英雄の伴侶

暗い通路を塗り替えながら赤黒い光が近づいて来る。

その速度は決して速いとは言えないが、だからこそ粛々と―――時と共に近づいて来るその境界は目にした者に焦りと恐怖と苛立ちを抱かせずにはいられなかった。


多くの犠牲者を出しながらここまで逃げて来たと言うのにエリグマ・ファミリアの一団はカギの掛かった扉に行く手を遮られていた。

カギ開けに覚えのある―――それは表だって口にできない事にも覚えがあるのと同義なのだが―――者が悲壮な顔をしながら悪戦苦闘している。



―――早く!早く!早く!―――



本人を含めた誰もが同じことを思いながら、誰もそれを口にしない。

それはいつでも命を賭ける覚悟の現れに他ならない。

ここに残っているのは親衛隊とも言うべき精鋭。

エリグマに心酔し、エリグマの手足―――それどころか爪先や尻尾として切り捨てられても構わないと己の全てを委ねている者達なのだ。


彼らの中心でエリグマが静かに目を閉じて待っている。

突き刺さる程の視線を受けても身動ぎみじろぎさえしないその姿は、先走って飛び出しそうな心を僅かに落ち着かせる効果があった。

だが、それも近づく足音が雷鳴の様に辺りを振るわせるに至っては我慢も限界に達しようとしていた。


誰もがエリグマの命令を待っていた。

己の命を使い潰せと視線で訴えていたその時、


「ふぁ~~~あ。」


当のエリグマはあろうことか大きな欠伸をしたではないか。


「おお、すまん。歳を取ると堪え性がなくて叶わんかなわんよ。」


「「「おやじ!」」」


皆が目を見開いて驚き、声が重なった。

家族ファミリアを謳う組織の中で最上位者をそう呼ぶので、リーダー格の一人はさしずめ『兄貴』だろうか。

真意を問いただそうと歩き出そうとしたところで、一瞬だけ鋭く変わった目配せに気づく事ができた。

その眼は確かに『焦るな!』と言っていた。



「そう言えばエリスさんでしたな。ゴーさんにはいつも世話になっていますよ。まぁ、迷惑を掛けていると言った方が近いかもしれんのだがね。」


エリスは少し離れた所にいる。

自然、声は良く通りそこに居る全員が場違いにのんびりした声を聞くことになった。


「そんな取り繕った事を言わなくても大丈夫ですよ。どうせ頑固な主人が物事を大げさにしているのでしょう?むしろこちらこそご迷惑をお掛けしているみたいで申し訳ないわ。」


平然と言葉を返すエリスに、先程は声が重なった者達が今度は目を見開いて一斉に振り返った。


エリグマは分かる。

今でこそ実際の荒事に出向く事は無くなったが、かつては勇名・暴名を欲しいままにした傑物なのだ。

自分達の理解を越えた胆力は、むしろ理解できない事に納得できるものだった。

だがこの老女は英雄の伴侶とはいえ、普通の女に過ぎない筈だ。

誰もが緊張で押し潰されそうな中で、自分達を追い越して易々とエリグマに並んだ事に驚きを隠す事はできなかった。


一方で、話を振ったエリグマもこの返答には内心驚いていた。

エリスには迷惑な話だが、あたふたする女性とのんびりとした会話をすることで部下の緊張を解そうとしていたのだ。


それが返ってきたのは何の気負いもない言葉、それどころか英雄ゴーザの微笑ましい日常話までしてくる始末。


(儂の方が気圧されてどうするのだ。)


こうなっては内心の焦りを抑えて懸命に演技を続けるしかなかった。





「それで、主人が孫の腕を折ってしまった時なんて、家人の前では『訓練の一環だ』と取り澄ましていたのに、二人きりになった途端に取り乱してしまって。『内緒で治癒師を連れてくるからユウキが寝ている間に治してしまおう』と飛び出してしまうのよ。それなのにしばらくして連れて来たのは教会の司祭様。主人は『間違えたーーー!』と言ってもう一度飛び出すし、夜中に引っ張り回された司祭様は怒っているし・・・。私も丁寧にお詫びしなければいけない所だと言うのに、もう可笑しくてつい笑ってしまいましたの。・・・あっ、この話は主人に止められていたのだわ。どうか内緒にしていてくださいね。リューイもおじいちゃんに内緒ね。」

最後の一言は手を繋いでいるリューイに向けて、その他は近寄ってきたエリグマ相手にずっとしゃべり続けていた。


最初の頃は『何という女丈夫じょじょうぶか』と驚きと称賛の目で見ていた人たちも、それが延々と話すに至っては『これはこの女性の素の姿なのだ』と苦笑いを浮かべるのだった。


もっとも、エリグマの評価は変わることはない。

配下の者たちが笑っている時点で自分のしたかった事は全て成し遂げられている。

「流石は英雄の奥方だ。」と密かに納得した。






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