1-9 バロール戦(三)
バロール戦(三)
「エア……!」
可能な限り小さく、エリスとフェムトの二人と対照的に目立たないよう行動する。
「分かった」
小声でエアの名前を呼び、人差し指でちょんちょんと目的の砕けた石斧の元へと向かう。
「できるだけ遠回りしていくぞ……。せっかく危険な囮を買って出てくれたのに、無駄にするわけには行かないからな」
エアはフィルの言葉にコックリと頷くと、フィルの背中に手を置き、一定の距離以上を取らないように注意して先へ進む。
ふとバロール越しに見えるエリスを見る。
「任せておいて」
バロールに悟らせないように、視線と口の形だけで発されたその言葉は、容易に意味をとることが出来た。
「頼んだぞ」
まだ昨日出あったばかりの小隊だ。お互いの信頼関係も完全とは言えないなか、エリスはフィルに全幅の信頼を置いていてくれることに、フィルは大きな心の支えだと感じていた。
つい先刻バロールに吹き飛ばされた時にエリスを庇ったのも、ここでフィルを失うことは自身が死ぬことよりも重大な損害に繋がるという判断も半分は含まれている。
「剣は……流石に砕けてないよね……?」
心配そうな眼差しで聞く。
「大丈夫だろ。岩を貫く剣だからな。もしあの剣を直接踏みでもしたら、バロールの足裏にザックリと傷が付いただろうな」
「重いから余計にね」
「そうそう」
なるべく高草の中を選んで、バロールの背後に回り込む。
視界は限られてしまう。この時に敵襲に会えば戦いにくさと視界の悪さの相乗効果により、傷を受け、敗走すら許してもらえるかも分からない。幸い、バロールというメリディオナリスの森における総支配者とも言えるだろう魔神が付近にいることでその事象が起こることは避けられている。
「しっかし、随分地面がぬかるんでるな……」
「靴が使い物にならなくなりそう」
「近くに湖があるとは聞いてたけど、その湖水がこの距離の間泥濘を作り出しているとは考えにくい……。どこかほかの水源があるのかもしれないな」
「もし水源があったら敵の思う壺じゃ……」
「……確かにそうだ……! 周辺の木々が荒らされてはいなかったから、もしかしたら存在に気づいていないのかもしれないけど、相手は既に一年この土地で生き長らえてるんだ、俺達よりも土地勘にたけていて当然だ。知っている可能性は大いにある……」
「なら、今のうちに水源を見つけて封じておけば被害が少なくて済むよ」
バロールの持つ魔力。水に着火することができるというそれは、ぬかるんだ土ですら、油を混ぜたもののように燃えてしまうことの想像を付けることには他愛も無い。
先手を打てるのであれば打っておきたいというのが本当の所である。
「あっちだな……」
一旦剣を奪取する計画を中断し、できるだけ短時間で元に戻ってくるべく駆け足で泥濘が増す方向へと走る。
バロールの姿は葉や枝の靡く隙間からその巨体をのぞかせているが、こちらに気づく気配もないことから、二人は乱雑に高草を踏みしめ進む。
「音がするな……」
水の音。
それは小川のせせらぎのような音でも、況してや人が流されるような轟音を放つ水音でもない。一滴一滴ゆっくりと垂れるような、それが連鎖的に複数の場所で起きているような音。まるで、いくつもの水琴窟が並んでいるかのような音なのだ。
「噴水……? それとも……」
「そうだな……。何方かと言えば古びた井戸に近い気がするよ。使われなくなって草で覆われて、本来なら水路を通って湖に注ぎ込む筈だった水がこのあたりの地面を濡らしてるんだ」
水源に近づくにつれ、確かに泥濘は増していた。「この水源が泥濘の原因と言っても間違いないだろうな」
「問題はどうやってこの水源を潰すか……」
「上から圧力をかければ、元の地中に貯まっている空間に戻っていくはずだろ?」
「どうやってその圧力をかけるのさ」
「そうだなぁ……」
水源の口を覆っていた葉を避けると、その水源は周囲に設置されていた水路の大きさから推測できるよりも枯れ、湧出する水の量は少なくなっていた。
「なにか詰めるものが無いかな……」
枯れ木を探し求め、周辺を漁る。
「まあ、応急処置的だけど……、きっと水を吸って膨張してくれれば口は塞がる……かも?」
乾燥した一本の湧出口にピッタリハマるサイズの木を差し込む。生木であれば水をすって膨張することはしにくいだろうが、枯れ木であれば乾燥し、体積は増えやすい、そう考えたのだ。
「これで止まってくれればいいけど……」
「音さえしなくなればバロールは耳が良くても聞こえないからな」
施した応急処置は心配ではあるが、取り敢えず元の目的へと戻る。
バロールの背後へと回ると、丁度エリス達がバロールに対して苦戦を強いられている場面だった。
「すごい……。エリスほぼ一人で敵の攻撃を見切って……」
「見惚れてる場合じゃないぞ、エア。早く剣を取り戻さないと……」
「バキバキっ」
会話を遮る音は、バロールが足元に折れ倒れていた木を、根刮ぎ引き抜いたことにより発せられたものだった。
「エリス……」
この距離でもはっきりと分かるその衝撃。
その衝撃で吹き飛ばされたエリスとフェムトの二人は、地面に何度もバウンドしてようやく停止する。
「エリ……!」
脇で思わず叫んでしまったエアの口をすぐさま塞ぐ。しかし、虚しくもバロールは反応してしまった。
「クソッ! エア、とにかく剣を取り戻すぞ」
「えっ……!?」
そう言ってフィルはその場で転回するバロールの方向へ走っていく。
「何とか攻撃モーションに入る前に……!」
剣を取り戻さなければ、敵の攻撃を見切れても、こちらから何もすることが出来ない。
「きっとあの左手に持った丸太では攻撃してこない……! そうであってくれ……」
希望的観測を願い、躊躇なく地面に煌めく二つの光を視界の中心に置き、バロールを視界端で捕捉し続ける。
しかし、そんな願いが叶うはずもなく。
「丸太が……」
フィルの顔のすぐ横に置かれる。
そのまま、バロールの攻撃による急激な加速とともに、フィルの身体は宙をさまよう。フィルの言葉に背後をぴったりとついてきたエアも同様の攻撃を受けてしまう。
「……ッ!」
「やめッ……」
足が地面を離れる瞬間、身体で引っ掛けて宙に浮かせた二本の剣を両手で掴無事にはどうにか成功した。
しかし、空気抵抗の存在で目を開くのも辛い。すぐ乾燥し、針で刺されたような痛みが襲うのだ。ぐるぐると視界の中で何度も反転を繰り返してしまう。
そして、それでも冷静でいた思考が生み出した顛末は、このまま対バロール三度目の木に打ち付けられるという事態だった。
考える間も無く、青々とした葉の緑色が視界の大部分を占める。
「姿勢制御、姿勢制御、姿勢制御……!」
もう二度とあの痛みは味わいたくない。
身体の軸を意識して、足を振り回す遠心力で身体に回転力を与える。
「よっ……ぉぉぉおっと!」
力まず、あくまでも自然な流れを意識して二本の剣を、進行の邪魔をする幹を目掛け閃かせる。
右手に持つフィルの剣で幹を音もなく斬る。加えて、左手に持つエアの剣の、フィルよりも幅の広い剣身を有効に利用し、斬った幹との衝突を避けるべく傾け、放物線を描いて宙を舞う二人分の軌道を確保する。
「ったアアアア……」
恰も図っていたかのように高草の上に落ちた二人は、転がって勢いを殺す。
数秒のたった地面から四~五メートルの空の旅の最中に斬り倒した木の本数は、ゆうに十本を超えてしまった。これを見たメリディオナリスを愛してやまない人物が現れたなら、きっと環境破壊はやめろと言うだろう。
「ハハハ……」
空笑いを発し、二本の剣に助けられた事を、まじまじとそれらを見て感じる。
「フィル……!」
「ああ。これ……」
手元のエアの剣を、柄頭を横にして渡す。
「いつの間に取り返してたの!? 気付いたら吹っ飛んでたから何も……」
「あわよくば気づいてくれなければって思ってたけど、流石に気づかれたから、足で引っ掛けて浮き上がらせたところをシュパッと……ね?」
その瞬間にフィルが取っていたであろう行動を想像してオノマトペと共に再現する。
「それにしても良かったあああ……! いきなり譲ってもらった初日から、折ったり無くしたりしてたらこの先どうなるかと思ったよぉ!」
「これだけ乱暴に扱って……、その上バロールの体重で踏まれているのに折れないとはなんて頑丈な代物なんだろう……」
グランツから手渡しで譲り受けた時は、今の装備よりも少しいいものをもらった程度の感覚だった。本人も「よーしお前ら、選別をくれてやるぞ!」と特に値段についても話していなかった。いつも通り「ガッハッハー!」と大口を開けて笑いながら差し出してきたものなのだが、エリスの反応も然、実際に手にした性能も然、桁外れの高級品を譲ってくれたのであれば感謝しなくてはならない。
「グランツ隊長……、破産しないでくれよ……?」
「え、何突然……!?」
「あ、ううん。何でもないよ」
どうか私費で購入したものではありませんように……。
「いまはグランツだかグラディオだか、似てるけどそんな事どうでもいい」
「早く戻って、エリスとフェムトに加勢しないと……! 私たちが吹き飛ばされる前、エリス達も地面を跳ねるのを見せられたし……」
数十秒の空の旅。宙を漂っている間は、集中力からか、タキサイキア現象からか、その瞬間の自身の身体の力の入れ方まで、スローモーションで精細に記憶が思い出される。
旅の時間は短くとも、空気抵抗により行動に制限が出るほどには速度が出ていた。
「やっと戻って……これ……?」
「エア……! まだ出るな……!」
近づくにつれ耳を占有していった音。
小石が跳ねるような。葉が強く擦れるような。風が空を過ぎ去るような、そんな様々な音種が鼓膜を揺らしていた。
「ついに風邪を纏ってしまった……」
「流石にもう解かないよね……」
「さっきとは状況が違うからな。解くとしたら、あいつを倒した時、か……」
「……うぅ……」
四人ともにこの世界から存在が消えたことを確認した時、バロールが纏う猛風を消すタイミングだろう。
「あれじゃあ何やっても近寄れないよ……! 物理攻撃は何も届かない……。あの風の壁を越えないと」
しかしその中。
「アアアアアッ!」
猛風が立てる轟音の中聞こえる悲鳴……。
「エリス……!」
その悲鳴に反応したのは、エアよりもフィルが早かった。
「なんだ……!? あの風は……鎌鼬で自分を守っているのか!?」
風の中で、エリスの白い肌に付けられる赤く短い線。それは鎌鼬のような風が生み出す切断波がつけた傷による出血であることは明白。
「……ギッ……」
フィルは走り出す。
「どこに……!」
「水だ……!」
駆け出した方向はエリスに向かってではない。バロールとは正反対に位置する、ついさっき口を塞いだ水源の元へだった。
「水……!?」
水は少量で構わない。一瞬、それがバロールに水であるという判断を下される量さえあれば、十分に気を引くことは可能だ。
水と頭に思い浮かべて十分も経過していないあの湧出口のことを思い出さない人間はいないだろう。わざわざフィル自身が口を塞ぐなどという余計なことをしてしまったことも同時に思い出してしまう程に、縁がある湧出口なのだろう。
「あった……!」
一にも二にも、管を斬る。
この緊急事態に今後のことなど考えていられない。このあたりが水浸しになるのであれば、一時的に開けた地が広がっている、エリスが苦戦を強いられている場を戦場に倒してしまえばいい。
「俺達はバロールを倒しに来てるんだ」
その当たり前のことに、俺自身何を言っているんだと、己の頬をグーで強く殴る。
「こんな無駄なことに時間を割いてる場合じゃ無かったよ」
涌出口に詰め込んだ乾木は、目論見通り水を吸って膨張していた。そのお陰か、中が高圧だったために切った瞬間からフィルの背丈ほどまでに水は吹き出す。
「これは好都合だぞ」
不都合だと思った数十秒前の自分から、今の自分に対して心情が二転三転する。迷惑な癖だと頭を悩ましながら、手持ちの布に水を吸わせる。
先程までの湧出量では、こうも早く事は進まなかったことだろう。
フィルは急いでエリスの元へと戻る。
走りながら空を瞻仰すれば、見事なほどの青が広がる。この空に怒りも恨みも、痛みすらも投げ捨てて足を巻く。
歩幅を広くとった助走は泥濘の消えた地面を確実に掴み、フィルの身体を加速させる。エリスと比べれば早いと褒められることは無いだろうが、バロールと比較すれば十分な差を付けて翫弄することくらいは出来るのではないだろうか。
徐々に間引かれる木々。
「エリスッ……!」
森を抜けた瞬間、葉という天然の天井が消えた瞬刻にフィルは跳躍する。
「待ってろ」
その跳躍はバロールを空から見下ろせるほどの高さまで跳ね上がるもの。
エアにもフェムトにも、バロールにすらも気づかれないように、鎌鼬を発生させる風壁の上端を越えて中心に、即ちバロールの頭上の空間に入り込む。
「っ……アァ!」
力を込める声量は、同時にバロールに対して水を放つ。
「……?」
戸惑いを見せるバロール。しかし、ぽたりぽたりと垂れる雫に手を当てると、それが水であると即座に気づく。
「ッグガアアァアア」
その叫びと同時に、エリスを捕縛していた風はフッと消え、エリスの身体が解放される。
「ァァァアア!」
僅かな水量ながら、盲目的なバロールは着火しようと火種を放つ。
「止めろおおぉおお」
空から未だ加速して降下するフィルは、居合の要領で切っ先をバロールの鼻先に掠め、火種を二つに斬り落とす。
そのまま手を離すようにして投げた剣はフィルと同速で地面に刺さり、一方フィルは地面に完全に倒れ込む前にエリスの身体を支える事に成功する。
「エリス……! エリス……!!」
呼びかけにも応じる様子はない。
「だめだフィル! 敵の真正面で止まるな!」
片手をフィルが作り上げた切創に当て、痛みを悠長に感じている様子だが、傷だらけのもう一方の手を棄てたように不乱に兵器と化させ攻撃を繰り出す。
無言のまま、振り向きざまに目を見開いて睨みつける。
片手でエリスを支えたまま、地面に突き刺さる剣を引き抜き、手先でくるりと一度廻し、上段に、しかし地平と垂直に構えた剣は、二人に襲いかかる拳を捉える。
「ッアアッ!」
遠心力を有効に用いて、十二分に加速した剣は、バロールの前腕斬り落とした。
加えて、その剣は衝撃波を発し、切っ先の向く一線を、モーゼの如く細く割る。
「……ッ!?」
「アガグアアアァゥ……!」
バロールは一瞬の怯みを見せる。
エアも、自身の身体一つ横が「シュパンッ」と音を立てて一瞬で溝が作られたことに一瞬怯む。
その怯みの隙にエリスの腕を肩に回し、フェムトの元へと距離をとる。
「何でだ、フィル! 今の一瞬なら止めを……」
「バロールを倒すのは俺じゃなく、エリスじゃなくちゃいけない」
「そんな事言ったって」
「倒すのはエリスだ」
バロールを睨む目ではなくなっていた。むしろその中には優しさが大部分を占めているようだ。
腕の中に抱くエリスは苦痛の表情のまま意識を失っている。
「エリスが倒さなければ、今後共に旅はできなくなる」
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