第38話 ドールガーデン
ユウキが人混みに落ちた時、思わず着いた手にその炎は燃え移った。
瞬く間に肉を焼き、骨を
まるで意思があるかのように肩を越えて中心を目指していたそれだったが、不意に立ち塞がった漆黒の闇を前にすると崖から投げ落とされた松明の様にあっけなく何処かへと消えて行った。
ユウキはその一部始終を静かに見つめていた。
意識を
ただ少しだけ悲しみが混じった想いの意味をユウキ自身でさえ理解することはできなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
人混みを抜けて狭い路地に転がり込むとユウキは振り返ることなく走り始めた。
求めた相手を見失っていた集団も一人で走り去る者に気づかないはずはなく、すぐに「ふぇんねるノコドモガイタゾ」という声と共に群衆が押し寄せてきた。
しかし狭い路地のうえに、皆が我先に前にでようとしたため、かえって身動きが取れなくなっている。
追いついてくるまでに時間は掛かるだろうが、もはやここに戻る事はできそうになかった。
だから今は走るしかない。
こんな狭い場所で立ち止まれば瞬く間に追い詰められてしまうのだから走って逃げ続けるしかないのだ。
その為にも少し先で角を曲がらなければならないのだが、路地の向こうからも人が入っているので急がなければそこも人で埋め尽くされてしまうだろう。
状況を把握するためにドールガーデンを展開しているが、そこに観える景色は霞がかかったように淡く、いつになく不鮮明だった。
左腕には落ちた時に燃え移った赤黒い炎が
意識を縛る能力は打ち消され、普通の炎とは異なり火傷にはならないが、身体を焼く感覚だけは依然として残っていた。
タルタロス・サーキットを開いているので痛みとしては感じないが、身体が鳴らし続ける警報に対して無意識に反応して集中しきれなかった。
だが、今はどうする事もできない。
すでに行く手の奥からも
その上、少し先には元々路地に居たのだろうか、三人の男が行く手を塞いでおり、この男達を上手く抜けなければならない。
走りながら落ちていた板を拾い上げる。
樽の蓋でも割れたのだろうか。
握れる幅ではないので手の平で挟むように振ってみるが思った以上に力が乗せられない。
「素手よりはましだけどもう少しマシなモノに取り替えたいな。」
ずっと持っていた玩具の剣は鞘に戻して腰に吊っていた。
アグリオスに対抗できるのはこの玩具の剣しかない以上、こんなところで壊すわけにはいかないのだ。
あまりにも制約が多すぎた。
時間も、行動できる範囲も限られ、満足な武器も防具もなく、人数比など１対数千だ。
普通であれば絶望して動けなくなっていても不思議はないがこんな状況にユウキは悪い意味で慣れている。
希
タルタロス・サーキットを手に入れた時から
ユウキは走りながら考える。
「とりあえず、あの三人をどうしよう？また足元を抜けようか。」
問題は三人と言う事だ。
人混みなら多少手間取っていても足元のユウキに手を伸ばす事は出来なかったが、今度は這う様に進んでいたら為す術もなく捕まってしまう。
だからと言って正面から打倒そうにも3対1では分が悪い。
「また頭の上を飛び越せればいいけど今度は窓も何もないから高さが足りないし・・・。少しでも足場にできる所があれば何とかなりそうなんだけど・・・ん？」
ふと目をやったレンガ造りの壁は完全な平面ではなくゴツゴツとした凹凸がある。
「登る事はできないけど、一瞬だけ跳ぶくらいはできるんじゃないかな。」
場所にもよるが指ぐらいなら掛けられる所もある。
モノは試しとひょいっと跳んで出っ張りに足を掛けると力いっぱいに壁を蹴った。
「痛ったー？・・・いや、痛くはないけど擦りむいた！」
力を入れた途端、足元はズルリと滑り、壁に当たった頬に擦り傷ができていた。
「靴が滑って力が掛けられない。もっとしっかりと足を乗せられる所じゃないと跳び上がれないや。」
良く見ればしっかりと足を掛けられそうなところもある。
だが、望んだ場所に都合よくあるとは限らないし、ましてやこの後は出会い頭に仕掛けるので悠長に足場を選んでいる時間はない。
「ちょっと無理かぁ。せめてドールガーデンがちゃんと使えていればなあ・・・。」
今はボンヤリとした景色が見えるだけで壁の凹凸どころか人の顔も見分けがつかない。
「やっぱり先にこの火を消さないとダメかな。でも当てがあるわけじゃないから消せるかどうか分かんないし。せめてドールガーデンをもう少し強く発動させられれば何とかなるかもしれないけど・・・そうか！」
修羅場では鋭い
鈍かった。
「ロジックサーキットの重ね掛けをすればいいんじゃないか！何で気づかなかったんだろう。」
今までドールガーデンで観た景色を複数のロジックサーキットで観察したことはあったが重ね掛けをして発動そのものを強化はした事はなかった。
「２系統でいいかな。『ドールガーデン』・・・・・・・・・ぅぎゃーーーーーーー！」
鉄杭を打ち込まれるような頭痛に声を上げて蹲る。
すぐにセレーマを止めたが不快な感覚はいつまでも残っている。
「タルタロス・サーキットを開いているのに何でこんなに痛いんだよ？」
普段は避ける事ができるのでユウキは痛み自体の耐性は低く、薄らと涙さえ浮かべている。
「も、もう一回・・・」
今度は慎重に――若干腰が引けながらも――セレーマを注ぎ、先程の痛みは確実にタルタロスサーキットへと流して行く。
だが、今度は重ね掛けをしているにも
「何となく解った。痛いんじゃなくて重ね掛けした情報量を痛いと感じるんだ。痛みを避けると情報量も上がらなくなる。」
腕を焼く炎がそうだが、人は身体の危機に対する警報を“痛み”として認識している。
ユウキはこの警報をタルタロス・サーキットに流す事で痛みを感じない様にしているのだがドールガーデンを重ね掛けすると爆発的に上がる情報量自体が自我に対する危機として痛みを感じてしまうらしい。
だから普段と同じように“痛みの情報”を消すとドールガーデンで得た“認識領域の情報”も耐えられるレベルまで下がってしまう。
普段使っている程度にはなったが細かな壁の凹凸を判別するにはまだ情報量が足りない。
ドールガーデンの情報量を少しずつ戻しながら、自分がガマンできる限度を見極めて行く。
タルタロス・サーキットの微細なコントロールは意外に難しく、時々戻し過ぎて半泣きになりながら試行錯誤を繰り返した。
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