1-8 バロール戦(二)
バロール戦(二)
「バロール! こっちを向けぇえええ!」
フェムトの力任せな渾身の一撃は、残念ながら巨体であるバロールには命中しなかった。
自重で蹌踉めきすら見せるのにも関わらず、その上視界は右眼のみと遠近感に悪点を持つ不自由な状態にも関わらず、たった一度の行動のみで攻撃を避けてしまう回避能力の高さに驚かされる。
「こっちよ」
ただ剣を構えているだけで、エリスは眼力と殺気を放つ。そのまま標的を誘導し、バロールの足先を砕けた石斧とは逆方向に向けさせる。
「任せておいて」
フィルと目線を合わせ、音として発さずとも、口の形だけでその言葉を表す。
「頼んだぞ」
返答も当然、口の形だけで音はない。
フィルとエア、エリスとフェムトとという二つのグループに分かれて行動することになった。目指すのは石斧に楔として打ち込んだ二人の剣の奪還。
エリスが囮さえしていれば、それほど精神を削る作業にはならない、短時間の小隊分散だろう。
「エリス……、どうする……!? 威勢よく囮とは言ったもののやっぱり二人だと厳しいぞ」
バロールは素手であったり、自身が薙ぎ倒した木々を武器として振りまわしてこちらへの攻撃としている。フェムトが気にしているのは、それらの攻撃が自身のプレートに当たり、エリスにも聞こえるような鈍いを音を立てていることに起因する。
「身体が持たなければ、前に来るのは時々でいい! 私が何とかするから」
そう言って、プレートとの音からも察せれる肉体への衝撃は計り知れない。エリスはただでさえ薄いプレートを好み、身軽さを重視する。であるから、攻撃を受けることは最小限で済ませなければならない。一方フェムトは比較的剣も防具も重装備、だからこそ行動が制限され回避能力はお世辞にも高いとはいえない。その為、エリスであれば回避可能なものであっても浴びてしまうのだ。
「……ッ!」
そうとなれば、私が囮を全面的に引き受けるしかない。そう背中に重荷を背負い敵の元へ、わざと距離を極端に詰めていく。
危険だから……、などとは言っていられない。
「舐めた真似をしたら……、また……」
また仲間を失ってしまう。
チェストプレートで隠されていても、それを外した時、接していた皮膚や包まれた内臓に損傷を負い、つい先刻まで息をして話をして、笑っていたのに目の前で倒れられたということもあった。
「ギリッ……!」
強く歯軋りをさせ、囮として成立しない攻撃の手数で、相手の躰表面に無数に鋭角な刃を突き立てていく。
その攻撃はバロールを圧倒した。
一点を何度も重点的に、深く深く、深層目指して切っ先を突き立てる。その集中的に攻撃を浴びせた切創をバロールの躰に幾つもつくりあげ、バロールの周辺を目で捉えるのがやっとなほどの高速で旋回しながら相手を翻弄する。
まんまとエリスの術中に嵌まったバロールは、拳を振り上げ、一瞬はエリスの影を捉えるが、本体に当たることは一切無く地面を揺らす一因となるだけだった。イラつきを募らせるバロールに対し、エリスはなお、傷に傷を重ねてその深度を増させているほどに落ち着きを保ったまま相手の気を引き続けていた。
「……!?」
その中で、脳裏に閃く一つの誤算。
エリスの剣は、肉厚かつ硬質な皮膚を持つバロールを切り刻む度、その切れ味を失い、着実にその重さを膨れ上がらせていった。
「剣が……」
酷使し続けたエリスの剣はその刃の一部を欠き、研ぎ澄ませていた集中力の殆どを、一瞬のその事態に吸い込まれる。
「グゥガアァァァア!」
敵は刹那的な隙を見逃してはくれなかった。バロールは雄叫びとともに両手を組んだ拳を力の限りに振り下ろす。
「不味い……!」
気づくのが一歩遅かった。今からでは逃げ切れることは出来ない。背を向けても、後方へ跳躍したとしても、エリスの身体にどれほどの欠損を生み出すのか分からない。
ならば一か八か、レイピアの最後の仕事とばかりに最大の防御姿勢でその力を迎え撃とうとする。
「グシャッ……」
金属が肉を斬る音。
それはエリスのボロボロのレイピアが発したのではない。
「そんな無鉄砲で、水臭いこと言われたら……、それはもう小隊の役割なんて果たしてねぇぜ……ッ!」
図上を過ぎ去る影と身幅のある剣。
「グギィ……ッ……!」
痛みに耐えたいのか、堪えるように食い縛り音を発するバロール。
「ごめんなさい」
「分かればよろしい」
二人で笑いあって、標的はバロールへ向く。
しかし、フェムトの大薙攻撃は、バロールのいきり立った神経をその上から逆撫でし、より狂撃な攻撃を引き起こしてしまう。
笑いあった一瞬を遠い昔のように葬り去る一撃。
「エリス! 二人で剣を……」
フェムトの腕の中に入り、ボロボロのレイピアとフェムトの平剣を重ねて敵の一撃に抵抗しようと防御姿勢を取る。
「ウオアァァァァ!」「ウッ……ァァッ!」
抵抗虚しく二人は吹き飛ばされる。
衝撃で遂にはレイピアは半ばから折れ、その役目を終える。一方グラディオの名は伊達ではなく、横方向からの出鱈目な力による攻撃にも関わらず、傷一つ付けずにその姿を保っている。
背中や足や頭、様々な所を地面にぶつけてしまう。クレーターのように凹んだ土地ではボールのようにバウンドし、二人の身体は不規則に地面に叩きつけられてしまったのだ。
「いっててて……」
「大丈夫か、エリス……」
「大丈夫だよ。ありがとうフェムト……」
状況を把握する。
バロールと距離の空いたエリスとフェムト。その事実が、バロールの標的を直近のエアとフィルへと向いてしまう原因となる。
「ダメだ……。まだ剣の位置までたどり着いてない!」
「思ったより時間が稼げてなかったのか……!ここからじゃあ何も……」
バロールはエリスとフェムトも視界に収めその動向を窺いつつも、確実に仕留めるべき標的はエアとフィルに移り変わっていた。
フェムトが深々と傷を作り出した右手では丸太を握ることは出来ず、なれない左手で大振りな攻撃をする。
その攻撃は、エアとフィルの二人を捉えて薙ぎ払いの如く振り抜かれた。そのままエリスと対称的な方向へ吹き飛ばされ、轟音を立てながら森の奥へと姿は見えなくなる。
「あっちもタダじゃあすまねぇぞ……」
「また標的はこっちに向くわ。二人を助けにも行きたいけれど、バロールまで引き連れて行くことに……」
「そんなことしたらむしろ逆効果じゃないか!」
「分かってる……!」
比較的、加速度の無い位置で丸太と衝突した。その為、衝突による損傷はそれほど無いと推測出来る。しかし、最も大きな創傷理由として、吹き飛ばされたあとの木々との衝突がある。
「もし、強く木に当たってたりすれば、ここに戻ってくるまでには時間がかかる。運が悪ければ戻ってこれるかすらも……」
「フィルはエリスと吹き飛ばされた時のダメージも残ってるだろ?」
「フィルは私を庇って身体中を打撲してるかもしれない……」
「なっ……!? だから戻ってきた時あんなに辛そうな……」
「うん……」
私のせいで数度目にした俊敏で策略家な本来の力を発揮できず、二度も余計な攻撃を受けさせダメージを負わせてしまったことに悔しさを感じ唇を噛む。
「エリスのせいじゃないぞ。フィルは、あいつはあいつでそうしたくてしたんだ。そうじゃ無かったらわざわざ庇ったりしないだろ。一人なら怪我が最小限で済むような身のこなし方をするからな」
「フェムトは大丈夫? 私を庇って……」
フェムトは地面を踵でドンドンと地団駄を踏み、泥濘を作り出す。
「この地面だからな。怪我しようとしても出来ねぇんだよ。出来る事といったら汚れるか、投擲用の泥団子でも作るかだ。所詮子供だましにしかならねぇよ」
一息付けるように空気を吐く。
「そんなこと気にするより、標的はバロールだろ?」
「そうだね……」
見栄を切るように対峙するバロールとエリスとフェムト。
「斬っても斬っても意味がない。何か有効な手立てを講じないといけない」
「例えば?」
「……うぅ……。み、水に沈める……とか?」
「あの巨体が水に沈んだら、私達も沈んじゃうよ」
「じゃ、じゃあ何があるんだってんだ?」
エリスは周囲を見廻す。
バロールの攻撃で拓けたとはいえ、未だ森の中、木々に囲まれているのと言うだけなのは間違いない。少し距離はあるが、湖までそう遠くはない。しかし、近付けてしまえば不利になる可能性も多分にある。
「例えば……」
バロールに関する一つの経験談を思い出す。
「例えば、バロールを蒸し焼きにするとか……」
「蒸し焼きだァ!?」
「一年前、近くの湖を火の海に変えたんだけど、その時は自身まで火が到達しないように距離をとって石斧を投げて湖を決壊させたんだよ」
「それだけだったら、あいつに火の耐性があるかどうかなんて知れたもんじゃ……」
「石斧は風を巻き起こす引き金じゃない。だけど眼を開かせる引き金は石斧だと思う」
「だったら……?」
「何で石斧を投げて、湖を決壊させて、火で炙るような真似をして、自分の手元から遠ざけることをしてしまったのかが説明出来ないと思うの」
「自分の躰じゃあ火に耐えきれないから、仕方なく代わりに石斧を手放したってわけね」
「そう。その可能性は大いにある。ただ、蒸し焼きにするには穴を穿たないといけないから、難しいのも確か……」
「それに奴の眼も、もうそろそろ開眼しそうだ……」
久々にバロールの額に視線を送ると、その目はくっきりと形を現し、それぞれの瞼を上下方向に引く力が込められているのが、表面上からでもわかるほどハッキリとしている。
「あいつが持っているのは海を炎の海に変えることが出来る。だからと言って水に誘い込んでも炎は出さない。出しても魔力が制御されてるんだ、当然火はつかず消えるだけ」
「第三の眼を……わざと開けてしまうのはどう?」
「危険だぞ」
「バロールは魔神のなかでも上位に位置しているものだと思う。だったら、枷を外してしまえば余剰なその力は勝手に空気中に溶けだす……」
「そこで火を放たせるのか」
「もちろん戦いにくくはなるよ? ただ……」
「はぁ……」
フェムトは深くため息をつく。
「そういうのは俺の仕事じゃねぇなぁ」
「どういうこと?」
「考えるのはエリスとフィルの仕事だ。俺には向こう水な事は言えても、結末まで想像し他作戦を立てるなんてことは出来ねぇ」
フェムトはエリスに断りも入れず、バロールに突進していく。
「出来んのは……ッ……!」
力尽くで相手に突き刺した剣。それを足場にバロールを登り、引き抜いては突き刺しを繰り返し、頭部まで到達する。
「これくらいだからなッ!」
頂点部に仁王立ちするフェムトを必死に振り落とそうと、また、叩き落とそうとしているが、バロールのその願いは叶わない。
両逆手で持った平剣を、大きく振りかぶってバロールの額、もとい第三の眼に突き刺した。
皮膚よりも硬質かつ何層にも重なった特殊な構造を持つそれは、たった一本の傷を深々と入れるだけで精一杯だった。
しかし。
「ウウウォアアアアア」
風が巻き起こる。木々は薙ぎ倒され、頭部に乗っていたフェムトも強い上昇気流に煽られ落とされてしまう。
「うわっ……!」
「眼を見るな……!」
ザックリと切れた瞼。猛風となっている風は瞼を揺らし、その奥にあるバロールの第三の眼を露わにしている。
「力を溶出させる前に、魔力を風に変換して二人共殺す気だ!」
幾重にも重なった猛風が作り出す壁。
それは、エリスにとって好都合な一つの点と、不都合な一つの点を同時に作り出した。
「好都合だぞエリス、あの風のおかげで、自重とも相まってバロール周辺の地面が抉れて来た……!」
「攻撃の手段がまるで無いのも、確かだけど……」
しかし、じわじわと確実にその直径は広がり、穿たれた大穴は沢山の木々をも飲み込む。
不動であったバロールは唐突に動き出す。穴から脱出し、肉弾と化して風をまといながら突進をしてくる。
「アアアアアッ!」
鎌鼬のような風がエリスの皮膚を切る。顔や腕や脚にプツプツと局所的な痛みが発現し、風圧により逃げるのも困難な程の拘束を受ける。
「バロールは……! ただ風を纏ってるだけなのに……」
呼吸が苦しい。
息を吸うこともままならず、数分もその状態が続けば酸欠状態に陥り、徐々に意識は遠のく。
当然逃げ延びたフェムトは二の轍を踏むわけにはいかず、そのまま風から逃げ続けているのが視界端に時々映り込む。
「ぁ……っ……!」
エリスの意識は、一旦スリープモードへと移行し、脳は思考するのを止めた。
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