第41話 ペガサス団 1

人が一人、やっと通れる狭い路地を抜けるとそこには小部屋程の空間があった。

満足に陽が入らないらしく、そこら中がジメジメとしてうすら寒い。

苔に覆われた壁は実際には緑なのだろうが、陰の中では黒ずんだ汚れにしか見ず“うらぶれた”様子を否が応でも感じさせた。


この奥の壁に上に登れるところがある。

本来、平面であるはずの壁にはわずかながらレンガの凹凸があり、手足を掛ければ十分に登ることが出来た。

もっとも、指の一本だけで体重を支えたり、飛び付かなければ届かない所もあるので屋根の上までとなると難易度は格段に跳ね上がる。

それでも今のユウキは子供の軽い身体でありながら大人並みの筋力を使えるのでそれ程苦労せずに登れる筈だ。

そして一度上に登ってしまえば追いかけて来られる者も限られるし、2シュード程度の巾ならば跳び移ることが出来るのでしばらくは逃げ続ける事ができるだろう。

ただし、壁に梯子をかける者が現れるまでだが。


「それも素直に登らせて貰えれば・・・だけどね。」


言った途端に散らばっている木箱の陰から肩を怒らせた男の子が歩いてきた。


「!?・・・炎に囚われていない!」


これだけ不穏な状況ならば表に出ている人間はみんな炎に囚われていると思い込んでいたのだが、ここにいる子供達にはそれがなかった。


ここに至ってユウキは自分の失敗に気づいた。

ドールガーデンの背丈から子供だとは分かっていたので仮に襲われても何とかなると高をくくっていた。

だが自分が去った後でここに残った子供がどうなるかまで考えていなかった。

炎を灯している・いないにかかわらず暴走する群衆に巻き込まれた子供が無事でいられる筈はなかった。


『ここに人を呼び寄せるのはまずい!』

素早く状況を確認して幾つもの可能性を確認する。

『屋根に登って離れたところで姿を現せばそちらに人の流れを誘導できるか・・・ダメだ、既に近づき過ぎているから登るのに手間取ればこの子たちが危ない。

まだ、それほど人が集まっていない内に引き返すか。もうこの近辺は囲まれていて逃げ場がない。

この子たちに逃げてもらう・・・同じだ、直接襲われないだけで集団に取り込まれて怪我をさせてしまう。・・・いや、僕ではダメだけどこの子たちなら逃げ場所はあるのか?一時的にどこかの家に入れてもらえば・・・。僕がいれば集まっている人たちはずっと追いかけてくるのだから家の中は安全な筈だ。』


「おい!てめぇ、ここは俺たちペガサス団のアジトだ。関係ない奴が勝手に入ってくんじゃねぇ。」

辺りを見回してブツブツと呟いているユウキに苛立った男の子が詰め寄ってきた。


「おい!聞いてんのか、こらぁ!」

近づいてきた子供に目を向けると煤けた様な金髪を無造作に切りそろえ、顔を無理やり歪めて恐ろしく見せようとしていた。

しかし目鼻立ちははっきりしているので普通にしていれば割と整った造りをしているのかもしれない。

背丈はユウキより頭一つ小さいし、幾ら凄んでみても幼さを残した声は隠しきれていないのであきらかに迫力が足りていない。

精一杯脅しをかけているのだろうが大人でさえ互角以上に戦えるユウキにとっては

『聞き慣れない言葉だ』位にしか思うところはなかった。


相手を待っているとどんどん近づいて来て、気が付けば軽く身体があたる所まで来てしまっていた。

相手は真上をめ上げ、ユウキは首だけを曲げてほぼ真下を見下ろしている。

あまりに近いので一歩下がって距離を取ると相手も一歩前に出て間を詰める。

もう一歩下がると相手も更に一歩前に出る。

切りがないので下がりながら相手の肩を押して出てこない様にするとようやく話しやすい距離を造ることが出来た。

ところが手が触れた途端に相手は大げさによろけてみせると肩を押えて喚き始めた。


「痛ってぇーーーーー!てめえ、やりやがったな!ペガサス団のパルス様にこんなことをしてタダで済むとは思ってねぇだろうなぁ!俺の手下100人がてめぇの家に押しかけるぞ!」

子供が100人押しかけてもフェンネル邸はビクともしないのだが、今はそんな事より大事な相談をしなければならない。


「ねぇ・・・」

「何だ!今なら金貨100枚で許してやるぞ!」

「そうじゃなくて・・・」

「あ“ぁ!家から持ってくるから許してほしいって言うのか!」

「大事な話があるんだけど。」

「おぅ!オレもお前の命に係わる大事な話の真っ最中だ。」


『ダメだ。時間がないのに全く話をきいてくれない。仕方ない、先にドアを開けてもらってから隠れるように説得しよう。』


ここに面している壁には2か所のドアがある。

ユウキは目の前の子供を無視して右手のドアに走り寄ると勢いよく叩き始めた。


「すいません。ここを開けてください。助けてあげて・・・ほしいんです。」

家の中にはお婆さんが一人、布団に包まって震えている。

ユウキがドアを叩くたびにビクビクと痙攣する様に身体が動くのだから聞こえている筈だ。

「僕たち・・はお婆さんに危害を加えるつもりはありません。あの人たち通りを行く人たちとは違います。お願いです。ここを開けてください!」


「あはははははっ。むりむり。助けて貰おうとしても俺たちペガサス団に盾突く奴はこの辺にはいねぇよ。」

ユウキはもう一つのドアでも同じ事を繰り返したがやはりドアを開けてくれる気配はなかった。


『仕方ない。ドアを壊して無理やり隠れさせてもらおう。この子たちが入ったら木箱を積んで塞げば何とかなる筈だ。』


体当たりをしようとしたときに背後の口調が変わり、怒気を孕んでひと際大きくなった。

「無理だって言ってんだろう!ここのドアはなぁ、このパルス様を怖がって潰されてんだよ。内側は厚い鉄板で塞がれているから万に一つ開けたくなっても開けられねぇのさ。」


「そんな・・・」


ユウキの選択肢がまた一つ、急速に閉じていった。

『もうこうなったら仕方ない。ここを出て行ける所まで行くしかない。』

その決断はユウキにとって命の火が半分になった様なものだ。

しかし踵を返して走り出そうとしたときに素早く回り込んだ子供が道を塞いだ。

「何、逃げようとしてんだよ!早く出すもん出しやがれ!」


ユウキが足を止めると、ニヤニヤと笑っている子供を見つめた。

自分が何をしていて、どこに向かっているかも分からないくせに自分だけは正しいと思っている盲目の小人。

汚れていく葛藤もないままに、大人の汚い部分だけを切り取ったような雰囲気は、妙に不自然で歪な感じがする。

ユウキの中で“他人を巻き込んではいけない”という気持ちが急速に薄れて行った。

『放っておいてもいいのかもしれない。この子たちの事は無視して屋根に登ってしまえばまだ道は続いているし・・・』


気持ちがストンと着くべき所に着いたのか静かに声を掛ける事ができた。


「君たちは今のこの街がどういう状態だか分かっているの?」


「身体に火を着けているおかしな連中のことか?新手の宗教か何だかしらねぇがあんな奴らに助けてもらおうとしても無駄だぞ。何人かここにも入り込んで来やがったが俺の顔を見たらすぐに逃げて行ったからな。大声を出したって来てくれるなんて思わない事だ。」

それはユウキを探しに来たものの、いないので引き返しただけなのだろうが目の前の子供は違う風に見ているらしかった。


「あの人たちはね、神の炎に囚われて自分の意識を捻じ曲げられているんだよ。」

「よく居るんだよな“この神さまから頂いた火に耐え続ければ神の国に近づけます~。火を着けるのは金貨1枚で火傷の治療は金貨3枚です~”てな。よくある手口で珍しくもねぇよ。」

「あれは本物の神の炎だよ。目の前で炎から女の人?が現れるのを見たし、知っている人が炎に囚われてしたくもない事をさせられていたよ。あの炎に触ると燃え移って自分の意識を違う何かに変えられてしまうらしい。今のあの人たちはね、僕の事が憎くてしょうがないみたいなんだ。全員で僕だけを探しているんだよ。」


「だから何だってんだ!」


「僕がここにいると街中の人たちが全てここに押し寄せて来るんだよ。」


「そ、そんな嘘に騙されるかよ!」


「信じるかどうかは君の勝手だけどね。ただ、あの人たちはある意味狂ってしまっている。関係ない子供を押し潰しても踏みつけても全く気にしないと思うよ。」


『何だ、コイツは。俺様を怖がりもしないし、言ってる事も妙に本当っぽく聞こえやがる。だがそんな事があるのか?通りを歩いていただけでも結構な人数がいたし、地面がうなるみたいに足音が響いているんだぞ。あれが全部ここに押し寄せたらチビ達が無事に済む筈は無いぞ。だけど、こんな話に騙されていたら俺たちが侮られる。どうするか・・・』


パルスが逡巡している時に木箱の陰では怯えた子供がいた。

「ダナエおねぇちゃん、私たち死んじゃうの?」

「ダナエおねぇちゃん、痛いのはヤだよぅ。」

「大丈夫よ。あなた達をそんな目に会わせたりしないから。」

幼い子供に縋り付かれた女の子は二人を優しく抱きしめると何かを決意して立ち上がった。


「お兄さん、どうすればいいの。」


「ダナエ、黙ってろ!」

「パルス、このお兄さんは嘘をついていないと思う。ヘレンとクリュテもこんなに怖がっているし欲をかかなくてもいいよ。」

「余計な事を喋るんじゃねぇ。そのヘレンとクリュテを守る為にも舐められちゃダメなんだよ。こんなボンボンに他愛なく騙されたなんてことになったら周りの奴らがどう思う。見くびられて忽ち刈り取られる側になっちまうんだぞ。」

「死んじゃったら終わりでしょう。」

「死んだ方がましな事なんていくらでもあるだろう。」


ダナエとパルスの言い合いはいつまでも結論が出そうになかった。

掴み合うかと思われたにらみ合いだったが、その様子に怯えた幼い二人が泣き始めるとダナエが慌ててヘレンとクリュテの元に戻りなだめている。


「とりあえず、そこのお兄さんの意見を聞いてみてもいいんじゃないかな。」

それまで黙っていた男の子が口を開いた。


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