間3 焦土類

 焦土類


「ああ、久しぶりだなフィリア」

 基本酒を扱うトレックの店。もちろん肴程度の食事や酒以外の飲料も提供するが、夜になれば完全にバーと化すトレックはパーデットが拠点とするウェスティリアの街の西門から数えて三番目の建物の二階に存在している。

 輝度を落とした証明に照らされた店内が酒臭いことは当然だが、中でも、布が垂らされて無理矢理に個室と化した店の一角はフルーティーな甘い香りがする事は異質であろう。

「うん、ベク店長。お久しぶりです」

 戦いに向かう装備ではない、淡い水色のふわりとした丈長のワンピース身にまとったフィリアはトレックの店の店長であるベクに挨拶を交わす。

「いつもの席、空いてるよ」

「ありがとうございます」

 フィリアは、背後に立つ猫背で茶色や黄土、黒色という地味な配色な継ぎ接ぎだらけのマントを、フードで顔を深く隠したアスカの袖を引っ張り、二人にかわされるいつもの席に着く。

「はいよ」

 ベクは注文を取らずとも氷により音を鳴らしたなみなみと注がれているグラスをテーブルへ、コルクのコースターとともに置く。

 背もたれに深くどっかと寄りかかったまま、運ばれてきた酒にも、窓から見える十九時を過ぎたにも関わらず人通りの多い夜景にも、対面に座るフィリアの顔も見ず、暗い表情をマントのフードの一部からのぞかせているだけのアスカ。

「フィリア……、これ」

 ベクはついでに、二つのグラスを乗せていたトレーから一枚の紙を手にして、テーブルの真ん中に、二人に見えるように置く。

「うちの情報板には手の余る依頼だよ」

 決してここ、トレックの店は初心者向けの情報板を置いているという訳では無い。情報板であるから、全ての箇所で最新かつ正しく、全ての情報が載せられる。しかし、中には高難度の依頼も舞い込む。

「紅き竜、ディセクタム・ドラゴンの討伐隊募集……。街の直近であるから、急ぎの対応が求められる」

「そう。ただそれだけだけれど、間違いなく一般的とは言えないドラゴンという敵。それに……」

「それに……?」

 机を二回指先で「コンコン」と鳴らす。

「それに……、もとより狩人の俺の勘だが、あまり良くない仕事だ」

 真剣な眼差しで、フィリアとアスカのフードに視線を突き刺す。

 つい二ヶ月ほど前。魔獣が現れる前、ベクは人並みに狩人の一端として生活をしていた。動物だけでなく、薬草としても価値のあるものの採集や、魚類にまで広く扱う。

 その狩人が狩人を辞めたきっかけが、魔獣である。単純な道理、魔獣によって狩人としての生計が立たなくなったからである。

「………………う」

 フードの中からなにかの音がする。

「行こうよ…………これさ」

 生気のない声で放たれる。

「なにか焦ってる……」

「違う。別に死に場所を求めてるとか、そんな事じゃない」

 太ももの上で重ねていた指を解き、人差し指で目元を擦り、何かを拭うような動作をする。

「ただ、もう何日経つ……?」

 あの一件はアスカにとってはやはり大きな穴を穿つものとなっていた。

 その事件からは既に二週間が経過していた。パーデット、いや、その頃はまだただの、六人ともに女性で構成された零ニ小隊と呼ばれていた。その中で一人の死者を出した。それにより、パーデットと呼ばれるようになる。

「そう…………」

 アスカの言葉は決して信じられない訳では無い。おそらくこの二週間家に篭って山のように自責の念と恐怖と後ろめたさを積み上げていたのだ。

 だからフィリアはここに連れてきた。

「そうだね…………。行こうか」

「ついでに倒してくれば、誰も文句は言わない」

 文句は言わない。

 色々なものに、周りからの圧力を常に感じていたのだ。

「ただ…………」

 ベク店長も立ちながら二人の会話を聞いていたが、更に神妙な面持ちになる。

「ここの場所まで……八百キロはあるぞ…………?」

「んなっ」


   ***


「……っ……はぁ…………はぁ……」

「大丈夫か、テイナ」

「うぅ…………! 大丈夫じゃないけど、まだ歩けるよぉ! 私なんかよりネムルの方が大変なのは見た目通りでしょ!」

 ある魔獣を討伐するという事になったこの頃、あまりにも敵が強大であることが予測されることから、討伐隊どころか先遣隊すらも出していない状況で千人規模の構成で奇襲を仕掛けることになり、この要請がパーデットを構成する五人の元にも届いた事から、わざわざ八百キロメートルという遠路をやって来た。

 その魔獣は名を「ディセクタム・ドラゴン」と呼び、紅き鱗に炎によって攻撃を行うことに加え、生息地がこれからの目的地であるという情報以外が存在しない。

 今パーデットの五人が歩くのは山。季節は秋に近づき、僅かながら色付いた紅葉や銀杏といった広葉樹が針葉樹のくすんだ緑の中に彩を添えている。

「ぐへええぇええぇええぇ…………ぇ」

「もうネムル……、だから背負って登ってあげるって言ったじゃないの……」

「歩けるやい! やいのやいの!」

 ネムルは、フィリアの司会の下の方で両手を上げて、自分は元気だというアピールを続けている。

 フィリアが背負って山を登れるほどの小柄で軽き体格を持つネムルは、既に山中に幾度か胃の内容物を吐き出してきた。

 フィリアやイオナは、殿を務めている今の状況から、他の討伐隊員には一先ずの迷惑はかからないだろうと言う事から目を瞑ってきたが、それほどに辛いのならば、その体格を十分に利用して担がれてくれたほうが良いとまで感じている。

「フィリアも、ネムルを背負ってこの山登れるなら、私も背負って言ってくれないかな……」

「何言ってんだ。私達の中でも一番身長あるやつをフィリアどころか私だって背負ったらどうなるかわからないぞ」

「酷いなぁ、私も重くないんだよ?」

「はぁん?」

 そう言ってアスカは手のひらを両手共にテイナに向けると、指先を不規則に動かして、空中で何かを揉みしだくような動作を見せる。

「ニッヒヒ……」

「ひっ」

 本能的に両腕を身体の前で交差させて身を守るテイナ。大袈裟なまでな身体の動きは、ショートな髪型によって目立たない。ある一点を除いては。

「冗談だよ……!」

 ふっふっふ! という笑みを浮かべて、身を守って立ち止まったテイナの前を通りすぎて、少し先へと歩みを進めていく。満足気なアスカは、こちらも大袈裟に相手を煽るかの如くセミロングな髪を敢えて揺らしている。

「もう……!」

 少し距離を開けたさらに後方では、背中を摩られながら押されて登ってくる三人がいるが、こちらはこちらで足がなかなか進まない。

「あー…………、また反芻できそう……」

「止めてよ!? いや、全部出しちゃってもいいけど……」

「そうじゃないでしょ、フィリア」

「……っあ、あぁ……そうだよね」

 フィリアは背負っていたバッグをイオナに託すと、困り顔でネムルと向き合う。そのまま力尽くでネムルを背中へと乗せる。

「なにをおおぉおおぉ!」

「はいはい」

「このチビ共おおぉおおぉ!」

 比較的見た目通りの性格をしているネムルは、背負ってからしばらく立てば煩くはなくなる。これも一つの経験則に入るのだろうか、今までも数度同様のことがあった。元々身体が頑丈な質ではないこともあり、この事はメンバーからすれば周知の事実である。

 自分が一番のチビだが、周りにチビと言いまくる癖についても同様。

「んぁ……?」

「相変わらず元気だなぁ、ネムル」

「まあ、いい事だよ。あの子に元気がなくなったら、どうなるか分からないからな」

「ふふっ。確かにそうかもね」

 それは戦闘時の一つの指標であるが、普段からも高いテンションで言葉を振りまいているネムルが黙りこくってしまえば、何かいつも通りではないことがあったと考えてもおかしくない。

「うぅ……。それにしても寒いよ…………」

 ネムルがフィリアの背中でブルブルッと体を震わせて言う。

「標高も上がってきたからね。目的地はもうすぐだよ」

「そう言えば、今日の目的地ってどこなのさ! ただでさえすっごい遠くまでやって来たっていうのに、移動を終えたかと思えば、まーた移動!」

「目的地ならもうすぐだ。幸運なことに殿だから一番歩かなくて済むよ?」

「?」

 目的地。

 街から約十キロメートル歩かないかの距離にある山が、今回の目的地である。連山となるその山々には、先行した部隊から先に左右に分かれてその盆地に巣食うドラゴンを取り囲むように連山の奥まで進んでいくことから、殿を務める彼女らは一番街から距離が近い山で攻撃に参加できる。

「禿げてるじゃん」

 風が強くなった原因の一つに、標高が高くなったとは言え、その風を直接身体に当てることを防ぐ木々が無くなったことにあるだろう。しかし、ここは森林限界、高木が生育しない標高ではない。

「ドラゴンのせいで枯れたの?」

「多分そうだと思うわ」

「前情報だと、やたら瘴気を出してるもんだから、盆地の底まで行くと危険かもしれないって言われてたでしょ?」

「見てないよ」

「ああ! もう!」

 本当にドラゴンを討伐するつもりで来ているのかと喝をいれたくなるイオナ。

「瘴気が木々の正気を失わせる位の力を持ってるとなると厄介ね…………」

「……ふぅ…………はぁ……。そうね。なにせ防ぎようがないもの」

「そのための今回の作戦何でしょうけど……」

「ぶっぱなすぞぉー!」

 今回全体ブリーフィングで伝えられた作戦は、山の尾根から遠距離攻撃のみで標的のドラゴンを討伐するというもの。

 ここまで、千人程の人数で来たことにも一つの理由がある。

「ぶっぱなすで思い出したけれど、わざわざあんな思い機関砲やら、火砲を持ってくるなんて……、年の入れようが半端じゃない」

「うん。そもそも街が目的地よりも高台なのに、一度谷の底に下りてからじゃないと辿り着けないような地形だから、苦労は底知れないわ」

「相手はドラゴンだもん。きっと強いぞぉ」

 ここに主に人数の理由はあると思われる。その火器の数々がどれほどの重さ、どれほどの数を持ち込んだのかは定かではないが、それほどの人数を必要としているのだ。生半可な量ではない。

「そもそも空を飛ぶ相手って言うのが初めてよ? しかもドラゴンとなると、神話でしか見た事ないようなものだもの、だんだん心配になってきたわ」

「機関砲が簡単に壊されなければ大丈夫じゃない? 街から十キロの位置にドラゴンがいたら、悠長に寝てもいられないじゃん? それを考えたら大袈裟な装備の為に大金を支払っても何も噴出しないからね」

「そうだと言いけれど……」

 おそらくこの世の中にドラゴンと対峙して戦った人間は誰ひとりとしていないだろう。飽くまで過去ではそれは間違いなく空想上の、それこそ神話のような話の中でしか名前が出てこないもの。それに対して何一つ対策しなければ、そちらにこそ不平不満が噴出してしまう。

 しかし、それが壊されないかと言われればまた別のお話。そして、それでドラゴンに傷一つでも与えられるかと言われればこちらも更に別のお話になる。

「おい。三人ともよ」

 アスカ。

「私達が揃い次第攻勢に出るらしい。頂上ついたらすぐに戦闘になる」

「了解」

「分かったよ。五人で行動しよう」

 若干開いていた五人の距離も完全に詰め、小隊として相互的に協力しあえる距離感を保つ。

「フィリア降ろしてー!」

 もうすぐ、あと一分二分ほどで目指す尾根にたどり着く。言われた通り、フィリアが背負っていたネムルを降ろす。

「っしょ」

 降りると同時、てけてけと少し道から外れて何かに駆け寄っていく。その姿に気になって後ろから付けていく。

「むう……?」

 そこには特に何かがある訳では無い。ほかとなんら変わりのない地面。草木が枯れ、灰色の世界に潜り込んだかのような異質な世界。

 しかしネムルはその一点が気になるようで、しゃがみこんで手を翳す。

「なんだろう……?」

「何かあるの?」

「ううん。ここだけ……何も無い…………?」

 何も無いというネムルが手を翳す地面には何かがある訳では無い。だが、何かがないわけでもない。

「瘴気が浸透してないんだ」

「浸透?」

「そうそう。草は、根っこがここの範囲外にも伸びてたから枯れたけど、ここだけ何か……」

「おい、ネムル! フィリア!!」

 しかし、やはり五人で固まって行動をといった直後に外れたことをしてしまえば、呼び戻されてしまう。

「とりあえず今はドラゴンと対面だよ。一度見てからでも遅くは無いからね」

「そうだね! ふっふっふー、紅いドラゴンてどれ位紅いんだろうなー」

「……!」

 フィリアはネムルと言葉を交わし終えたあと、一瞬風が強くなった気がした。

 その後尾根のあたりが少し騒がしくなったかと思い、その周辺へと向かう足は巻かれた。

 まだ運ばれていた段階の機関砲類は、急ピッチで準備がなされる。地面に太い杭を何本もうち、機関砲を固定。大量の薬莢を潤滑に装填できるよう設置し、機関砲の射出口を空へと向ける。

「はぁ……! はぁ……!」

 斜度の高い山を、息切れする位で登る。ちょうど準備が終わる頃にたどり着いた五人は、自然の流れで空を見上げる。

 やはり風は吹いている。

「……っ」

 靡く髪が邪魔で耳にかけるアスカ。

 舞う砂埃の中、横一線に並ぶ五人は、空中に舞う黒のシルエットを目視する。

「綺麗…………」

 ハイライトも入るほど煌めき輝く目に映る光景は、翼を広げたドラゴンが太陽の白い光の中で舞うモノクロの世界。

 そのドラゴンがフッと姿を消した。

「ドンッ」

 鈍器が放つような鈍い音。

 ようやくその音でドラゴンの紅さを確認できる。

「グガアアアァアアァア」

 咆哮する赤黒い喉こちらに見せつけるように顔を向ける。

 ドラゴンは分かっている。戦う相手と、殺すべき対象を。

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