99話 壊れた英雄 4
コルドランは茨の魔物が厚い壁と成って取り囲み、内外の出入りを容易には許さない隔絶の地だ。
この植物の魔物は根を奥地まで伸ばして余程濃い神素を得ているらしく、外辺部にあるとは思えない程に手強く強固な再生力を持っている。
その為、入り込もうとする者は思う様に進む事ができず、いつの間にか戻る道も塞がれてしまい、気がつけばその身を栄養として提供する以外の選択肢がなくなってしまう危険極まりない存在だった。
幸いな事にこの茨の壁はコルドランの外辺からきっちり30シュードの距離までにしか生えないので、その旺盛な繁殖力が世界を蹂躙してしまう事はなかった。
また、この壁を境に神素の濃度が劇的に変わる事からコルドランからの神素の流失を抑えて世界が害意ある魔物で溢れない様にする役割を担っていると考えられていた。
内部に入ろうとさえしなければ、時に美しい花を咲かせ、時に甘く薬効のある実を付ける事から神話に語られる封印の3柱の神の一柱――器の神パーンが造った器なのだと言うのが一般に流布している考えだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アスミに了承を得てから数日後、ユウキとアスミはこの茨の壁の継目にある街―――入口の街、スタヴロスで夜明けを待っていた。
二人はベッドの上で許されざる行為に及んでいる―――訳ではもちろんない。
何しろこの部屋にはベッドさえないのだから、そのような目的でここに泊まる者はほとんどいない。
この宿だけではない。
他の建物や施設も頑丈ではあるが、『見た目や快適さの為にお金と時間を掛けるつもりはない』とあからさまに主張している様な、最低限の機能しか持たない物ばかりが立ち並んでいる。
この街はコルドランに近すぎる危険な場所なのだ。
カウカソスに比べれば遙かに濃い神素が流れ込むので植物も動物もやがては魔物化する危険性を孕んでいる。
その為、街の中では小さな雑草さえ放置を許されず、それでも虫やネズミなのどの小動物が入り込んでは魔物化して人を襲う事態が常に発生し続ける。
また茨の壁の切れ目である事から、コルドランから魔物がやって来ては門番に追い返される事態は、不安ではあるが特に目を向ける価値のない日常の景色と化していた。
流石に深層の魔物が来ることは稀だが、十年に一度程度は災害級の奇禍に晒される場所とあっては、愛着を持ってここに住もうとする者など誰もいない。
だから探索者協会の担当者や他の施設の従業員達も、当番になった為に仕方なく来ている者がほとんどで、ここには定住している人間も政治的に取りまとめる管理者も存在していない。
ジェダーン伯爵領スタヴロス地区―――それがこの機能だけの街の正式な名称なのだ。
「ユウキくん、ゴーザさんはいつ来るの?」
宿の部屋で楽な姿勢を取って腰かけるユウキに、自分も壁にもたれ掛りながらアスミが話しかけた。
大まかな目的は聞いていたが、日時の計画などはユウキが立てており、アスミは細かな予定を知らなかった。
「おじいちゃんがいつ来るかは分かりませんよ。でも、いつもは夜明け前に出かけているのでそろそろ到着すると思います。」
何ともあやふやな計画だが、これは仕方のない事だった、
何しろ敏いゴーザに気づかれない為に、探る様な行動は一切する事が出来なかったのだ。
屋敷を出る時間とスタヴロスまでに掛かる時間から漠然と予想しているに過ぎないので、正確な時間など答えようがなかった。
しかしこの答えを聞いてアスミは大きなため息をついた。
「ユウキくん。いつ現れるか分からない相手を待ち伏せるのであれば少なくとも1ザードは前から潜伏場所で待機しておくべきです。相手の予定が早まれば全て無駄になってしまうでしょう?それにゴーザさんであれば僅かな違和感も察してしまいますから、早めにその場所に行って自分を周囲に馴染ませなければならないのですよ。」
この手の事を日常的に行っているアスミにとってはユウキの計画は余りに杜撰過ぎた。
ユウキの落ち着いた態度を見て、ゴーザの行動についてはかなり詳しく掴んでいると思い込んでいた事が言い方が険しくなった一因にもなっていた。
それは裏を返せば『自分が無意識にユウキを信頼していた』と言う事でもある。
その事実に驚くと共に、『子供相手に無責任すぎた』と自己嫌悪に近い怒りに押されたのもあって、誤魔化す様にこれからの行動に考えを巡らせた。
「もう遅いかもしれませんが、まずは探索者協会に行ってゴーザさんが来たかどうかを調べましょう。協会の人間が他人の来歴を教える事はありませんが、あれ程の人が来ていれば周囲で何かしらの話は聞こえて来るでしょうから。」
聖者の盾でもアスミは情報の収集や計画の立案などに携わっているのでこの程度の事は日常業務に近い。
仮に出遅れてしまっていたとしても挽回策は幾つも考える事ができた。
しかし肝心のユウキは「えっ!」と驚いた顔で固まっていた。
「さあ、行きますよ」と立ち上がるアスミを前に、苦笑いを浮かべたユウキが押し留める。
「あー、アスミさん。おじいちゃんはまだ来ていないから大丈夫ですよ。」
カリカリと頬を搔くユウキ。
「何を言っているのですか。見張りや待ち伏せは経験のある探索者でも神経を使う繊細な作業なんですよ。少しの気の緩みが相手を見逃しかねないのにこんな離れた宿にいて何が分かると・・・」
そこまで言ってアスミはある事に気付いた。
あの騒乱の時に教えられたユウキの認識範囲が常識では考えられない規模である事に。
今いる場所から探索者協会の建物まではおよそ70シュード。
100シュードを把握するユウキであれば十分に認識範囲の中に収められている距離なのだ。
そして、これはアスミには知り様のない事だがゴーザの認識範囲が50シューであることから相手からは悟られない距離でもある。
「ここに着いてからはずっと見張っているので大丈夫です。」
「何時間も見張りを続けていたのですか?未だにセレーマを注ぎ続けている事には驚きますが、無期限に対象を待ち続ける行為は熟練の探索者でも見落としが出てくるものです。経験のないユウキくんが間違わないとどうして言えるのですか。」
ユウキ一人に辛い仕事をさせていた後悔もあって少し怒ったような言い方になっていた。
しかし、当のユウキは何事もない様に笑っている。
それが片目を閉じた少し奇妙な笑顔である事にアスミが注意を払う事はなかった。
「フェンネルの能力で意識の領域を変えて行く事ができるんですよ。常に新しい事に意識を向けているので集中力を切らさずに見張りを続けられます。飽きるとか辛いとか言う感覚もないので気にしないでください。」
半分はタルタロス・サーキットの能力なのだが、そこまで言うつもりはない。
唖然としたアスミが今度は気が抜けた様な溜め息をついて再び腰を下ろした。
「ユウキくん。本気であなたの事を
「僕の認識範囲について黙っていてくれたアスミさんだから話したんですよ。」
ユウキがアスミを同行者に選んだ理由がこれだった。
自分の能力について相談ができ、手の内を隠さずに行動しても信頼していい探索者となると他に該当する人はいなかったのだ。
笑顔のユウキにもう一度溜め息をついて
「任せますから出る時に声を掛けてください。」
とアスミは目を閉じて身体を休めた。
『入口を通る為だけに呼ばれたんじゃないか?』
という考えは故意に考えない様にした。
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