1-15 眷属と幽閉

 眷属と幽閉


 塔を天辺まで上がってきた。

「ぐへぇ」

 エアの第一声がただの音である程度には辛く険しい道のりであった。

「無駄に……高いんだよ……!」

「その上、マモンの眷属も多すぎる……!」

 不満が噴出するのは無理もない。

 そもそも塔の高さはゆうに百メートルを越す。一段一段魔獣と戦いつつも数えることを忘れずに進み続けた螺旋階段の段数は九百二十八、仮に一段の高さが二十センチだとすれば約百八十五メートルという高さを、四人はその脚で登ってきたことになる。

「フェムト……針刺さったままだよ……?」

「んあ? 本当だ……。疲労感だけで全然そんなこと気づいていなかったぞ……ってか、エアこそさっきのやつの毛だらけじゃねぇか……!」

「……えあっ!? ホントだぁ……。うぅ、あの飛びついてきた狐めぇ……」

「ただの狐の体毛なのにかえしがついてるみてぇに突き刺さったからな、どうやったらあんな針金みてぇな毛を持った狐が出てくるんだよ……」

「そりゃあ魔獣だからな」

「身も蓋もねぇ……!」

 フェムトに刺さった針の正体は、針鼠によるもの。まるで返しがついたような針金の如く体毛は狐のもの。どちらもマモンの眷属とされているものだ。

 不運なことに──この塔に侵入したからには必然になるのかもしれないが、この針鼠や狐に幾度と無く襲われた。高度が増すにつれて襲いかかる魔獣の個体能力は高くなり、襲い来るそもそもの数も増える。最終的には、重い足取りで脚を一歩、次段に掛ければそれがスイッチとなり魔獣が一体襲ってくるような様であった。

「……っつ……ぁあ……。……っつ……ぁあああ!」

 脚やら腕やら背中やら、至る所に刺さったままの針を一本一本抜く度に痛そうに声を上げ、抜けた直後には痒みからか「あああっ!」と声とともに抜けた箇所を掻き毟る。幸いなのは、針鼠の針が細くかつ痛みも忘れるほどの疲労感も相まって出血を免れていることだろう。

「どっから湧いてきやがったあいつら! 一体倒したと思ったら三体くらい目の前に嫌がるんだぞ? だーれがねずみ算式に敵を増やせって言ったよ!」

「針鼠……」

「うるせいやい!」

「まあまあ。ここまで来れたんだから取り敢えず先へは進めただろ?」

 フィルは宥めるようにフェムトにそう発してから背中越しに立てた親指で自身の後方を指して、その越えてきた道程を示す。

「そんな血だらけの床を見せられても気が滅入るぜ……」

 残念ながら、針鼠も狐も真っ二つに切り刻むしか勝利する手段が思いつかなかったために実際そうしていたのだが、そうなれば螺旋階段は返り血を浴びて血まみれになるのは当然。下方を見れば既に酸化して赤黒く、黒色を交えた血色となりつつあるが、最後に近くなればなるほどその色は鮮血そのもの、魔獣も血の色は赤いのかと思わされる色だ。

「よーしもういいぞ。先へ進む……って言っても、行先はこの下か?」

「ここ景色悪いもんねー」

 「景色」という言葉に釣られて壁のない塔の最上階から外を見る。当然そこは黒い世界で、本来そこにあるべき景色など網膜で感じることは叶わない。

「はぁ……。そりゃあそうだよね」

 この高さを上ってきたことから、少しは情景の良さを期待してしまった自分が少し恥ずかしくなった。その気持ちを抑えて、この下、つまり最下階にいた時から気にはなっていた塔の中心の一つの柱に気を遣る。

「やっぱり中は空洞だったな」

 にひひと不敵な笑みを忘れて、塔の最上階の中心にある、少し高くなっている床に手を当てて、そこに何も無いことをフェムトに見えるように示す。

「じゃあこの下にマモンが……?」

「ここだとそれは分からないな……。もちろんマモン以外の何かがいる可能性もある。何分暗すぎてそこが見えないんだよ」

 四人はその地下へと続く縦穴を覗く。

「やっほー!」

 エアの声がこだまするのみで、縦穴の深さやそこにいる何かについて知ることは出来ない。

「どうやって降りようか……」

「何かクランディルクで買い込んでただろ? あれはなんなんだよ」

「ああ、あれはちょうどここで使えるいいものだぞ」

 ごそごそと取り出したのはロープである。長さは二百メートル程と長いものを選んできたが、地下の広さによってはその長さでは足りない可能性もある。

「クランディルクの店員のアーミスに、この塔の発見者を教えてもらったんだ。その人に話を聞いた時、もしかしたら竪穴的な構造があるかもしれないって言っていたから買っといたんだが、見事に的中させてることに驚きだよ」

 フェムトとエアがクランベリーピストリーナに夢中の頃、フィルとエリスの二人が話を聞いていたお爺さんの事だ。

 クランディルクにある最も長いものを購入したにも関わらず、それでも有用かどうか微妙なラインであることに、この塔がどれだけ規格外の存在なのかと考えてしまう。

「それならそれで降りるか」

「いや」

 フィルはその提案を一旦遮る。

「どうするんだよ」

「いきなりそれを垂らして持っていかれたりすれば、無駄な骨を折ることになる。だから、まずは俺ひとりで見てくるよ」

「降りるためにそのロープを……」

「これだよこれ」

 フィルは腰に下げた剣を掌で二度トントンと叩く。

「ま……さか……」

 剣を抜いて、くるりと一回転させた後、柱の内部、縦穴に剣を突き立てる。

「……ッ……!」

「キンッ」

 岩と金属の不快な音は聞き慣れもした。

 フィルの剣は確実に竪穴の壁面に突き刺さっている。

「やっぱり……」

「それで降りていくのは自殺行為だぞ」

「ちょうど剣身が厚めだ。その上異常なまでに頑丈だ」

「もし落ちでもしたら……!」

「もしアクシデントの一つが落ちたのならすぐ戻ってこれる。これくらいの高さならな。逆に最悪なのは、そのロープを使ってゆっくり降りている最中に敵に襲われることだ。登るのにも時間がかかる。下には敵……。挟まれたら大変だからな」

「戻ってこれる……? どうやっ……」

「しかし予想通り内側には障壁がなくて助かった」

 面倒臭い質問だとその言葉を遮って、剣と手の親和性を確かめてから、崖淵に手を掛ける。

「先に行ってくる。合図してから下りてきてくれよ? そうじゃないと、俺が先に行く意味が無いからな」

「ちょっ……えぇ!?」

 何故そうまでして先に行きたがるのか。

 フィルの脳内は至って単純だった。もちろん言葉の通りの理由もある。しかし、気になっていたのは第一発見者のお爺さんだ。

(何故塔に入ってもいないと言いつつも、この形状があると知っていたのか……。何かしらの関係があるんじゃないだろうな……)

 そのための一人。一人であれば何かあっても対応できるという高を括った行動だ。

 そして間違いなく下にはアモンなのか、それとも別の何かなのか、どちらにせよ何者かがそこにいるはずなのだ。それを暗に、むしろ明確に示すために敢えて言葉にして、罠という例を挙げて正確なイメージを持たせたかった。

(この先に何があるかを知っていたんだ、あのお爺さんは……)

 そんな中で一つ嘘ではないと仮定した事。

(もし、本当に誰ひとりとしてここに来て帰ってきていないとすれば……、この下にいるバケモノは、ただでは済まされない程の力を持つもの……)

 一人であれば逃げ切れるという言葉に嘘はない。

 バロール戦ではまだひけらかすタイミングでは無いという秘匿したい一心で、自身の持つ、人とは違う身体能力を公にしなかった。

 地面さえあれば、踏ん張ることが出来る地さえあれば、一飛びである程度の高さまで跳躍できてしまう。

 フィルにはあるが、他の三人にはないもの。

 このためにわざわざ危険を冒して、身勝手ながら一人で下へと向かったのだ。

「……ッ……ァ……」

 風で目が乾く。

 それでも当然目を閉じる訳にはいかない。何時何時細き縦穴が、広い空間へと変わるかも分からない。

 剣を壁に突き刺す用意をした体勢のまま数秒。

 底に瞬間的な淡い光を感じた。

「ここだッ」

 ガインッという鈍い音を発して剣を壁に突き刺す。随分と重力に任せて下ってきたが、それでもこの石壁は変わらなかった。

 徐々に速度を落としてきたフィル自身は、身体の運動するタイミングを見計らい、垂直にあった剣を水平方向に拗じるように石壁を斬ると、自身の上下方向の移動は完全に停止する。

「おい! フィル……!」

 ぐわんぐわんと反響して到達する野太めの声からは、突然起こった状況を未だ飲み込めていない様子がひしひしと伝わってくる。

「大丈夫だ! もう少しで下に着く!」

 底を照らす淡き光が、先程よりも僅かに強く、しかし刹那秒で消えてしまう。

(やっぱり何かいるな……?)

 そうして、敵の様子は見えないまま、意を決して地面目指して剣を抜く。

「……え!?」

 こちらに向かってくる炎。輝かす鱗。

「ドラ……ゴン」

 こんな地下の空間に、紅い鱗を持ったドラゴンが捕えられていると誰が思うだろうか。

(防ぎきれない……!)

 炎の迫る速度は尋常なものではない。光よりも音よりも遅くとも、人間の反応速度など高が知れている。

 その炎は目の前まで迫る。

 目を瞑り、気休め程度の剣とアーマーのない両腕、できるだけ身体を小さく丸め、火に炙られる面積を減らそうと試みる。

「アガッ……!」

 しかしフィルを襲った痛みは、火傷によるものではなく、首を服で締められるような瞬間的なものが第一だった。

「そのまま目を瞑ってて!」

 声の主はエリス。言われた通りに目を瞑ったままでいると、エリスに引き寄せられる。

「カリッ」

 耳元でする何かの音。

 定かではないその音の直後、淡かった光は瞼をも貫通する強烈な光へと変化した。

 その後も落下を続け、地面についた感触はなく、何かスポンジのように柔らかな床に埋もれた感覚だった。

「……っ、はぁ……、はぁ……」

「何が……!?」

「何がじゃないでしょ!? 私が飛び込んでなかったら今頃ディセクタムの炎で火炙りの刑になってたのよ!?」

「いや、勝算が……」

「あったら教えてくれる!?」

「すいません……」

「……もう……。二人とも降りてきて大丈夫! ロープは掛け忘れないでね!」

 その言葉で二人はどさりどさりと落下して来る。同じようにクッション性の何かによって怪我もなく、安全に底に到着した。

 フィルの瞼すらも貫通する猛光の瞬きは、ドラゴンにも効果があったようで、一時的ではあろうが視界を失いさ迷っている。

「……ふぅ……」

 エリスは頭に手を当てて、仁王立ちしているが、その身体はふらつき芯がないように思える。

 そして遂にエリスが倒れかける。

「危ない……!」

 腕を出してさっと支えるのは、柔らかな粒状の物質に包まれた中であることがより困難にさせていたが、どうにか衝撃なく寝かせることに成功した。

「どうしてそんなに消耗して……」

「人は魔法を使えば消耗するわ……。普通この程度ならここまでは消耗しないけど、何分久しぶりに使ったもんだから……、っつつ……」

 魔法といえば、その存在を思い出したのは何時ぶりだろう。魔素玉を受け取ってからそれを試しに使おうという気にもなれず今まで過ごしてきた。

「そんなになるなら魔法なんて使えたもんじゃないじゃないか!」

「ここまで酷いのは私だけだと思うわ……。普通に戦っている最中に使っても、何も起こらないのが一般的……。ちょっと力加減を間違えたのかもしれないからね……」

「そうだ……! エリスは何をどうやってあの炎を……」

「私は何度か魔法を使ったことがある……。その時に分かったのは、私が使えるのは「分解」することが出来る魔法。最初は炎のエネルギー……、光と熱というエネルギーを膨大な光のみのエネルギーに変えたから、あれだけ強い光が発せられたの。その後はこの床。無事に着地できるように、床そのものを小さく分解して、今みたいな柔らかさを作り出した……」

「エネルギーとか床とかだと正確な範囲が指定しにくいから、力加減が難しいのか」

「そういうこと」

「一番の原因はフィルにあるけどな」

「言い訳のしようもございません」

 下には敵、足場がなく上には飛べない状況が、飛び降りてから数秒後に訪れるとは夢にも思わなかったのだ。

「ゴガアアァアアァア」

「アイツ……目が戻ってきてるぞ」

「なんでこんな所にドラゴンが……」

 ドラゴンは悠々と翼を広げ滞空すると、空中で反動をつけて四人の方へ飛びかかる。

 急いで足場の固いエリアへと辿り着く。

「フェムトすまん」

「え……」

 フィルの剣身の幅では心許ない。フェムトの腰からグラディオの剣を抜いて、四人を守る盾にする。

「……っぐ……!」

 その衝撃は凄まじい。

 一人では対抗という言葉が思いつかず、ただ両足で立った体勢のまま地面を滑るように後方へと吹き飛ばされるだけだ。

「フィル」

 摩擦により靴底は削れた。そのお陰もあって、身体はやっと止まる。

 同時に背中にエリスの手の暖かな感触。

「ああ……」

 マモンの塔。しかし、地下に囚われていたのはマモンではなく、ドラゴン。

 先へ進むために倒さねばならない敵だ。はっきりとしない切っ掛けを探すためにも。

「前哨戦だな」

 剣をフェムトの手へと収まるように投げ、自身の剣に抜き直す。

「紅いドラゴン……」

 紅い鱗が目に痛いドラゴンの名を呼ぶ。

「ディセクタム・ドラゴン」

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