間2 囚われの竜

 囚われの竜


「シュルルルルル……」

 自由落下をする身体は、内蔵が上部へと押し上げて口から飛び出してしまいそうなほど不愉快だと、必死に神経にから脳へと伝えていた。

 細く暗い、色を滅多に表さない縦穴を抜けると、広い地下空間に辿り着く。縦穴の入口にロープをかけるでも、縦穴の細さを利用して腕と足を支えに地道に降りるでもない。腰に結びつけた鉤爪の付いたロープを視界が開けた瞬間に二方向に投げた。

「……うっ」

 この感覚には慣れないと多少諦めは付いている。

 いや、痛いものは痛いのだから諦めをつける必要は無いとも分かっている。

 しかし、腰に巻き付けられたロープが徐々に身体を締め付けていく感覚がもたらす痛みに耐える。ギリギリと歯ぎしりを鳴らしそうになりほど歯を食いしばる。顔は幾許か歪んでいるだろうが、空に浮いている間にその顔を見られることはないのだから、今のうちに歪ませておくのも一つの手だ。

「……スタッ」

 スマートな足音を立てて着地する。

「グルルルル……」

 ドラゴンなのにも関わらず餓狼種や走鳥類の一部のように喉を鳴らしている竜。当然、呻きは他に比べ低音を厚く響かせているが。

「広いな……。わざわざこの塔の地下にこんなもんを作るとはよっぽどのボンボン見てえだな」

「いっつもボンボンて言うけど、魔獣の中にもそんな観念あるのかな」

「分からないよ、ふーちゃん。結構初期に戦った魔獣だと、身に付けてるものでランク付けされてるなんてこともあったじゃない」

「あぁ! 確かにあった…………かも」

「んなこたァいいんだよ! 竜だ、竜! ドラゴン!」

 自分から話振っといてひどいなぁ。

 そんな顔を浮かべているフィリアに対して、アスカはドラゴンの居所を探る。

「何処にいやがるクソドラゴン」

 地下空間は広い。その情報を得る手段としては、塔の上部にある松明が発する光によって地下空間が薄らと照らされることが一つ。他にも、開けた瞬間から地面に到達するまでの時間も然り、ドラゴンが鳴らす喉の音が反射している音からも察することが出来る。

「出入口が細いのも一つの策略なんだ……。ドラゴンと対峙しても、照明の一つでもなければ戦うことすらままならない……、一方的にやられ……」

「シッ……!」

 イオナがフィリアの口を優しくてで覆い、続きの言葉を遮る。その行動にフィリアも一瞬驚きの表情を見せるが、その後すぐにコクコクと二度ほど頷いた。

「フシュー……フシュー……」

 どこからか聞こえる音。それはドラゴンのものと思われるが、どこからか発せられているかが特定しにくく、未だその姿を視認することが叶わない。

「…………鼻息か……?」

 ほぼ音は出なかった。口の形に加え、自身の鼻を二度ほど叩きながらそれの正体についての考察を二人に伝えたアスカ。

「フシュー」

 その音は大きくなる。

「クソッ。気配が分からねぇ……」

「足音が無い上に、瘴気で満たしてる……。そりゃあ塔を登って外にも溢れ出すはずだ」

「フシュー」

 静かに剣を抜く。

 金属同士が発する甲高い音、納めている鞘の革と擦れ合う音、周囲に向けての意識が最大であるが、その一部を手元の剣や弓、槍に向け、各々が武器を構える。

「フシュー」

(だんだん大きく……。いや、たしかにこちらに気づいて近付いてきてる……!)

 岩質の地面は、踵を少しずらすだけで砂利が擦れる音がする。既にその音を数度させ、辺りを窺っている。

「フシュー」

「ひっ……!?」

 首筋を撫で回す生暖かい風。

 思わずその風に声を出す。

 振り返れば、そこにはドラゴン。

「そこに居たのか……」

「そっちかああぁああ!」

 イオナが唐突に発した声に反応する。

「グォウガアアァアアァ!」

 その咆哮は三人と一匹の開戦の合図。

 もう、この状況下で突如目の前に姿を現した魔獣に恐れて一瞬でも腰が引けるなどという状況には陥らない。一年も戦闘という狂った行為を繰り返し続けていれば、少なからず慣れはやってくる。

「ギュリィン」

 直剣と鱗がぶつかり合えば、それは決して金属と衝突したのでもなく、しかし、生身の何かを斬り裂いた音ではない非凡な音を発する。

 その音と共に直剣を通してフィリアに伝わった衝撃は尋常なものではない。

「うぐうっ……ぁああ!」

「フィリア! 頭を左にやって!」

 戦闘時になると、通常「ふーちゃん」とフィリアのことを呼ぶイオナは名前を呼び捨てに変化する。

 弾き返されたフィリアの直剣は宙をふらふらと揺れたまま。でありながらも、イオナの言葉通り力尽くで首を横に倒す。

「…………ッ……」

 ファーストの状態で構えられていたパイルパッドを即座にセカンドに展開する。弦が伸びきる目一杯まで弓を引く。

「行って…………」

「ドンッ」

「来て……!」

 衝撃波を発する矢は、先端が鋼鉄よりも硬く、煉瓦や薄い金属板であれば容易に突き抜けてしまうほどの鏃を持ったもの。

 イオナの耳元を高速で通り過ぎた矢は、ドラゴンの鱗に囲まれた円な瞳目掛けて回転しながら飛んでいく。

「ガシュッ」

 確かにそれは目を捉えていた。しかし、その目の面積を狙えたとしても、一瞬ドラゴンが上を向いてしまったことにより、矢は鱗に弾かれてあらぬ方向へ飛んでいってしまった。

「ギリッ……」

 悔しさを噛み締めるイオナ。

 しかし、一瞬でもドラゴンの下方向に死角を作り出せたことは私達にとっては非常に大きな好機となる。

 その瞬間を見逃さず、イオナの横を方を擦りあって背後から突進するアスカ。

「……っはああぁああぁあ!」

 僅かに上を向いたドラゴンは、顎を上げている。その刹那的秒数の中、アスカはドラゴンに対して突き上げる攻撃を、確実に叩き込む。

 ショートヘアのアスカが揺らす髪から除く首筋には、久しぶりの対峙の為、冷や汗なのか幾筋か跡が見える。

「……ッガアァフ」

 呻きと吐息。

「クソドラゴンがァ」

 槍が突き刺さらない事に相当の憎しみを覚える。

 しかし、その一撃では確実にドラゴンを一歩後退させる事に成功した。

 その光景を見て皆が皆ひとつ大きな息をする。

「通用するよ……。三人でも通用する」

「うん……、そうだね。確かに三人でも通用する」

 三人でも。今なら。

「それにしても厄介な鱗だ。相も変わらず硬い鱗してやがるなぁ!」

「昔から何一つ変わってない。この体躯を持ちながら気配を消して突如目の前に現れる」

「その上、ほぼ最高速で放った矢を避けられる魔獣はなかなかいないよ……。この至近距離から、手を離すタイミングすら見えないようにしても……」

「見えてから避けてるのは間違いねぇ。そのための死角だからな。これを利用しない手は無いだろ?」

 ニヤッと口角を上げて微笑む。

「ふふっ」

 それに呼応するかのように、そして心中では色々な感情が混ざりあって漏れ出た笑い。

「相変わらず強いもの。これでなくては、仇討ちの相手にしては不足だものね」

 昔から変わらないドラゴン談義に花を咲かせることにはなった。しかし、これ程の長い間が取れるほどに相手から優位に立てる戦い方が存在しているのだ。それを思えば、三人の心には油断ではなく余裕が齎される。

「ズン……ズンッ……」

 わざとらしくドラゴンはその場で二度足踏みをする。重く、周囲を振動させるほどの力を込めて。

「ゥガアアァアアァア!」

 吼える。

 ドラゴンは暗闇の中で、天空に比べればちっぽけな広さしかない地下空間の空を仰ぐ。そして、身体をうねらせ、腹部からアコーディオンのように押しつぶされる部位が喉元へと動く。

「ボッ」

 少々の光。

 ドラゴンが発したのは間違いなく炎。この地下空間の中で一瞬ドラゴン自身の顔を照らす。ディセクタム・ドラゴンという名に相応しい紅の色の鱗を三人に対して見せつけるように。

「……来るか……?」

 ドラゴンが遂に攻撃に転ずるかと、緊張して乾く唇を左端の一部だけを舐める。しかし、口の中すらも渇き、それすらもままならない。

 風の吹かないほぼ密閉された空間では、蒸した空気環境によりいつも以上に熱量として感じられた。

「……ッ……ガアアァアア」

 ドラゴンはもう一度吼える。

 しかし、先ほどと大きく違う点。

「ボオオオォオオオォオ……」

「……っ」

 ドラゴンは天井まで焼き尽くさんと、特大の炎を口から連続的に吐き続け、ぐらんぐらんと体を揺らしてその炎を空気中に散りばめる。

 噴き出された炎は不思議なことに、空中で分離するかのような動きを見せても、酸素を食い尽くしているのか、「ボッ」と音を立て、急激に風船に空気を入れたかのように膨らんだかと思えば、その風船は破裂して、姿形なく消え去ってしまう。そこにあるのは余計な熱のみ。

 ドラゴンは何周も空に炎を不規則に歪を帯びた円形に炎を吐き出すのをやめると、炎は色を消して再び世界を暗闇に戻す。しかし数秒経過すると。

「何……!?」

「眩しい……!」

 三人の目を眩ませるような光量が襲う。

 薄らと目を細めて辺りを望めば、その光量の発生源は容易に判断がつく。

「松明がドラゴンに呼応して付いたのか……!?」

 そう。ドラゴンが吼え、炎をあげた。それでもなおその炎が壁に備えつけられた燭台が抱く木々に着火した訳では無い。

「火が完全に消えてから……、松明が独りでに、自ら炎をつけたのか……?」

 確実な理由は分からずとも、それは魔素の為か、それとも空間を埋め尽くす瘴気の為か、いくつかの原因は想像出来てしまう。

「ガフッ」

「お前はもうドラゴンじゃなくなったのか……? そんな狼共もしねぇような吠え方しやがって、この地下空間にずっと閉じこまれていたせいで家畜精神でも湧いたのか」

 空気をたっぷり含んで一つ鳴いたドラゴンを挑発する。

「ゴオオォオオゥ」

「……フゥゥゥゥ……」

 荒い鼻息を立てて、アスカの挑発に乗るかのようにドラゴンは攻撃を仕掛ける。

 迎え撃つ三人は、アスカを先頭にしてほぼ直線的に並ぶ。アスカは槍により、火力要因としての一面もあるが、槍だからこそ片手が空き大きく重い盾も担ぐことが出来る。普段の戦いも、ドラゴンとのファーストコンタクトも盾は構えないが、背中に背負った状態だ。

「……ゥゥゥォオアァ!」

 「ガァァァン」という音をさせて硬質な鱗と盾がぶつかり合う。直線的に並んでいた三人の前から二番に位置していたフィリアとの距離が一瞬で埋まるほどの力が盾に、延いてはアスカに加わっているのだ。

「イオナはもっと下がれ! 力が……!」

「グッ…………! 身体が……もたな……ぃ……!」

 当然自身らの数十倍もの体躯を持つ魔獣相手に真正面から攻撃を受け止めるなど、正気の沙汰ではない。

 ドラゴンの攻撃は単調である。しかし、人を圧倒するのは容易でもある。単調であっても、人間に対して有利である点を最大限活かしている。それは火力があるからこそ為せる所業。

「ギリギリギリ……ギリッ…………」

 その音を捉えられたのは、その音源に最も近く、かつ耳障りな音を発し続けている魔獣から離れている人間。

「ホントに……」

 後ろを振り向かずとも彼女は分かっている。

「下がれって言われて、下がったらイオナじゃないよね……」

 今までも後衛として戦地に立っているから、同様の状況に出食わしたことは幾度かある。「下がれ」と言っても下がらないことは、本来承知済み。頭から少し抜け出てはいただけとも言える。

「ちゅぱっ」

 口元で引かれている弓にセットされた一本の矢に、わざとらしくリップノイズを立てて口付けをする。

「狙うのは……」

 頭突きとして鼻先で遊ぶようにアスカとフィリアとじゃれ合うドラゴン。であるからこそ、巨躯の動きは大袈裟になっている。だからこそ狙える場所。

「ここ!」

 ドラゴンであるから為せるものがあれば、イオナのパイルパッドだからこそ為せるものもある。

 瞬間的に衝撃波を放ち、空気を先端の尖る鏃をで掻き分けながら突き進んでいく矢は、二人を通り過ぎ、ドラゴンの背中を掠めるように近距離で風を立てると、その奥にあるドラゴンの太くバランスを取るための一つの手段に使われる尻尾に向かっていく。

「ビィィイィィッ」

 刹那的。

 その矢は目でおうことは完全に不可能、音も異質なものだった。

「ギカアァアアッ!」

「二人共今のうちに下がって!」

 お返しとばかりに、イオナは二人にドラゴンとの間に一旦の距離を取らせる。

 鱗を貫通することは無いからこそ、衝撃や熱には強くとも、突き刺さる痛みには弱いのだろう。

「ブンッ」

「……ッグああぁあ!」

「うあっ……!」

「きゃああぁああっ!」

 三人が散り散りに地下空間内に弾き飛ばされるのは一瞬だった。

 それは決して目視可能ではなかった。三人ともに視線を切ったわけでもなかった。しかし、強烈な遠心力と根本的に存在するドラゴンの力によって加速した尻尾は、横並びにいた三人を空中へ吹き飛ばす。

「ガスン……ッ……ガラガラ…………」

「ザザッ…………」

 一人は高い天井に叩きつけられる。感じたことのない痛み。無機質なものだからこその鈍痛に顔を歪める。身体には力が入らず、瓦礫に飲まれて宙に四肢をだらりとたれたような状況で静止する。

「ッガ……ハッ……!」

 また一人は、ほぼ水平に打ち出され地面を擦れて、壁面に背中を打ち付けた。衝撃で口内の唾液が外に飛び漏れる。

 そしてまた一人。

「アアアァアアアァアアアァ!」

 地下空間に叫び声が谺響する。

「ブシュッ…………」

 その叫びの中で、信じたくない空気の振動が耳に伝わる。

「……ッ!」

 しかし鋭い痛みは間違いなく弓を構える為に鍛えた左手を襲っていた。

 痛みで反射的に瞑ってしまった目を開け、虚ろ虚ろに細めながら痛みのする箇所を確認する。

 ドラゴンからは吹き飛ばされて距離が随分と開いた。しかし、そこにあるべきではない物が確かにそこにある。突き刺さっているのだ。

「…………いやっ……」

 鋼鉄の如く硬度を持つ鏃。重さを重視するために金属で作られている箆。そして、一般的ではない一枚しかない羽根。それらを持つ矢は、つい一分もしないうちに、確かにドラゴンに対して突き刺さったことをこの目で確認した。

「ゴフッ…………」

「……っぅあ…………」

 二人は動く気配がない。

 その光景を視界の端に収めてしまうと、フィリアまでもが刺さった矢を引き抜く力も、抗う気力も失ってしまう。

「……っあ…………ぁ」

 死は感じていないのに、走馬灯のようなものを見てしまった。

 何故だろう。ただ、矢が腕に刺さっているだけなのに。

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