1-16 ディセクタム・ドラゴン
ディセクタム・ドラゴン
四人は固く冷たい石畳のような床に立つ。
降り方は無様であり、恥すらも感じるようなものであった。
ドラゴンは歪む視界の中で、四人に一度攻撃を浴びせ、壁へと激突する。
「ディセクタム・ドラゴン」
そう呼ばれたドラゴンは暗闇の中でこちらを見つけられずにいた。
火が灯る。それは、マモンの塔と勝手に名付けた、暗黒世界に聳え立つ塔の地下に存在した、だだっ広い空間を明るく照らした。
「……ッハハ……。粋な演出なことで」
足元には影を作り出さない様に、三百六十度、四人をぐるりと囲むように備え付けられた灯が、何かを切っ掛けにして点灯したことで、一瞬すれ違っただけですら相手の正体に気付いた理由を露わにする。
「初めて見るよ……」
「伝説だ」
ディセクタム。
それは紅の意味を表す。
つまり、その名の通り紅の竜である。その名の由来は目の前のドラゴンを見れば一目瞭然、全身を堅く守る紅い鱗。腹部は白く、爪は黒く、しかし目に刺さる紅の色は、誰の記憶にも焼き付くような唯一的な特徴である。
「来るぞ……!」
空間には地下水が滴っている。地面に吸収されきれずに水たまりとなり、波紋を一つ一つ、音とともに形成していた。
その波紋を消し去る、爪を地面に突き刺して進む巨躯の一歩が、ディセクタム・ドラゴンがこちらへ向かってくることを想像させる。
「離れろ! 俺が先頭たってやらァ」
「気をつけろよ」
フェムトがかってでた役目を尊重し、三人は後方へ飛び退る。
人ひとりが今襲われようとしているのに、その輝かしい煌きを放つ鱗に見蕩れてしまっていることに、どうしてかな心の高揚感を知る。
「……ぅぁっらァアア!」
盾代わりにした剣と、ディセクタム・ドラゴンがもつ鼻先の低く硬い角とが衝突する音は、鈍く身体に響く衝撃音。
「……っ……は……!」
無意識で発さざるを得ない、呼吸の苦しさから漏れる音はと共に、フェムトの身体はふわりと浮き上がる。ドラゴンは顔を垂直に突き上げたことにより、フェムトに高い放物線を描かせ、地面へと叩きつける。
「っああぁああ!」
「……はああぁああ!」
しかし、フェムトはその役目を確りと果たした。
エリスとフィルは同時に左右から挟み込むように、突き上げる瞬間を狙って顎下から切り上げる攻撃を行う。チェストプレートのつなぎ目の擦れる金属音すらも発さないよう慎重に、かつ、一撃の重さに主を置いた渾身の一撃。
「ガアアァアァアア!」
視界が上を向いた瞬間を狙った攻撃に、不意を突かれたドラゴンは空中へと羽ばたいて距離をとる。
「ちっ……」
「堅すぎるだろ、おい……」
一つは空中という、四人の手の届かない領域への一時的な逃走。
次いで、岩すらも斬って落としてしまうグラディオの剣が、ディセクタム・ドラゴンの紅の鱗相手では刺さらないということ。
「気づいてみれば致命的だったな……」
背後から、自力で立ち上がって駆け寄ってくるフェムト。
「遠距離系が一人もいないなんて考えてもいなかった……」
なぜ小隊を組む時にグランツ隊長は進言してくれなかったのかと言う気持ちと、バロール戦で武器による遠距離攻撃が有効ということに気づかなかったのかという気持ちが半々にせめぎ合っているが、現実では気にしている場合ではない。
「悔やんでも仕方がない……。空に逃げられたら、下に降りてくるまで……」
「相手もそんなに馬鹿じゃない。急降下されればひとたまりも……」
パチパチと弾けるような音。
それを発していたのは目の前のドラゴン。
「ブレス……」
口元に携える、今にも吐き出さんとする火球。一言でブレスと括っても、その種類は様々なものがある。咆哮のように時間的に続くもの。周囲一帯、ある程度の範囲に対して効果を示すもの。そして、一瞬の火力を最大限に引き出す球状の物体を放出するもの。
ディセクタム・ドラゴンは三者目に属する。
「避ける暇なんかないよ!」
みるみるうちにそのエネルギーを増幅させ、陽炎により相手の顔すらも歪んで見える。
しかし、紅の竜に相応しいその魔法は一旦その増幅を停止させる。
「撃ってくるか……?」
「いや……違うよ」
否定するのはエリス。
「……?」
言葉の通り、ドラゴンは火球を放とうとしない。
「なんで……?」
「前にもこんなことがあった……らしい」
「前だと?」
「元々このドラゴンはここにはいなかった。いつしか消えて消息が分からなくなった。そのドラゴンがここに、こんな地下の日も当たらない所に封じ込まれている……」
「今は経緯なんかどうでもいい! この後を……」
「あの火球は、一瞬の圧倒的な力で敵を殲滅する……。それこそ広範囲ではないにしろ……、だからこそ対少数に関しては絶大な威力を発揮する」
「結局撃ってくることは変わりねぇってこったな……!」
フェムトが、そう言って三人より一歩前に、ドラゴンとの間に入る。
「フェムト……何を……」
親指でコインをはね上げる要領で、ピンと空中に漂わせた、歪に複数の結晶が絡みついたような構造の光を反射させる玉。
どうしてもフィルの正円に近い魔素玉をイメージしてしまうと、フェムトの魔素玉は不格好に感じてしまうが、それが持つ能力としては変わらないのだろう。
「俺の力だ……!」
歪な形の魔素玉を口に含む。
突如手に握る剣が淡い白い光を帯び、それが魔素玉による何らかの変化だというのは明白。
「来い」
切っ先を、空を舞うドラゴンへと向ける。
フェムトの行動に意識が向けられていた間に、ドラゴンの口元で煌々としていた火球は、その大きさを非常に小さく変えていた。
「フェムト……」
話しかけるフィルを制止して、集中するフェムト。
となりから、舌打ちかそれとも唇を舐めたのかリップ音がしたかと思うと、その当人は深刻な表情をしていた。
その理由を尋ねる前に、エリスは話し始める。
「フェムトはまだ魔法を何度も何度も使ってるわけじゃない……。それなのに初めからあんなに強大なものを受け止めるのは危険すぎる」
「フェムトの持つ魔法は盾……、なのか?」
「あの光はそう。あくまで剣は身体が吸収した魔素とそれを具現化する媒体……。だから、具現化する途中で自動的に属性に関与した光を発してしまうのよ」
「なるほど。それであいつが火球を……」
「だからダメなのよ!」
「出来ないなんて分からない……」
「違う! 昔の話、情報板にあった話、ディセクタム・ドラゴンがここにいなかった時、当然あのドラゴンを倒そうとして討伐隊が出た! その時の死者数を知らないから……」
エリスの言葉を発させない威勢が徐々に消えていく。
情報板にはありとあらゆる地の魔獣についての情報が詳しく載せられている。どれもこれも、役に立たないものばかり。なぜなら既に一年経った今、弱き魔獣は容易に討伐できるようになり、あまりにも力が強大な魔獣、魔神は死者数を述べることしか出来ずにいるからである。
「私はバロール相手に二百人……。あの後カストラム以外にも何度か討伐隊が行ったらしくて、総数は五、六百人くらいって言われてる」
「あいつ一匹にそんなにやられてたのか……」
無言で頷く。
「このディセクタム・ドラゴン……」
喉から言葉が出ないのか、口の形だけが変わる。
その数秒後、落ち着いてから発した人数。
「七千八百超の人を殺して」
「なっ、七千……!?」
正に桁違い。
「不運なことに、街から十キロ無いところに出現してしまったから、討伐隊もすぐに出された。ドラゴンだから空も飛べるせいで、街が崩落させられるなんて誰でも考えるもの」
「色んな要素が重なり合って、被害者数が桁違いになった訳だ」
「そう……色んな要素ね……」
その言葉で一つにまとめてしまうことが腑に落ちないようだ。しかし、その感情を抑え込み、目の前のフェムトに対して意識を向ける。
「多分、フェムトが魔素玉から吸収できる魔素はそんなに多くない……。もしかしたら簡単にほの防御璧を割られるかもしれない」
「魔素か……」
ひとりが弱いのならば、複数人でとも考えた。しかし、自身が持つ能力とフェムトの持つ能力が違えば、剣は受け付けないだろう。直接魔素をフェムトへ渡そうとしても、器がいっぱいならば溢れるのみ、それどころか、やり方すらも知らない。
「どうすればいい……」
「……」
それは尋ねたつもりではない。いや、自分自身に問いかけるように発した言葉だった。
しかし、エリスはその言葉に答える。
「どう仕様も無い」
それは無慈悲な言葉かもしれないが、打開策を思いつくためには地形を利用しようとも攻撃を利用しようとも、あまりに何も無い、質素な空間であることが災いし、不可能に近いものとなっている。
「……」
だからこそ、その言葉に返せる言葉を持ち合わせていなかった。
その中で。
「私がやる」
エアの声。しかしその声が彼女のものだと気付くのに、一瞬の時を要してしまった。
なぜなら、その声は低く、そして響き、まるで彼女の身体から発せされていたものとは大きく異なっていたからだ。
「私が……、私にも……」
エアはフェムトと同様、魔素玉を口に含む。
エアはフェムトと同様、切っ先をドラゴンへと向ける。
するとエアの剣はフェムトの白い光とは違う、ディセクタム・ドラゴンの鱗によく似た赤い光。
しかし大きく違うのは、フェムトは盾を展開するかのように広がる白い光。しかしエアの発する光は、光を発する粒状の物が剣身を伝って剣先へと向かう。そしてその一点で集中して、まるでつい先程まで見ていたドラゴンが火球を膨らませるような光景に似ている。
「ガアアァアアァア……」
ドラゴンは威力を集中させた火球が完成したのか、地下空間に反射した咆哮とともに火球は轟音を立てて急激に接近する。
「行っけええぇええ!」
それを見てエアも反応する。
急造で、それが最大最高の火力を放てる状態の魔法では無いだろう。
「ドオオォォン」
空中で二つの高エネルギー体がぶつかり合う。
しかし力の差は歴然。僅かながらに火球の威力を減らし、面積を増やして一点に加わる力を分散させることに成功したくらいだ。
「あとは任せとけーい!」
火球は数秒でフェムトが構える剣先から開かれる光の傘に到達。
「ッガアアアァァ……!」
足が震えている。
「身体から魔素がどんどん吸収されてる」
緊張から生唾を飲む。
「魔素玉から剣に魔素が送られる時、身体はすごく消耗する。だから、私もさっき立てなくなったし、フェムトも立つのがやっと」
火球は面積が広がった。とはいえ、元々が高いエネルギー体。光の傘の範囲外へと逃げていったものもあるにしても、そのエネルギーはフェムトひとりが支えられるようなものではなかった。
「だ……めだ……」
数秒の時を持ちこたえ、炎も確実にその勢いは減らしていた。
ただし、その圧力は傘を割った。
「っああぁああ!」
四人の叫びが谺響する。
身体の至る所を打ち付けて痛む。
「ブォン」
風が吹き荒ぶ音。この音がなければ、何も気づくことは出来なかっただろう。
「……跳べ! エリス!」
ドラゴンは一瞬の隙を見て、空間の最上点からエリス目掛けて一直線に急降下する。頭が下に来ているとはいえ、爪を開いたドラゴンの足が示しているのは、間違いなく拘束し空へと連れ去ること。
「……!」
しかし、その声は遅かった。
紙一重のタイミングとも言えない。高い速度に乗ったドラゴンから、方向修正しても捕えられないような十分な距離を取れるほどの時間はない。
遅すぎたのだ。
「キャァアア……!」
エリスには珍しい叫び。
急角度で行われたタッチアンドゴー。身体全体を締め付けるように拘束される。
「……っ……ぐ……あぁ……」
ギリギリと締め付けられる感覚は息苦しくもある。
急上昇したドラゴンは、宙で背面に、尻尾の遠心力を最大限生かして一回転すると、その勢いのままにエリスの拘束を解く。
「……っあ!」
「エリス!」
すれば必然的にエリスはその回転力を一身に受け、隕石の如く降り注がれた。
そしてそれは、不幸か幸いか着地点がフィルの元であり、受け止めようとも受け止めきれない勢いに巻き込まれて、ゴロゴロと地面を何転もした。
「……」
言葉を失う。
この戦いは、ディセクタム・ドラゴンとの戦いは未だ数分しか経過していない。
誰がみても一方的な内容というだろう戦いは、いつおわるのだろうか。
「俺の魔法は……何なんだ……」
魔素玉。
そんなもの知ったことではなかった。このアイギスの匣の開放者として名乗り出た理由は、魔素玉を欲していたというものではない。
ただ、そうしなくてはならなかったからだ。
そのため、自身の持つ魔法などというものに何ら興味も抱かず、もちろん人のもつその力にも興味はなかった。
「エアの魔法で光明が見えたんだ……」
だから、俺の持つ魔法はどんなものなのか。
「フェムトの魔法で命拾いしたんだ……」
だから、俺の持つ魔法は人の役に立つのか。
「エリスの魔法で危機から救われたんだ……」
だから、俺の持つ魔法はこの状況を変えられるのだろうか。
興味が湧いただけだ。
その興味は、一つのことを思い出させる。
「パンドラの匣……」
ぼんやりと頭に浮かぶ影。
それだけで十分だった。
懐から取り出した魔素玉を口に含む。
抱えるようにしていたエリスを地面に寝させ、フィルは一人で剣を握って、悠々自適に空を舞うディセクタム・ドラゴンへと向かう。
「カキンッ」
口の中で欠ける魔素玉。
新境地へと向かう。
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