間6 亡失の内腔
亡失の内腔
空の旅は思いのほか快適だった。
「ぐうぅううぅ……ぅあぅぉ…………!」
空気抵抗さえなければ、独り占めできる広大な世界の景色と、ドラゴンという特殊な魔獣の上に跨って乗っているという様体はなんと素晴らしきものなのか、そう思っていたことだろう。
全く今は思っていないが。
「ばふっ」
「うっぷ」
羽撃く度に顔にあたる硬い鱗に覆われた翼が、イライラを募らせる。
「はぁ」
しかし、手に触れられる目の前の魔獣は、全てを失わせることの可能な力を持つ害悪な存在だ。
下を望めば明らか。広大な景色の一部はいくつも煙の筋が昇らせている。その原因、つまり森を燃やしたのはこのドラゴンだ。
「お前がいなければ、あそこで親子は死ななかった」
コーダの街でのまだ未来ある二人を失わせたドラゴン。
「お前がいなければ、あの森も燃えてない」
延焼し続ければ、いずれは森を焼き尽くす。種火は十分過ぎる。いや、既に種火という言葉そのものを用いることが間違っているのではないか。
「…………お前がいなければ、私は苦しまない」
頭の中では様々な想いが重なり合っているのだ。アイギスの匣閉ざされてから過ぎた数カ月。この数カ月の間に勃発した物をすべて記憶の奥底に封じ込めたままにするには、些か与える衝撃が大きかった。
「ズッ…………」
「無理なものは無理だよ」そう言って、力尽くで四人のもとを離れてきた。怒りの遣り場が四人に向かってしまいそうだったから、ドラゴン以外にその怒りを向けるのは正しくないと思ったから。
しかし、その中でも死んだら元も子もないということは忘れられない。そう言ってくれる人がいたから。
だから沈んだように穏やかな心境で短剣を鱗と鱗の間に差し込む。
「…………ゆっくり、…………ゆっくりと…………」
一枚でもこの鱗を剥がせれば、そこから体内を切り刻む事も可能かもしれない。
「ぬちゃ」
そんな擬音が似合う、耳障りな音が風を切る中でもハッキリと伝わる。
心の中では、やはり横から突きつける力には鱗も強いが、こうして差し込めば弱点になりうることに安堵感を覚えている。
「カツン」
その何か硬質なものに切っ先が触れた感覚。
「らあああぁあああぁ!」
勢いよく、跨る背中付近の一枚をテコの原理で剥ぎ取る。
「ガァアアァ……!」
翼の羽撃きが一瞬停止する。
「っ……!」
同時に数メートル落下する。元より地に足のつかない空間にいるが、さらに空気に落とされる。
次の羽撃きを見せる頃にはコーダの街との高低差は数十メートルまで迫っていた。
しかし、何よりも視界に入ってきた光景に驚かされるのは、剥ぎ取ろうとした鱗が本当に剥ぎ取れてしまったこと。
「取れた」
思わず口からぽろりと漏らす程度には想像していなかったことでもある。
ならば、と短剣を逆手に持ち力の限りその一点に突き刺す。
「ガアアァ!」
やはり流石のドラゴンも痛みには耐えられないようだ。羽撃きを止めなかったのはどこか意地のようなものが多分にあるとしても、考えそのものは間違っていなかったことにまた喜びを感じる。
しかし、ドラゴンがした二度目の咆哮は、確実に背中に乗るネムルに向けられたもの。
そこで何をしていると言いたげなドラゴンは、突如空中でアクロバット飛行を始め、彼女を振り落とそうと必死になる。
「離さ……な…………いぃいぃぃ!」
ここが攻め時であるのは間違いない。逆にここで逃してしまえば、今後容易にドラゴンは下降して来ない。そうなれば折角の機会を不意にすることになる。それが出来るほど精神的にも状況的にも余裕などない。
「……っあ…………」
思わず声が漏れたのは、宙に身体が浮遊したと感じた瞬間。そしてネムルの視界を覆うように、ドラゴンはネムルと顔を突き合わせた体勢をとる。
急激に加わったねじりの回転によって、力及ばず引き剥がされてしまった。
気づいた時には既に時を失している。ただただふわりとその場で、重力も空気も無いような。
そして、いつの間にか身体中にドンと襲う衝撃。
「ああぁああぁぁあぅ…………!」
その強さは尋常ではない。ドラゴンがネムルを振り落とそうとして徐々にあげていた高度で稼がれた距離を、ドラゴンが尻尾で叩きつけた一撃で瞬く間に消費する。
「あぐっ…………うっ……ガッ」
空の粗野な旅を一瞬で終え、初めに打ち付けられたのはコーダの街を囲む火口の外縁部。その後、中に満たされつつある溶岩の中でも、既に黒を呈して冷まされて硬化している一部分に二度ほど叩きつけられ、転がされ、最終的に消え去った街を真横に一線横切って、反対側の火口外縁部にどうにか手が掛けられた。
「……ダメだ。…………ちか……ら……が…………」
地面で擦り、一瞬触れただけでも当然その熱量で焼け爛れる肌。
それを露わにしつつ、指先から抜けていく自身の残された力の量が底を尽きそうであることを察してしまう。かと言って、痛みのある、見れば異形になっているだろう右腕で壁を掴もうにも動かない。
「あ……ぁ」
何か策はないかと火口縁と身体の隙間から真下の様子を窺えば、辺りと何ら変わらぬ、ゆっくりと硬化していく溶岩で満たされているのみ。
「…………る……」
「ガアアァア」
存在感を漂わせるために放つ咆哮をしつつ、ドラゴンは接近する。
外縁部を掴む親指はとっくに外れ、今は小指が辛うじて外縁部と摩擦によって乗っているに過ぎない。
「ダメ…………かな」
何故あれほどまでに怒りに猛っていたのだろう。目の前で人が死ぬことなど、ここ数ヶ月で当たり前のことになってしまったではないか。それすらも、長いドラゴンとの飛行で頭から抜け落ちてしまったのか。
ネムル自身、久々に感情を前面に出したために大きな失敗をしてしまった、と今となっては取り返しのつかない後悔をしている。
「ネムル!」
声はあるきっかけでもあった。
完全に火口外縁部から離れた手。それが切っ掛けであっても、自身から手を離すなんて愚かな真似はしない。偶然、声がした時に手を離れてしまったのだ。
「じゃ」
所詮数ヶ月の付き合いの人間だった。色々あって、いや、色々あったけど、濃いも薄いも全て覚えている。
「ダメだから! ダメだ!」
「…………え……?」
手を掴んだのはイオナ。声を出したのもイオナ。
ここに来るとわかったから、少なくとも手の届かないほどまで落下したはずなのにも関わらず、何故捕まえられ、身体が落下してないのか。
「いい加減頭を冷ましてよ……!」
身体が僅かに持ち上がる。
「その無駄に重いプレートは何のために買うって、自分で言ってたの!」
そう言えばそんなことも昔、この防具を手に入れた時にイオナに言ったことがあるかもしれない。
『すーぐ頭に血が上る性格だから、多少攻撃されても耐えられるくらいの防御力してないと、簡単に死んじゃうもん』
「今回はさ…………多少どこらじゃないもん、イオナ」
本来、回避すべき攻撃だったが、それは叶わなかった。いくら厚く頑丈なものだとしても、露出した部分はタダでは済まされない上、衝撃はプレートの内部にも伝わるのだ。
「無理なものは無理だよ」
先程までとは意味が違う。
「ううぅぅ……!」
ネムルの手首を握る手に力を込めてなんとか上に引き上げようとするイオナ。しかし、飛び込むようにネムルの手と、火口外縁部を掴んだことで、その力は鈍い。
助け出すには多大な時間が必要かもしれない。
「ドンッ」
大砲の音と即座に気づく。空高く、しかしドラゴンまでは届かない大砲の重い弾は、ドラゴンの気を引く要因となる。
その時間を用いて、ネムルを引き上げる。
そうして、息を切らせ切らせどうにかボロボロの身体のネムルが、外縁部によこたわらせることに成功した頃。
「皆さん、大丈夫……じゃ無さそうですね……」
「え、ええ…………。でもあの大砲はすごく助かりましたよ! お陰で、落ちそうな仲間を助けられましたから!」
こちらに駆け寄ってきたのはドラゴンの討伐隊隊長を務めている人物。
「なんとか一門だけでも、持ってこれればなにかに使えると思ってたんですが、お役に立ったなら良かったです」
「ドォン」
たったそれだけのやり取りをした後に、再び大砲の音。
今回は先ほどの一発と勝手が違った。
「ガアアァア!」
気を取られ易易と降下し、今にも襲おうとしているドラゴンに向けてほぼ垂直に砲弾を発射した。華麗にドラゴンは避けるが、当然元の位置に戻れば、空か鉄の弾がドラゴンに降りかかる。見事背中に命中させたのは奇跡と言うべきか、ドラゴンの怠慢と言うべきか。
どちらにせよ、ドラゴンは痛みで怒りが再燃してしまう。
「背中に……当たったんだ……」
ネムルは誰にも聞こえないようなか細い声で発する。
ドラゴンの鱗であれば、砲弾一発などではビクともしない。しかし、ドラゴンは叫び出すほどの痛みを感じたのだ、そう考えてもおかしくはない。
当のドラゴンは、高度を取り、滞空姿勢。
「何をする気なんだ……」
繰り返される攻撃に嫌気がさす。
そして現状。火傷によって手が握れないアスカと、力を込めようと動けないネムル。更には穴の空いて、盾がわりにも使えない耐久値に難有りな大剣持ちのテイナ。
装備そのものと、身体という資本が脅かされてしまっているのだ、対処することにすら一苦労を要する。
「バチバチッバチ」
再び口元に火球を生み出す。
「ドォン」
やはり大砲の弾では攻撃できない高度まで飛び上がられている。
「音が…………」
「いや、それどころか空気が気持ち悪い…………」
瘴気とはまた別の何か。そもそも瘴気であればこの大気によって中和されるはずである。どこか、薄くなったような、そんな感覚。
「バチッ」
一つ音がする。空気を震わせるとともに、ドラゴンの口元の火球が一つ増える。
幾度も幾度も繰り返される、凝縮と分裂。一見すればドラゴンの口元には初めて見た時と同様の大きさの火球しかないが、そこには、小さな火球がしかも高威力のものが無数に存在していると考えられる。
「今から崖を降りても間に合わない……」
「そんな悠長なこと言って…………」
居られない。
「ガアアァアアァアァ!」
一際大きな方向で、火球は四方八方へと散開していく。その範囲は、自身が巣食っていた正気に塗れる枯れ山にも及ぶ。
「降ってきた……!」
当然、パーデットの五人の頭上にも、今降り注ぐ。
「私にやらせて」
一度目の火球に対処できたのは、間違いなくフィリアのパイルパッドのお陰だ。だからこそ、今回も同様の働きを期待する。
ゆっくりと揺蕩うように降り注ぐ火球に狙いをつけることは簡単だ。重要な点は唯一、その火球を打ち砕くために必要な火力。
「……っぐぐ……!」
セカンドのパイルパッド。威力特化型のセカンド状態でも、それが崩せるのかは分からない。
「…………フッ!」
狙いを逸らさないように、かつ弦からの力を最大限矢に伝えるように手を離す。
「ビュン」
風を切る音は上出来。
「バンッ」
破裂音に近い衝撃音。衝突と同時に、強烈な光が辺りを包み込む。
火球が持つエネルギーがすべて放出されているかのような。
思わず目を瞑ってしまうほどの強烈な光は、連鎖的に、すべての火球とはならなかったが数個を巻き込んで、被害の軽減はできたのだろうか。
「え?」
しかしそれらが明らかな罠だと気付かされた時には全てが終わっていた。
「ああぁああぁあああああぁあぁぁぁああ!!」
頬を叩きつける風。
光を透けさせている紅き鱗。
その魔獣は、光に乗じて急下降し攻撃を繰り出していた。
「ネ、ネムル…………」
攻撃とも言えないほどの乱雑なもの。
ドラゴンはただ爪を立て、ネムルに片足で伸し掛るように着地した。
「あっ…………ああぁあぅ…………」
眼球が飛び出そうに見開かれた目。その顔は見ていられなかった。
「離れろおぉおオオォ!」
咄嗟に剣で切りかかる。四人が皆、加えて隊長も、その光景を見れば誰もがネムルを助け出そうとする。
そう。
その圧力に屈したネムルの身体は、腹部に爪が突き刺さり大穴を穿ち、それ以下に関しては完全に潰されてしまっている。
「…………」
痛み故に完全に意識もない。
ドラゴンに斬り掛かるが、幾度剣を突き立てようとも鱗を通す気配など感じられない。
「ガァアア!」
一度、足元に群がる人間共を邪魔だと威嚇する。そして翼を羽撃かせ宙に舞う。
そして、くるりと方向を転換させ、満足したようにゆったりとした翼を魅せて、視界から消え去っていく。
「ギャアァアァアア!」
そんな叫びは至る所から聞こえていた。
凄惨な図。人々が、降り注がれた火球により、燃えている姿が見える。
しかし、そんな姿ネムルに比べれば大したことないと思えてしまう。
「ねぇネムル!」
「目を覚ませ!」
希望をもてど、この様子では目を覚ませば奇跡だと誰もが思う。
手を握り、頬を叩き、最後に1度でいいから目を開けてくれと頼むしか出来ないのだ。
しかし、想いが伝わってか意識をパッと取り戻す。
「あ……ぅ」
「ネム……!」
「せ…………な、か……」
「背中?」
ネムルはコクリと僅かに頷く。
「うろ…………こ……」
「鱗…………。まさか、剥がれたの!?」
口角を上げて頷く。
「だから…………、たお……し、て…………」
涙が流れそうなのを、舌をかんで耐える。
「ね…………?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます