1-4 逢着への理由
逢着への理由
「なんつー勘違いだ、それ」
「まあ、言ってしまえば勘違いだ。しかし彼女にとっては真実なのだから、私にどうこうできる問題でもないのだよ」
人目の無い地下の一室。軍関係者御用達と言えば、情報はここから漏れてしまうのではないだろうかと勘繰ってしまうが、必要以上に個々に厚く隔てられた壁は、罠にさえ気づけば逆に安全以外の何物でもないという考えからなのだろうか。
木製の壁、木製の家具に光度の低いシェールランプが辺りを照らす、ロマンチズム溢れる雰囲気の店内に、むさくるしい人物を多く連れたグループでは来たくなかったが、髭──グランツに連れられてきたので、仕方なく同意した。
その中で聞かされた、黒髪の女にまつわる一つの話。
***
「彼女の名はエリス・クローク。所謂いい所のでと言うやつだ」
「クロークと言えばインフラ全体を寡占してる奴らの一つですからね」
「そうだな。そのイメージは普通に暮らしていれば誰でも心に持っているものだろう。そのために、寡占しているからこそ、その枠組みに含まれる人物は、恨まれながら生きる者もいる」
「気の毒に」
宿命などという言葉で片付けられる問題ではないが、実際競争力の弱まった寡占財閥には高い利用料を払うことになっていた。それが切っ掛けでデモや矮小ながら抗争が勃発したりもした。それらは財閥の力を持ってすれば容易に封じ込めることが可能だ。また、支払いを拒否すれば単純に利用出来なくなる。だが、それでは生活に支障が出る。
そんなネガティブループに嵌るのを恐れ、高くともそれらを利用することになる。
「そんな日常の中で起こったのが、今回のアイギスロスだ」
アイギスの匣の全てが口を閉ざしてしまうという事態に陥った一年前。その点から付けられた今回の事態の名称は「アイギスロス」。そのままの意味だ。
「そりゃあ財閥側からすれば打撃もいいところですよね。いろんなところで被害が出たんだもの、修復するだけでも多額の費用がかかる……」
「それもある。しかし、君らは知らないだろうが、アイギスロスの初期も初期。早急に事態を収束しようと焦った軍の上層部、特に現場には出てこない官僚組が、無数の大隊を構成する作戦を打ち立てた」
「はー……。そこに集められたのがあの女だったのか」
「そうだ。先程は寡占財閥と言ったが、一般的に考えれば、国の上の人間がその財閥に対して何もしなければ国家が転覆する可能性だってないとはいえない」
「その中で、上を黙らせるために多くの見返りを与え、その中には街の防衛という一つの任務のようなものがあった……。そのせいでエリスがそこに……」
「悲しいことに、エリスは財閥の中でも優秀な類だった。性別における身体的な点を差し引いても劣るどころか勝るほどのな。だからこそ、その大隊を指揮するほどの立場に立ち、実際に彼女はそれをやってのけたんだ」
「どれくらいの期間をですか?」
「……ッ、……」
机の節に視線を向けたまま発した、低いトーンで響くような質問に、グランツは言葉を喉から体内へと一度飲み込んでしまう。
「はぁ……」
どうしてかグランツは一度大きな溜息を吐く。
「やはり君たちはバランスのいい小隊だよ。ブレインもいる。火力もある。繊細な技量もある……」
唇の左端を僅かに歪ませる。
「二日だよ」
「はっ……!?」
思わず驚愕した。
大隊なのだ。少なくとも六十人以上はいるような大所帯で魔獣に戦いを挑み二日で壊滅したというのか。
「内訳は……!?」
「当時の大隊は、規模としては二百人を超えるものだった」
想像よりも大幅に多い。余計二日という短期間で大隊が壊滅したのが謎だ。
「一日目は、街の防衛任務から、周囲の討伐戦だった。その時はまだ怪我はするものはいても誰ひとり命は落としていなかった。それこそ、エリスの指示のおかげで、魔獣に対する対処法も次々と見つかり、そのなかで、四人以上での小隊という基準が生まれたんだ」
任務が残っているからと、地下酒場にいながら酒ではなくグラスからフルーツフレーバーのティーという不釣り合いな組み合わせの商品を口に含み、飲み干して続ける。
「しかし、二日目。一日目の討伐戦の甲斐あって、遠征任務に着くことになった。それこそ二百人という大隊を持つからこその力業といえばそれまでだが、一言で言えば変わりのあるうちに攻略しろという上からの命なわけだ。その命令が時期尚早すぎた」
「いまでこそ魔獣の詳細なステータスまで判別できるほどになったとはいえ、それでも道なものが時々現れますからね」
「当時は街の近くにいる魔獣しかしらなかったとすれば、それこそ餓狼種にすら苦労するほどの攻略作戦だったわけだな。実際エリスによれば、餓狼種と思しき狼型の魔獣にも仲間を持っていかれたらしい」
「でもあの程度なら、二百人という大人数が……」
「ああ、まあ、それはそうなんだが」
歯切れの悪い回答だ。
「そこは大事なことではない。一番の理由は、極端にいえば大隊そのものに攻略するという力がなかったという事だ」
「素人だったのかよ!?」
「いや、素人ではないよ。国も戦争をする。その際は国防の為に対人戦をこなし、勝利に導くほどの能力がある者達ばかりだ。それは私が保証しよう」
「なら……」
「だからこそなんだ。そうだな。君たちが、自分の二倍三倍ある相手に勝つとしたらどう攻撃を仕掛ける?」
その質問に、三人は顔を見合わせる。
この三人ならば、どう攻撃するか、自身の役割が何かを計算する。
「まずは足元に攻撃が通るかどうかを確かめる。もし通らなければ、次は……どうするか」
「狙うなら頭とか、心臓だけど、二倍もあったら届かないよね」
「いや、届かせるだけならば、どこか崖のような地点でも、高く聳える木でも周囲にあるものを利用して自身と魔獣の高度を揃えればいい」
「答えはそれだ」
フィルの発した言葉に食い気味にグランツが発する。
「普段から対人戦ばかりしていると、未知の敵と遭遇した時に何をしていいかわからなくなるんだ。君たちからならその回答が得られるとは思ったが、実際剣技でどうにもならなければ、地の利でもなんでも使えるものは使うべきだ。それが戦うということだからな」
「たったそれだけの事で、大隊で一人を除いて全滅という末路に……」
「たったそれだけの事だよ。だからひとはイレギュラーを恐れる」
グラスをコツンと叩いて一つ鳴らす。
「だが、はじめにも言った通り問題があるのは上層部だ。それを予見できなかった奴らに問題がある。語弊があるかもしれんが、大隊員が弱いということを見抜けなかったのにもかかわらず、最終的に責任をエリス一人に押し付けた」
「何故……?」
「それはその方が都合がいいだろう? 上の人間はたった一人の人間に責任を押し付けてのうのうと生きていられるんだからな」
「でもそれと、捨てられたって言うのはどう関係する……?」
「彼女はある勘違いをしているんだ」
「勘違い……?」
「彼女は素直な人間だ。それでいて純心だ。だからこそ、彼女に責任という重さを背負わせた人間の言葉を信じた」
グラスの中身はついに空になる。
「言われたそうだ。「大隊二百名以上が死んだのは、君のせいだ」とね。そして更に彼女に対してもあらぬ誤解が向けられている。」
悔しさをあらわにして、机を一度手で叩く。
その突然の行動に、エアもフェムトも背筋がビクリと反射して姿勢が良くなる。
「街に住む人間は、未だに彼女のせいで現在もアイギスの匣が開放されていないと思っているのだよ」
「そんなこじつけみたいな」
「もちろんそうだ!」
光の如く、脊髄反射で肯定される。
「頭の切れる人間は、彼女の作り出したセオリーに則って攻略を行っている。その為に、犠牲者はだんだんと数を減らしてきた。彼女の功績があったからこそだ。それをわかっていてもなお口にしない!」
「でも、上の人間のいう言葉をそんなにみんな信じるのか? エリスが純心だから、彼女が信じるというのはまだ理解出来ても、街に住む人々皆がその考えに侵されるのはどうかおかしいと思うんだが……?」
「それが、普通の考えだよ。私もそれに関して、主張したことがある。しかし帰ってきた言葉は単純だっまよ」
「それはなんですか?」
「「彼女だけおめおめの帰ってきたじゃないか」だそうだ」
「強すぎた故に孤立した……」
「ふう……」
空になったグラスを鳴らして、二杯目を注文するグランツ。
「彼女は強かったんだ。それが裏目に出てな。そこで私は当然彼女を弁護する立場についたよ。しかし、どうしても彼女が悪人でないと認めさせることが出来なかった。必ず守ると言っておいてな」
「それが彼女にとっての裏切り?」
その問に、グランツは両手を広げ、分からないと示す。
「彼女がどう思っているかは私も怖くて聞けないよ。守りきれずなあなあになって今まで来てしまったというのもあるからね」
「エミルの言っていた「負けて、守られ、捨てられる」って言うのはそういう過去が……」
「まあ、彼女も妹のことを大事に思っているのだよ」
「え?」
いま、妹という言葉を耳にした。
「姉妹だったんですか、あの二人は!?」
「言ってなかったか。エミルも強いが桁外れ他強さを持ち合わせているわけじゃない。むしろ妹という大きすぎる存在のせいでそれまで彼女の方が負い目を感じていたくらいだからな」
「それだから一人救われてしまったと」
「彼女がああ言った行動をとるのも、姉なりの優しさだ。フィルを巻き込んで投げ飛ばしたのは本当に笑ったよ」
「こっちはおかげで背中が痛いですよ……」
「ハッハッハー! まあ、おわびと言ってはなんだが、ここでの会計は私が持つよ。それで勘弁してほしい。ここであったのも縁なのだ、なにか頼みがあれば聞くくらいはできるがな」
「じゃ、じゃあこのメガネの事を聞いてもらえませんか?」
そう言ってエアはグランツにかけていた眼鏡を差し出す。
するとメガネの下は、クリっとした愛嬌のある姿が現れ、メガネの有無のみでだいぶ印象を変えてしまった。
「そうだな! 知り合いに直せるか頼んでみよう。それじゃあ、ここに長居するよりも小隊員を探す方が先決だ。外に出ようか」
グランツの言葉通り、私たち三人の会計も彼が同時に支払ってくれた。
外へ出ると、街へ到着した時同様用事があると言ってそそくさと城の方面へグランツは一人向かっていった。
「さて、この後どうするか?」
「小隊員を探さなくちゃですからね……」
「それなら……、そのエリスにまた会いに行かないか?」
「エリスさんですか……?」
「すごい剣幕で追い返されそうだけどな」
「それでも気にならないか? いくら慣れていないとはいえ、二百人という人数を蹴散らすほどの魔獣の大軍からたった一人で生き延びるほどの腕を持った人間がいるなんて……」
「まあ、しかもその人間がこの平和な街の中で埋もれてるわけだからな」
「それはもちろん気になりますけど……、私たちと共に行動してくれますかね?」
「それを確かめに行こう」
とは言いつつも、彼女の正確な居場所を三人が知っているわけでもない。初めて出会ったボロボロの情報板が設置されていた酒場へと向かうことにした。
「さっきは人通りも多かったのに少し時間が経てばすぐ綺麗さっぱり居なくなるな」
さっきというのはエリスとエミルが一悶着を起こした時点のことを指す。野次馬のごとく見世物に群がっていた人々は、それが無くなれば一瞬で消え失せてしまう。
「この世界に住んでるんだ。平和とはいえ争いには敏感なんだろ。魔獣が襲ってきたら、気にしなけりゃ死ぬだけだからな」
扉の無い酒場へと立ち入ると、相も変わらず繁盛しているようで、昼間の時と客が変わっただけで誰もが楽しそうに飲み食いをしている。
グランツ曰く、情報板に貼られる情報を貼り替えるというカウンター内のウェイトレスを兼ねた女性に話しかける。
「今日の昼間にここでちょっとした騒動があったの覚えてますか?」
「……あ、ええ。街に住んでいる限り、滅多にあんなことは起こらないですからねー」
注文ではない質問を投げかけられたからか、多少なりとも面をくらった様子を見せた後、返答する。
「その時の女性がまたここに来たりはしないか?」
「あの時の女性……。ああ、エリスさん!」
「ご存知なんですか?」
「時々一緒に買い物とか、ご飯とか……。よくここに来ていたのでそれを切っ掛けに友達になりましたよ」
そう言って、後ろに天井一杯まで敷き詰められた本の中から一冊抜き出すと、パラパラとめくり始める。
「それは……?」
「情報板に掲示した、所謂依頼書の類の控えですよ。掲示するものにも二種類あるんです。依頼書と報告書」
「報告書ってのは何なの?」
フレンドリーに接するフェムトのお陰か、話は弾む。
「報告書って言うのは、ここ以外の街で何が起こったとか、新種の魔獣が発見されたとか……あとは、街の制定物とかそういうものですよ」
指先でなぞる様に依頼書の控えを確認している彼女は声を上げる。
「これですね……。彼女は基本的に攻略者のパーティ加入を求めて掲示してるんですけど……」
書類から顔を上げ、少し微笑む。
「丁度いいですよ! 今日で掲示期限なので、もしかしたら結果を聞きにここは戻ってくるかも知れません」
エリスとの話せる機会ができ、心の中で少し安堵の感情を覚える。
「待っててくれればそのうち来ると思いますよ?」
「そうだな……じゃあせっかくだから店で待たせてもらうか」
「折角ついでに一杯どうですか?」
商売根性が据わっていた。
言葉の通り、三人それぞれが酒場ながらにアルコールの入っていないものを頼み、店内の角の一席で待たせてもらうことにした。
よくよく観察してみれば、酒場は繁盛しているとはいえそこに座る人々は、エリス同様自身の依頼の結果を知るためにここへ訪れるものも多いということだ。意外にもノンアルコール系の飲料を注文している。
壁に掛けられた時計を見れば、時刻はもうすぐ午後三時になろうかと言うところ。
しかし、二度目にその時計を見ることなく、一杯目すら空にならない短時間で三人の待ち人は訪れた。
「あ、エリス……! いらっしゃい」
「依頼したのは、誰か来てる?」
その言葉にカウンターの女性は一瞬顔を曇らせて首を横に振って返答する。
「そっか……じゃあまた同じ依頼を……」
「まってエリス。あっちにあなたを待ってる人がいるのよ」
そう言って、女性はこちらを指さす。
そしてこちらに向いた顔がフィルの顔を、昼間に遭遇した時の顔だと認識した時にエリスの顔は曇り、どこか哀しげな表情を浮かべた。
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