1-7 バロール戦(一)
バロール戦(一)
靴越しの足裏に嫌な感触を覚えた。
それは、草のような柔らかさではない。しかし枝のような音をたてて幾つにも、もしくは無数にも砕け散ったという事でもない。
既に風化して脆くなっていた骨が、フィルの体重により砕けた感触だ。
「一旦離れて!」
薙ぎ倒される木々。それよりも気づけば足元は骨だらけという特異な状況に気を取られ、二撃目の攻撃の発動タイミングを見逃してしまう。
「クソッ」
頭を上げる前に、重い物体と衝突した衝撃で吹き飛ばされる。その瞬間後には頭上を、フィルがいた座標を確実に捉えて振り流れた。
「何ぼーっとしてんだフィル!」
「ありがグフん」
当然助けてくれてありがとうというフェムトに対しての感謝もする。その反面、その言葉を言い切る前に平手打ちを貰い、力の加減というものを知らないフェムトには一度教えなくてはならないなとも記憶しておきバロールに目を向ける。
「あ、あう……」
「しかし……」
想像以上だった。その大きさは然る事乍ら、石斧のサイズも途轍もない。フィルを突き飛ばしていたのが力のあるフェムト出なければ、幅広い打撃面積を持つ石斧の餌食になっていたかもしれない。
「ここの辺りは足場が悪い。私がキャンプ地としていた場所ならばある程度開けているから、そこへ移動しよう」
「そこまで行くと湖があるだろう! バロール相手には分が悪いのは自分がよくわかってるだろ!」
「視界は開けたとはいえ、この地面の状況では薙ぎ払われたら危機的状況に陥るかもしれないじゃない!」
「それで一年前に負けてるんだろ!」
しかしそんな時。
「二人共後ろ!」
「「!?」」
そのエアの言葉に反応し、細い剣身ながらも防御姿勢をとる。しかしその重量差は歴然、倍数的にも、エリスが持つ剣の二十倍から三十倍ほどは目算でもある。角度によってはそれ以上の長さを誇る石斧を、いとも容易く振り回しているのだ。
その衝撃はエリスだけで留まらず、直線上に立っていたフィルも巻き込む。
エリスに抱きつくような格好で圧力に耐え、その圧力から開放されたかと思うと、次は立ち並ぶ木々に打ち付けられる。
エリスの衝撃も加わり、二人分の体重を直接フィルの背中のみで受け止める。
抱えたエリスの頭を守るように腕で包み、三度の衝突により徐々にエネルギーを失っていったふたりは、ようやく木を背にして打ち付けられて静止した。
「うぐあああああ」
と打ち付けられる度に発することしか出来なかったフィル。
「大丈夫!?」
な訳ない。が、強がって、手を前に出し「大丈夫大丈夫」という動作をとる。
行動の俊敏さや、防具の値段との釣り合いで前部のみのチェストプレートを装備するものも少なくないが、幸い駆け出しの人間からすれば選択肢はそれほど多くなく、一般的なものを選ぶことになる。そのお陰で多少は軽減されたが、それでも首は軽い鞭打ちのような痛みを持ってしまった。
指先で、バロールの元に戻ろうと示す。
「そうだね。二人だけじゃ標的が分散出来ない。肩かそうか?」
「ありがとう」
立ち上がる動作にだけエリスの肩を借り、吹き飛ばされた随分な距離を、痛みを増幅させないように歩幅を狭めて走る。
「エリス、フィル! 大丈夫か?」
「大丈夫……」
少し距離を開けて走ってくるフィルを見る。
「じゃないかもしれないけど、大丈夫」
「そうか……? よく分からんが構ってる暇もないんだ。言ってたとおり、この巨体からは想像もできないほど俊敏で攻撃がさばききれない」
「避けてるので精一杯ぃ!」
エリスは内心、避けることすらままならなかった当時に比べれば、大分技術判断力はあると感じている。
「ただ、このままだとジリ貧なんだよね……」
解決策を探す。いくら考えても思いつかなかった解決策だ。しかし、このままであれば待ち受けるのは再びの壊滅。次はエリス自身も生き残れるかなど誰にもわからない。
エアとフェムトの負担を軽減するべく、出来る限り近接戦闘を主にして敵の意識を自身に集中させる。
「三人とも、そのまま聞いてくれ!」
そんなエリスの思考を遮った言葉。
「やるなら……」
打ち付けられてからというもの吸い込む空気吐き出す空気、どちらも体積が減り苦しそうなフィルだが、一旦息を吸い次に大声を出す。
「バロールが握っている石斧を壊す!」
「……」
さすがの三人も呆然としてしまった。
「いいか、手順を言うぞ……」
「まってまって! ほんとにやるの!? あの石斧を壊すってそんなこと……」
「要するに岩を砕けばいいんだ。真っ二つに、綺麗さっぱり」
「いくらその手に握る剣がグラディオ製で、木を丸太にしてしまうからと言って岩が斬れるとは……」
「いいから聞け!」
イラつきを顕著に示して発する。
その間も、二の轍は踏まないと視線はバロールから切らず、三人で標的の分散を続けている。
「誰も岩を斬るなんて言ってない。あくまで砕くんだ、楔を打ち込んでから、二つに割る」
自信満々に笑みを浮かべて抽象的な言葉でいう。
「幸い、グランツが用意してくれこの剣がある。確かに、こいつじゃああの石斧を柄すらも切り刻むことはできない」
左手で掴んでいた鞘から、剣をジャリンと音をたてて引き抜く。
「何を……」
「エリス! 振り下した瞬間、一瞬でいい、視界を遮ってくれ!」
「視界を遮って……って」
どうやってやれって言うのよ。
あの時のように石斧が地面に寝そべっている訳でもない。
「時間だけが欲しいなら飛べばいい」
言ったのはエア。
「飛ぶ……?」
「私が空へ飛ばしてあげる! だから石斧が下りたら乗って!」
「乗る…………??」
「いいから!」
理解する間もなくその時は訪れる。
フィルは正中線に、水平に自らの剣を構えている。
エアを狙ったバロールの攻撃は、いつも通り空を切って地面にクレーターを穿つ。考えるまもなく到来したその瞬間、エリスは言われるがまま石斧の上に乗る。
「ハアアアアアッ!」
三人で旅を始めてから初めて聞いたエアの気合いの叫び。
その声量と、バロールに向かって無謀にも突進するエアに気づいたそれは、石斧に片膝を立てて乗っているエリスになど目もくれず、エアに対して追撃を加えるべく剣を振り上げる。
「エリス……!!」
フェムトはその光景に思わず叫んでしまう。
「うぐぅ……!!!」
下から振り上げられる石斧に、重力に負けて顔を押し付けられる。
そしてふわりと心臓が胸の中で固定されず、気持ち悪さに見舞われながら加速度的に空へ舞う。
「ここ……なら……」
空中にいる時間は決して長くは無い。しかし、その意図について気付くのには、どの思考回路を用いても同一の結果にたどり着いたことから早かった。
「フフッ」
鼻から空気を吐いて笑うフィル。
バロールの標的を持つエアは、踵を返してバロールから一転フィル目掛けて走ってくる。
そのまま横を通り過ぎ、標的をエアからフィルにすり替えることに成功する。
「ウオアアアアアアアアアア」
バロールは雄叫びを上げながらフィルに向かって石斧を振り下ろす。
一方フィルは、それを受け止めんとばかりに、ゆっくりとゆっくりと段階を踏んで、バロールの正中線を空できるように、水平位置から石斧の方向へ切っ先を掲げるように向ける。
「シャン……」
周辺に響かせる金属音。
遥か上空、空気抵抗を存分に楽しみながら降り注ぐ一人の人間。
バロールの攻撃よりも早く、エリスはその頭に到達し、一年前にも攻撃し、自身がつけた傷をもう一度深く抉るように攻撃する。
「グオアアアアアアアアア」
先程とは重低音の比率が違う、辺りを声一つだけで震動させてしまうような音を発して、その痛みのあまり、振り下ろした石斧がフィルを捉える寸前で逆のベクトルに引き返す。
「一本目……」
音も無く。
「剣が石斧に」
「刺さった……!?」
フィルの顔面寸前で止まった石斧は、その直前まで相当の速度によりエネルギーを保持していた。斬れ味だけは申し分内グラディオ製の剣は、石斧に対し、耳にしたことのない不快な音を立てながら、一瞬で鍔付近まで突き刺さる。そのまま手を離してしまえば、高価な楔が一本打ち込まれたという事だ。
「そういう事かフィル!」
ことの次第をようやっと理解したフェムトは、自身の剣もフィル同様に石斧に楔として打ち込もうとそのタイミングをうかがっている。
「ダメだフェムト!」
「え!?」
「その剣は一番重量があって、一撃の力がエアの持つものよりも大きい! 打ち込むのならエアの剣じゃないと、最終的に二つに割るために攻撃する手段がなくなる!」
「そ、そうか! 言ってくれてたすかったぜ」
どす黒い血液を左眼から流すバロールは、痛みのあまり、左手に持つ石斧を振り回して、当てずっぽうに四人に対して攻撃をする。
「手が付けられないな、あの駄々っ子のままだと」
大人しくなるまでには、なかなかの時間を要してしまった。
「多分昔攻撃したせいで、左眼の瞼が薄くなってたんじゃないのかな。そのせいで左眼に対しての攻撃に異常なまでの反応を示してる」
「それなら願ったりだな。直接眼球にまで損傷を与えられれば、遠近感が狂って正確な攻撃は飛んでこない。少なくとも、俺たちとの距離を見誤って、届かずに終わる」
「その前に石斧壊すんなら意味ねぇだろ?」
ふっふっふと笑い、したり顔で言うフェムト。
「まあそうだけど」
しかし落ち着きを取り戻してからのバロールは攻略難易度を、増させてしまった。
「そっちだ! 横薙ぎ来るぞ」
「バックに跳んだ! 一気に詰められる」
バロールの速度は増し、攻撃はより大胆で、しかし大雑把なものが多くなる。
それでも無駄に大きな体積を存分に生かすことが出来る攻撃を敢えてしているのか、こちらにも避ける以外の暇をなかなか与えてくれない。
「二本目が遠い……。エアの剣を打ち込んで……、フェムトの剣で楔に強大な圧力を加える……。たったそれだけで石斧は割れるのに……!」
一瞬も気を緩ませなくても、徐々に四人が負う傷は増加していく。バロールと対峙した時、エリスが言っていた通りのことが起きてしまっているのだ。足場が悪いから移動すればよかったなどと今更後悔しても遅い。寧ろ、移動していたとして、一撃目すらも与えられていたかは不明である。
「ウガアアアアアアアアアア」
何度目のバロールの雄叫びだろうか。
当たらない攻撃に焦燥感を憶えているのか、それとも何かタイミングを待ちわびているのか。何れにせよ攻撃は当たらないのだ。
けれども、こちらも何度目か、原因不明の背筋か凍りつくような震えが四人ともを襲っていた。
「長引かせると体力が持たない……」
「多少無茶をしてでも、せめてもう一本は楔を打ち込まないと……」
「バロールが振りかぶった、中空に浮いているタイミングで剣をさせないのか?」
中空に浮いたまま……。二度同じ攻撃をしなければ、一本目の付近に再び剣を刺すことは難しい。
「私がもう一回、何とか空に飛んで気を引くから、そのあいだにどうにか出来ない?」
それでもやはり難しい。
「そのまま剣を刺せないのか?」
「そのまま?」
「上に気を引かせて、敢えてしたからは何もしない。そのまま逆光で正確な行動が把握できないうちに自分の体重を思いっきりかけて、諸手を挙げているうちにエアの剣を突き刺すんだ。無理かな?」
「飛んだ人がどうなるか分かんないよ、それじゃあ……」
「手首のスナップだけでも相当の力はあると思うが、重さも相当あるはずだ。重力が味方についてくれるかもしれない」
フェムトの提案を、切羽詰まっている中戦闘を続けている三人は肯定し、早速実行に移す。
「確実に振り下ろしをする攻撃を誘え!」
ほぼゼロ距離のバロールの躰の下から、全速力で背中をむけて逃げる。
バロールもそれに釣られ、確実に仕留められると感じたのだろう、まんまと作戦始動から一撃目で目的を果たすことに成功した。
「頼むぞエリス!」
「了解っ」
エリスの持つ剣では、鍔まで確実に刺さるとは限らない。エアの持つ剣を腰に下げ、振り下ろされた石斧の上に再び乗る。
振り上げられたそれは、再び心臓を無重力下の不快さに浸からせる。しかし、そのままバロールは、姿を隠した三人を発見できず、案の定エリスの方を向いた。
「見えた……!」
キラリと光る一点の反射光。
「ハアアアアア……ッ……!」
音は砂を剣で斬るような、まとわりつくような音だった。
しっかりと根元まで入った剣を確認し、そのまま数歩で石斧から降り立つ。
「フェムト!」
「おう」
「頼んだぞ」
最後の工程だ。
途中無駄に時間がかかってしまったが、逆の発送をもったフェムトに助けられた。
「グガッ……!」
バロールはその唯一の右眼で確かにエリスを追う。そして力の限り振り下ろす。
その攻撃は偶然にも、エリスの後頭部を着実に捉える軌道を取ってしまう。
「オオオラアッ!」
振り下ろされた石斧。刺さった二本の剣、もとい楔。
それを目掛けて反発させるようにフェムトも力の限り振り上げる。
二本の剣の柄頭に同時に命中させたそれは、見事二つに割れ、いくつかの石片を飛ばす。
そして二つに割れた石斧は、エリスとフェムトを避けるように二股に別れ衝突を避ける。
「やった!」
だが、唐突に二つに割れた剣の中心部から、フェムトの頬と、エリスの左太股に薄らと血を滲ませる切り傷が出来る。それは幸い表面を掠めただけの大した傷ではなく、鋭利であったために傷は無駄な細胞の破壊をされず血の滲みも最小限で済んだ。
「何!?」「なんだ!?」
問題は、二人に傷を負わせた原因だ。
「何で……」
「石斧の中から剣が出てきやがった……だと!?」
訳が分からない。
石斧を二つに割ると、その中から鋭利で現在も十分に使用可能な剣が現れたのだ。
思わず逃げの姿勢で走っていたエリスは足を止め、自らの太股に傷をつけたその剣に触れる。
「おっ……もい……よ……!」
見た目以上の重さを持つ剣。今のエリスの力では持ち上げることは出来ても、戦闘は愚か振り回すということすらも叶わない。
「なんで剣が出てくるんだよ!」
「分からない……けど、この剣凄いポテンシャルを秘めてる気がする」
二つに割れた石斧が、強く握りしめていたバロールの手にまで衝撃を与え、あたふたと慌てふためいているのをいいことに剣に興味を注ぐ。
「こんな剣、今まで生きてきてみたことない……。単純な細身の、レイピアに近い直剣なのにも関わらずこの重さ。それでいてこんなにもレリーフが施されているけど実用性も持っている」
「最も扱えればの話……だろ?」
「そうだね。私も一年のブランクがあるから鈍ってるからね、元に戻さないとこの剣は振れないかなぁ……」
「うっそ……」
フェムトはその剣に触れ持ち上げる。彼ですらなかなかに重量を感じ、戦闘に用いるには両手剣ばりの行動をしなければいけないだろうという中、エリスは一年前であればこの重さを容易に操れていたという事実を知り驚きを隠せない。
「とにかくそれも持って帰ろうぜ。この辺に置いておくと何があるかわからないから、来た道辺りにでも……!」
「うっ……!」
幾度目か急激に震え出す背筋。今回は背筋のみに留まらず、身体全体が震える。
「グチャっ、グチョあ」
言葉で表現出来ない音。
何か肉片を捻り潰すかのような、もしくは血液のような粘性の液体を弄ぶかのような、そんな何れにしてもグロテスクな妄想を脳裏によぎらせる音だ。
「エリス、フェムト! 早くそこから離れろ!」
「離れて! 早く!!!」
その言葉は耳に届けど、バロールを中心とした衝撃波のような異様な風の靡き方に足は歩くことを拒否している。
エリスとフェムトの視界の中に、二つに割れた石斧からだらりと垂れるドスの効いた赤黒い、鮮血とは程遠い色の粘液。
「血……?」
「何をしてるんだ、バロールは……」
垂れる粘液に触れぬように身体をくねらせフィルの元へとたどり着く。
「第三の……眼だ」
三人は、フィルの指さす方を見る。
未だにボコボコと皮膚が隆起し、そうと思うと陥没しを繰り返し、バロールの額部分に何やら物体が出来上がろうとしている。その副産物なのか、代償なのか、バロールの血液と思しき液体は、隆起と陥没を繰り返す度に吹き出し、辺りの色を染めている。
「完成する前に……、何とかしないと……!」
そうしなければ、再び近付くことが困難になり、石斧がなくなったとはいえ振り出しに戻される可能性もある。
「残念だけど……もう遅そうなんだよ」
「どういうこと、エア?」
エアは言葉での返答をしない。代わりに、地面に転がる小石を、バロールの頭目掛けて投げる。
するとその小石は、パキンと音を立てて砕けちり、破片を四人の周辺まで飛ばす。
「何でだよ!?」
「バロールの持つ魔力は、水を油のように燃えさせることと、風」
「風で障壁でも作ってるというの!?」
「丁度音がし始めた時、奴の真下に、ほかよりも少し深いクレーターができた。その後それはどんどん広がって、今となっては半径十メートルほどまでの大きさになってる」
「近づきたくても近づけないんだよ」
「恐らく、石斧が割れたのがスイッチと言うよりは、第三の眼を開眼している間の自己防御のためにあの魔力を発動していると思う」
石斧がスイッチならば、フェムトとエリスは石斧が割れた瞬間から風は発生するはず、そう考えるのが一般的だろう。
「ウグオオオオウ……」
元々自身が持っていた石斧を、自重で踏みつけ破壊してしまう。粉々に砕く手間が省けたのは有難いことだが、石斧など無くても相手から勝利を収めることが出来るという一種の宣戦布告とも取れる。もしくは自暴自棄。
「……ォォォォォ……」
重たげな足取りで、一歩一歩着実に四人の元へと近づく。
気づけばボコボコと音を立てて、赤黒い液体を撒き散らしながら生み出していた第三の眼はその隆起と陥没を止め、瞼を閉じたままの、正しく眼になっていた。
「あの目が開いたら……」
「今の……、あいつの魔力の枷は外される……」
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