100話 壊れた英雄 5

陽が登ってしばらくしすると探索者協会にゴーザは現れた。


背に炎の大剣を背負い、腰には愛刀の水切り、軽装の皮鎧とゴーザの象徴とも言える赤翼の皮のマント、腕には手甲の着いた篭手、足には膝下まである黒革の長靴。

コルドランには足元を狙う小賢しい魔物は多いので長靴は重ね合わせて動きを確保した甲殻が全周を固めている。

普段ゴーザがコルドランに向かう装備なのだが、日帰りできる程度の浅層を歩くにしては重々し過ぎる。

ゴーザがやろうとしている事がこの装備を必要とするのだと推し計られた。

探索者協会ので手続きは簡単なもので、すぐに奥の扉を出てコルドランへと歩いて行った。


ユウキとアスミは距離を保つ為に5ミュール程の時間を置いて探索者協会の扉を開いた。

見習い等の申請は昨日の内に済ませているので、これも簡単な手続きだけでコルドランへと進んで行く。

初めてコルドランに足を踏み入れたユウキは目の前の景色に思わず足を止めて声をあげた。


「うわぁーーー!・・・あ、あれ?思ったより普通の森だ。」


生い茂る木々で薄暗くはあるものの適度な湿気を含んだ空気には爽やかな木の香りが漂い、まばらな下草の中に一本の道が伸びている。

多くの探索者が命を落とした魔境のイメージは欠片も見当たらなかった。


「ユウキくん、こっちへ。」


アスミに手を引かれて道を外れると、後から来た人たちが追い越して行く。

道を譲るのかと思っていると無言で指さす先にゴーザの背中が小さく見えていた。

見通しが良すぎてまだ視認できてしまった様だ。

そのまましばらく待って何組かの探索が過ぎた後に道に戻って歩き出す。


納得いかない顔で辺りを見回している様子を見て、アスミにはユウキが何を思っているのかを直ぐに理解する事が出来た。

初めて訪れた者は皆が同じ顔をしているからだ。


「このスタヴロス付近は、以前に白華を起こして神素の空白地帯を作った事があるのよ。だからこの辺りは外の森と大差がないわ。」


「こんなところで!・・・もう少し頑張れば出られたのに。悔しかったでしょうね。」


ユウキは話を聞いてどれ程の犠牲者が出たのかと顔を曇らせた。

しかしこの答えは予想していなかったらしく、アスミが言葉を返すまでに少し間が開いた。


「たぶん想像しているのとは違うわよ。ここの空白地帯は王国主導で行った魔物対策の結果。神素が無ければ魔物は来ないと考えたらしいのだけど、生憎と効果はなくて取り止めになった実験の跡地よ。百年近く経って少しづつ状態は戻って来ているけど完全に戻るには更に数百年は掛かるらしいわ。だから、ここはコルドランであってコルドランではない場所なの。ゴーザさんが何をするにしてもこの空白地帯の先の筈よ。5マール(約9km)以上歩く事になるけど大丈夫かしら?」


「そのくらいは大丈夫ですよ。」


治癒の魔導具はなくなってしまったが、ゴーザの鍛錬を受けていればその程度は軽くあしらえる体力は身に着けている。

それにタルタロス・サーキットを使えば多少の無理は利くので何とかなると思っていた。

しかし、ユウキは探索者と言うものを甘く考えすぎていた。


最初の内は問題なかった。

周りの探索者たちも、やや速足気味に歩いていたが、その程度であれば一日中でも続ける自信があった。

ところが、しばらく進んだところでゴーザの速度が上がり、ユウキとの距離を徐々に広げていく。

ゴーザだけではない。

周りを歩いていた探索者たちも徐々に速度を上げてゆき、次々にユウキとアスミを追い越して行く。

このままではゴーザが認識範囲外に出てしまうと焦ったユウキは、周りに遅れない様に走り始めた。




無表情で走り続けるユウキの横でアスミは感心していた。

コルドランに入ってから既に3マール程5kmも走ってきているのに大人の探索者のスピードについて来ている。

大人にとっては7分駆け位だが子供のユウキには全力に近い速度だろう。

ゴーザが余程厳しく鍛えているのか、子供の持久力としては驚異的なレベルと言えた。


突然走り出したユウキにあえて何も言わなかったのには理由がある。

もしユウキが苦しそうにし始めたら教訓として探索者の心得の話をしようと思っていたのだ。

だがユウキに苦しそうな気配が浮かぶ事はなく、その機会はいつまでたっても巡って来なかった。


しばらく進んでもユウキの表情が変わる事はなかった。

変わらなさすぎた。

仮面のような表情に違和感を覚えてよく観察してみれば、息は荒く太ももの筋肉は細かく痙攣を起こし、大量の汗が小さな身体を濡らしているではないか。

ユウキの肉体が現界を越えようとしている兆候だった。


「ちょっと!ユウキくん止まって。」


「はい?どうかしました。」


慌てたアスミが制止したのだが、ユウキは止まりきれずに派手に転び、手足はもちろん顔にまでスリ傷を作って血を滲ませてしまった。

その上呼吸は激しく、足の筋肉がピクピクと痙攣していると言うのに表面的にはお茶を飲んでいたかの様に、至って落ち着いた佇まいのまま。

この異常な状況にアスミが眉をひそめた。


「あれっ?身体が動かない。」


「自分で限界が分からないのですか?こんなにギリギリまで力を振り絞ってしまう様では直ぐ死にますよ。」


横たわるユウキを手荒に抱き起し、腰の物入れから取り出した小瓶を開けると口に押し付けてゆっくりと傾ける。


「飲んで、ポーションよ。まったく・・・全くなっていないわ。あなたの歳で無茶を言っている事は分かっているけど、あえて言わせてもらいます。探索者として失格よ。コルドランはいつ魔物が襲い掛かって来ても不思議ではない場所。余力を残して常に全力を出せる状態を保つ事が最低限の義務よ。覚えておいて!」


アスミはユウキを手荒に抱き上げると木の幹に立て掛ける様に座らせた。

そして膝を着いてユウキと目線を合わせると首筋に手を当てて体温を測る。


「ポーションが効いてきたみたいね。もう少しすれば動ける様に成ると思うけどここで少し休憩します。」


「アスミさん!でも急がないとおじいちゃんを見失っちゃうよ。」


「ここで休まなければ、すぐに同じ状態になるわよ。コルドランを甘く見ないで。それとも私にあなたを殺させたいの。」


ギロリと睨まれては、いくらユウキでもこれ以上言う事はできなかった。


「ご、ごめんなさい。」


俯いたユウキの額を汗が流れ、瞼にかかろうとしたところをアスミの指が拭い取った。


「何を焦っているのです?ここでユウキくんが命がけにならなければいけない事など何もないでしょう。仮に今日、ゴーザさんに追いつけなかったとしても次の機会を待てばいいじゃないの。」


語調を緩めたアスミが汗拭きを取り出してユウキの額を拭いて行く。


「僕は・・・」


顔を上げて何かを言い掛け、言えずに口を噤むつぐむユウキ。


「言わなくても良いですよ。何かゴーザさんに関わる事なんでしょう?他人が係わる事を迂闊に漏らさないのは合格。『開いた口にはブデラ毒蛭が飛び込む』と言う様に、口を噤むつぐむ事が出来ない探索者は長生きできないわ。」


アスミは珍しく自分が感情的に成っている事に気づいていた。

アイスドールと仇名されるほど感情の起伏が乏しく、声を荒げた事など全く記憶にないと言うのに今は自分の感情が上手く制御できなかった。

戸惑いを誤魔化す様に立ち上がると通り過ぎる探索者を眺めながら息を吐き出した。


「私も指導者として失格でした。あなたが子供なんだって事をつい忘れてしまうなんて・・・。これからゴーザさんの後を追いながら探索者としての技能を教えますから、まずは身体を休めなさい。」


「ごめんなさい。それと・・・ありがとうございます。」


寄り掛かる木の幹は固く、居心地が良いとは言えなかったが、ユウキは目を閉じて身体の力を抜いた。

木立を抜ける風が頬を撫でると、湧き上がる眠気のままに暫しの微睡に身を委ねた。

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