ってじり、じりと歩みを勧め魔獣の気配を確かめつつ、白い壁に唯一見て取れる門付近まで一気に距離を詰める。

「ふぅ…………。中は…………?」

 右目だけで門の柱と門扉の隙間から覗くと、魔獣は居ないようだが、壁として見える木造の祠に圧倒される。

「……よし」

 罠もない限り安全だろうと、フィルの後ろをついてきたエリス以外の二人に対して手招きして呼ぶ。

「行くぞ……」

 油断して、敵に先手を取られて空中で身動きが取れなくなる等というマモンの塔の出来事が脳裏によぎり、必要以上に過敏になっている行動。

 しかし今回その甲斐虚しく、門を潜り抜け、敷地内へ進入しようとも、祠へ近づこうとも何も起こらない。罠どころか魔獣の一匹すらも襲ってこない程に平和な空気が漂い、森から聞こえる鳥のさえずりと葉の擦れ合う音が聞こえる程度である。

「デカイ」

「確かに大きい…………」

「どこかにマモンの手がかりはあるか…………?」

 あたりを軽く見回した程度では見つけられない。

 塔でもマモンの塔だと気づくには、障壁を抜けたあとの塔の外観だけでは不可能である。

「観音開きの扉を開けると、いきなりマモンが飛び出てくるかもよ?」

「祠は大きいけど、そこまで敷地が広いわけじゃないからなぁ…………。大きさが人間くらいなら戦いようはあるかもしれないけど、バロールくらいの巨躯だとしたら、戦いにくくて仕様が無いよ」

「確かに祠が大きいだけって言うのがあるかもしれない」

「これもマモンが作ったんだろ?」

「多分そうじゃないかな…………」

「強欲だから、他人より大きい自分の家が欲しかったけど、バランス悪く作り過ぎたんじゃねぇの?」

 そうであれば、どれだけ悲しいことになってしまっているのか。これだけ周囲には森という開拓し放題の土地があるにもかかわらず。

「まあ、いいさ。戦うのは間抜けな方が楽できるだろ?」

「でも、気は抜かないでよ? ここが第一の匣があるとするなら、他に六つ…………。つまりこの世界にある最も力のある魔獣七匹の内の一つなんだからね」

「……っ」

 思わず言い方を変えたエリスの言葉に緊張感が増して、生唾を飲まされる。

 しかし、それも事実。アイギスの匣は七つ、これは紛うことなき事実なのだから、単純に考えれば祠の中にいるマモンは、マモンの塔の地下に封じ込められていたディセクタム・ドラゴンよりも強大な力を持つと考えても相違ないと言えてしまう。

 エリスの一つの言葉で様々な想像がもたらされてしまうが、先へと進むことは変わりない。

 無言のまま扉を見据えて、祠の大きさに似遣わず人が使える蹴上に調整された数十弾を擁する階段を上る。

「開けるぞ…………、下がってて」

「ゴゴゴゴゴゴゴ…………」

 観音開きであるから、祠の扉は手前に開かれる。

 まるで地響きのような音を立てて開く扉。ゆっくりゆっくりと開いていく。怪我のないよう、最上段から少し下がらせて扉が完全に開ききるまで待つ。

「ゴスン…………」

 扉が蝶番を百八十度開ききり、祠全体を揺らすような振動をさせると、パラパラと空から砂埃が四人に降りかかり、喉から咳をする。

 フィルは後ろを振り返り、後方で待機していた三人に合図を送る。

 コクコクとうなずいてから階段を上ってくる。

「何もねぇじゃねぇか……。まさか外したのか?」

「そんなまさか…………マモンの塔が示したのはたしかにここのはずなのに…………」

 この祠はマモンの塔同様、最も近い拠点となりうる箇所はクレインの街だ。であるからこそ、この祠が元々あるかないかはその街にいれば判明していたはず。それにもかかわらず情報は何一つなかったのであるから、マモンの塔でディセクタム・ドラゴンを倒したことによって祠が出現したと考えるのは何ら不思議なことではない。

「…………」

 言葉なく祠の中へ侵入する。

 内部の中心まで辿り着いて、ぐるりと一周、祠の内部を見渡しても、御神体と思しき物体は存在しない。

「ここからどこかへ移動する術があるなら、マモンに関わる何かがあるのかとも思ったんだけどなぁ」

「本当に何も無いの…………?」

「あれは…………」

 エアはトタトタと軽い足音を立てて、フィルの横を通り過ぎて最奥の壁へと向かう。

「何かあるよ!」

 最奥の壁は見渡しても、ただの壁にしか見えなかった。しかし、エアに呼ばれて近づくとそこには壁刺さった釘に掛けられた、小さなペンダントのような金属製の物体。

「なんだろうこれ……?」

 エアはその金属製のペンダントに手を伸ばして触れる。

「っああぁ!」

「え!? 何!?」

 突如ぐにゃりと視界が歪んで、その場にたっていられなくなった四人は、ガクンと膝が折れるように倒れ込むと、重力に押しつぶされるように木製の床に頬を付けさせられる。

「……っ」

 ふわりと自由落下する感覚。

「っあああぁあぁあああぁ!?」

「フィ…………フィルぅ!」

 半泣きで手を伸ばすエアの手を取って引き寄せる。

 落下する感覚は、いつまで経っても止まない。

 罠のように突如床が開いたわけでも、何かに捕まって天空まで連れていかれた後に落下したわけでもない。ただ、ペンダントに触れただけで、視界内は明度を落とされてこの事態に陥れられた。

「またッ」

 結局油断して、危機に見合うことになる運と注力の無さに希望を無くしながら、底の見えない四角い縦穴を落下していく。

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