間 クランベリーピストリーナ

 クランベリーピストリーナ


 カランコロン。

 横開きの扉を開けると同時に、取り付けられたベルがフェムトの耳元でけたたましく騒ぎ立てた。勿論通常であれば、ただの来客の報せであって誰にも不可解さなど与えないだろう。しかし、フェムトの四人の中で最も高い身長は、必然的にそのベルとの間隔を詰めさせており、フェムトの耳が異常宣言をするには十分だった。

「これが本当にピストリーナ……!?」

「パン屋っていうより、まるでケーキ屋みたいだなぁ……!」

 ショーケースが店内にコの字型に配置され、入口を抜ければ光を反射させるガラス張りの中で煌めく様々な彩りのパンが並べられている。

 恐る恐る、覗くようにして店内へ入ると、焼きたてのパンの匂いが鼻腔をくすぐる。ほんのりとした甘さと、アルコール感。それに加えて、質の良い油が焼けた匂いが混ざり、空腹の二人には、必要以上の胃への損傷を与えた。

「いらっしゃいませー!」

 店奥から勢いよく飛び出してきた女性。

「ご注文はお決まりですかー?」

「いや、少し選ばせてくれ」

「かしこまりましたー!」

 元気のよさは人一倍。調子の良いときのフェムトですら負けるんじゃないだろうか。

「パン屋って言うと、棚に並べられてるイメージだったけど、こういう販売方法もあるんだね」

「作るのは骨が折れただろうなこれは……」

「お客さんは、商品よりもショーケースの方がきになりますー?」

「まあな。パンも美味そうだが、こいつもなかなか見られるもんじゃねぇ」

「わたしも昔似たようなのを見たことあるけど、その時はクーヘン(ケーキ)だったから、保温じゃなくて冷蔵だった……」

「これのヒントは正にそのクーヘンから来てるんですよ! まあクーヘンは下に大量の氷で冷気に当ててやれば大丈夫なんですけど、パーニス(パン)の場合は下から炙ったら焦げますからね。その分すごく大変でしたよぉ!」

「そこまでして徹底してるんだ。さぞ美味いパンが頂ける事だろうな」

「間違いないですよ」

 二人して意気投合してか、フヒヒと不気味な笑いを発しつつ、二人はどれを買うことにするか選ぶ。

「それにしても……」

 フェムトはショーケースをくるりと改めて見回す。

「店名にクランベリーって付いてるから、てっきりそればっかりになるのかと思っていたら、肉に魚に、香辛料メインにとすげぇ種類が豊富だ」

「そうね。その名前からの印象に比べればクランベリーの割合が低く感じるくらい……。全体的に品数が多いからそんなことは無いんだけど……」

「よく言われますよ? 特にお初の方は」

 ションボリとしながらも、その加減が大人しいのは言葉のとおり言われ慣れてしまったのか。

「ここら辺りはやっぱり鶴が有名ですからね。その名にあやかってるわけです。最初はクランベリー系のパーニスしか置いていなかったんですが、やっぱりいろんな種類のものが食べたいと言われてからというもの、何かある度に種類が増えて今はこの有様ですよ」

「そうだったんですか……」

「甘い系だけだと食欲がな」

「と言っても、うちの主力はやはりクランベリーですもの! 扉を開けてドドンと目に止まる鮮やかな赤は、その食欲を引き出しますからね」

「そ、う、だ、なぁ……」

 エアと店員の話す内容に時々相槌や、会話を挟んできたが、一つ一つ指差し確認してまで選んでいくフェムトはどれほどお腹が減ってしまっているのか。

「じゃあ……これと……」

「クランベリーカスタードですね」

「このビーフ……ブール……っちあっち!!」

 指をガラスに付けて名前を言うと、指先から伝わった熱量の大きさに驚く。

 咄嗟に指を加えて熱を取ろうとする。

「だ、大丈夫……あっつい……!」

「あなたまで……!?」

「何でこんなにケースの天面まで……」

 注文をとっていた段階では、まだケースから取り出すことはなく、手元の紙に商品名をメモしていた。そこにフェムトの叫びが加わって、思わず身を乗り出した時に触れたショーケースの天面の熱さで、店員までもが熱さにのたうち回る。

「まさか……!」

 店員は手の火傷も忘れて店の奥へと顔面蒼白で入っていく。

「きゃああぁああっ……!」

 暫くの時も経たずに、彼女の悲鳴声が店内に響いた。

「行くぞエア!」

「おっけー」

 フェムトとエアは迷うことなく、ショーケースを乗り越えて、完全に分断されていた店奥へと向かう。

「あっつい……!」

 近づくにつれ増す熱気。さながらそれは、ふいごで風を送り続けられ暴走した竈に近寄るようなもの。

「クソッ火事寸前だぞこんなの!」

 店員は悲鳴から戻ってくることもない。

「熱を浴びて倒れてるかもしれない! 早く助け出さないと……」

「わあってる!」

 熱が作り出す無色透明かつ陽炎のごとく揺らめく前で、二人は一息深く深呼吸をする。大きく吸い込んでからその火元へと向かう。

「店員さん……!?」

「いねぇ……!」

 そこに既に悲鳴をあげた店員はいなかった。

「どこに消えた……!?」

「それより早く離れないと……」

「お客さん退いてええぇええ!」

 どこからか声がする。その声は間違いなく店員のもの。

「離れて……!」

 声の方向を捉えきれず、キョロキョロと厨房内を見回すフェムトの目の前を通り過ぎる一つの青い液体が揺れる瓶。

「パリンッ」

 火元に向かって投げつけられたそれは、瓶が割れ、中に含まれていた液体が火元に散乱する。

「そんな程度の水で消えるわけ……!」

 しかし、割れてから消火までの経過は指折り時間を数えても両手で事足りるほどだった。

「だ、大丈夫ですかぁああぁあ!!」

 瓶が投げられた方向から現れた店員は、フェムトとエアの身体を眺めて、大きな怪我はなさそうだということを確認する。

「本当にすいません……! 時々暴走するんです、この子……っち」

 この子と言いきったタイミングで、暴走していた装置に手を触れて熱がる。

「これが、ショーケースに熱を送り込んでいた装置……?」

「そうなんですよ! 知り合いに作ってもらったはいいものの、扱いが難しくてなかなか……。でもこれを使えば良い状態で店頭に出せるので、つい使うんですけどね。しっかしなぁ……」

 三人は店外を大回りして、店内へと戻る。

「うー……。やっぱり全部ダメになってる……」

 がっくりと肩を落とす店員。

「全部……?」

「熱に当てられて全体的に水分が……。もう廃棄処分にするしかないんですけど、食べてみます?」

 そう言いつつ、自身で一つパンをとって食べる店員。そして即座に口内の水分をすべて持っていかれた顔をして水を飲み干す。

「パッサパサ……」

「そんなにかよ……。一つくれ」

「じゃ、じゃあわたしも一つ……」

 好奇心から二人はそのパンを食べる。

「クラベリィァアア……!」

 クランベリーの香りが鼻から抜ける……なんて言ってる暇もなく、口の中の水分が一瞬で消え、張り付いて離れない生地が呼吸すらも危うくさせる。

「んああ……あ、ああ!!」

 エアも同様なようで、必死に音だけで口の中の状況をフェムトにしらせようとしているが、二人とも同じ状況なのでお互い何を言っているかは通じない。

「は、はいはいはいはい。これこれ! これをっ……」

 コップになみなみと注がれた水は二人の口内の水分を取り戻すには十分。

「生き返った」

 常に溌剌さを併せ持つフェムトが俯き加減でボソリとつぶやく姿は、パン一つに引き起こされた事態が、彼らにとっていかに深刻だったのか分かる。

「これは大変な事になったな……」

 大変なことというのは、配布すれば苦情殺到の商品が大量に出てしまったということ。作った本人は廃棄処分が妥当だというが、やはり勿体ないという思いが残る。

「折角買いに来てくれたのに申し訳ありません……」

「あ、ううん! 気にしないでください」

「しかしそれでは気が収まらないですよ……」

「うーん……そうだなぁ……。今からなにか作れたりしないか?」

「今から……」

 店員は一度店奥に消える。

「何でいきなりそんなことを?」

「何にせよ、俺も腹が減ってるわけだし、ここに寄ったんだからなにか買ってくると思ってるだろ、あの二人も。だったら気が収まるようにして一石二鳥ってことよ」

「なるほどね。でも、こんな状況だと……」

 軋む床からの音に反応してそちらを見ると、現れた店員は暗い表情を持ってきた。

「今うちにあるのだと無理ですね……。つかぬ事を伺いますが、今日はもう夜も更けて来ましたけど泊まっていくつもりですか?」

「……た、多分泊まっていくと思うよ。もう二人連れがいるから、そっちにも聞いてみないとだけれども……」

「それなら、是非うちに来てください。元々複数人で住んでいた家なので布団もありますし……。何よりそこなら窯があるので、材料を買い足せば作れますから!」

 小さめのガッツポーズで気合を表現している彼女の提案を断るのも申し訳なく思い、その提案を受け入れる。

「すぐ裏の家が私の住んでいる家なのですぐ分かりますよ。お連れさんと合流されたらぜひ来てくださいね。私はパーニスを焼いて待ってますので」

「分かった。一先ず仲間を見つけてくるよ」

「それではまたー!」

 店を出る。再びベルの音がフェムトの耳を襲ったわけだが、生憎先ほどとは違う側の耳であったためにその音量は慣れというものを知らずに突き刺さった。

「うぉぉぉぉお……」

「大丈夫?」

「大丈夫なわけぇ……」

「それはともかくフィル達は何処にいるんだろう……? エリスの武器を見たなら武器屋とかだよね」

「まあそうだろうな」

 ということで向かったのはクランディルク。この集落唯一の武器屋ともなれば見つけるのは容易だった。

「すいませーん……!」

「いらっしゃいませー!」

 中から出てきたアーミスはフィルとエリスと同様に溌剌な印象を持たせる。

「ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」

「何でしょうか?」

 アーミスは二人がフィル達と同じ小隊員だということなど露知らず、武器を買うために訪れたのだと思いいつもの様に短剣の一閃でその腕前を確かめようとしていたが、その言葉に興を削がれたが如く、当然攻撃はしない。

「ここにこれくらいの身長の男と、茶色の髪の女が来なかったか? 仲間を探してるんだけど、武器を折っちまったから多分ここに来てるんじゃねぇかな」

 自身の首辺りで手のひらを水平に移動させてフィルの身長を表す。エリスの特徴は、少なくともカストラムではトレードマークとなる茶色の髪を呈示してその情報を得ることを試みる。

「そ、うですね……」

 怪しさ満天のフェムトとエアに不信感を抱きながらも、アーミスは二人が腰に下げるグラディオの剣に気付く。

「確かにこられましたよ! 三十分くらい前ですかね……?」

「どこに行ったかまでは流石にわからないよな?」

「そこまでは……」

 

「ちなみに……、その剣は何処で手に入れたんですか……?」

「ああ、これか?」

「カストラムの街でちょっとしたことに巻き込まれた時に、解決したお礼として軍の方に頂いたものですよ。ちょっと前に来た男の人も持ってませんでした?」

「持ってました持ってました! うちの店のものも十分に高価だと思ってますけど、それ以上のものですからね。それを簡単に三本も揃えることはなかなか出来ないですから、どうやって手に入れたのかと……」

「ハッハッハ。もしかしたら盗っ人集団かもしれないって思ったわけか」

「失礼ながら……」

「いや、気にしないでくれ。確かに、あの一件がなければこれを手にすることは出来なかったからな……。そう思われても仕方が無い」

「そうね。まあ、とにかくありがとうございました。また探してみますね」

「お役に立てずに申し訳ないです……」

「ここに立ち寄ったことをしれただけでも十分ですよ」

 改めて店の外に出る。

 すると、三人の女性グループに肩をぶつけられ、エアは勢いよく尻餅をつくようにして石畳に打ち付けられる。

「きゃっ」

「おい……!」

 猛スピードで走り去っていく三人グループはその声に気づきつつも止まることはない。ぶつかった本人ではない人物が、ペコリと会釈程度の謝罪の意を示した程度だった。

「大丈夫か?」

「うん……。大丈夫だよ。捻挫とかもしてないしね」

「ならいいけどよ」

「何かあったのかな……?」

「行ってみるか……?」

「なにか大きな騒ぎがあったのなら、二人もそこに向かってるかもしれない」

 三人が走り来た方向に向かう。

 上方から見た通り決して広いとはいえない集落だ。特に騒ぎもなく集落の端まで辿り着く。

「いねぇ」

「戻ろう……」

 二人は肩を落として、なんの手がかりもなくクランディルクまで戻ることにする。

「あれ。フェムト、エア!」

 距離の間間ある遠くから聞き覚えのある声。

「そんな端っこで二人何してるんだ?」

「お前を探してたんだよ!」

「ごめんごめん。少しこの家の中で話をしてたから……」

「それじゃあ見つかるわけないよ……」

「まあ、今晩泊めさせてくれる人を見つけたから、そこに来てくれ。流石に今日はここで打ち止めだろう?」

「夜になれば戦いにくいからね」

「というより、泊めさせてくれるって……?」

「来ればわかる」

 ということで、言われた通りクランベリーピストリーナの裏にある家へ向かう。

「待ってましたよ! お客さん」

「凄いいい香り……」

「来る時話してた、クランベリーピストリーナの方ですよ」

「クランベリー……。何で今日泊めてくださる……?」

「色々あったんだって……」

「そうなんですよ……。だから、私の気を収めるためだと思って泊まってってください。夕飯はパーニスですけども」

「ありがとうございます」

 夕飯は宣言通りのパンだったが、焼き立てのパンを食べたことのない四人は新鮮な感覚で、鼻から抜ける強烈なまでの香りに翻弄された夕飯を貪り、その日はバロール戦を思い出すこともなく、しかし確かな身体への疲れを感じつつ眠りについた。

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