1-5 逢着は高揚と
嫌われてしまったようだ。
彼女は酒場ならば話はしたくないと、三人を自室に招いてくれるそうだが、その道中、一切の会話なくひりつくような空気感が四人の間に漂っているだけだった。
「大丈夫かな……?」
「……何が?」
「一緒に旅をしてくれるかな……って思って。こんな雰囲気からどうやったらプラスになるのか分からないよ……」
コソコソと、辺りの喧騒と無駄に空いた二集団間の距離により、エリスの耳には届かないであろう会話はエアの苦しい心情を表していた。
一方、嫌いと好きは対偶の関係にあるとフィルは何かの本で読んだことがあると思い出した。実際そんな事が可能なのかとも考えはしたが、真相は自身でもよくわからない。
「まあ……」
根拠もないことを口走るのはどうかと一瞬の躊躇いにより数秒の時を流しはした。
「……大丈夫だろ。甘く見てる訳じゃないが、今時敵に負けるという選択肢は無いんだ。異常なまでの罪悪感に駆られて自己を潰すようにして生きてる……」
一つ溜息を漏らす。
「そんなの意味無い」
この一年、自分もそうだったからよくわかる。
「何を無駄口叩いてるの?」
そんなこんなしているうちに、エリスが住む家に到着した。
煉瓦造りの赤黒いオレンジが印象的な平屋一軒家は、ロフトからの小窓に植物が置かれ、開かれている窓からその観葉植物が垂れて風に揺られており、ドアの付近までの長さがあるそれは、壁に対して一色のアクセントを加える特徴的なものだった。
「入って。というより付いてきて」
一瞬意味が分からなかったが、取り敢えず玄関を跨ぎ、廊下を抜け、リビングを横目に奥へと通り越すと、そこにはその周囲の住人が自由に使うことの出来るスペースが確保されており、そこには数種の子供用の遊具や、身体を鍛えるためか専用の器具が置かれており、何一つ整っていない乱雑な空間という表現がピッタリのスペースだった。
「何この空間」
「共同広場。運動でも休憩でも好きにすればいい。でも……」
そう言うと、三人から離れ、広場の一角で余所者の俺たちが入ってきた事でこちらの様子を伺っていた二人組男性の集団に何やら話しかけ、一本の剣を持って戻ってくる。
「取って」
その剣をフィルの喉元に突き立てる。
そして、腕がピクリと動作を開始すると、その掌から零れ落ちるように重量感のある剣は砂地の地面に突き刺さる。
「何のつもりだ……?」
「小隊を組みたいんでしょ?」
どこでその話を聞いたのか。
「グランツに私の過去も聞いたんでしょ?」
やっぱりあの酒場は使うべきではないではないだろうか。
「あの過去は繰り返せないの。だから今まで何十人もこうやって追い返してきた」
フィル達三人に背を向け数歩歩んだところで一旦足を止める。
「だから取って」
「剣なら持ってるぞ?」
そう相手は見ていなくとも、だからこそカチャカチャと音を立てるように鞘を揺らし、それが実際に腰に下げられていることを示す。
「それじゃ駄目。どうせすぐ折れるから」
業物ではないが、安物でもない剣にケチをつけられたような気がしてムッともしたが、フィルは大人しく地面に突き刺さった剣を取る。
「お宅はどうするんですか?」
少々の呆れた口調で聞く。
「私はこれでいい」
そう言うとエリスは揺れるロングスカートを左手で抑えて中腰になり、地面に突き刺さっていた剣らしきものの柄を掴む。
「ふうっ……!」
ブワッと巻き起こる風と、舞い上がる砂埃。
その砂埃に腕で口と鼻を塞ぎ、息を楽にする。
地面に突き刺さっていた部分は銀色の煌めきを太陽光によって放たせているが、そう出ない部分は、錆が浮き、剣としての役割を既に放棄しているようだった。
「錆びてるところで斬らないようにするからさ、早速君の剣線を見せて欲しい」
くるりくるりと数百グラムではきくはずのない物体を軽々と指先のみで回す。
「私に小隊に入って欲しいんでしょ?」
「そうだ。だが、だったら何で実戦を踏むんだ? それこそここで何かがあれば、エリスは一生その感情ならは逃れられなくなるのに」
「……」
憎たらしい事に、顔色を一切変えず、どこかに反応が出るということもない。
「自分を痛め付けてまで生きることに意味があるのか? 外に出たとしても、この世界は粗方探索がなされ始めた。それこそ匣の近くまでであれば、それ相応の装備さえつけていれば近寄れるほどに攻略されてきた。そんな中で何で……」
ここまで口にすると、ようやく口元がピクリと動きなにか言葉を発しようとしたところで、しかし口は再び閉じてしまう。
「実際、ここに来るまでにも何回も魔獣に襲われた。その中でも確実に対処の仕方は慣れてきた。敵の行動も頭に刻み込んできた。過去に起きたことはそれが無かっただけじゃないのか? それにもかかわらず逃げているんだとしたら、それになんの意味がある? 立ち向かわないで何になる?」
本心ではないとはいえ、自分でも驚くほどの柄でない根性論と綺麗事を口にしたところで、相手の怒りは沸点を超えたのか、先に斬りかかってきた。
無言のまま。
「はや……」
数度の火花を散らした後、鍔迫り合い中に彼女は話しかけてくる。
「君の過ごした世界は短いし狭いし、それだけの世界で生きられたらどれだけ幸せだろうね、視野の狭い木偶の坊くん」
流石にカチンと来た。
「それは申し訳ないですね。蓑虫のよりも長く街に引きこもっている宝の持ち腐れた、孤高の人よりは外で生きてきたつもりだったけど……」
売り言葉に買い言葉。
一旦二人は鍔迫り合いから抜け出し、お互いに下がり距離をとる。
「このあたりの餓狼種なら安全マージンを取らなくても一瞬で済ませてしまうくらいだからね。君でも容易に倒せるはずだよ」
「何……!?」
「そうやって狭い視野から眺めているだけの唐変木になって、無駄な時間を過ごすつもりなんだろう? それがいい」
「何を言って……!?」
「ああ、ごめん。三人の方が良かったか返答を聞いてなかったね」
その瞬間フィルは動き出す。力を込め続けていたつま先で砂地の地面に窪みを作り、堰を崩壊させるが如く地面を蹴り加速する。
たった五メートルほどしかなかった距離は一秒の時も経たず詰めることが出来る。
「そういうことは聞いてない」
急激な静止。
地面が滑りやすいとはいえ、確かに相手の喉元に刃を当てつけることに成功した。
「私はそういうことを聞いてる」
しかし、フィルの喉元にも、異質な冷感を覚える。逆に剣を握っている右手には異質な温感を覚える。
その冷感はエリスが握っていた剣。
その温感はエリスの手がフィルの握る柄をその上から握りしめる温もり。
「……ぇ?」
それは「え」という音にもなっていなかった。
「何を……? 見えなかったよ!?」
当事者ですら見えない剣戟は、後方でその光景を瞬きすることも忘れて眺めていた二人ですら把握不可能なものだった。
「君も今の攻撃は見えなかっただろう?」
ぐうの音も出ない。
その言葉を放つと、エリスは握っていた剣を地面に突き刺し、戦いを止める。
「私もつい昔のことを思い出して、怒りに任せて剣を振ったけど、そんな事しなくても明らかでしょう?」
フィルを見つめていう。
「君のような短期で直情的な人間は、頭で何を考えていようと不測の事態が陥れば、何かが起こる……。確実に……。絶対に……!」
刹那的に顔が曇ったような、違和感。
「昔の私を見ているようだよ?」
それはフィルが彼女に重ねた自身と同じ感覚だったのだろうか。
「私が必要としているのは、私しか知らない魔獣を倒せる人間。だから、私より強くないと小隊なんて組むことは出来ない」
その言葉に、その場にいた人間は一瞬エクスクラメーションマークを頭の上に浮かべ、思考を奪われる。
「私しか知らない魔獣……?」
「君たちは言っていたでしょ? もうこの辺りの魔獣は攻略され尽くされ、負けることはないと。それどころか、それなりの防具をつけていれば死なないと」
負けることはないと言ったのはエリス自身な気もするが、事実思っていたのは確かだ。
数時間前の餓狼種の戦い以降、当然それ以前から戦闘は行わざるを得ない状況で、今まで生き残ってきたことに多少なりとも腕を覚えた時もある。
「でも、そんなの関係がない敵もいる」
「それが、私たちの知らない魔獣……?」
エリスはエアの言葉に無言で頷く。
「その知らない魔獣はどんなの何だ……?」
フェムトが聞く。
「正直なことを言えばわからない」
「分からない……!?」
「あの時は、たった一体のその魔獣に私の率いる大体が壊滅した」
「そんな話グランツ隊長は……」
「誰に言っても信じなかったもの。きっと彼も信じてない」
その言葉はどこか寂しそうに感じられる。
「何で誰も信じないんだ? 魔獣が実在してるなら、しかもそんなに強かったなら倒すのだって一苦労のはずじゃ……」
「分からないけど、私たちを襲ったあと、同じ魔獣に遭遇した人は一人もいないらしいわ……。あの時は出会う魔獣全てが新種だった。それでもごく少数の犠牲で済んでいた」
「そんな中突然現れた化け物……」
「私は君より一年早く最前線で戦った。一年引きこもっていたけれど情報はずっと見ていた。その魔獣が見つからないかを……。だからやっぱり君たちは視野の狭い、まだまだ世界を知らなすぎる」
唾を飲んで、一息分で呼吸を整える。
「だから私は小隊は組まない。もしそうすれば、一年前みたいな事件が……。また、あの時の惨劇を繰り返してしまうから……」
フィルは考えた。その惨劇が心残りなら、その心残りを取り除くためには、大隊をたった一個体だけで壊滅させることが出来る力を持った魔獣を倒すしかないと。
「なら、それを今から倒しに行きましょう。それから匣の開放に一緒に来てください」
「……?」
私の言った意味がわかってないのかとばかりの顔をする。
「開放しに一緒に来てください。あなたは一年もの間何もしていなかったのにも関わらず、その魔獣と遭遇した攻略者はおらず、命を落とさなかった。もしこのまま放置しておけば、今日か明日か、明後日か、もしかしたら人が死ぬ結果になるかもしれない」
壁越しに情報板の方面を指で示す。
「あの情報板に祈ってれば人が死なないんですか? 何もしないで放置してるなら、それで俺達のような考えのそれなりの装備の連中が魔獣に遭遇して死んだとしたら」
情報板からゆっくりと指差す方向をエリスへと変える。
「あなたは人殺しだ」
だから。
「だから共に来て、その魔獣を倒すのを手伝ってください。そして共にアイギスの匣を開放して、パンドラの匣を封印する。その旅に来てください」
脅しに近い文句を垂れて、本当に小隊という命を共にする行為を実行してくれるかは分からない。
しかし、これ以上対峙し続けるのは心臓が持たなかった。
「出会った酒場で待ってます」
そう言って、エリスの家を通って、再び街を通る路へ出る。横目に見えた写真立てには、エリスとエミルのツーショット写真が飾られ、その顔は二人とも笑っていた。
「ごめん……」
ついフィルの頭に思い浮かんだ言葉を、フィルターを通さずに脊椎反射的にぽんぽんと口にしたことを詫びる。
「何がだよ……? 別にあれくらいでいいと思うぞ。あれで来てくれるなら、だけどな」
ヘッヘッヘーと不気味にニヤニヤ笑いながら姿勢を僅かに低くして笑うフェムト。
「まあ、フィルよりもエリスさんの方が酷い事言ってた気はしますけどね」
「それは確かにある。木偶の坊とか? 短期で直情的で操りやすいとか?」
「操りやすいとは言ってなかっただろ……」
「でも強かったですよ。あれだけの強さがあれば、大隊の隊長になれるのも納得です」
「フィルも頭で考えるタイプだと思ってたが、あの場で斬り掛かるとは思わなんだ」
「ま、剣を交えないとわからないこともあるのさ……」
得意気にフッと息を吐いた頃に、例の酒場にちょうど到着した。
「いい事言ったって自分で思いましたよね? 今」
「頭が痛いな」
そんな冗談を言い合いながら、再びカウンターの女性に話しかけると、これまた再び三人を歓迎し、見事に一杯ずつ注文を取って、店内で待たせてくれることになった。
***
エリスは現れる。きっと。
そう考えていたからこそ、時計の針が進むのは遅く感じられた。なぜなら、気持ちはいつの間に高ぶり、これから先の見えない展望も明るくなるとすら思っていたからだ。
そしてその酒場にエリスが現れたのは一時間ほど後だった。
「遅くなってごめんなさい」
「エリス……! 」「エリスさん!」
二人の声が重なって、酒場にこだまする。
それによる一瞬の注目と静寂。
入口で、カウンターの女性に目線で挨拶を交わすと、その女性は微笑み、手で空気を撫でて案内をする。エリスはゆっくりとした足取りで、こちらに向かってくる。そして、一方的に話し始める。
「人殺しとは言わせない。嘘つきとも言わせない。自分の為に戦って、ついでにあなた達のためにも戦う」
フィルを優しさの含まれた、しかし刺さるような視線で捉えながら言う。
そして言葉を一旦止めると、髪を耳に掛けて続ける。
「だから、よろしく」
その、完結ながら、四人の間柄が深まったと推察できる単純明快な言葉に、フィルもフェムトもエアも、本日二度目の気持ちを昂らせ、この日、この時刻こそが正式な小隊結成日となった。
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