第40話 足掻く理由
カタンッ
赤茶けたレンガの中で二階の窓が
ユウキが走りながら視線を上げるとサッと物陰に引っ込む影。
よく見れば細い指先がちょこんと飛び出ており、ドールガーデンには必死に窓枠を押える女の子が観えていた。
侵入者を警戒するならドアか一階の窓を気にしなければならないのに、見当違いな所を守っている姿にクスリと小さな笑みが漏れる。
――― 一生懸命にならなくてもそんなところから入ってくる人はいないよ ―――
心の声が聞こえた訳ではないだろうが、指先の向こうにソロリと頭が上がり、ユウキと目が合うとまた引っ込んでいく。
――― 怖い思いをさせてごめんね。―――
許すともダメだとも言わずに窓から見えていた指先が消えた。
遠くから波の様な音が聞こえていた。
耳を凝らせば大勢の足音や重なる人の声だと分かるが、うねる様に響くその音は海岸から離れたこの街で潮騒を思わせた。
この一帯からも炎に縛られた人が出たのだろうか、残っている人たちはこの異変に怯え、家の戸に鍵をかけては『不幸が入り込まない様に』と肩を寄せ合って祈っている。
その祈りは無駄ではないだろう。
なぜなら、間もなくここは祈りが必要な状態になるのだから。
ユウキが逃げ込んだことでこの一画は群衆が取り囲んでいる。
今も多くの人が周り中から集まっており、入り込んだ人々でやがてここも埋め尽くされる事になる。
逃げ道はなく、捕まれば命も危うい状況だがフェンネルの特性に加えて恐怖をコントロールできてしまうユウキには『他人に迷惑を掛けてはいけない』程度の重みしかない。
だから最初は何処かの家に隠れる事も考えたが、怯える人たちを観るとあっさりその方法を放棄した。
まさに『死にたがり』と呼ばれても仕方がない有り様だが、それとは相反して生き残る方法は諦めずに探し続けている。
一見、矛盾するように思えるがユウキはゴーザの教えを忠実に守っているに過ぎない。
いつも言われていた事、
『人としては、他人に迷惑をかけるな。男としては人の役に立て』
更にゴーザは探索者の心得として常に教え諭していた。
『諦めるな!足掻き続ければその先にある何かが掴めるかもしれないではないか。出来る事をしないのは苦労を面倒くさがる“物臭さ者”だ。』
人は絶望して、悲観して、行く足が出なくなるから道をあきらめるのだが、それを物臭さと言われては立つ瀬がない。
ただ、そんな言い方をされたら余りのばかばかしさに一歩や二歩は前に進む気になるのが人と言うものだ。
問題のすり替えに過ぎないがそうして進んでいる内に事態が変化すれば本当に前に進む道が見つかる事もあるのだ。
ゴーザなりの優しさなのだがユウキにはそこまで分かる筈もなく、ただ物臭さ者と思われるのが嫌だから諦めてはいけないと思っていた。
隠れる事は止めたがユウキにはもう一つ道が残っていた。
ドールガーデンを重ね掛けした時に一か所だけ屋根に上がれる場所を見つけたのだ。
そこは幾つかのレンガが壁から突き出ており、手足を掛けて登れるようになっていた。
跳び上がったり、ルートを選ぶ必要はあるがユウキの体格でも無理なく屋根に出る事ができるだろう。
ただし、その先はそう長くはない。
家と家の間くらいは飛び越せてもこの一画を囲む道は広すぎてどこまでも行ける訳ではない。
そこまで行き着いた先で追い込まれれば最早行く先はなくなるのだ。
だがユウキにとってはそれで十分だった。
足掻きに足掻いた先で何も見つけられなかったのであればゴーザも『物臭さ者』とは言わないだろうからだ。
走っていると前方から数人の集団が向かって来た。
皆、胸に炎を灯しており、ユウキを見つけると叫びながら足を早めてくる。
もっともドールガーデンを展開していたユウキには分かっていた事なのであらかじめルートは決めてある。
無駄な争いを避ける為に手前を曲がるとそこにも男が一人立っている。
掴み掛かってきた腕をすり抜けると男のひざ裏を叩いて折り曲げさせる。
堪えきれずに崩れた男は道を塞ぎ、追いかけてきた後続を僅かながら足止めした。
足を止めることなく走り続けたユウキはその男が立ち上がる頃には次の角を曲がって姿を消していた。
そんなことを何度か繰り返す内にあることに気づいた。
人の動きが変わているのだ。
広大なドールガーデンで観ているユウキだから気づいた事だが、それまで漠然と広がっていた人々が何かに引付けられる様にこちらに向きを変えていた。
誰かに見つかる度にまるで誰かが指示をしている様に全員が、一斉に向きを変える。
「これは
急激に密度を増してゆく集団が押し包むように迫って来ていた。
こうなってはルートを選んで遠回りしている時間はない。
一人、二人の所は躱すか殴り倒し、それ以上の集団は迂回して最短距離を進む。
人に見つかるごとに周囲の人の動きが変わり、その度に包囲は狭まって行くがこの調子ならどうにか間に合いそうだった。
何度か妨害に会いながらも目的地までもう少しというところで一人の男が立ち塞がった。
よれよれのシャツを無造作にズボンに押し込んだ男は今にも泣き出しそうな表情でユウキを待っていた。
「あっ、見たことある人だ。」
ユウキにとってはその程度の認識しかなく、軽く殴り倒して進もうとした。
なまじ躱すよりも出会いがしらに一撃を入れた方が早いのだ。
もはや慣れた様子で手にした板を振り上げたが、それを振り降ろすことはなかった。
「・・・ぼ、坊主・・・良かった無事だったんだな、」
その男はモルド、ユウキに店番を押し付けた魔導具職人だった。
炎に囚われながら話ができたのはアグリオス以外初めてだった。
「すまなかった。俺が店番なんかを頼んじまったばかりに・・・こんなことになるなんて思わなかったんだ。」
「おじさんは意識があるの?他の人はみんな僕を追いかける事しかできないのに・・・」
「他の奴らも見聞きしている事や自分のしている事は分かっているよ。ただ、衝動が抑えられないんだ。心の奥から声が聞こえるんだよ、坊主の事がユルセナイと・・・。その声に従いたくてしょうがないんだ。みんなと同じになりたいんだ。」
「おじさんは平気なの。」
「俺は・・・俺はもう何も背負いたくないんだ。俺の所為で坊主が不幸になったら俺は重みで潰れてしまう。嫌なんだよぅ。もう、人の不幸を背負いたくないんだよぅ。」
それはモルド個人にとって最も切実な願望だった。
責任を負いたくないと言う、叶えられなかった欲望。
トードリリーが種火に使い、この騒乱の元になるほどの強い想いだ。
炎に囚われた人々が誘導されてユウキへの憎しみを植え付けられたのに対し、ユウキを助けたい欲がせめぎ合った結果、モルドにはわずかながら意識を保つ余地があった。
「坊主・・・逃げてくれ。もう嫌だ。人の不幸を背負いたくないんだ。ああ、人の想いが湧き上がってくる。みんなと同じでいたい・・・誰かに委ねて従いたい・・・嫌だ・・・苦しい。」
そのままモルドは何かを呟きながらどこかに歩いて行ってしまった。
「あのおじさんが気にする事なんてないのに・・・」
当初のきっかけがなど関係ないほど事態は変転しているのでユウキはモルドに対して思うところなど何もない。
ただ、自分を責め続けるモルドの事は少しだけ可哀相な気がした。
その後、少し進むと目的の場所に辿り着くことが出来た。
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