1-14 刻まれた悪魔の名

 刻まれた悪魔の名


「ねぇ! フィル! エア、フェムト……! 何処にいるの!?」

 足元の無い、正確には視認できない黒の世界において、ただただある一つの建物を背にして彷徨うエリス。

 それはまるで黒の世界。暗黒の世界である。

「何処にいるの……!」

 時間はそれほど経っていない。それなのにも関わらず、たった一人では数秒で精神に異常を来すには十分なもの。

「大丈夫だエリス!」

 崩れかけたエリスの腕を掴み、その姿を立て直させる。

「うっ……ぷ……」

「大丈夫かエア……」

「ダメ……」

「戻すんなら外に行って戻してこい。一応」

「うっ……了解だよ」

 とぼとぼとどこか知らぬ境界線を跨いで現実世界へと戻っていくエア。

 この黒の世界は、現実とは隔離されているように感じることから勝手にその体を貫いて会話をしているだけであるが、その考えはあながち間違いとは言いきれない。

「この空間は……空気が腐ってんな」

「……ああ……。タダでさえ目の前の塔しか見えない。それの癖して外の景色は何も見えないんだ……。この世界になんか長居したくないね」

 四人は一本の道を唯歩いてきただけである。

 話によれば、塔は遠くから視認することは出来ない。その存在も感じ取ることが出来ない程、謎に包まれていた存在だという。

 エリスは先頭を歩いていた。フィルにフェムト、エアは気付けばその姿を見失い、何が起きたと状況を完璧に把握することは出来ないまま歩みを進めると、どこが境界線か分からぬままこの黒の世界で雪崩落ちるように倒れそうなエリスを見つけ、その肩を支えた。

「ただ……」

「これが目的っていうのは間違いないな……」

「なにかの障壁というのはこれを指していたんだろう。この障壁があるから、遠くからは姿が見えない。それでいて突然異世界の如く腐った世界に足を踏み入れさせられる……」

「そうだな……。確かに歩いていった先は森しかなかったんだ。幻影でも見せられてるんじゃねぇかって心配になる」

「外から見ると……っ……やっぱりここは森にしか見えないよ……」

 再び霧が晴れるようにして僅かな光を反射してその姿を見せるエアは、意識外のうちに脅かされた環境を改めて確かめて言う。

「おいフィル」

「なに?」

「ここが目的地なんだろ? だったら迷うこたァねぇだろ。目の前にある、不気味に光を放ってる唯一の建物に突っ込めばいいんだよ」

 相変わらずぶっきらぼうな物言いだと思いながらも、実際ここが目的地であって、目の前に淡い橙の、正に松明によって光を補給しているとばかりの暖色は開放者を手招いているのだろう。

「そうだな。そうしよう」

 完全に自身の両足のみで立ち上がることが出来ていないエリスを、より強い良い力で引っ張り上げて、フィルは彼女の腕を自身の首へかける。

「とりあえず先に進むぞ、エリス」

 立ち止まるべきではない。ここで立ち止まったとしても、この空気に侵される時間がより長くなるだけであるから。

「エアは付いてこれるか?」

「大丈夫……っぷ……」

「大丈夫じゃねぇじゃねぇか!」

「いや、ホントに大丈夫だからっ……! フェムトは気にしないで。気にしてくれるのなら、ちょっと襲われないように気を張って……っ……て……」

 明らかにこちらも大丈夫ではない。

「俺達が何とかなってる代わりにふたりがこの様子じゃ派手な動きはできねぇぞ?」

「一回戻るって言うのか?」

「いーや。それは無い……だが、何かあったら困る」

 戻れない理由は幾つかある。例を挙げるならば、川と食糧だろうか。四人がここに到着するまでに超えてきた一本の川。長く続いた雨の後、バロール戦によってか衝撃で既に氾濫した川を越えてきた。また、食料は買い込んだとはいえ、その川で既にいくつかダメにするという事態ですらある。

 悠長に黒き世界の外でいつ回復するかわからない時を経過させるわけにもいかない。再び境界線を跨げばこの苦痛が襲わないとも限らないのだ。

「分かってるよ。何かあったら敵は俺が引き寄せる。だから……二人を頼むぞ」

 四人はゆっくりとした足取りで塔へと近づく。底のない空間にも思える足元は、まるで宙に浮いているような感覚を記憶させ、フィルですら危うく喉元へ来た内容物を別名にしてしまいそうだった。

「……ふむふむ」

 上を見上げれば、話の通り等の外側につけられた螺旋階段。しかし、その螺旋階段は下段であるから目に映るものの、階段を上がってしまえば足元が覚束なくなるだろう。

 フィルは松明に照らされた塔内部への入口発見し、そのようすをしばらく窺うが、解決法は一つしかないと考えつく。

「……ッ……!」

 ガラガラと埃と木屑を散らしながら音を立てて崩れる扉。それはフィルが唯一考えた剣で力尽くでも破壊して侵入するという手段。

「ナイス力業」

「それ褒め言葉じゃないだろ」

 塔内部は決して広い空間には感じられなかった。

「入るぞ」

「あいよ」

「座ってればいい。幸いそこら中にいすやら机やらが転がってる。塔の中……っても下をぐるっと見てくるだけだが、何かないか探してくる」

「ああ分かった。頼むわ」

 外壁から見るに、当内部の体積として矛盾点は生じていない。外壁と内壁の間にはどこか空間があるという訳では無いだろう。

 フィルは塔の中心に見上げても完全にその先を捉えることが出来ないほどの高さを天辺まで貫く柱をコンコンと中指の第二関節で叩きながら、それを軸に一周する。

「すごい数の書籍……。それにこれは色んな種類の貨幣だな……。見たことがないやつばかりだ……」

 少し回れば見えてくる乱雑に置かれた本棚や、机の上に無造作に置かれたそれらは、どれも古ぼけているが未だに書籍としての役割はなんとか果たしている。

 貨幣を見れば、コレクションなのか、一枚一枚光り輝くまで磨かれた痕跡に加えて、ファイリングしてある規則正しく並べられたもので、これらはまるで魔獣のものとは思えない。

「そして、女性の写真が並べられた不気味さを放つアルバムに、あると思った投げられてるけど……絵画だよな……」

 アルバムに顔写真と名前、性格から目にしたくもない感想まで書かれたそれは、腐敗した空気とは別の吐き気を催すには十分な気持ち悪さである。

 そして、書籍に貨幣とくれば、富の象徴とも言えるだろう絵画がある。これをフィルは予測していた訳だが、こうも地面に乱雑に投げられていることまでは考えていなかった。

「ふぅ……」

 広い、とはいえ一周ぐるりと回る為に走れば十秒かかるかかからないくらいのものだ。塔を上るための螺旋状の階段は二箇所上り口があり、それは二重螺旋構造を作り上げていたが、このフロアを一周する中にも目に付くものはそれくらいしか存在しないのだが。

「……一番はやっぱりこれだよなぁ……」

 最初から気になっていた。灰色の石がつまれた形状の中心に聳える柱。

「よくよく見てみれば、この柱が螺旋階段とかを支えてるわけじゃないだよ、フェムト」

「確かにそうだな。上を見上げて、柱が見れるんだからな」

 少しは回復傾向にあるらしい二人だが、エアがこの柱についていう。

「その柱さ、石斧みたいに斬れたり刺せたりはしないの? その剣なら意外と簡単に斬れたりするかもしれないよ……?」

「試してみるか」

 扉を斬る時同様に金属音を立てて引き抜かれたグラディオの剣。

「……ッアァ!」

 フィルは石斧に対して突き刺したように、その感覚を思い出して水平に閃かせる。

「キーン……」

 狭い石造りの塔だからこそ起こる耳を劈く高音が生み出す反響が織り成す音は、四人の耳を反射的に塞がせる。

「……ったぁ……」

 フィルは思わず手に痺れるような、電気的な衝撃を覚え咄嗟に剣を手から零れ落とす。

 落ちた剣は幸運なことに、毛脚の長い絨毯のお陰で衝撃とエネルギーを吸収し、不快な音は立てられなかった。

「斬れないのか……」

「物理的に切れないんじゃない……」

「そこも魔法的な障壁があるの!?」

「間違いない……と思うぞ。少なくとも、この剣なら石でも多少の傷とか凹みは作れる。それ位は散々やってきた訳だからな」

「マジかよ……。剣先で突いたってのに、微塵も削れちゃいねぇじゃねぇか……」

「そう」

 フェムトはフィルがグラディオの剣で突いた石壁に指をなぞるように触れて、その人工的な凹凸の有無を確かめた。

「やっぱり何かあるんだ、この柱の中に……」

「障壁を解けば斬れるかもしれないけど、斬ってしまったら上からの圧力で崩れかねないわよ」

「つまり、ご丁寧なことにこの党は一本道だと……」

「塔だもの上に行くのが必然じゃ無い?」

「上に行っても何も見えない塔だろうけど……」

 四人は階段を見据える。

「上に行くかい?」

「二人共もう大丈夫?」

「歩くだけなら……大丈夫かな」

 エリスの言葉にエアも同意してこくこくと頷く。

 そうして、階段への一歩を踏み出そうとした時。

「カァ」

「……?」

 何の音だ。

「カァ、カァ」

 その音は四人の耳に確実に到達している。

 回数を重ねる毎に増す音圧は、一秒一秒四人に対して向かってきているに違いない。

「何かの……鳴き声……」

「鳴き声?」

「こんな特徴的な鳴き声する動物一つしか知らないぞ」

 「カァ」と鳴く動物。周囲に撒き散らす騒音としては間違いないが、やけに澄んだ声で、しかし、四人が頭に思い浮かべるそれと違い、低音から高音までがそれぞれ増幅されたような音をさせていた。

「どこから来る……?」

 羽ばたく音は一度もしない。それでいて風を切る音も耳では補足しきれない。

「外……か……!」

 天井を見上げ、しかしそこに存在はなく、ただ残された領域は、塔から出た黒き世界しか思いつかなかった。

 フィルはその考えと同時に、未だ鞘に納刀していなかったグラディオの剣を構え、外へと駆け出す。

「カァァァアアァアア!」

 突如威勢を上げ、塔内部から走り出てきたフィル目掛けて鳴き声を喚かせて飛びかかる。

「どこだ……!」

 しかし辺りは黒き世界。烏の羽は黒。

 完全に同化した烏は、爪を立てて今にもフィルに襲いかかろうと急降下を始めている。

「ぐわっ……!?」

「フィル……!」

「クソッ」

 橙の光に照らされた黒は僅かな光を反射したのだが、その一瞬では剣を振ることや、回避行動を取るにはあまりにも短すぎた。

 鋭利な爪を眼前に、宙へと一気に飛翔する烏。

「カアアァアア」

 羽を力強くはためかせる度風圧と重力がフィルを襲い、その抵抗できない力に目を瞑ってしまう。

 しかしある時。

「……!」

 ふわりとした、内蔵が口から出そうな浮遊感。

 瞑っていた目でもわかる、瞼を透過する強烈な光。

 それらは、烏の飛翔が境界線を越えたことを示していた。

「烏は……!?」

 正確には、烏が自身をつかむ圧力から解放され、一人宙に投げ捨てられている格好だ。そこに存在しているはずの塔は、やはり黒き世界の障壁からか視認することは出来ない。そこに巣食う烏のような魔獣も、その障壁を跨いで外の世界へ来ることは出来ないのだろう。

 青々と広がる世界を、久々とも感じるグレーが覆う。

「……っアァ!」

 フィルは右手に握ったままの剣を、恐らく境界線という瞬間に下方に向かって突く。黒き世界から現実世界へと境界線を越えなかった烏は、フィルが現実世界から黒き世界へとそれを越えると同時に接触すると考えた。

「ガアアァアア……!」

 それは間違いなかった。

 当たりどころとしては止めがさせない左羽であり、確実な一手を詰められなかったことは残念に思うが、相手から空中戦を奪い地上まで一直線に落下させるには十分だった。

 どうしてか理由のつかぬ仰向きという烏にとって妙な体勢も相まって、地面に叩きつけられるそれは「ガァ」という烏らしからぬ鳴き声をして、その動きを止める。

「っと」

 烏の柔らかな躰をクッションにしてフィルは地に降り立つ。ささやかな空中旅行は、いささか楽しいものであった。

「心配する必要はなかったわね」

「運が良かっただけだよ。この黒い世界じゃ、迂闊に塔から一歩踏み出せばこんな仕打ちもあるんってことが分かったな」

「よりによって烏とは、陰が捉えにくくて仕方が無い」

「そう。その烏よ」

「?」

「これを見て」

 フィルが空へ連れていかれる姿を目の当たりにして、気持ち悪さを忘れ去ったのか先程に比べて平時的なエリスは、塔の内部を指で示す。

「どういう……」

「床よ」

 床に敷かれているのは、剣を手から滑らせても音を立てない程の毛脚をもつ絨毯。

「ま……む、マモンか」

 床に綴られた「MAMMON」の文字。

「趣味悪いな」

「そうじゃないでしょフェムト」

「なるほど。それで烏か……」

「マモンの眷属には烏がいる。つまりここはマモンが執り仕切る塔……何じゃないのかな」

「有り得るな。いや、むしろそれが正解なんだろ」

「どうして?」

「マモンは強欲を司る悪魔……。一周見てきたからわかるけど、わざとらしく中においてあったのは、金に絵に女に……って正に富と財、強欲を顕著に示してるからな。真ん中の柱にばっかり注意がいってそこまでは頭が回っていなかった」

「もしかしたら、ここの塔の中心……マモンがいたりしないのかな?」

「いたら第一の匣を守っている魔神そのものにこんな早期から戦いを挑むことになるけどな」

「ふふっ……。ここで倒せば、匣が一つ開放されるとしたら、好都合じゃない」

「……まあ、間違いない」

 欲に目が眩んだという言い方も間違いではない心情だが、新たなる強敵の出現の予感に恐怖よりも戦いたいという期待が勝っている。

「それじゃあ、上に行こうか」

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