82話 崩れゆく人々


最初にヘレンの小さな胸から炎が溢れたあふれた


「ああっ!」と驚きと戸惑いの入り混じった声を漏らしたが、すぐに瞳から意思の光が消える。

ダナエはヘレンを抱きしめていた為に炎に巻きこまれてしまった。

ただ、自分は炎に巻かれても一緒に抱えていたクリュテは咄嗟に突き放して助ける事ができた。


間近でそれを見てしまったカギ開けのダッチは悲鳴を上げて逃げ出したが、3歩も進まない内に自らの中から炎を噴き出して静かになる。


そのダッチはユラユラと歩き出し、周囲に目を向けていた男の背中にぶつかった。

男は背中に着いた火に気づき、どうにか消そうと手を伸ばすがすぐにダッチと並んで歩き始めた。


しばらくするとヘレンとダナエもぎこちなく立ち上がり、手近な扉に向かって歩き出す。


「・・・ヘレン!・・・ダナエ!」

「クリュテ、ダメ!」


追い縋ろうとするクリュテを、後ろからラットが引き留めている。

ギュッと閉じた目から涙が落ちてクリュテの肩を濡らしたが、そのラットからも炎が噴き出して涙の跡を覆い隠してしまった。


涙を流しながらも全てを見ていたクリュテは炎の灯っているのも構わずにラットの胸に凭れ掛かかり、静かに目を閉じた。



「ラット!クリュテ!・・・何で俺たちがこんな目に会わなきゃならないんだ。仲間と身体を寄せ合って必死に生きているだけじゃないか。ただ生きている事すら俺たちにはできないのかよ!ちくしょう!出て来い!出来て来いよーーー!」


パルスは身体のあちこちが燃え始めても叫び続けた。

それは煙を含んだように黒々と、他の誰よりも昏い炎となった。


この事態にエリグマは直ぐに反応した。

驚きを押し殺して周囲に指示を出すエリグマ。


「近づくと炎が弾けるぞ!そいつらから離れろ。」


今までも手の届く程に近づくと炎を弾けさせて新たな犠牲者を増やしていたのだ。

しかし武器を構えて警戒する男達の中からも臨界を越えて燃え上がる者が現れ、亡者の行進に加わってゆく。


「気をしっかり持て!恐怖に負けた瞬間に捕らわれるぞ。残ったお前らは誰よりも強い。恐怖をねじ伏せろ!」


その言葉に鼓舞された男達がギリッと奥歯を噛みしめる。

だが皮肉なことに、強固な意思に押し潰された感情―――恐怖は起爆スイッチを押された様に一斉に炎が上がる。

ただそれまでの者達と異なり、意思を失くすまでに僅かな時間があった。

まるで固く締まった木が焚火の中にあっても最後まで燃え残る様に、たとえ炎を上げる自分の身体を見つめる事しかできなかったとしても、それは驚くべき精神の強さといえた。

とは言え、自分の心が炎の意思に塗り潰されて行く様子は深い絶望を伴い、程なくして絶望に屈して炎に包まれた。


エリグマはその中に在っても最後まで持ちこたえていた。

手足が少しづつ喰われるに等しい喪失感は何度も心を折ろうとしたが、その全てに耐え続ける。

だが徐々に手足の感覚は失われて、エリグマの意思とは関係なく動き始める。


「くっ!手足が勝手に・・・」


「それは、私が皆に命じているからですよ。」


燭台の炎が渦巻くと、そこには妖艶な女、いや女神トードリリーが現れた。


「私は全ての行動を止めて外で待つ様に言ってあるの。だから周りいる子たちも決して中には入って来ないし、中にいれば当然外へ出て行くのよ。」


その言葉を何処まで聞くことが出来たのか。

エリグマは感情の消えた顔でノロノロと扉へと歩いて行った。


「あそこまで私の神威に耐える事ができるなら、さぞ良い駒になってくれることでしょう。とても楽しみだわ。」


頬に手を添えて、微笑むトードリリー。

先の事を考えれば「フフフ」と声が漏れる。

昨日までであれば想像もできない程の幸運が次々と舞い込んでいた。


「ああ、夢の様。もう他の神々に阿るおもねる必要もないのね。」

「ならば夢のまま終わらせてはどうかしら?」


背後からの声に振り向こうとしたその胸に銀の切っ先が突き抜ける。

リーンと響く鈴の音。

直後には突き出た刀身を中心に手のひら程の穴がトードリリーに穿たれた。


「こ、これは・・・。」

「あなたが誰で、何のためにこんな騒ぎを起こしたのかは知らないけれど、私の仲間を手に掛けた報いは受けて貰います。」


人形の様に感情の読めない笑みを浮かべ、愛剣パプテノスを構えたアスミが呟いた。


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