81話 静寂の聖堂

「おい!くだらない話をしている場合じゃないだろう。その婆さんを黙らせて、早くあのノロマ野郎に鍵を開けさせろよ!」


子供の甲高い怒鳴り声が響くと、和み始めていた陽だまりの様な空気が一瞬で真冬に変わった。



余りにも無礼な言葉に周囲の男達が気色ばんで睨みつけるが、周りが見えていないのか本人に臆した様子はない。

まだ幼いと言ってもいいその子供は、助けられて同行を許されたペガサス団のパルス。

現実を忘れている馬鹿な大人たちに痺れを切らし、賢しらさかしらにも注意を促したつもりなのだろう。

確かに後ろを振り返れば追手の顔がはっきりと判るほど。

後10ミュールもすればあの濁流に飲み込まれてしまうのは確実だった。

だがそんなことは全員が理解しているのだ。

理解しながらもエリグマの意図する事に気づき、気力を総動員して笑っていたのだ。


「ったくよぅ。この状況で手下をだらけさせるなんて信じられねぇぜ。」


エリグマに対する非難を口にした途端、刃先を撫でている様な―――ほんの少し間違えれば即座に血が噴き出しかねない程の張り詰めた空気が場を支配した。

ここに至れば如何に自分本位なパルスであっても、自分の置かれた状況を悟らざるを得ない。

「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げてガタガタと震えだしたかと思えば、忙しなくせわしなく目だけを動かしてどこかに逃げ道はないかと最後の抵抗を試みていた。


「なぁ、お前の言う事も間違いじゃねえが、あんまり周りのもんを見下していると、そのうち大怪我をするぞ。」


無精ひげを探す様に顎を撫でながら、エリグマは面白そうにパルスを眺めていた。


「『長鞭馬足に絡む』と言ってなぁ、馬を走らせる時に愚か者は威力があるからと長い鞭を使うんだ。だが長鞭は馬の脚に絡みついて結局足並みを乱して遅くなる。反対に賢い者は鞭を捨てて馬に労いねぎらいの言葉を掛ける。すると馬は主人の為にと、いつも以上によく走ってくれるんだ。」


話しかけられてもパルスには答える余裕がない。

ただ聞いていると示す様に動き回っていた目はエリグマに向いていた。


「そこで扉を開けようとしているのは“カギ開けのダッチ”と言って、仲間内では一番手先が器用な奴なんだが、如何せん荒事にはとんと向かない性格をしているのよ。こんな風に周りが殺気だってると手が震えて碌に仕事が出来なくなっちまう。お前がやった事は悪戯に長い鞭を振り上げた様なもんだ。ダッチに仕事をさせたいなら声を張り上げるんじゃなく笑って冗談を言うに限るんだよ。」


話しながらエリグマは目の前の子供を観察していた。

相変わらず周囲の殺気に当てられて身動きもできない状態に変わりはないのだが、エリグマを見据える目には微かな反抗心が消えずに残っていた


(ほぉう・・・。この状況でも折れねえか。さっきキョロキョロとしていたのも、いたたまれずに逃げ道を探していたんじゃねぇ。『突き破れるところはないか』ってところか。)


妙な所に感心したエリグマがにやりと笑った。


「それになぁ、誰だって気持ちに余裕がなけりゃまともな仕事なんぞ出来ないもんだ。お前もそんな氷柱つららみたいにしてるとポッキリと折れちまうぞ。」


楽しそうに話すエリグマに周りの者達は不承不承と言ったていで怒りを修めていった。


「あらあら、私が話し込んでしまったから怒られてしまったのね。ごめんなさい。」


涙と鼻水で汚れたパルスの顔をエリスが拭った頃には生意気な子供を気に掛ける者は誰もいなくなっていた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「親分!開きました。」


しばらくしてダッチの嬉しそうな声が響いた。


何処か楽しそうにしていたエリグマが無言で腰の短刀を抜き、感情を沈めて『凜』と響きそうな研ぎ澄まされた顔つきに変わる。

それに合わせて周囲の者もそれぞれの武器を構えて前を向く。

エリスとリューイ、ペガサス団の子供達は後方に下がってひと纏まりまとまりになり、カルカスら数人が最後尾で追手の警戒をする。


「大丈夫。扉の周りには誰もいないわよ。」


ドールガーデンで先の状況を確認したアスミはエリス達に合流して剣を抜く。

アスミの認識領域は17シュード程。

扉の向こう、聖堂の1/3程は観えている。

少なくとも雪崩れ込んで体制を整える位の時間と場所はあるだろう。


「やれ!」


ダッチが扉を開くと猛る男達が駆け出した。




その吹き抜けの広い空間は神聖な気配に満たされていた。

一番奥には片翼を広げた白亜の神像が鎮座し、訪れた者を包み込む様に微笑んでいる。

その足元の一段高い壇上には二つの燭台と司祭が教えを説く教壇。

壁と天井には古の神話が描かれ、12の柱には同じく白亜の守護12神しゅご12しんが聴衆を取り囲む様に見下ろしていた。

普段であれば荘厳な佇まいに魅了されて、『人の身で神界を訪れた聖トリキルティスはこの様な気持ちだったのか』と訪れた人々を厳粛な面持ちに変えた事だろうが、今はそんな感傷に浸る者は誰もいない。


「だ、誰もいません。」


最初に飛び込んだ男が何かにせかされる様に声を上げた。

後に続いて決死の形相の男達が雪崩れ込んできたが、それをあざ笑うかのように聖堂の中は静寂に包まれていた。

余りの呆気なさに周囲を見回す者や椅子の下を確かめる者、果ては『穏行系の魔導具で隠れているのではないか』と何もない空間を剣で突く者までいたが、誰かが現れる事はなかった。


やがて本当に無人だと確信すると、『助かった』『運が良い』など無事を喜ぶ声が方々で漏れ始める。

退路を断たれた以上仕方がなかったとはいえ、数人が犠牲になったとしてもここを強硬に押し通る覚悟でいたのだ。

それだけに無傷で通り抜けられる事に皆が安心し、詰めていた息を吐き出したのも仕方のない事だった。


後はこの聖堂を横切って奥の扉を抜けさえすれば直ぐに地下への入口がある。

網の目の様に張り巡らされた地下へ降りさえすれば、後は自分たちの世界。

一度は油断から追い詰められたが、備えさえしていればおいそれと遅れを取るものではなかった。


「さあ、追いつかれる前に早く行きやしょう。」


気の早い一人が奥へと走って扉に手を掛けた。



エリグマは聖堂に入った瞬間から感じていた違和感に周囲を見回していた。

それが何なのかは判らないが、『氷の下でメガロドン人食いザメが口を開けている』とでも言う様に不気味な気配が纏わり付いて離れない。


(何故誰もいない?アグリオスもここから現れ、あの妖婦がいたのもこの上のバルコニー。ここは敵の中心地ではないのか?それともまだ上にいて何かを企んでいるとでも言うのか?だが衣擦れの音でさえ響き渡る静寂の中で、息を殺してまで果たしてそんな事をするだろうか?そんな面倒な事を・・・音!)


はっと気づいて耳を澄ましても仲間たちの立てるもの以外の音は聞こえない。


(地鳴りの様に響いていた足音や呻き声が、ここに入った途端に全く聞こえなくなっている!まるで誰かが『止まれ』と命じた様に・・・。)


何百という大集団に対して瞬時にそのような命令を実行させる事は、通常であれば不可能だろう。だがここにはそれが出来る存在が一人だけ―――いや1柱だけ存在していた。


「扉を開けるな!これは罠だ。」


しかしエリグマが警告は僅かに間に合わず、ほとんど同時に奥の扉は開かれてしまった。


そこにはあったのは隙間という隙間に人を詰め込んだ肉の壁。

扉を開けた男が『えっ』と振り向いた隙に、伸びてきた無数の腕に掴まれて奥へと引きずり込まれて行った。


「ぎゃーーーーーーー。」


悲鳴が徐々に小さくなっても呆然として誰も動き出す事はできない。


「扉を閉めろ!」


やっと正気を取り戻した誰かが叫び、近くにいた者が走り寄って扉を閉める。

途端に


―――ドンドンドンドン―――


壁が、扉が、窓が叩かれ、重なり合った音は地面が揺れている様な錯覚を起こさせた。


「う、うわぁぁぁぁーーーー。」


カギを開けたドッチやペガサス団の子供達が頭を抱えて蹲りうずくまり、すぐに炎に包まれた。


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