第39話 思いやりの形
緩やかに湾曲した路地を進むと胸に炎を灯した男達が見えてきた。
人によって笑っている様にも苦しんでいる様にも見える表情を浮かべていたが、この時のユウキには泣いているとしか思えなかった。
頭が割れる様に痛い。
ドールガーデンの濃密な情報量にユウキの精神が悲鳴を上げている。
これだけ苦労して壁の状態を調べたが結局、安全に足を掛けられる所は見つからなかった。
その代りとしてユウキは手にした板を逆手に持ち替えて走っていた。
男たちに向かって走りながら壁を確認すると力の限り跳び上がった。
もちろんそれだけで大人の背丈を越えられるはずもないが、壁の小さな突起につま先を掛けて力を込める。
ユウキはここに来るまでに靴を脱いで裸足になっており、脱いだ靴をベルトに挟んでいた。
突起を掴むかのように足の指を曲げると走る勢いを殺さない様に慎重に、しかし素早く身体を引き寄せて行く。
壁に近づくごとに前向きの力を上向きに変えて行き、そして壁の間際で完全に力の方向を変えて上に向かって跳び上がった。
足の爪が負荷に耐えきれずに割れ、壁面に引掛けた足先はザクリと裂けて血だらけになったが目論見どおり男たちの頭上に出る事ができた。
見上げる男達と視線が混じる。
男たちはすぐに追いかけて来たが、その距離は徐々に開いてゆき、入り組んだ区域に入るとユウキを見失って見当違いの方向へ走って行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ユウキは狭い脇道に入り腰を下ろしていた。
大通りから押し寄せる群衆がここに辿り着くまでには僅かに時間がある。
それまでに少しでも身体を休めておきたかった。
足も手も筋肉が引き攣る様に痙攣して力が入らなくなってきている。
これ以上無理をすれば動けなくなるのは分かっていても、だからと言って潔く諦める事などできない。
なぜなら・・・
「僕が逃げ続けている間、マリーンは安全でいられるはずだからね。」
自分に言い聞かせる様に呟きが声になった。
壁に頭を預けるとまだ青い空が目に映る。
傾き始めた太陽に、影は徐々に長さを増して光の差し込む通りと陰に包まれた路地は別世界の様に明暗を
「あの女の人が言っていた事も全部が嘘ではないのかもしれない。」
溜め息をつくと乾いた喉が痛み、思わず急き込んでしまう。
「あの人の目的はマリーンだった。町の人を完全に操る事ができるなら追いかけるのはマリーンになるはずだけど・・・みんなは僕を許さないと言って追いかけてきた。それは少なくとも自分の想いが現れているということなんだろう。・・・あれは光で目を焼いてしまった人たちの想いなのかな?いったいどれだけの人が僕の事を恨んでいるのだろう。」
考えるほど気持ちが沈んでゆく。
堅い壁にもたれ掛り左腕に目を落とすと、そこには多くの人たちの憎しみを象徴する様に不吉な揺らめきが灯っている。
「もし、僕が炎に囚われていたらどうなっていたのだろう。自分を許せなくなって自分の命を終わらせたのか、それとも他の人たちと一緒にマリーンを追いかけていたのか。」
腕の炎はユウキの問いに答える事は無く、不気味な生き物の様にただ揺らめいている。
表面上は幻の様に揺らめいているだけに見えても残り少ない体力を削り続けているし、今までの事を考えれば本当に意思を持って襲い掛かって来ないとも限らない。
「どうにかしてこれを消さないと・・・。腕の中に入った炎はタルタロス・サーキットに落ちて行ったのだから同じように表面も消せないかな。」
タルタロス・サーキットも元々はロジック・サーキットの一つだからセレーマのようなものを出せるかもしれない。
ただ、通常は自分の内側から湧き出るイメージのセレーマだがタルタロス・サーキットには“自分の一部”という感覚がない。
むしろ感覚がない所、昏い闇に思えるところをタルタロス・サーキットとしてとらえている節がある。
「やっぱり無理かな。こう、ぐにゅって感じで伸ばせればいいんだけど・・・。」
何をやっても自分でない部分からセレーマが出てくることはなかった。
だからやり方を変えてみる。
タルタロス・サーキットの境界を意識してそれを他のロジック・サーキットで押すイメージ。
心の中の白い部分で黒い所を突いてみる様なものだろうか。
もちろんそんなことでどうにかなる様なものではなかった。
所詮は子供が想像しているだけなのだから。
だが・・・
ゾワリッ
「だ、ダメだな。別の方法を考えよう!」
これを続けてはいけない気がして意識をタルタロス・サーキットから引き離した。
気持ちを切り替えてもっと物理的な方法を試してみる事にする。
「火を消すのだから水をかけてみよう。」
玩具の剣を抜いてセレーマを注ぎ、燃える腕にポタポタと水をかけてみる。
ジュウと鳴る事もなく腕が濡れただけに終わるがそれでも諦めずにセレーマを注ぐ。
最初は滴る程度だった水も2系統、3系統とロジック・サーキットを重ね掛けするにつれて水量を増してゆく。
やがて糸の細さだったものが湧水の確かな流れに変わり、ついに小さな激流となった赤い水は辺りを沈める様に広がって行った。
しかしそこまでしても炎は消えてくれない。
ただ水の勢いに押されるように剣の近くだけは炎がなくなっていたので剣を肌に押し付ける事でようやく消えて行った。
ユウキの身体は真っ赤に濡れてしまったがしばらくすると赤い液体は跡形もなく消えて行った。
そこには一面が池の様だったのが幻だったのかと思えるほど何の痕跡も残ってはいない。
そういう特性の液体だったのだが今まで赤い水としてしか意識していなかった。
「・・・アルコールとかじゃなくて良かった。」
今更ながら自分の幸運に感謝した。
ほっと息をついたユウキは自分の身体が楽になっている事に気づいた。
炎が消えて負担が減ったからではない。
手足の痙攣は治まり、あれ程熱を持っていた関節は、まだ多少腫れがあるもののかなり良くなってきている。
試しにタルタロス・サーキットを閉じてみても―――呻いて涙が出るほど痛かったが―――耐えられる程度になっていた。
とても休んだ程度で回復できるレベルではなかった。
驚いて身体を確認していると胸元で
上から除くとリューケンの鏡が青白く光っていた。
「鏡が光るなんて聞いたことがないのになんで急に・・・。」
思い当たる事といえばセレーマの重ね掛けをしたぐらいだが果たしてそんなことで光る物だろうか。
取り出してみると暗がりで辛うじて分かる程度に青白い光を放ち、持った手がジンわりと暖かい。
更によく見れば光や熱は鏡自体ではなくそれを保護する覆いから出ている様だった。
手を当てていると心地よさが全身に広がってゆく。
「これは・・・治癒の魔導具だ。」
一般に治癒の魔導具を使う事ができるのは治癒師だけとされている。
治癒の魔導具は特殊な適性を必要としているので市井の人々では扱えないのだ。
もっとも属性を獲得する事自体は誰でも、簡単にできる。
治癒院に赴き、癒しを司るテラペアに帰依すればいいだけだ。
ただし、テラペアは他の神々と折り合いが悪いので治癒以外の属性を拒み、他の属性の魔導具を使うことが出来なくなってしまう。
これでは汎用品はともかく、強力な、あるいは専門的な魔導具を使う他の仕事に就くことは出来ない。
だが例外もある。
属性を必要としない汎用品でも治癒の効果が知られているものがいくつかあるのだ。
問題は効果の低さとエリアルの入手何度の高さ。
効果については全治10日の怪我が9日で治る程度、ほとんど誤差の範囲でしかない。
それでも安価に出回っていればお守り代わりに持つ探索者はいただろうが、肝心のエリアルは討伐難度A級の魔物を相手にしなければならず、更に他の用途のために高額で取引されるとあっては気休め程度の魔導具にする者などいる筈はなかった。
『お前の戦闘スタイルでは鏡は重要な意味を持つ。もし使えなくなれば戦闘力は半減では済まないのだからこの保護具に入れておけ。』
そういってゴーザはそれをユウキに手渡した。
それが治癒の魔導具である事も、如何にゴーザと言えどもかなりの危険と引き換えに手に入れたものである事も口にすることはなかった。
「ずっとおじいちゃんが守ってくれていたんだ。僕がタルタロス・サーキットを開いて無茶をする時には必ずドールガーデンを使うから・・・少しでも僕の助けになる様にと・・・」
セレーマの重ね掛けをした時の余波で治癒の魔導具も飛躍的に効果を高めており、その結果として青白い光を放ち、専門の治癒師にも匹敵する効果を及ぼしていた。
ユウキは包み込むように魔導具を手の平に収め、静かにセレーマを注いでいく。
指の隙間から漏れた青白い光がしばらくの間路地を照らしたがそれを目にするものは誰もいなかった。
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