間8 幸運なこと(二)
幸運なこと(二)
「放せフィリア! その手をおぉおぉ!」
「ダメだよアスカ。話したら皆まで」
「離せえええぇええ!」
力尽くでフィリアの腕を火球から引き抜こうとする。
しかし、フィリアは分かっている。火球の核に触れている左腕を少しでも逸らしてしまえば、その被害はこの腕だけでは済まなくなってしまうことを。
「はな……さない……ぃぃぃい!」
火花は、手を伸ばすフィリアにも、腕を引き離そうとするアスカの顔にも襲う。
ディセクタム・ドラゴンの下級に包まれてもなおその形状を保ち続けているパイルパッドには流石だと言うしかないが、それを支える腕は既に感覚があるのか無いのか、そもそも皮膚が残っているのかそう出ないのかすらも分からない。
「ダメだ、アスカ!」
イオナは直剣をドラゴンを牽制するように構えたまま振り返らず口にする。
「ダメだ!? そんな事言ってたらフィリアが」
「フィリアだから!」
フィリアだから、梃子でも動かない。きっとそう言いたいのだろうと、アスカは察する。パーデットと呼ばれる前は彼女はそのタイプの人間ではなかった。人には気を使えても、身を犠牲にしてまで接するような。
アスカは、その変わりようが煩わしく感じながらも、仕方の無いことであるから飲み込んで、噛み下してきた。
「…………ぁあぁぁああああ!」
最後にもう一度だけ視線をフィリアに向け、しかし間も無く意識はドラゴンへと飛ばす。
しかし、こうなってしまってはどうしようもない。ただ、フィリアの善意を最大限活かして目の前の敵を倒すことのみを考えなくてはならないのだ、それ以外はここで諦めよう。
「ふざけるなよ」
口篭り気味に漏らした言葉の矛先は、フィリアの腕に致命的な被害を与えた火球を放ったディセクタム・ドラゴン。
「ジャリッ」
炎が靡く横で、低い姿勢に構えた大剣は地面に接する。
「ガァアアアァアァアァ!」
ドラゴンの咆哮は、既にモーションに攻撃入っている、尻尾の薙ぎ払いと同時に最大音量に達するだろう。最大音量の咆哮と共に訪れる最高速での薙ぎ払いは、ドラゴンの体躯を鑑みれば恐らくフィリアにまで到達する。
それに対して何も感情の起伏は激しさを増さない。寧ろ凪の時間が訪れている。
ただ、見開いてドラゴンを見据える眼差しは鋭いまま。
「…………ッ……ァァァア……」
刹那秒前に、その薙ぎ払いを最前で打ち返すべく直剣を水平に振りかぶるイオナに遅れ、アスカは攻撃動作に入る。
「ガランガランガラン…………」
必要以上に重量のある剣。
「いち、にの、さんッ」
心の中で三つ数えてタイミングを計る。
一撃に特化した剣の切っ先を地面に擦らせながら、頭の中で数えた三つ目で「ドン」という合図を引き金に、足を巻いてドラゴンの元へと曲線を描いて近づく。
「ぅあぁあッ!」
「ハァァァアァァアア!」
二人の打撃タイミングは一致した。
イオナが水平方向にドラゴンの尻尾を打ち返すように。
アスカは斜め上から、イオナの頭上に腕を通しイオナの打撃部位の付近を正確に狙って、一点集中的に打ち返す。
「…………」
直撃した瞬間であっても、ドラゴンは二人の打撃にも何一つ漏らさない。
「いいぞ……」
「このまま行くよ!」
ドラゴンの尻尾の一撃は辛うじて打ち返すことに成功した。両者に襲う反動はドラゴンよりもイオナとアスカに対してのものが大きくなってしまうが、僅かながらも後退させたドラゴンを前に、追撃を行わない理由は無い。
「下」
イオナはたった一単語、そうとだけ言い、自身がドラゴンの下方で、敵の意識を引きつけることを視線をあわせてアスカに伝える。
瞬時にイオナの意図を理解したアスカが目指すのは、背中にネムルと自身との二人で穿ったと言っても過言ではない、鮮血を垂れ流す以外に用途の無い傷。
「ガィィィィンッ」
わざとらしく直剣を地面の石畳に叩きつける。
この際ドラゴンの鱗はイオナの直剣でもアスカの大剣でも穿てないのであれば、刃毀れなど気にしている場合ではないと、ドラゴンの意識を奪うべく火花を散らすほど強い力で叩きつけた。
「…………っと……」
ドラゴンの股下を滑るように通り抜けたアスカは、イオナが直剣で鼓膜に突き刺す鋭音を発させたと同時に、ドラゴンの視界外後方から紅く硬く、しかし薄い翼の付け根に妻先を掛けて、高く飛び上がる。
「ゼッテェ…………」
併せて振りあげた大剣は橙の光に加え、ドラゴンの顔を正面から反射させていた。
誰も気づかないまま。
「許さねぇ!」
眉間に皺を寄せる程に力を込めて目掛けた一閃が向かう先は、数分前に穿った背中に存在するたった鱗一枚分の傷。
「ぇぇえぇえぁああああ!」
その瞬間蠢いた視界端。気持ち悪く、残像のように紅い筋が面的に広がるような。
「きゃあぁああァ!」
耳に届いたのはイオナの叫び声。
謎に思う暇も、であるから顔色を変える暇もなく。
「ゴッ」
それは鼓膜を揺らした音ではなく、頭に響いた音を直接感知したような、鈍痛とともに訪れる重低音の効いた音。
気付けば、身体は宙を舞っている。
一瞬見えた紅いものは、十中八九ドラゴンの鱗。
先ほど足蹴にしたドラゴンの翼が、アスカの左側面を猛烈な強さで打ち、その勢いで地面に叩きつけられる。
「ガァッ…………!?」
背中を強く打ち、息が詰まる。
喉を何度も掻き毟り、吉川線の如く傷が出来上がる。
「っは…………何が…………」
数十秒の後、アスカはどうにか呼吸のリズムを取り戻す。
ガンガンと痛む頭。
「ガァアアアァアァアァアァアァァァァア」
過去最も長く、最大の咆哮。
真っ暗な天空を臨むかのような格好で、ドラゴンは猛る。
「……ぅ…………」
口元から漏れそうになる唾液を無理矢理に飲み込んで、気持ちを落ち着けようとするが、地面に右手のひらから伝わるひんやりとした感覚のせいで、身体中を波打つ鼓動は、その速さを上げていくことが良くわかる。
「無理だ…………」
マイナス思考。
ドラゴン越しに視界に収められるイオナは、既に横たわる。更に、同時に視界内にはフィリアも入る。
その頃やっとフィリアを襲う火球は消える。
「……っぐぅあぁ……」
飛び散った火の粉で焦げたり穴が空いたりしたスカート。痛みに耐え切れず振った首は、フィリアの口内に髪を含ませ、それすらも噛んで独特な火炙りによる痛みを堪える。
「ぃたい…………いったいよ…………!」
痛いとしか口にできないフィリアは、痛みで瞑っていた瞼を開ける。
ゆっくりと。
「……っぁ…………」
絶句。
言葉を失っただけならまだしも、彼女は左腕を失うことになる。
パイルパッドを支えるためには必要不可欠の重要な腕の片方を。
「あ…………っあ」
思い浮かぶのは、つい先刻も脳裏を過ぎった、ドラゴンによって殺されたネムルの腹部に空いた大穴。
同じ末路を追うことになる。回らない頭でも察することが出来る。失う部位がたった腕だけでも、死ぬと。
「ボタッ…………ボタボタッ」
断続的に地面に溜まる血液。
炎に焼かれても塞がらなかった、却って焼かれてしまったから開いたのか、音を立てて地面に伝う血液の量を見れば、明らかに危険水域へ達していることが素人目にも分かる。
「フィリア…………?」
重い足取りで接近してきたのはアスカ。
一歩一歩の間が心臓の鼓動を二つ三つを余裕で経過させる程のゆっくりとした歩調。
「フィリア…………!」
アスカは立ち止まる。
フィリアは、視界端にアスカの足先を捉えると、俯き気味に腕を眺めていた目を、アスカへと向ける。
「……っぅう」
その目は既に透明な液体が膜を張り、光を不規則に反射させていた。
その目に映すものは様々。
既に戦闘をする気もないのか、体を丸め、翼を畳んで横になって休息をとるドラゴン。
吹き飛んだイオナは、どうにか自力で立ち上がり、もぞもぞと動くドラゴンを遠回りして避けてこちらへと近づいてくる。
そんな潤う眼球が写す光景は、痛みを瞬間的にも忘れさせる。
アスカはフィリアの右手を両手で握りしめる。その手の温もりはしっかり感じられることは、少し安堵させる要素でもある。
「もうさ…………」
顔を突き合わせたふたり。
アスカは憂いに満ちた笑顔を浮かべ、少し首を傾げて言う。
「帰ろうか……?」
面と向かって言われたフィリアだけでなく、ネムルを直接その手で一旦は救ったイオナを含め、そんなことネムルが聞いたらどう思うかと言い返したくなる。
しかし、言えない。
最も先へ先へと突っ走る役のアスカがそう言うのだ。元々、最後衛で全体の状況を把握しなければならないフィリアがその役を失い、周りが見えなくなった中は止めてくれる人がいないと同然。その中で立場を逆転して、正しき箇所で制止役を買って出てくれた。
その判断はきっと間違っていない。
「帰ろうよ…………!」
アスカの声は震えていた。
どうして震えているのか。悔しいのか、ネムルを思ってなのか。
しかし、死を感じた時点で、早く撤退を決断すべきだった。
「こんな…………」
感情が湧き出てくる。涙混じりに発する声。
「……ん……?」
連鎖的に、アスカも嗚咽をこみ上げてはっきりとしない音で、間を開けて反応する。
涙を流して。
「こんなの…………、勝てるわけないじゃん…………」
ネムルにはどれだけ謝罪を重ねても、その気持ちを伝えることは出来ずとも、この状況を打開することは不可能だという結論に達する。
好転しないのだから、ここから離れるべきなのではないかと、頭の中でみんなそれぞれに思ってしまっていた。
「フフッ」
悲しげな表情ながら、脆い堰が決壊したような笑いを発する。
直後息を吸い直して。
「ここでネムルに会ったら、凄い剣幕で怒られちゃうよ」
聞いて起こりそうなネムルを思い浮かべる。
普段から大人しい訳では無いネムルは、誰よりも喜怒哀楽の感情に富んでいた。わかりやすい怒りの感情を顕にすれば、誰も傷つけるつもりなんてないということが丸わかりな攻撃を、「ポコポコ」という擬音が適切な力で行う光景が容易に想像できる。
「…………ははは…………」
フィリアとアスカは気力なく笑ってみせる。
真剣なまま向かい合う二人に、イオナが加わる。
「良かった…………。誰も「帰らない」って言わないで」
ここでもし「帰らない」と言えば、逆にネムルに怒られるかもしれない。
どちらにせよ、ネムルは表面上のみ怒ったような様子を見せるのだと納得して、思わずその平和な状況に笑みを浮かべる。
「帰ろっか……」
戦略的撤退と言えば、少しは聞こえは良くなるのだろうか。
三人は、ドラゴンをこれ以上触発させないよう注意しつつ、この薄暗い地下空間へと下る口に向かって、柄に長いロープが結び付けられたイオナの直剣を投擲し、唐の外で固定されたことを強く引いて確認する。
無言で三人は塔へ登りきる。相も変わらず、周囲は暗い障壁が包み込み、そのせいか陰湿な雰囲気を作り上げている。
湿気の高いジメジメとした空間は嫌だと、塔外部の螺旋階段を伝って下り、一先ずは情報を得たクレインの街へと向かうことにした。
思わず「帰ろう」と口に出たことは、素晴らしき判断だったのだろう。
既にアイギスの匣開放戦において三人の仲間を失っているパーデットの彼女達にとって、唯一幸運だったと言えるのは、ディセクタム・ドラゴンを相手にしたにも関わらず、フィリアの腕一本のみの被害で済まされた事だったのだから。
***
「ガァアアアァ…………」
むくりと起き上がったディセクタム・ドラゴン。
人と言葉は通じなくとも、ドラゴンが起き上がった理由は、再び地下空間が暗闇に包まれたということ。
「ボッ」
その音が一つの燭台につき一度づつ、円形に地下空間の壁に備え付けられた、計百二十八個のそれは、一つずつ連鎖反応的に一つ目から消えていく。
元々コーダの街の付近の上空を優雅に舞うことが出来たドラゴン。しかし、翼を広げ、滞空可能、滑空可能なほどの広大な空間であるとはいえ、ドラゴンに加わるストレスは半端なものでは無い。
「ドズン」
壁に衝突し、脱出を試みる。
紅い鱗は剣を通さぬほど硬い。しかし、周囲を囲む石壁もドラゴンの力では面積によってか、破壊ができないほどに硬質なものである。
衝撃は凄まじく、塔そのものが揺れるほど。
「ガァアア!」
全ての炎が消える前に、たった一部でも壊せないのか。
人が訪れる度に毎回同じ行為を繰り返す。遂にその回数は三桁を越えた。その度に諦めざるを得ないドラゴン。
元々この地下空間に存在していなかったドラゴンは、何故この地下空間に封じ込められているのか。
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