間4 エリスの悪夢(四)

 エリスの悪夢(四)


 不安がただでさえ重い胸を膨らませ、安眠を妨げられていた昨夜。気づけば、不安を他所に眠りに落ちていた。

 しかし、その眠りから覚ましたのは蘇る不安ではなく、「ズズズズズ……」という、身体の芯を揺らがせるような地響きだった。

「ん……?」

 大きな衝撃が襲った訳では無い。

 突き刺す痛みを感じた訳でも無い。

 ただ、地鳴りがエリスの身体を揺らしただけであったから、むくりと身体を起こし、隊長特権の一人用テントから顔だけをひょこりと突き出して辺りを見渡す。

「おはようございます、エリス様」

「おはよう、レイフさん」

 話し掛けてきたのは、大隊長を務めるレイフ。どうやら昨日怪我を負った隊員の様子を一晩中見ていたようで、見かけから取れる誠実さからは、お節介焼きの印象を覗くことは出来ない。

「先程の地響きに起こされましたか?」

「やっぱり何かあったんですか?」

「いえ……。未だ警備隊から何かが起こったという連絡は入っていませんよ。幸運なことに、昨夜から今朝にかけて、魔獣に襲われたという報告すらありませんからね」

「警備隊に何かあったわけではなく?」

「ハッハッハ」

 空笑いをするレイフ。

「先程最後の当番に変わったばかりですから、それは無いですよ」

 不意にまぶたに重さを感じ、猛烈に呼吸をしたくなり、欠伸をする。

「今日はいい天気ですが、まだ、起きるには早い時刻です。まだ数時間寝ていられますよ」

 テント内に一度頭を引っ込めて時刻を確認すると、それは未だ朝の四時を少し過ぎたあたり、まだまだ出発予定時刻である八時には余裕がある。

「そうですね……。もう一眠りしておきます。レイフさんも休みは取らないとダメですからね?」

「分かってますよ」

 にこやかに微笑んで、私がテントの口を閉めたことを確認するとその場から立ち去る。

 余計な時間に起きてしまったと後悔し、寝袋に潜り込む。まだ温もりが残っていることもあり、眠気はすぐに襲ってきた。

 その眠気は眠りに落とされる前に消え失せる。

「ドスン」「ズズズズズ」

 二つの音がほぼ同時に耳に届く。今は前回と大きく違い、テントを揺らした。

 無言で身体を起こし、片膝を立てて耳に気を送ると、それよりも先に視界に垂れる紅い一筋に気を取られる。

「なん……だ……?」

 そしてもう一筋の紅い何かが視界に入る。

 その紅い何かの動きから、テントの屋根を見上げる。テントに何かが乗り、布を突き破るように剣が刺さり、鞘に収まったままの剣先から紅い何か、もとい血液がぽたりぽたりとエリスの目の前に、一定のリズムを刻み垂れ続けている。

 その光景は異様である。

 テントを飛び出ると、そこは地獄絵図、既に多数の死者が出ているのがひと目でわかる凄惨な地となってしまった。

「どうして……!?」

 一体の大きな魔獣。それは狂獅子や餓狼種とは比べ物にならないほどの巨躯を持つ。右手には巨大な斧。鈍い光すらも吸収する石斧である。

 閉じた左目から、一瞬覗いた赤き瞳。しかし右目は黒と、オッドアイの目を持つその魔獣は、石斧を振り上げる。

「オオオオオ……」

という唸り声にもならない音を発しながら力を込める。その真下には隊員が足を竦めて立ち尽くす。

「チッ……!」

 全力で舌打ちしてから、テント内に剣を置いたまま走り出す。

 振り下ろされる石斧が速度を増し、中空に残像を残し音を放つ。

 エリスは標的の隊員のもとへ辿り着く。

「ごめん」

 一言声を掛けると、走りざまに隊員が腰に下げている剣を抜く。

 同時。

 エリスの右腰から居合の要領で、下から上へ石斧に剣を打ち付ける。

「おも……!?」

 幾ら力を込めても押し返されそうだ。

「ハアアアッ!」

 背後から、レイフが同様にして石斧を自身の剣を打ち付ける。

 続けざま、その光景を見て隊員の何名かが石斧に剣を刃毀れを生じさせながらも、石斧に対抗すべく力の限り押し上げる。

「っ……ぁぁあああ」

 一度石斧は軽くなり、しかし、再び魔獣はそれにエネルギーを付与すべく振り上げる。

「離れて……!」

 体躯に似合わず俊敏さを持ち合わせた魔獣は、素早く動作を止め、ものを投げるかのような運動を石斧に与える。

「ぎぃぁあああああ!!!」

 離れるまでもなく、これだけの騒ぎが起きれば兵は皆起き、皆が迎撃体制をとる。そこを狙ったのだ。

「なっ……」

 石斧は重く、地面に身の半ばまで突き刺さらせ、地面を深く広く抉り、蟻地獄のごとく兵飲み込む穴を作り出す。

「石斧……を」

「無理です……。あのサイズでは、相当な重さ……。当たれば一溜りもないあの石斧を破壊するすべなどありません……」

 誰もそれを持ち上げることも出来なければ、逆にエネルギーを持った石斧に襲われれば一瞬で空の彼方まで吹き飛ばされる。現にテントに突き刺さるようにして血を垂れ流した兵のひとりは、その衝撃でその末路を辿ってしまったのだろう。

「これは……」

 エリスの頭には、撤退以外助かる術は見当たらなかった。

「撤退以外には」

 その心情を察してか、レイフがその二文字を口にする。

「今すぐにここを放棄して帰還しましょう。カストラムの部隊が迎撃体制を取れるように、伝達させてください」

 しかし、ろくに時間も稼げないのは明らか。ドスドスと足を地面に沈ませながら石斧の元へ辿り着くと、再びそれを手にし、次に薙ぎ払う。

 簡潔に言えば、犠牲者多数。

 薙ぎ払われた人々やテントといった物品は、キャンプ地としていたそのエリアに隣接していた湖にボトボトと水柱をたてて落ち、そこへと沈んでいく。

「……ハァァァ……」

 深く呼吸の音を響かせる魔獣。

 標的は一人ながら、魔獣の最も側にいるエリスに向く。

 受けて立つとばかりに、仁王立ちし、剣も構えず右手に持ったまま脇から自然と垂らしている。

 直線的に、勢いをつけて振り下ろされた石斧はエリスが立っていた地面を潰す。

 その大きな石斧は決して初動は早くない。完全に行く先を見切り、左方向へ跳び退ると、深く突き刺さり人でも容易に石斧の上へ乗れるようになる。身軽なエリスは、ふわりと羽ばたくように石斧に乗り、駆け寄ると、魔獣の目を目掛けて一直線で中段から突きを放つ。

 確実な位置を認識するために存在しているのにも関わらず閉じられている左目を狙い剣戟を繰り出すことで、その突きは、複数回の太刀筋も共に見せつけることがかなった。

「グゥおおおおあああ……」

 瞼に傷が付けられ、恐らくその瞼は切断もかなっただろう。

 痛みからか、石斧から手を離し左目を両手で覆う。

 脇目を振ってちらりと撤退の状況を見れば、人数が人数の大所帯であるせいか、あまり捗ってはいない様子が容易に見て取れる。

「竜巻だ……!」

 そんな中で辺りにこだまする、危険が迫っている事を知らせる声。

「いつの間に、こんなに天気が崩れたんだ。さっきまで晴れていたのに……」

 灰色の雲が立ち込め、今にも雨が降りそうな天候に移り変わっていた。その中で、いくつもの竜巻が発生し、どれもこれもがこちらに向かってくる。

「グヒフッ……!」

 気味の悪い声を発した魔獣。魔獣はその竜巻を知らせる声の方に両目を向けると、その声を発した主は一瞬で蒸発するかのように消え失せ、その場に幾らかの血液と身につけていたプレート類のみを残し命は完全に空の彼方へ飛び立った。

「何をした……!!!」

 あまりの人知を超えた現象に声を荒らげて魔獣に対し怒りをあらわにする。

 しかし、魔獣は最も近くにいるエリスには目もくれず、人が集まる方へと視線を送り続ける。

 事態は悪くなる一方だ。何人もの人々が、同様に蒸発し、幾分かの血液とプレート類をその場に残し消えていく。

「なんで……!? なんで人が」

 そして、その現象はその集団と行動を共にしていたレイフの身にも起こった。

 ドクンと心臓のたった一度の鼓動が高まるかのように身体を震わせ、破裂するかのように蒸発させ身を消失させる。

 その中でも最後の一瞬。レイフは言葉を発する。

「目を見ては……!」

 この状況の中、死を察し、私たちが生き残るために有益な情報を残して消えていった。

「目を見ては……」

 集団の全てがその現象に見舞われている訳では無い。また、エリスの戦闘前では石斧を使い殺戮をしていたのにもかかわらず、現在は原理不明の未知の能力を使用しているこの現況から察するに。

「目を見てはいけない……?」

 そこでやっと気付いた。

「バロー……ル」

 目の前に対峙する魔獣、もとい魔神。左目を邪眼とし、視線を交差させたもの全てを殺害することが出来るという。

「目を見ないで……! 相手は大きい、飽くまでも攻撃だけを見て!!」

 一説によれば、バロールの持つ力により、嵐を呼び起こすことも出来るという。一瞬の間に晴天だった空が灰色の厚い雲に覆われたのも一応の理由が付けられる。

「私が余計なことをしてしまったばっかりに……!」

 自身に対してのイラつきから、腰を自身の拳で叩く。

 そのような意味の為さないことをしている間にも、魔神バロールは次の行動をとる。

 誰もが、敵が放つ攻撃を、剣の動きのみで見切るというのならば、一瞬欺きさえすれば、その後は一度に大量の殺人が発生する。

 瞳の動きで相手の行動を察することが出来なければ、自身の初動が大幅に遅れてしまう。

「こっちを……見て……!」

 エリスは気を引くために、テントから零れ落ちた信号弾を拾い上げ、バロールに向かって撃つ。

 その信号弾は顔に命中し、その衝撃に発射した主の方向へ振り向いた。

 咄嗟に目を見てはいけないと顔を伏せ気味に傾ける。

 だからこそ、やはり反応が遅れてしまう。

「うぐううう……ッ!」

 顔より高い位置から石斧はエリスを打ち飛ばすように振り下ろされた。左方を守るべくしてガードに用いた剣は、半ばからポッキリと二つに折れ、その衝撃は防ぎ切れず、湖まで吹き飛ばされてしまう。不幸中の幸い、落ちたのが水であったことから無駄な怪我はしなかったが、服は水を吸い重さを増し、動きに制限が掛かってしまう。

「流石に……不味い……!」

 バロールに水を与えるのは御法度とも言えるほどの火に油を注ぐほど危険な行為。嵐を呼び起こす能力の他にもう一つ、海を火の海にすることが可能だからだ。

「無駄な知能を……!」

 兵を一撃で木っ端微塵にしてきたのをこの目で見た。それにもかかわらずあのタイミングで、死なないような力で湖に叩き落としたバロール。

 それは明らかに、火の海の中でほかの兵諸共燃え尽きろという意志があったように取れる。

 バロールは石斧を天高くに放り投げる。規則的に回転しながら放物線を描くそれは、エリスのさらに奥、湖の中心辺りまで到達し、水飛沫をあげて突き刺さる。その衝撃と体積により、湖を形成する水は何十メートルにも振幅を持つ波となり、撤退すべく集まっていた全隊員を飲み込む。

 口から吐かれた炎。

 本来ならば消火されるそれは、油に火を落としたように一瞬で広がり、メリディオナリスの森を焼き尽くさんと業火を上げる。

 水面は完全に火の海だ。冷えた頭は、脳機能の低下を包み込み、むしろ判断を研ぎ澄ませた。

 咄嗟の判断で水中に潜る。

(何か……何かないかな……)

 水中を揺蕩い、無駄な酸素を消費するのを避けて水底を凝視する。

(なんか……流れがおかしい……?)

 水底で生える水草は水の流れに沿ってその葉を揺らしているが、その流れの不規則さが他に比べ強く違和感として感じ取った。

 そして思い出す。

(こっちに来ていた竜巻は何処に行った!?)

 このまま潜り続けることは不可能。それなら、湖上を竜巻が通りかかった時、少しでも火を風で消し去った瞬間を狙って呼吸をする。それを思いついた。

 深くもぐり、仰向けになって水面の様子を窺う。

 そして明らかに水が失われている箇所が存在した。

(水上竜巻は水を巻き込むはず)

 その竜巻の行き着く先に先回りし、竜巻の中心が頭上を通りかかるのを待ち侘びる。竜巻よりも塵旋風に近いそれは、直径の大きなものであったのが幸いし、タイミングは非常に取りやすかった。

(今だ)

 水面から頭だけ出すと、幸い火は局所的に消え、しかし風は強く、水滴が顔に打ち付けるが、薄いながらも呼吸はできる。

 あまりの水滴の重さにすぐに顔を再び水に付けてしまったが、この竜巻の下を、何度も浮上と潜水を繰り返し、岸までたどりつくことが出来れば、そのままバロールの索敵範囲から脱出することが出来るのではないか。

「ぷはっ」

 その行為を何度も何度も繰り返し、無駄に広い湖を対岸まで泳ぎ切る。

 完全に息が上がりながらも、竜巻の跡筋は水を飛ばし、火の広がらない空間を作り出してくれる。

 元いたキャンプ地を望めば、バロールがいまだに火が燃える光景を嬉嬉として、周辺に佇んでいるように見えた。

 反対方向まで来てしまったが、遠回りをしてカストラムに戻ることが第一だと考え、剣も持たず、朽ちた木々の年輪のみを便りに北を目指す。

 途中何度も魔獣に遭遇した。武器を持たないエリスは、水を含んだ装備のせいで体温が急激に下がり、意識も朦朧とする中、枝のみで応戦するしかなく、所々傷を負わされた。

 そんな中見えた石壁。

 倒れる身体を必死に足が支え、どうにかその門扉にまでたどり着く。

 生憎辿りついたのは破壊の限りを尽くされた南門であったが、それでも監視部隊は常駐していたようで、ゆっくりと近づく私の存在に気づく。

 剣も持たない、プレート類すらも破壊された格好でカストラムの街に命からがらたどり着いたエリス。彼女の姿に、誰もが一瞬エリスとは気付かず、数分の時を要してしまったが、どうにか石壁の中へ帰還することが叶った。

「エリス……様!?」

 その誰かの声が聞こえた直後、視界はぐらりと拗じるような回転を始め、立ったままでいることはできず倒れ込み、フッと意識を失った。


   ***


 目を覚ます。

 人の声など聞こえない静寂が重くのしかかる一室は、エリスの自室だった。いつの間にか着替えさせられ、泥だらけだった身体は洗われていた。

 痛みが止まない中、身体を起こす。長時間に渡る限界を超えた運動により、身体は悲鳴を上げて軋む。

 その中、ベッドに腰をかけた状態で目に入ったのは、サイドテーブルに置かれた書き置き。

 エリスはその紙を手に取る。

「意識が戻り次第、軍部へ来られたし……」

 我ながら怪我人だと思っているが、こんな人物をこの期に及んでまでこの扱いとは酷いものだと、怒りすら込み上げてくる。

 しかし、召喚命令とあれば行かないわけにもいかないだろうと、予備のレイピアを手に持ち、ワンピースタイプのルームウェアから、シンプルなオートクチュールを身にまとい部屋を後にする。

 すれ違う人すれ違う人、エリスに対して何らかの感情からか視線が痛い。

「むー……」

 口の中でもごもごと、その視線を紛らわすように、歌を口ずさむ。

 一昨日も訪れた軍部。扉を一応ノックする。

「入れ」

 相変わらずの高圧的な態度に、苛つきを隠せない。

 重く重厚なドアを開けると、例の如く何ら変わらない人物の面々が長机に向かって、書類を眺め煙草を吸うという生産性のない行為をしているようだった。

「なにか御用でしょうか……?」

「お前一人のみが帰還したのだ。報告しろ」

 どうして、その言い方しか知らないのだろうか。

「魔獣討伐戦には失敗。二大隊の連合大隊は消滅、また、メリディオナリスの森中心部の湖を原点とし延焼が今も続いているかと」

 よくよく言葉にすれば分かる、その作戦として大敗した今回。

「よくもぬけぬけと帰ってこられたものだな」

 そう部屋の何処からか声がする。

「そう仰るのなら、皆さんがあの場に行けばよろしいのでは?」

 その言葉に、恐らく言葉を発した人物だろう、机を叩き椅子を倒して勢いよく立ち上がる。

「あなた方がどれだけ温い戦場と呼ばれる遊び場をくぐり抜けてきたのかがよくお分かりになりますよ」

 狂獅子でも、餓狼種でも無い。あのバロールは、恐らくあの一体のボスと言っても過言ではないだろう。考えてみれば、一晩魔獣が現れなかったのは、バロールが付近にいたからで何者も近付かなかったと推測することも出来る。

「それ程の敵だったのか」

 左手で立ち上がった人物を制止し、エリスに言葉を掛ける軍部長。

「……ええ」

 その高圧的ながら、一定の人間性を持った語気に、僅かながら溜飲が下がる思いがして言葉を続ける。

「もし、あの魔獣……恐らくバロールと呼ばれる魔神がこのカストラムを標的にすれば、一刻も経たないうちに壊滅するのは必至、誰一人として命あって逃げられる者はいないでしょう」

 その言葉に一瞬のざわつきが発生する。

「バロール……か。水の都でないことが幸いしても、この街は壊滅するかね?」

「その力を使わずとも、石斧と知能だけで壊滅するでしょう。ただでさえ巨体を持ち、俊敏性も高い」

 私以外に攻撃を届かせたものはいたのだろうか。

「そうか。命あって報告してくれたこと感謝しよう」

 軍部長は新たな葉巻煙草の先端を両刃カッターで切り落とす。

「だが、二大隊を壊滅させてくれた責任はとってもらうぞ」

 軍部長はぎろりとエリスを睨みつける。

 有無を言わせない圧力で間を制し、続ける。

「王家を追放する」

 たった一言、それだけだった。

「カストラムに居住地を置くことは許可しよう。これから平民として暮らすがいい」

「な……」

 納得がいかない。

「何故ですか……!?」

「連合大隊を壊滅してくれた責任、そう言っただろう?」

「こんな無茶な作戦を立てておいて、自身の保身しか頭には無いんですか……!」

 直近にいた一人がエリスに対して近寄り、口を塞ごうと手を伸ばす。

 エリスは躊躇いなくその伸ばされた腕をレイピアで斬り飛ばす。

「ギィえええええ……!!!」

「あなたはあの200人以上の人間をなんだと思っていたんですか」

 その光景に皆が皆、軍部長以外は剣をとる。

「我々が計画した作戦をも愚弄するのか」

「二日間の突貫で二十キロという範囲の敵を殲滅しろなど、作戦では無いですよ。それはただ身投げしろと言っているだけだと言っているのです!」

 短絡的な思考しか持ち合わせていない軍部の人間は、その作戦が絶対だと思い込んでいる。その思い込みから、自身をも愚弄されたと感じ、怒りからエリスに斬り掛かる。

 しかし、かつて最前線で戦ったと言えど、現在は所詮ただの老人。荒唐無稽で名ばかりな作戦を立てて身内を殺すただの悪人でしかない。

「文句があるなら全員かかってくればいい。あなた方は二大隊を壊滅させたい根源に相違ない!」

 そんな稚拙な啖呵に乗せられ、一人を除いて斬りかかってくる。

 軍部室はメリディオナリスの森に続き二度目の地獄絵図の光景となり、死体の山が積み重なっていく。

「あなたはどうしますか、軍部長」

 全員が命を落とすまでにそう時間はかからなかった。

「私は既に言ったはずだ。連合大隊を壊滅させた責任を取って、お前を王家から追放すると。それ以上でもそれ以下でもない」

「そう……ですか……」

 もうそれ以上言い返す気にはなれなかった。

「それではすぐに準備をしてしまいます」

「家が欲しければ、言うといい。それくらいは用意してやろう」

 会釈もせずに扉を開け、廊下を自室へ向かって歩く。

 抑えきれず、オートクチュールに数滴の染みの跡をつけた。

「エリー……!」

 そんな中、ルールとプロープな涙ながらに近づいてくる。

「生きて帰ってきたああああ……!」

 胸に飛び込んで顔を埋めるルールの頭を撫でる。

「この二日間心配してたんだからね」

「大丈夫だよ。そんなに簡単に死ぬわけないじゃないか!」

 気丈に振る舞い、作り笑いながらに微笑みを浮かべる。

「無理はしなくていいんだぞ? エリー……」

「うん……。もう、この城には戻ってこれないのは残念だけど、カストラムでこの年だけど隠居生活をする事にしよっかな」

「どういうこと……?」

「王家追放だってさ」

「え!?」

「いいんだよ。どうせ居場所は無いからさ」

「そんなこと……」

「住むところは用意してくれるって言うから、そこに遊びに来てね! 私は準備があるからさ」

 そう言ってその場を立ち去る。その足取りはいつもに比べとても早かった。

 部屋に入ったエリスは、ベッドにうつ伏せに横たわり、枕を濡らす。

「なんで……、なんで……!」

 討伐戦は失敗した。連合大隊も壊滅した。

 確かにその責任としては妥当なのかもしれない。しかし、あの相手に対して生命を身体に宿したままここまで戻ってきただけでも、価値はあるのではないかとずっと感じていた。

 誰も何も魔獣について分からない。だから、この自体も、私のエゴだと言われてもその思いは弱まらない。

 その日のうちに、必要なものだけをボストンバッグに詰め込む。これから平民として暮らすのに不要なものは多く、それでもバッグのなかに空間が存在するほどのものだった。

 部屋を望み、お別れだとばかりに微笑むと、後にする。

「エリー……!」

 見送りはルールとプロープの二人だけ。悲しいことに、他は誰も来ることなく、知らされていないのかもしれないが、自身を否定されているような感覚に陥る。

「何も出来なくて……」

 謝罪の言葉を口にしようとしたルールのおでこをピンと叩いて、その言葉を封じる。

「あいたっ!」

「今までありがとうルー……、プー……」

「別に今生の別れじゃないじゃないか。しょっちゅうエリスの家に押しかけに行くんだ、私たちのベッドも用意しておいてくれると嬉しいな」

 プロープは微笑んで語りかける。

「えー? 後で請求書送り付けるからね?」

 冗談を一言交わし、城を出る。

 外へ出た途端、顔も隠さず、髪も露わにしたエリスには自然と視線が集まる。その茶色の髪は王家の遺伝、誰もが彼女がエリスだと気付く。

「あれはエリス様だろう? なんであんなことを……」

 ヒソヒソと聞こえる声。皆、その声が本人に聞こえているなどと思っていないのだろうか。

 しかしそこで気付いたのは、街に流れた噂に随分尾ひれがついているようだということ。

「私が……、大隊の全員を殺したことになってる……」

 軍部長を除いて壊滅させたことは事実だ。私らしくない行動をしてしまったと少し後悔もしている。けれども、連合大隊を率いて森へ討伐戦に出て、どこで食い違ったか、私がその大隊を壊滅させたことになっていた。

「もう……」

 討伐戦前、髪色でエリスだと勘づかれるのは、むしろ喜ばしく感じていた。しかし今は違う。私と誰ひとり気付かなければいいと感じるのだ。

 住みにくい街で暮らすことになったエリスは、南東のこじんまりとした一軒家で、これから一年、事実無根の噂話に虐げられて、生きることになる。

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