1-17 ワールド・ロスト・ディメンション

 ワールド・ロスト・ディメンション


 口に含んだ魔素玉は、味が無い。

 あるとすれば辛さを超えた痛み。

「身体が……、力が抜けて……!」

 この感覚の中で、エアもフェムトもドラゴンの攻撃の被害を最小限にするまで戦い続けたと知ると、頭が上がらない。

 今ならその感覚がハッキリと身に染みてわかる。

「……ギリッ」

 歯軋りをして、力が失われるようで、幼き時代への退化すら考えてしまう中、これは戦いだと剣先をドラゴンへ向ける。まるでその姿は数分前のエアやフェムトのように一線に、しかし剣を握る腕が震えることでその切っ先は定まらず。

「俺も魔法が使えるんだ」

 魔素は身体を媒介して剣へと流れ込む。

 深く透き通った青い光。

 周囲の暗さを晴らす青い光はフィルの手元から剣を伝って、グラディオの剣先で波打つようにふわりふわりと球状になって浮いている。

「火でも体当たりでも何でもすればいい」

 魔素が体内を通過する感覚。それはハッキリとわかる。

 大きな粒状の何かが体内を蠢く擽ったい、もしくは痛みすらも伴うその感覚は、その部位を通過する際に周囲の人としての力を奪って行くよう。

「この魔法で……」

 フィルの眼前で、波打つ水球のような魔素の塊が顔のサイズを超えた頃、急激に縮小を始める。

「お前を討つ!」

 フィルの魔法に引き寄せられるかのようにディセクタム・ドラゴンは羽を畳んでまで抵抗を減らし、ミサイルのように一線、フィルに突っ込んで来る。

 何かを感じたのだろう。フィル自身にもわからない魔法の正体をドラゴンは直感的に感じとったのだろうか。

 迎え撃つフィルは、放ち切った言葉に連動するかのようにタイミングよく空中へとシュンと加速して浮いた魔素の塊は、既に地面を滑空するかのようにフィルに向かっていたドラゴンへと向かう。

「行っけええぇええ!」

 その正体は分からずとも、戦況を変えるだけの何かがそれにはある、そう感じ取っていた。その願いを最大限に込め、身体中の力が抜けてうつ伏せに倒れ込むように徐々に身体が前に倒れていく。

 しかし、波打つ光を目で追っていたフィルは、その魔素の塊が、滑空するドラゴンまで到達せずその手前で停止してしまう瞬間を目撃する。

「なんでっ……!」

 構わずドラゴンは光へと突き進む。

 波打つ光は未だ変化せず、願いは裏切られたとすら感じる。

「……ぅああぁあ!」

 完全に倒れ込んだフィルは思わず、地面を手で叩く。地面に溜まっていた液体を跳ねさせる。

 しかし、一瞬の絶望は、掌を返したかのように一瞬で希望となる。

 魔素の塊と、ドラゴンの鼻先が当たる瞬間。

 魔素の塊はフラッシュバンのように猛烈な光を発したかと思えば、そのドラゴンは巨体を中に浮かせたまま、羽搏きもせずに地面すれすれでホバリングしているかのような状況になる。

「……あ……ぅ」

 そこで気づいた。

「……そういう……魔法か……!」

 このまま一人ではドラゴンを倒すことの出来ない魔法。

 フィルが持っていたのは、敵の座標を固定させる魔法だった。

「倒しに……行くぞ……ッ……!」

 フェムトが転がったまま、地面で抗う音がする。

「私ももう一度……!」

「ダメ! それ以上やると……!」

 誰も攻撃に参加出来ないのだ。

 恐らく、この座標を固定する魔法は永遠に続く訳では無い。何時か、魔素玉から光を形成した分の魔素が使い切られてしまえば、ドラゴンは再びこちらへ向かってくる。

「……た、……立て直す時間稼ぎだ……」

「千載一遇の……チャンスなのに!」

 チャンスだ。それは火を見るより明らか。

 しかし、この状況を鑑みれば、不用意に攻撃をするのは得策ではない。

「チャンスなのに……!」

 この一分で壊滅させられた状況を見れば、目の前のドラゴンを、せめて空に舞わせない程度には翼を落とさねば勝機は見いだせない。

 エリスは焦ったのだ。

 一言で発すれば、トラウマはまだ脳内で腫れ上がっているのだ。

「……っアア!」

 地面を這いつくばるように、足を回して突進モーションに入る。

「だめだ! エリス!」

 薄い翼膜。硬く剣を閉ざさない翼膜に大きな切れ込みさえ入れてしまえば空へ逃げられることも、急降下して捕らえられることもなくなる。その一心で。

「ダメだ!」

「……口が……」

 動き始めていた。

 フィルの魔法はこれだけの代償を受けても、その程度の拘束力しか存在していないのだ。たったドラゴン一匹を一分も拘束しておくことが出来ないほどの力しか。

 体積や質量によって消費魔素量は異なるのだろう。それ位容易に予想がつく。それを考慮すれば、一般的な魔獣に比べて体長も体重も莫大なドラゴン相手に、フィルの魔法は分が悪い。一分という時すらも保つことが出来ないのでは、代償に対して割に合わな過ぎる。

「そんなの……分かってる!」

 強くない口調。寧ろ涙を一杯にした人間が発するような弱々しい口調だった。

 僅かに開いたドラゴンの口は、エリスの目にも確かに映っていた。

 解凍されるように口元から右翼尻尾、とまわるように動きを取り戻して行くドラゴンは、全ての部位がフィルの魔法から解けると、停止前の速度そのままに突如として動き出す。

「……!」

 あまりに近すぎたエリスは、対応出来ずに再び吹き飛ばされる。

「エリ……」

「伏せてろ……!」

 フェムトは低空に飛行するドラゴンと接触を避けさせるため、フィルの元へと飛び込み、頭を地面に押し付ける。

「っぶふ……?」

 地面に顔面から押し付けられれば、嫌でも口元にある液体を舌で味わうことになる。

(なんだろう、この味……?)

 そう疑問に思いつつも、風邪を切ってわずか数センチメートル上を通過していくドラゴンを耐え忍ぶ。

「すまんフィル……、つい思いっきり力を入れちまった」

「気にしないでいい。悪意があればぶっ飛ばしてただけだからな」

 フィルは、僅かに回復した体力を使って身体を起き上がらせる。すると。

「フィ、フィル怪我してるの!? 何処を……!?」

「何!? 本当だフィル! どこだ!」

「怪我……?」

 特に痛みも感じない。もちろん皮膚は地面を舐めたのだから多少の違和感は否めない。しかし、そのために怪我をしたとは思えない。

 そう思いつつ、右手を視界内に持ってくる。

「え?」

 右手全体が赤黒い液体で塗れていた。

「そんなに流血を……!?」

 魔法の代償はこんなにも大きかったのかと一瞬思考回路を停止してしまう。

 しかし、もしこれだけの流血量であるならば何かしらのダメージが身体にあって然るべき。それにもかかわらず痛みも何も感じない。これは、逆に身体が痛覚をシャットアウトしてしまっているのだろうか。

「エア……! お前はエリスを頼む」

「う、うん」

 フィルは悔しさで思わず叩いた地面を思い出す。

 はっと気づいて、起き上がった後方の地面を、顔を頬ずった地面を撫でれば、そこには大量の液体が溜まっていることがわかる。

「これは……」

「地面に溜まってる……液体だと?」

「俺の血じゃない……、元々ここにあった液体だぞ」

「元々ここにあっただァ?」

「少し暗かったのもあって、勝手に水溜りだと思ってたけど、よくよく見れば赤い液体だ……。ここに倒れ込む前から液体溜りがここにあったんだ」

「誰のだ?」

「それは分からないけど……」

 ドラゴンが怪我をしているのだろうか。それとも地質的な影響を受けて色付いた液体なのか。

「まあとにかくフィルの怪我じゃねぇならいい……。腰が抜けそうだぞ」

「腰が抜けたら、ドラゴンが倒せなくなるだろう?」

 忘れぬうちに、意識の主を紅い鱗のデカブツに戻さねばならない。

「そんな冗談言ってる暇ないわ」

 エリスは、自力で歩いてこちらまで近づいてくる。

「大丈夫なのか……?」

「散々吹き飛ばされたもの。昨日も……今日も」

 慣れって怖い。

「ドラゴンは思ったより好戦的じゃない。それが逆に、私たちにとって不利な状況を生み出してる」

「何度も何度も空中へ逃げられては急降下する、の繰り返しだ」

 ドラゴンが最も対人で有利な方法と言える。

 これも、過去、ここに捕えられる前に人間と退治した際に編み出した戦法なのかもしれない。

「そうだな……」

「なにか方法が?」

 思いつきだが、一番現実的な方法を思いつく。

「もう一回だ」

「ダメ」

「もう一回やる。だから、その間に敵を、ディセクタム・ドラゴンをどうにかしてやってくれ」

「ダメって言ってる……」

「もう一回やる。エリス、その後は任せるよ。動かない相手に対して、大した攻撃もできなかったらそっちの方が問題だからな?」

「……むぅ……」

 エリスは、もうなんと言おうともフィルの意思は梃子でも動かないことを悟って、言いたいことを色々と飲み込んでくれたよう。

「エアとフェムトも頼むぞ」

「死ぬんじゃねーぞ。まだ誰も二回目は使ってないんだ。その上スパンも短い」

「身体戻ってないでしょ?」

「三人がここで、奴の息の根を止めてくれれば、その後ゆっくり休めて何の問題もないだろ? ただ、その剣を振るだけだ」

 フィル自身も、この身体で完璧な魔法を展開できるかは分からない。回復した体力も微量である。魔法を使えば何キロメートルも全力疾走した後のような疲労感がいつまでも付きまとってくる。その中では立ち上がり、仁王立ちすることすらやっとなのだ。

「そろそろ行くぞ。あのドラゴンもいつまでも待ってくれないからな」

 ドラゴンもきっと待ちくたびれ事だろう。

 生まれたての子鹿のように踏ん張って自重を支えると、再度切っ先をドラゴンへと向ける。数分前と全く同じ構図のそれは、腕が震え、剣先も上下左右へと揺れてしまっているところまで同じである。

「はぁ……、はぁ……」

 荒い呼吸を落ち着ける。

「はぁああ……、ふぅ……」

 どれくらい、魔素が剣先に集まってくれるのか。

「行くぞ」

 口に含み直した魔素玉。再び力をいれて魔素玉を歯で削り取るように砕く。

 先ほどと同じような、辛さを超えた痛みと、粒状の何かが細胞と細胞の隙間を縫って体表面に滲み出るような、むずむずして、しかし痛みも伴うといった、神経も複雑な様相を脳に伝える。

 その感覚は先程よりも強く、痛みに耐えるために舌を強めに噛む。

「ゴガアアァアアャアア……」

 魔素に反応してか、ドラゴンも昂りを見せ咆哮を放つ。狭い地下空間、まるでフラスコのような形状の空間ではその咆哮はよく響き、幾重にも重なり合い、鼓膜に不愉快な振動を増幅させて与える一つの原因となっている。

「エア、フェムト。一足先に行こう」

 エリスの言葉に頷いて、剣先をドラゴンへ向けるフィルの後ろにいた三人は、フィルの魔力によってドラゴンが静止するであろう位置へと向かう。

「……っぐぅぅ……!」

 身体の痛みと引換に、先ほどよりも明らかに多い青い光。

 透き通ったシアンの色。水に溶かした濃い青をした光は、先程同様剣先に波打つ球状の青い光を放つ魔素の塊となる。

「まだ足りない……」

 自然と喉が鳴るような音が出る。

「たった数秒じゃあ……足りないんだ」

 敵を倒すために。確実に息の根を止めるために。そのためにはたった数秒止めただけでは、優雅に空を舞うことが出来なくするだけで精一杯。翼を斬っても、尻尾を切っても、突進するという十分な凶器を持っている。噛みつかれれば一撃で天へと召されるのだから。

「魔素玉を……無くす位に……」

 口の中の魔素玉をさらに噛み砕く。

 半分に。四分の一に。粉々になるまで砕く。

 砕き終わった頃には既に顎は動かず、口内感覚も無いに等しかった。それはきっと、痛みが危険なラインを超えていたから。

「……っあ……ぁ」

 喉が焼けるようだった。

 しかし、その成果は顕著に現れる。

「光が……強い」

 エリスたち三人を背後から照らす青い光。それは、三人の前方の壁をも照らすほどの光量を持ち、フィルを振り返らずともその魔素の塊が前回とは比べ物にならないほどの大きさであることは明白だった。

「無茶はしないでよね……」

 ドラゴンは自身に近寄る三人に警戒し、一度高度を最大まで上げてから、急降下。ワンパターンな飛びつきや体当たりのような攻撃を繰り出すことは目に見えている。

 他方フィルは、三人の心配をよそに、既に限界値を越えている。

 魔素玉は、魔素を高濃度に圧縮したものなのだろう。それを口に含み身体という媒介を通して、人それぞれが持つ能力を顕現するために変換されて剣へと送り込む。

 魔素玉の殆どを噛み砕き、それは既にフィルの身体を通って剣先の魔素の塊、敵の動きを止める魔法へと変換された。つまり、剣先に溜まるそれは、魔素玉まるまる一つ分の力を持っているということになる。

「バチッ……ッチ……ババッ」

 魔素の塊も、限界値スレスレなのだろう。スパークのような魔素を高速度で放出しているのが、至近距離で見ているフィルには確認出来てしまう。

「……ぞ……。行くぞ、ドラゴン」

 剣先から魔法が放たれる。

 三人に向かって降下するドラゴン。

 対して、フィルの魔法を信じ怯まずに一歩も引かず突撃する三人。

「あとは頼むぞ」

 再びの発動タイミングは、やはりドラゴンの鼻先へ触れようとした時だった。

 フィルは倒れ込む。先程と違うのは、空を見上げるように、仰向けに倒れ込んだことだ。

 最後に光の塊が弾け飛ぶ瞬間、フィルは言葉を発する。

「ワールド・ロスト・ディメンション」

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