間1 パーデット

 パーデット


 パーデットには「失う」という意味があるらしい。

 これを教えてくれたのは、半年ほど前に私達と接触した一人の若い女性だった。当時ある事件によって「パーデット」と呼ばれることになり、それを聞いた女性は意味も知らず疑問符を頭に浮かべて過ごす私たちに対して、周囲からのその呼び名に心を痛め、声を掛けてくれた。

 パンドラの匣が暴走を起こして約一年が経過した現在。今日という日が最も私達戦闘狂の三人が興奮している日と言っても過言ではない。むしろその程度の弱い表現では、私たちの心中を表すには、露ほどのものとしか比較することが出来ないとも感じられるのだ。

 自然とクレインの集落から南東部への道へと向かう足は、回転する速度をあげていた。その度に、自らを戦闘狂と認める三人は、二人が女性らしさのとして唯一と言っても構わない象徴のスカートのロングとショートを揺らし、一人はタイトなパンツスタイルで走って行く。

「きゃっ」

「おい……!」

 つい目的地以外に対して意識が薄氷のごとく脆くなり、古ぼけた街に相応しい古ぼけた店から出てきた開放者らしき人間のカップルに遭遇し、肩をぶつけてしまう。

「あーちゃんったら……」

 肩をぶつけた本人は、三人の中でも最も戦闘を好き好む。今はある標的と戦闘すべく周囲に盲目になっているのだが、その姿はいつものこと、走り去りながらという無礼な格好であることは重々承知の上、その二人のカップルに対して背後を振り返り、軽く会釈をしてその場をやり過ごす。

「もーほんとに……。そういうのはちゃんと自分で尻拭いしてよね?」

「逃げるが勝ちだろ」

「無理でしょイオナ。この性格治んないから。治ったらイオナは世紀的に奉られるべき名医だから」

「さっきも塔の情報の交渉してる時一瞬ヒヤッとしたんだからね、あーちゃん?」

「分かってるって! それより、この情報は間違いないんだよな? この廃れた集落から伸びてる南東の道を進んだら、忽然と消えたあんのクソドラゴンがいる未知の塔が建ってるっていうのは!」

「あのお爺さんの言ってることが確かならだよ?」

「それで散々踊らされてきたじゃねぇか! 爺さんどころか、私らよりも年下なんじゃねぇかっつーガキどもにもハッタリかまされて右往左往してたのは、末代までの恥だぞ!」

「いや、た、多分大丈夫だよ? わたしがこの目であのドラゴンの鱗を見たから、見間違いはないと思うんだけどね……」

「イオナの事だ、その辺りに抜かりがないってことは分かってるから信用してるもんさ」

「そう言ってふーちゃんまでー! だんだん私も心配になってきちゃったじゃない……!」

「気にしない気にしない。踊らされたら踊らされたで、どうなるかを叩き込むだけだから……」

 僅かなトーンダウンとともに、前を行くアスカとフィリアの顔は悪人の面そのものになってしまったが、どれもこれも過去の経験が彼女達を付き纏い、そうさせてしまっている。思い出したくなくとも自然と頭の中心に居座ってしまう厄介な代物。

 そのまま、彼女達の間には無言の時が流れる。それはそれは長く、鋭く冷たい視線を伴いながら、地面は酷くぬかるんだ地を抜け、多数の魔獣からの攻撃を受け全てを突き返し、アイギスの匣へ繋がる可能性がある、ある塔を目指して歩みを進めた。


   ***


「……っああぁああ!」

「くそがっ!」

 突然視界が奪われる。それは暗黒世界。

 しかし、その視界を失ったことによる影響よりも、突如彼女達を襲う吐き気によって、それら以外のマイナスの要素は覆い消されてしまう。

「……っぷ……!」

「止めてくれよイオナ……。このゴミみたいな紙っぺらの障壁のおかげで紛れていた、クソドラゴンの臭いにやられてゲロっちまうなんてよ……」

 三人の中でもイオナは元々身体が頑丈な質ではない。そのために常に二人の後背で支援と、遠距離攻撃に徹している。

 イオナは、三人ともに襲われている尋常では無い程度の吐き気という感覚が他よりも強く、その吐き気を喉元まで上昇した呑酸と共に飲み込むには、無駄に体力を消費した。

「うぐぅっ……」

「前もこんなに酷かったか? まだもっと近づく事になるんだぞ」

 前というのも、三人は以前このドラゴンと戦闘をしている。アスカが塔の地下空間に居座るディセクタム・ドラゴンに対してクソドラゴンと言い放つのもその時に起きたある事件の為である。

「いやぁ、前の時は開けた場所だったからな。あんのディセクタム・ドラゴンが発してる瘴気なんか空気に拡散してほとんど感じられないだろーなぁ。よっぽど近づいた時くらいなもんだったもの」

「なるほどな。あいつがこの塔の何処にいるかは分からねぇが、障壁のお陰でその瘴気が他にばらまかれなかったせいでこの中だけ濃度が異常に濃いのか」

「ホントはこんなのダメだからね……? ちゃんとその空間が大丈夫かどうか調べてから侵入しないと痛い目にあう……っぷ……んだから!」

「紙障壁だから存在に気づかなかったんだわ」

「ってことよイオナ。私ですら気付かなかった障壁だぞ? アスカが見えてるわけがない」

「そうだそうだ」

「馬鹿にしてるんだから否定していいんだよ?」

「フィリアのがいろんな意味で一枚上手だからいいや」

「ちょっとぉ!?」

 フィリアは、その言葉の適当な意味を図り知ることは出来なかったが、あまり深く詮索すると時々気付かされるアスカの切れた頭に嫌気がさすのでそれ以上深追いはしないでおく。

 ドラゴンの瘴気とは非常に頭を悩ませるものだ。瘴気とは、蝶が持つ鱗粉のようなものに近い。しかし、そこにいるだけで広く放出してしまうという点においては何よりも迷惑極まりない。

 しかし、その瘴気、今回で言えば吐き気を催すというそれは、慣れてしまえば問題はなくなる。正しくは感覚が麻痺しているのだが、ドラゴンの先手をとるために習得した能力とするならば、その大柄な体躯からは想像もできない繊細な技と言える。

 あまり吐き気を強く感じなかったフィリアとアスカは、今にも地面に花火のようにしかし歪な円形を描いた液体を吐き出しそうなイオナを数分の間待った。

「ゴクン…………。……っふぅ……」

 一番の波を、力尽くで喉を扇動させることによって飲み込む。その後一息ついて、心を休ませた。

「もう、大丈夫……!」

「おっけー」

 三人は塔と対峙するように改めてそちらに向く。

「よーし、さっさとドラゴンぶっ倒して、アイギスの匣の手がかりを見つけるぞ」

「上かなぁ……? 下かなぁ……?」

「つーか、扉がねぇ。ぶっ壊すか?」

「そんな物騒な事すぐ思いつかないの! 入れないけど、意味があるのかわからない螺旋階段が、塔の外壁に付けられてるのよ? それを使えば外からでも上には行けるじゃない」

「なーんも見えなそうだが……?」

「しょうがないなぁ……。ふーちゃん、火って付けられる?」

「あいよ、了解」

 声を掛けられたフィリアは、野宿に用いている可燃物と着火石を取り出す。一方イオナは、背中に背負っていた弓を展開する。

「上……だよね」

 塔の上部は完全に暗黒世界に包まれ、灯火の一つも差されていない事で、人間には適さない状況を作り上げているのだが、上へ登る際に足元が見えるだけの照明を設置すべく、上を確認する。

 案の定、この暗黒世界のせいで塔の上部を完全に把握しきれた訳では無い。

「カアァアアァ……」「カアァアアァアァ……」

 しかし、複数体の魔獣がいるらしいという現状が確認できただけでも上出来である。

「セカンド」

 それは、イオナが使う弓の展開形態を指す。

 ファーストは、一般的な形状。弓と弦が一つのみで構成されている。

 一方セカンドは、弓が二張りを交差させたような形状。ファーストの状態からX字に弓と弦が別れる。

 二つの違いとしては、即座にリロードを可能とするファーストは大群の敵に、一撃の安定性と重さを持つセカンドは時間に余裕がある場合や、敵に強撃を放ちたい時に用いる。

 つまり今回はセカンド、時間に余裕がありかつ威力に重きを置いた。

「いいぞ、イオナ」

 フィリアの手の中には、可燃物に小指の先ほどの小さな炎が揺らめいている。「ふー、ふー」と頬を膨らませて息を吹きかけ、消えそうな炎を保持している。

 イオナは弓の先にその火をつけ、セカンド状態の弓に火矢となったそれをセットする。

「ごめんねパイルパッド……。火が近くて熱いと思うけど、少し我慢してね」

 そう言って、パイルパッドと呼んだ弓をほぼ垂直近くまで天空に向ける。暗黒世界は風もなく、火はイオナが弓に伝える僅かな振動のみを元として音も無く、同じ形状を二度としないよう動き続けている。

「カァアアァアア!」

 今までも煩く耳に届いていた烏の喚き声は、急激に下にいる三人に近づいてくる。

「アスカ!」

「分かってる」

「私に、一番塔に近い魔獣を頂戴……!」

 都合よく先行して飛ぶ二羽の烏の注意をアスカとフィリアが引きつける。アスカは槍を、フィリアは直剣を用いて各々迎え撃つ。

 イオナの両側で戦闘が行われているわけだが、その中でも彼女は集中を途切らせる訳にはいかない。最も塔の付近を垂直に下降し、時折羽を広げたり閉じたりしてくるん、くるんくるんと不規則に回転運動を軸に垂直にしながら襲いかかる。

「ふぅぅぅぅぅ…………」

 イオナは最大限肺内の空気を放出する。ドクンドクンと言う心臓の鼓動を感じられ、その度に意識が抜け落ちるかのように視界が一瞬狭まり、しかし、鼓動と鼓動の間には網膜で確実に敵を捉えている。

「……ッ」

 最大の鼓動として身体が振動した瞬間。

「行け」

 イオナの放った火矢は、塔の壁面へ一直線。火を鏃部分に着け、矢羽が一つという奇形な矢は撓みもなく回転して、炎の残像を暗闇の中に一つ閃かせて

勿論、それは直接壁面と衝突をするなどということは無い。烏の降下速度と火矢の飛行時間を計算して重なる一点を導き出したのだ。

「……ッガアァアァ……」

 火矢は下降してきた烏からエネルギーを奪い、火矢ごと壁面に突き刺した。初めは羽をばたつかせ逃げようと試みていた烏も、遂にはその気力も体力もなくなり項垂れるようになると、燃えやすい羽を持ったそれは火矢の炎を全身に纏い、周囲を明るく照らし出す。

「……っはぁ!」

「っしょお!」

 他方、フィリアとアスカもひらりと舞った烏を一振りの剣で仕留める。硬い嘴から、尾羽まで一線に斬られた烏は、半身になりつつも翼をバタバタとざわつかせて最後のもがきをしていた。

「うっせぇぞ、鳥」

 アスカは鳴きながらジタバタする烏の、翼の根元を踵で踏み抜く。明らかに骨は歪曲、折れたことにより暴れも収まり、その場で二つの屍体となり転がる。

「ドラゴン守ってる割には、どいつもこいつも雑魚だな」

「んー……。確かに、上にいるのもそんなに強くなさそう? 気配が潰れてるもんね」

 早速、アスカはドカドカと我が物顔で、フィリアはひょこひょこと軽やかに身体を左右に揺らして、塔の外を巻き付くような階段を登っていく。

「もう……油断しちゃダメだよ……! 下にいるドラゴンのせいで、外にいる魔獣の魔素の気配が大人しくなってるだけかもしれないでしょ!」

「無い無い」

 フィリアは顔の前で、イオナの言葉を否定するように言葉と同時に手を横に降る。

「だってあれ、だよ……?」

 そう言ってフィリアが視線で示す方向を見れば、一人熊のように無駄に大きな歩幅で階段を上っていくアスカは、自身の身の丈ほどのランス状の槍を、つくのではなく振り回すことによって魔獣の骨を砕き、地面に叩きつけ、バッタバッタとなぎ倒している。

「アスカが特殊なだけだから!」

 攻撃力の一点のみに重点を置いたアスカは、その攻撃力のお陰でしばしば火力バカと呼ばれることがある。本人からすれば、攻撃は最大の防御であり、圧倒的な強さは敵をひれ伏させる為の手段の一つだという理念に基づき、その言葉は最大で最高の褒め言葉であるという。

 とはいえ、アスカが腕を振り回して、楽しそうに笑顔を浮かべて薙ぎ払うものは、決して弱くは無い魔獣だ。それにも関わらず、これだけいとも容易くその体躯から命を削ることが出来てしまっていることに多少なりともイオナの顔を緩ませる程度には安堵の思いはある。ここで敵に敗北を喫して我々が命を落とすことはないのだから。

「おーい! 早く上がって来ないと置いてくぞ!」

「はいはい、今行きますよ」

 二人の方を向き手を大きく振るアスカ。

 対して長年の付き合いから生じる、信頼による穏やかな空気。

 直剣を主の武器として扱うフィリアは動きやすい靴を、一方イオナは背後からの援護と弓による射撃というポジションから、低めの身長を対外的に一見して惑わせることに一役買っている高めのヒールの付いた靴で、階段を汚している魔獣の赤黒い血液の上や屍肉を蹴散らして上っていく。

「いよいよご対面だ」

「そうだね……。いつぶりだろう……、かれこれ三ヶ月、四ヶ月くらいは経っちゃったね」

「アイギスの匣の手がかりにもなって、何時かの復讐も遂げられる……。私達にとっては好都合でしかない戦いだよ」

「油断はしないでね」

 イオナは自身らに対する過信を心配してそう言葉を発した。油断という言葉に大して意味は無い。ただ、ふと、いや常に脳裏に過ぎっていた過去が離れないから、無意識に発してしまったのだろう。

「はぁ……? あれからいつ油断したっていうんだよ」

 しかし、アスカもフィリアもその言葉に呆然としたようで、呆れた顔をして返す。

 地下空間に繋がる縦穴をのぞきこんだ姿勢のまま、隣に立つイオナの肩を手でぽんぽんと二度ほど叩く。

「返上できないパーデットという名にかけて、敵の全てを消してやる」

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